味方

 赤沼に頼んだはいいが、すぐにどうこうなる話ではない。

 事態というのは、日進月歩。

 昔の歌にもあるだろう。


「『一日一歩 三日で三歩 三歩進んで 二歩さがる』……だな」

「――何の歌?」


 不意打ちで声を掛けられ、反射的に振り向くとそこにはイリナがいた。


「……聞いてたのか」

「まぁね」


 今更恥ずかしがる歳でも間柄ではないが、気付かぬ内に背後にいられるのはあまり気分の良い物ではない。


「どうしたの? 眉間に皺寄せちゃって」


 彼女には、エレナを引き取る件について一言も言っていない。

 その事を言ったのは、赤沼だけだ。

 当の本人にも言っていないのだから、身勝手もいい所である。

 しかし、言った後で「やっぱり無理です」なんて言われた日には、俺の立つ瀬がなくなる。

 ……でも、一人で抱え込むには、いささか重すぎる。


「ちょっと顔貸せ」


 イリナに対して、指をクイクイと曲げ、“来い”とジェスチャーした。

 場所を誰も居ない喫煙室に移す。

 灰皿の中から比較的マシなシケモクを伸ばし、モクの中に埋もれていた使い捨てライターで火を付ける。


「……禁煙してたんじゃないの?」

「……まぁ、聞けや」


 二回蒸かした所で、俺はゆっくりと白煙と共に言葉を吐き出した。


「俺さぁ、エレナを引き取ろうと思うんだ」

「……正気?」


 笑顔で言われた。


「正気で本気」


 咥え煙草でそう答える。すると、イリナが真正面に立った。

 身長は向こうが高く、見下ろされる形になる。そのせいか、こころなしか眼光が鋭く見えた。


「……アンタ一人で出来ると思ってるの?」


 赤沼は自分の精神方面を抉ってきたが、イリナは物理面を抉る。


「アンタが、子供の面倒を一から十まで見れるとは思えない。サボテンの鉢みたいに、日に当てて、たまに水やればいいと思ってるんだったら、辞めた方が良いわ」

「……簡単じゃない事ぐらい――」

「“分かってる”とでも言いたいんだろうけど、そうもいかないの。あの子は人間なの、ご飯も三食食べるし、トイレだってする、睡眠も取るのよ」

「………………」

「それに、あの子は他の子と違って心に傷を負ってる。それは知ってるでしょ。……だからこそ、それ相応の対応をしなきゃいけないの。普通の子供の面倒を見れるかも怪しいのに、更にデリケートな子の世話を出来る? しかも、働きながら。そんな技能も知恵も無いくせに」


 耳が痛いどころの話じゃない。激痛で耳がもげそうだ。

 赤沼の言葉も痛かったが、現実的な話な分こっちの方が痛い。

 反論の余地はなく、俺は白旗の代わりに煙草をもみ消し、白煙を立てた。


「……だよな」


 俺の声が思ったよりトーンダウンしていると思ったのか、イリナは今度は俺の隣に立った。


「……別に、あの子を引き取ろうとした、アンタの気持ちまで責める気は無い。でも、人一人育てる覚悟はあるの? って聞いてる」

「……覚悟は、ある」

「言っとくけど、覚悟と行動は別モンだからね」

「……お前は俺をどうしたいんだよ」


 少なくとも、この場を含めた論戦で俺がイリナに勝った事は無い。

 隣に立つ女はイカレているが、馬鹿ではないのだ。というか、馬鹿ではないからイカレて見えるのかもしれない。


「……要は、“人を育てるうえで発生するタスクを、アンタ一人でこなせるか”。私は、それを聞きたいの」


 俺は灰皿の上からまたシケモクを探り、火を付ける。彼女と、目を合わせられないからだ。


「……無理だな」

「そうね」

「じゃあなんだ、あの子を見捨てろって言うのか?」

「なにもそこまで言ってないでしょ。私が言ってるのは、それをするのには一人じゃ無理だって事」


 その発言で、コイツの意図が何となく読めてきた。


「……じゃあ、なんだベビーシッターでも雇えってか」


 敢えてすっとぼけてみる。


「それも一つの手かもしれない。……けれど、アンタの隣に、絶賛無職の奴がいるでしょ」


 ほら来たと言いたくなったが、グッと堪えた。


「……俺と技術や知恵は五十歩百歩だろ」

「けれど、見ず知らずの他人と二人っきっりよりはマシよ」

「……それはそうかもしれんが」


 煙草の燃えさしを灰皿に戻し、換気扇に吸い込まれる煙を見た。


「……それに、私も分かるのよ。あの子の気持ちは」


 イリナの声は消え入りそうだったけれど、その言葉は俺にはハッキリと聞こえた。


「頼る者はだれ一人ない中で、私が頼ったのは……暴力だった」


 腰のホルスターに挿してあったグロックを抜き、蛍光灯に照らすイリナ。


「小さなナイフ。一発の銃弾でも、頼るに値する物だったの」

「………………」

「エレナちゃんと同じか、少し下くらいの時の話。……あの子には、あんな思いをさせたくない」

「……そうか」

「私にも、手伝わせてよ。せっかく、再会できたんだし。なんかの縁だと思って」


 随分と血みどろな縁だが、彼女の分析は的を射ている。

 否定する理由も無い。というか否定したらしたで、ぶっ殺されそうな気がする。

 けれど。


「……分かったよ」


 口から出てきたのは、すっきりした声だった。

 もしかしたら、心の中の自分は納得していたのかもしれない。

 自分でも知りようのない自分が。

 不思議な事だったけれど、不快な気はしない。

 心強い味方が出来たからか。


「これからよろしく」


 イリナはそう言うと、屈託のない笑顔を見せてきた。

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