運命の色

 号泣してから三日が経った。

 これまでより、二人の事を意識するようになった。

 俺のこの思案癖は病気に近い。

 一生治らないのだろう。


「それもまた、一興ってか」


 首にかけたタオルで、汗を拭った。

 ここは陸自の富士演習場の市街地戦闘訓練場。

 ISSで半年に一度設けられることになった、特別演習の真っ最中だ。

 二組が訓練場に入り、ペイント弾を用いたフラグ戦を行う。

 ブービートラップあり不意打ちありの遠慮なし。

 戦場での情け容赦は自分の生命に関わるから、訓練だろうが厳しく指導する。

 今は昼飯休憩中。

 早々にイリナとエレナが作った弁当を平らげ、昼寝と洒落込もうとした矢先だった。


「石田さん」


 ある強襲係に声を掛けられた。

 眠い目をこすり、彼の顔を見る。


「どうした?」

 

 元海上保安庁SSTの局員だ。確か、午前中のフラグ戦でも中々の活躍を見せてくれたし、明日は射撃の練習に付き合う約束もしていた。


「あの……」


 だが、今の顔色は優れない。


「……明日の練習、やっぱり辞めてもいいですか?」

「何で?」


 彼の性格からして、面倒臭くなったから辞めたいなんてことは無いはずだ。

 顔色も悪いし、何かが彼の身に起きたのかもしれない。


「母が熱中症で倒れたって、連絡が。命に別状は無いようなんですけど、明日病院に行こうかと思って……」

「今から行ってあげな。皆には、説明しておくから」

「ですけど、演習が……」

「自分の母親に寄り添えない奴に、他人を救えるとは思えないけどね」


 真っ直ぐ目を見て言ってやる。

 もっとも、俺が言えた口じゃないかもしれないが。

 彼はしばらく黙っていたが、「ありがとうございます」と頭を下げた。

 同僚に見送られながら、演習場を後にする彼を見て、ふと俺の脳裏には自分の両親の事が頭に浮かんだ。

 長い事思い出していなかった顔なのに、何故だか鮮明に浮かんでくる。

 不意に涙腺が緩み、目が湿ってきたが天を仰ぎ涙が零れないようにした。


 家に帰ると、エレナとイリナがラジオを聞いていた。

 ラジオを聞く事で疑似的な日本語リスニングにもなるので、慣れるまでラジオを聞く事を習慣にさせている。

 置く場所が無いので、テレビは買っていない。監護期間が終わり次第、もう少し広いアパートに引っ越す予定なので、その時に買おうとは思っている。

 しかし、エレナはラジオの方が気に入っている。

 本人曰く、意外面白いらしい。

 日本語が分からないのに、そんな判断が付くのかどうかは疑問だが、彼女がそう思うのならそうなのだろう。

 そこは俺が口を出す所ではない。


「ただいま」

「おかえり」


 このくらいの挨拶なら、日本語で出来るようになったのも、ひとえにラジオのお陰だろうか。


「仕事、どうだった?」


 俺が部屋着に着替えていると、イリナが尋ねてきた。


「やっぱり、若人は動きのキレが違うね。俺だと力不足な気すらするよ」

「そんな事言わないの。……船で戦った時、思ったの。変わってないって。目に宿る闘志も、迫力も」

「……そうか」


 首筋の辺りが熱を帯び、毛穴が開いていくようだ。むず痒い。

 戦いぶりを評価されるのは、慣れていない。

 座布団の上に胡坐をかき、ついでに頭も掻く。

 

「……かっこよかったよ。あの時のおじさん」


 エレナからも援護射撃が来る。耳まで熱くなってきた。

 銃を持った自分をかっこいいと思った事はないし、これからも思う事は無い。

 銃はかっこいいツールじゃない。同時に言えば、俺も自慢するような面じゃない。

 けれど、褒められれば嬉しい。

 それが人心だ。

 でもこういう会話よりは、いつも話すような他愛のない話の方が好きだ。

 それは二人も同じなのか、話題は昼間に近所を散歩した話になった。

 セミの鳴き声のグラデーションや和らいできた陽射しを、生で感じる様な内容。

 頷きつつ、たまに相槌や質問を挟みながら晩飯まで時間を潰す。

 実体も持たずハッキリと形容する事すら難しい、というものが俺を含めてそこにある。

 俺はそう思った。

 ヒグラシの声がかすれ気味になった頃。

 心に留めていた事を吐露した。


「……土曜日、墓参り行っていいか?」


 エレナは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしているが、イリナの反応は比較的落ち着いている。


「……誰の?」

「俺の実の両親」


 墓は故郷の静岡にあるはずだ。叔父夫婦が墓じまいでもしてない限り、三十年前と同じ場所に。

 墓が同じ場所にあると望むのは贅沢かもしれないが、せめて手ぐらいは合わせたい。

 墓が無くとも、遺骨は合祀墓に入るからその前で手を合わせる。

 三十年分の親不孝を許せとは言わない。でも、エレナイリナの事ぐらいは報告したい。


「……いいかな? 嫌だったら、俺一人で行くよ」


 反応を待つ。

 口火を切ったのはイリナだ。


「別に、嫌がる要素は無くない? ……それに、遺骨があるのなら、お参りは行った方が良いよ」


 次に、エレナがおずおずと口を開いた。


「……おじさんの、お父さんとお母さんは……死んじゃったの?」

「昔にね。イリナお姉ちゃんが子供の頃くらいかな?」

「何で、死んじゃったの?」

「……車の事故だよ」

「……痛かったかな?」

「分からない。……即死とは聞いたけど」

「……もう、いないんだよね?」

「……うん」

「……会ってみたかったなぁ」


 仮に、両親が生きていたとしたら――俺は何処で何をしていたのだろうか。

 傭兵はやっていないはずだ。

 何処かの会社でリーマンをやって、こんな間取りのアパートで寝ていたかもしれない。

 案外、普通に結婚して今とは違う家庭を築いていたかもしれない。

 けれども、これだけは言える。

 エレナもイリナも、ここに居ない。

 イリナは傭兵稼業を続けていたか、何処かで用心棒をやっていた事だろう。

 エレナは……日の光を浴びれていたかも分からない。

 実に数奇な運命に彩られた人生なんだ。

 そう感じずにはいられなかった。

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