血の繋がり

 翌日が休みだったのが、幸いだった。

 酷い頭痛で目が覚める。……というか、意識を痛みで覚醒させられる。


「二日酔いか……」


 イリナと酒を飲んだことは覚えているが、どうやら良くない酔い方をしたらしい。


「おはよう」


 そう言い、水の入ったコップを差し出すイリナはケロッとしている。

 アルコール耐性が強いのだろう。


「……年かな?」

「疲れてるんでしょ」

「……かもな」


 少し酒臭い息を吐き出し、五臓六腑に染みる水を飲み下した。

 エレナはまだ穏やかな寝息を立てており、こんな酒臭い姿を見られていない。


「顔洗って、散歩して酒抜いてくる」


 むくんだ顔を叩きつつ、着替えて外へ出る。

 老眼鏡を掛け、秋の兆しが見え始めた街を歩き出す。

 時刻は七時少し前。

 登校中の小学生やら中学生とすれ違う。

 十人に一人くらいの割合で子供が挨拶してくるから、それに返してやる。

 思えば、エレナも同じくらいの歳だ。

 

「……学校にも行かせないとなぁ」


 エレナは九歳。小学三年生になる。

 しかし、そのまま通わせることは出来ない。

 手続きがまだ完璧ではないのもあるが、一番の懸念が言語の壁だ。

 家では基本的に、英語でしか喋れない。

 エレナも英語しか喋れないし、イリナも日本語が喋れない。

 日本で暮らしていくには、中々のハンデを負っている。

 日本語を日常会話レベルまで習得させたら、こんどは平仮名から日本語を覚えさなければならない。

 ……石田家の中で、唯一の日本語習得者としては責任重大だ。

 

「学習ドリルでも買うか」


 だとすれば、文房具屋と本屋には今日中に行った方が良いだろう。

 予定を組み立てていると、少しは気分が楽になってきた。

 アルコールが抜けてきたに違いない。

 ほんの少し軽くなった足取りでアパートに戻る。

 いつの間にか、エレナは起きていて朝食の手伝いをしていた。


「おはよう。おじさん」


 スクランブルエッグを乗っけた皿を運んでいる。


「おはよう」


 笑顔で返し、自分も手伝う。

 朝食と言っても、白米にインスタント味噌汁と、スクランブルエッグの簡単な物で構成されている。

 料理の経験が乏しい俺やイリナでも作れる、卵料理は偉大だ。

 配膳し終わり、テーブルを囲んで手を合わせ。


「いただきます」


 そう言ってから飯を食う。

 こればかりは外すことは出来ない。

 二人も例外ではない。

 片言の日本語で「イタダキマス」と言い、食事に手を付ける。

 生きるのに、食べる事は必要不可欠。

 こうして食卓にならぶ食材が無かったら、俺達は死んでしまう。だから、食材に感謝して飯を食べる。

 そうエレナに教えた。

 この言葉は、親子関係が無くとも絶対教えていただろう。

 俺個人としては、感謝と謝罪の言葉の次に大事な言葉だと考えている。

 スプーンでぎこちなく米を口に運ぶ、エレナを見た。

 頬に米粒をくっ付け、無邪気に食べている。


「付いてるよ」


 イリナが指摘し、頬を指す。

 慌ててそれを取る様子は、とてもあどけない。

 この子が幸せならば、俺はどうなっても構わない。そう思わせる笑顔だった。


 日が高く昇り始めた頃、俺達は買い物に出かけた。

 近くの商店街だ。シャッターの閉まった店舗が目立つが、機能としてはまだ動いている。

 一番近くにあった文房具屋に入る。なんとなく、懐かしい香りが漂っている。

 無口な白髪の店長が新聞片手に、店番をしていた。

 目当ての物は、筆記用具と鉛筆削りや下敷き。それ一式揃えておけば、学校に行く段になっても困る事は無いだろう。

 俺は無難な緑色の鉛筆の箱を見ているが、エレナの視線が別の鉛筆に注がれている。

 犬だか兎だか分からん白い生物が、プリントされたピンク色の物だ。

 俺が見ているのに気が付いた彼女は、先程まで俺が見ていた鉛筆の方を手に取った。


「……いいのか? その、何たらってキャラの方が良くないか」

「ううん、いいの。あっちのが高いし、おじさんも安い方がいいでしょ」


 確かに、ピンクの方が少し高い。けれど、これごときで遠慮されるほど、安い給料は貰ってない。

 ピンク鉛筆の箱をエレナに持たせる。


「好きなモンで勉強した方が良いだろ。……だから、大事に使うって約束するのなら、買ってあげる」

「……約束する」

「よっしゃ。じゃあ、イリナお姉ちゃんとも約束してきな」


 ノートなどを見ているエレナを指さし、背中を押す。

 身振り手振りを交えて、彼女を必死に説得している。


「……孫かい?」


 ぼんやりとその様子を眺めていると、後ろから声を掛けられた。

 新聞から顔を上げた、店主だった。


「娘です」

「あれ? じゃあ、あの外人のお姉さんは……」

「妻です」

「……へぇ」


 光を鬱陶しく反射する瓶底眼鏡を指で上げ、俺の顔を見つめている。


「なんか、変な構成だなぁ」


 店主が笑う。

 日本人の俺に東欧系の妻に南米系の娘。言う通り、変な家族構成かもしれないがその言い草には腹が立った。


「別に、関係ないでしょう」

「いやぁ、でもねぇ……血、繋がってないでしょ? “血は水より濃い”って言うじゃない」

「それは俺達家族の問題であって、アンタに言われる筋合いは無い」


 俺は店主を睨みつけ、品物を選んできた二人に早く店を出るよう促した。

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