男の決意

 俺は赤沼に、エレナを引き取り育てたいとの旨を話した。

 一瞬、赤沼は戸惑ったような表情をしたが、すぐに真顔に戻る。


「……本気ですか?」


 腹の中を探ってやる。そんな気持ちが駄々洩れな口調だった。

 ロリコンの気があると思われるのは心外なので、腹の中で思っていた事を全てぶちまけた。

 口が達者じゃないので、何度も赤沼に質問されつつ、小一時間ほど掛けて全てを話す。


「――なるほど」


 話を聞き終えた赤沼は小刻みに頷き、空になった缶をくずかごへ放る。


「石田さん」


 俺の名を呼んだ彼の眼は先程とは違い、鋭さを増し、よく研がれた刃物のような鈍い光を宿していた。


「……俺には、人一人育てるって事が、よく分からない。前の職場では部下もいたし、姪っ子の面倒も見た事があるが、それはだ。……半人前、いやまだ人間としての殻を形成できていない子供を、一人前の大人にする感覚が、掴めていない」

「………………」

「失礼ですけど、それは石田さんも同じだと思います。……正直言って、そんな人間に人の一生を背負えると思いますか?」


 彼の言っている事は、もっともだ。

 間違った事は言ってない。確かに、俺は人を育てた事が無い。

 学も教養も無ければ、芸も無い。

 人に誇れるような特技も無い。……人を殺してきた事なんて、自慢どころかこの世に存在するべき事柄ですらないのだ。

 ……けれど。


「酷い言い草かもしれませんけど……手を差し伸べてくれたら、誰でも良かったんですよ」


 あの時の俺には、綺麗事を言う余裕は無かった。

 例えようのない孤独を埋めてくれるなら、老若男女、聖人罪人は問わない。

 普通の人間が、神か酒か女かに走る所を、俺は刺激に走ったのだ。


「気の利いた事を言わないでいい。ただ、隣に居てくれるだけでよかったんだよ……」


 自嘲に満ちた表情を赤沼に向け、ぬるくなったコーヒーの残りを、飲まずに捨てた。


「……あの子も、そうかもしれないと?」

「勘の域を出ませんけどね」


 自販機にもたれ掛かり、蛍光灯をぼんやりと眺める。


「……そうですか」


 赤沼はそう呟き、しばらく黙っていたが、窓の外へ目をやると口を開いた。


ウチ本部の偉い人に聞いてみますよ」


 ぶっきらぼうな口調。でも、その言葉には芯があった。



 翌日。グアム国際空港。

 いけ好かない目をした観光客が入り乱れるターミナル内。

 奴隷船『リンカーン』に囚われていた女児で、アメリカ合衆国在住の子供達はこれから飛び立つ飛行機に乗り込もうとしている。

 家に帰るのだ。

 赤沼含めた数人の本部強襲係員に引率された子供達は、もう二度と会うことの無い数日間の友人と涙の別れをし、見えなくなるまで手を振っていた。


「じゃあ、行きますわ」


 赤沼は淡泊にそれだけ言うと、振り向かないで片手を振って飛行機に乗った。

 彼は昨晩の事を別れの時も口にしなかったが、約束を守る男である事は目を見れば分かる。

 展望デッキで空へ向かう飛行機を見送ると、まだまだ残る子供達や他の局員達と共に支部に戻った。


 

 ターミナルから出てくるISS局員と子供達を、ファインダーが捉える。

 極力シャッター音が出ない様に改造されたカメラのレンズは、瞬きするように何度も動く。

 彼等が車に乗り込み、空港を去るのと同時に男はカメラを仕舞った。


「……追いかけないんですか?」


 ハンドルにもたれ掛かっているアロハシャツの女が、男に問いかける。


「どうせ、支部に戻るだけさ」


 男はぶっきらぼうに答えると、ケースを座席の下に押し込んだ。

 この二人は昨日、新婚旅行という名目で入国したのだが、二人を繋ぐ間柄は婚姻関係ではなく、同じに勤める同僚で入国の理由も仕事だ。

 それに、仕事と言ってもカタギがやる仕事ではない。

 子供を連れたISS局員の特定。

 場合によっては、子供の誘拐。更に場合によっては、ISS局員の殺害が許可されている。

 ……正直言って、正気の沙汰ではない。

 一部の国では『独立愚連隊』と揶揄され、恐れられている組織に喧嘩を売ろうというのだ。

 設立から約六年。横暴とも取れる行動は、各国の警察や諜報組織だけでなく、省庁幹部や政府要人まで震え上がらせてきた。

 それが只の暴走や横暴なら、難癖をつけられたのだが、動く理由は一貫して犯罪の抑制又は検挙に留まっている。

 相手が、お国の偉い奴らなだけで、やってる事は警察と変わりない。

 曲がりなりにも、筋が通った組織運営がなされているのだ。

 それにやってる事は無茶苦茶でも、与えられた制約を律儀に守っている分、各国の様々な組織は強く言えない。

 質が悪い組織だ。

 仮に、クライアントの意向通り事を進めたとして、万が一にも局員を殺す事になったら……。

 考えるだけでもゾッとする。

 元警察特殊部隊や元軍属が多く在籍する所だ、箸にも棒にも掛からぬ退官軍人が収まるアブナイ会社など、一息で吹き飛ぶだろう。

 こんな依頼を二つ返事で受けた社長を恨みつつ、せめて自分が貧乏くじを引かないように、男は祈るしかなかない。

 もし、運悪くハズレを引かされることになったら、せめて逃げる時間ぐらいは稼げる様にするしかないだろう。

 そう考え男は、鉛を飲み込んだみたいに重い胃から、質量を持った息を吐き出した。

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