究極の選択

 男は全力疾走する排除対象を見つけたので、自身が手にしているAUGを掃射した。

 五・五六ミリ弾が様々な物を破壊する。しかし、対象には当たらない。

 それもそうだ。動く的に命中させるなんて、相当な腕を持ったスナイパーでも難しい。

 まぐれで当たる可能性こそあれ、確定で命中する保証は無い。

 男は銃に挿さっている弾倉を確認した。

 AUGの弾倉はプラスチック製で半透明。なので、残弾数が一目で判るのだ。

 弾は半分程残っており、所持している予備弾倉は後一つ。

 男は舌打ちし、対象を追って雑貨屋の方に向かう。

 雑貨屋は全国展開している、緑色の看板でお馴染みの店だ。

 店内を一望するが、その姿は見えない。

 銃を構えながら店内をクリアリングしていく。その時だった。何かが倒れた音がした。

 少し離れた芳香剤の棚の陰から、対象が走り出したのが見えた。

 撃っても当たらないので、無駄な発砲を控えて対象を追いかける事に集中する。

 どうやら、対象は芳香剤かアロマの容器をひっくり返したようだ。

 花やらなんやらの甘くて、むせかえるようなにおいが漂ってくる。

 男は顔をしかめながら走り出す。

 そんな瞬間だった。

 芳香剤で濡れた床に付いたと同時に、足を滑らした。

 走っていたのが良くなかったのだ。下手に速度が付いていた分、バランスが不安定になっていた。

 盛大に転げた男は床に頭をぶつけ、その衝撃でAUGを手放してしまう。

 朦朧とする意識の中、彷徨う視線の先には空になったサラダ油の容器があった。


「悪いな」


 男の目の前には排除対象いた。ベレッタの銃口を向けつつ、しっかりとAUGも拾っている。

 男が手を伸ばしても、届きそうにない。


「油撒かせてもらったよ。君が馬鹿で助かった。……まぁ、油の臭いも、こんな香りの中じゃ分からんよな」


 その言葉で彼は理解した。自身が対象を追いかけた時点で、もう罠に引っ掛かっていたのを。


「悪いな。……俺は、子供を守らなきゃいけないんだ」


 対象は容赦なく、男に向けてトリガーを引いた。



 ――時間は少し遡る。

 イリナとエレナは、非情通路の扉を開けて一階へ出た。

 サイレン音が響き渡っており、外には警官隊が隊列をなしている。

 その内の何人かに、三十八口径を突き付けられた。


I'm not the enemy私は敵じゃない!」


 そう叫んだが、警官達は動かなかった。


「ホールドアップ! ドロップユアーウェポン!」


 武器を捨てろとの事だ。

 正直言って、捨てたくは無かった。これTMPを捨てれば、自分の身を守る事もエレナを守る事も難しくなる。

 警察と言えど、完全に信用は出来ない。

 しかし怯えるエレナを見ていると、心が揺らいだ。

 自分以上に孤独なのは、彼女の方だ。泣きそうになるのを必死になって我慢し、私のシャツの裾を掴んでいる。


『……助けて』


 ふと脳裏に、そんな言葉が浮き上がってきた。実際にはその場の誰も発していないのに、鼓膜が刺激される。


『助けて』


 また同じ声。同じ言葉。

 それは、自分の声だった。封印したドス黒い物が、僅かに影を見せる。

 泣いても叫んでも誰も助けてくれなかった、あの記憶が。

 母を呼んでも父を呼んでも、誰も返事をしてくれなかった。暗く、不潔で、おぞましい記憶。

 不意に吐き気が込み上げてきた。

 吐しゃ物を出すのを堪え、視線をエレナに移す。

 ――目を疑った。そこに立っていたのは、エレナではなく自分だった。

 七歳の頃の自分が、今の自分を見つめている。

 そんな事は無いと頭を振り、もう一度見る。やはり、そこにいたのはエレナだ。

 何故急に幻覚を見たのか。

 疑問を疑問として消化しようとした時だった。

 間の抜けた電子音が、一エレベーターの到着を告げた。

 そこから出てきたのは、AUGを持った男。警官隊も間に緊張が走るのが、見て取れる。

 男はフロアを一瞥すると、苦笑まじりに溜息を付いた。


「……聞けよお巡りさん。俺が持ってるライフルは、アンタらが持ってるジュラルミンの盾くらいだったら、簡単に貫ける。ガラスなんて、もってのほか。……手出しすると、殉職者だすぜ」


 盾を前面にして、距離を詰めていた警官隊は動きを止めてしまった。

 男の言う通り、あんな盾一枚ではライフル弾を止めることは出来ないだろう。

 次はお前だと言わんばかりに、彼は視線を私達に移す。


「そんなチャチな銃と子供抱えて、マトモに戦えると思っているのか?」

「……やってみる?」


 エレナを後ろに隠し、庇う様にして男と向き合う。

 警官の一人が止めるよう怒鳴る。しかし、耳を傾ける余裕は無い。

 一瞬の隙が、文字通り生死を分ける世界にいたのだ。

 外野の声はそれこそ雑音にも感じない。

 風の音、波の音、鳥の声。音が出るのが当たり前のものに、人間は特別な意識を向けたりしない。それと同じだ。

 自身の呼吸すら極限に絞り、精神をギリギリまで研ぎ澄ます。

 脳が運動神経に命令を出すまでの間は、約○・一秒。

 男が使うAUGの弾の初速は、秒速九四○メートル。

 向こうが先に動けば、確実に殺される。

 ならば、単純な話だ。奴より先に動き、殺せばいい。

 さしずめ、西部の決闘か。

 男の眉がつり上がった。AUGを持ち上げる手が、ゆっくりに見える。

 重さで言えば、こちらのTMPの方が軽い。

 奴より先に、身体へ銃口を向けた。

 後は、トリガーを引くだけ。

 ――のはずだった。

 背後から雄叫びが聞こえたかと思うと、身体が後ろに引っ張られる。

 何かと思えば、何処かに隠れていた別の男がエレナを連れ去ろうとしたのだ。

 彼女がそれに抵抗し私の足にしがみ付き、私の身体が引っ張られた。

 マズイ。

 今トリガーを引けば、目の前の男は殺せるがエレナは連れ去られる。

 エレナを庇えば、少なくとも彼女の身は守れる。

 ……究極の選択だ。

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