家族の条件

 経験値不足の俺達がまずやる事は、決まっていた。

 四の五の言わずに、経験を積むことだ。

 なんて事は無い。今までもやって来た事である。

 銃を持ち人を殺す為に積んでいた事を、一人の少女を育てる為に積んでいく。

 言葉にすれば単純だが、俺達には立ち塞がる大きな壁だ。

 なんて声を掛ければいいか。

 掛けたとして、どんな顔をすればいいか。

 どんな事を話せばいいか。

 疑問だらけ。

 けれど、辛くは無かった。

 一つ一つ、何かが積み上がっていく実感もあったし、結果も出てきた。

 話していて、エレナが笑う回数が増えてきたのだ。

 俺達に馴染んできたのもあるのかもしれないが、それは間違いようのない成果。

 ようやく、一つの糸を手繰り寄せることが出来た。

 そう俺は思った。

 喫煙所での会話から一週間。

 身元が分かる子供達で、最後まで残っていた子達がそれぞれの地元に帰る日。

 空港まで見送りに行き、エレナは飛行機が見えなくなるまで、手を振っていた。

 最初は引っ込み思案で大人しかったのに、表情がほぐれてきたおかげか友達までは行かなくても、最終的には仲間の輪の中に入ることは出来た。

 つまりは、別れの際に手を振るだけの関係を手に入れた訳だ。

 俺達だけでなく、この子も成長している。

 なんだか、嬉しく思う。

 更に、支部まで戻る時に。


「……エレナちゃん。手、繋がない?」


 イリナが新たな一歩を踏み出した。


「……ん」


 エレナは頷き、イリナの方に左手を差し出し、俺の方に右手を差し出す。

 俺は一言も発していないのに、自然に差し出してくれた。

 意識してか無意識か。

 そんなものはどうでもよかった。

 ただ、差し出された手を優しく握る返す。

 銃を触り多くの血を吸ってきた手に、血の通った手を重ねるのは、何時ぶりの事。

 思い出せない程遠い記憶が、朧となりながらも脳裏に浮かぶ。


「……温かい」


 イリナが呟く。

 彼女もきっと、同じ様な事を考えているのだろう。

 まだ幼い子供に両親の面影を重ねるのは、馬鹿な話かもしれない。でも、重ねてしまう。

 それを咎められる人間は、そうそういないはずだ。

 

 翌日。本部の総務部長を名乗る人から、連絡が入った。

 エレナを引き取る許可が下りたのだ。

 電話口の男は、何度か赤沼浩史の名前を口にした。やはり、彼は見立て通り約束を守る男だった。

 何度も何度も礼を言い、受話器を降ろす。

 嬉しさと同時に、責任の二文字が双肩に乗っかる感覚がする。

 人一人分の重さがするそれは、自分一人で支え切れるか不安な重さだった。

 ここに来て、イリナの言葉が蘇ってくる。

 もしかすると、ここで彼女の協力が得られてなかったら、俺は取り返しのつかない過ちを犯していたかもしれない。

 その点に関しては、イリナに感謝しかない。

 二人の所に行く。

 ここ数日で、二人はかなり打ち解けたらしく、オフィスの片隅でお絵描きをしている。

 海の絵を描いていた。


「……海、行くか!」


 ほとんど脊髄反射的に、声が出ていた。

 思えば、俺もイリナもエレナも、グアムに来てから一度も海を見に行っていない。

 

「海?」


 エレナはポカンとしているが、イリナは乗ってきた。


「いいね。行こうか! 海!」


 エレナの手を取り、ブンブンと振る。

 エレナも小さな声で“海”と反芻していく内に、表情が綻んできた。


「海、行きたい!」


 それから三人で支部を出て、肌が焦げるくらいの日差しを浴びながら、ビーチに向かう。

 手を繋ぎ、他愛のない事を話しながら、真っ直ぐに。

 土産物屋が建ち並ぶエリアを抜け、遂に待ち焦がれた場所へ着いた。そこは水平線が見えるくらい広く、青かった。

 俺とイリナははしゃぐ程の年じゃないが、エレナははしゃぐほどの年だ。

 雄叫びにも似た歓喜の声を挙げながら、彼女は群青色の水へ走っていった。

 服を豪快に濡らし、小麦色の肌を透けさせ、湿った髪を振り上げる。

 突っ込んで行った時は止めようとしたが、その様子を見ていると止める気が消えてしまった。


「私も!」


 イリナも駆け、同じ様に海に飛び込む。


「無茶するなよ!」


 俺は波打ち際に立ち、二人を眺める。

 時折、足の所を波が通り砂や海水が擦り、こそばゆい。

 疲れたエレナ達が浜辺に上がり、その場に寝転がる。


「……お行儀悪いぞ」


 苦笑し、その隣に胡座をかいた。


「だって、疲れたんだもん」


 エレナが柔らかな顔をして、俺に答える。


「楽しいか?」

「うん!」


 大きく頷く。

 つい数日前まで、引っ込み思案で大人しかったとは思えない。

 もしかしたら、これまで大人しかった反動なのかもしれない。だとしたら、本当に子供というのは分からないものだ。

 底無しのエネルギーが羨ましい。

 そこから、しばらくは静かに海を見ていたけど、俺はゆっくりと口を開いた。


「……エレナ」

「何? 亮平おじさん」

「おじちゃんとイリナお姉ちゃんと一緒に、暮らさないか?」

「………………」


 唐突な発言にエレナは驚いて、俺とイリナとで視線を交互に向ける。


「……私と石田のおじさんは、エレナちゃんの選択を尊重する。嫌なら、断ってもいい。それで怒ることはない」


 イリナはそう言って微笑んだ。


「……石田おじさんと、イリナお姉ちゃんと?」

「ああ」


 エレナは視線を海に向け、しばらく黙っていた。

 心臓の鼓動が、指先まで伝わるほど大きくなっている。

 口の中がカラカラだ。

 イリナも顔が少し強張っている。

 実際は五分ほどの時間だったが、俺には一時間以上に感じた。


「……約束して」


 エレナと目が合う。


「私を、見捨てないで」


 その言葉を聞いて、俺は彼女の小さな身体を抱き締めた。


「……約束するよ。絶対だ」

「私も、約束する」


 イリナはエレナの頭を撫で、俺と入れ替わる様に抱き締める。

 波の音がさっきより、遠くに聞こえた。

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