血の繋がりが無い家族

 二度と来るかと心の中で悪態を付きつつ、文房具屋を出た。


「……どうしたの?」


 何が何だか分からないと言った顔で、イリナが俺を見ている。

 エレナも困惑顔だ。

 彼女達からしたら、急に俺が怒り出した訳だから無理もない。

 けれど店主の悪意の有無に関わらず、俺は怒らなければいけない。

 あの言い草はまるでどんな覚悟や絆や愛があろうと、血縁関係の前にはクソの役にも立たないと言っているのと同義だ。

 それはつまり、俺とイリナより自分の子供を見捨てて売り払ったクソ野郎の方が、親に相応しいと。

 これで怒らず、いつ怒る。

 俺達がエレナを引き取らず、親元に戻していたらどうなっていたか。

 ……想像に難くない。どうせまた、同じ様な組織に売るだろう。

 一人で二人分の金が稼げる訳だ。そんなチャンスを、下種な奴が逃すはずがない。

 ただの人売りならまだしも、売春組織やらけったくそ悪い所に売り飛ばされたならと、考えただけで虫唾が走るし、そんなクソッたれと比べれるだけでも嫌になる。


「……悪い、少し頭に血が昇った」


 子供ながらに黒い感情を感じ取ったエレナが、松の樹皮みたいな俺の手を握ってくれたおかげで、噴き出しそうな怒りを、なけなしの理性でなんとか抑え込むことが出来た。


「……エレナは、いい子だな」


 彼女の頭を優しく撫でる。

 そこで気が付いたが、夢中になって歩いている内に本屋を通り過ぎてしまったし、商店街を抜けていた。

 下町情緒が微かに残る商店街と違い、今いるのは再開発が進む大通りだった。

 老人がまばらにいる所とは違い、人通りが多い。

 平日の真昼間だが、家族連れも多く目にする。

 丁度同じ家族構成の人とすれ違った。

 父親、母親、娘の三人家族。

 仲睦まじく、手を繋いで駅の方へ歩いている。

 彼等の姿を見て、何故だか急に怖くなった。

 まだ半袖が必要な気温なのに、冷や汗が止まらない。

 舌の奥が痺れ、それが扁桃腺の辺りまで伝わっていく。


「……大丈夫? 顔色悪いけど」

「おじさん?」


 イリナ達が顔を覗き込んでくる。突然顔を真っ赤にしたかと思えば、今度は青くなったのだから彼女らの心配は尤もだろう。

 

「うん……。多分、大丈夫だ。悪いな」


 舌が巧く回らなかったが、彼女達にこれ以上の心配は掛けたくなかった。

 額に浮かんだ汗を拭い、二人を先頭にして歩き出した。


 一通りの買い物を済ませてアパートに帰り、何てことないまま寝る時間になった。

 寝酒はしないと心に誓いながら、タオルケットを被る。

 だが。


「まだ寝るには早いんじゃない?」


 昨晩と同じ様に、起こされた。

 しかし、昨日と違いイリナが持っているのは缶の烏龍茶だ。流石に、二日連続で二日酔い野郎の面倒は御免らしい。

 缶を受け取り、プルタブを開ける。

 

「……明日仕事なんだけど」

「だから烏龍茶にしたの」


 さっさと茶を啜り、早々のリタイアを決め込もうとしたが、そう簡単に逃がしてはくれなかった。


「昼間、何に怒ってたの?」


 いきなり本題に切り込まれ、驚きのあまり喉を滑り落ちていたお茶が逆流してしまう。

 なんとか布団に盛大にぶちまけずに済んだが、鼻の穴からだらだらと垂れてきた。


「……もう少し、こう……遠回しに聞けないのか? お前は」

「無理」


 すっぱりと言い切られた。そんな風に言われては、文句を言う気すら失せてくる。

 だが言い換えれば、彼女にとってここまで気になっていたのだろう。


「……あの店の店主に、笑われたんだよ。家族構成が変だって。あげくに、家族には血の繋がりのが重要みたいな事言われたんで……腹立ってな」

「……なるほどね」


 イリナは小さく頷き、苦笑した。


「気持ちは分かるけど、そこでさっさと行っちゃうのは大人げない」


 その指摘はごもっともだ。


「……そうだな」

「でもまぁ、私もその言い草は良くないと思うけどね」


 そう言うと、茶を啜った。


「養子に“血の繋がり”云々と口を挟むなら、まだ理解は出来るけど……夫婦にそれを言ってもね。血の繋がりが無い家族の代名詞でしょ」


 当たり前の事だが、目から鱗が落ちる様な感覚だった。


「血の繋がりが無くても、十分に家族としてやっていける。そう、これまでで証明してると思うんだけど」


 その言葉で、重く圧し掛かっていた肩の荷が下りた。

 イリナとの再会、エレナとの出会いから数えて二週間余り。

 これまでの生活は、とても充実していた。

 血の繋がりは関係無く、俺達は心の底からそれぞれを家族と認識していた。

 確証が無いけれど、それは断言出来る。


「違いない」


 一気に茶を流し込んだ。今度はむせずに飲み込めた。

 エレナはズイと顔を近づけ、ニヤリと快活に笑う。


「なし崩し的とは言え夫婦なんだし、お互い遠慮は無しって事で」

「じゃあ、今度何かあったら遠慮無く」


 示し合わせた訳でもなかったが、自然と互いの視線に合わせ缶をぶつけ合った。


「乾杯」


 金属同士が小気味いい音を立てる。アルコールは無いが、血の巡りが早くなってきた。

 昨日、夫婦らしいと思っていたのがアホらしく思えた。

 俺達は正真正銘、夫婦だ。

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