何をして欲しかった?

 エレナとの関係は、少しだけギクシャクしてしまったが、その間を繋ぎ止めてくれたのはサボ子だった。

 日本を離れてる間、矢上に世話を任せているサボテンは妙に人に好かれるようだ。

 写真を送ってもらい、エレナに見せると彼女は「かわいい」と言い偉く気に入ってくれた。

 まさか、花屋の軒先で安売りされていたサボテンが、ここまで人気が出るとは思いもしなかった。


「……子供って分からんもんですよね」

「そんなもんじゃないですかね?」


 深夜。休憩室の自販機の前。

 赤沼と向き合いながら、コーヒーを飲む。赤沼はドクターペッパーを飲んでいる。

 見かけによらず甘党らしい。

 お互いに敬語なのは、俺からすれば赤沼は先輩で、赤沼からすれば俺は年上だからだ。

 

「それはともかく、子供達はどうなるんです?」

「……粗方調書は取ったみたいなんで、早い子は明日には家に帰れるはずです」


 あの子達に求められているのは、早急なメンタル面でのフォローだ。

 虐待等は受けていないらしいが、誘拐からの慣れない環境はメンタルを侵すには十分なストレスとなる。

 俺みたいな酸いも甘いも天国も地獄も味わっている奴ならまだしも、子供には死にかねない毒となるはずだ。


「帰れる子はまだいいですよ。……問題は、エレナだ」


 赤沼は渋い顔をして、同意してくれた。

 エレナには、帰る場所が無い。

 親は生きてるし、家もある。しかし、貧しいといえど我が子を売った親の元が、果たして居場所と言えるのか。

 ……綺麗事なのは理解している。

 でも、そんな場所に帰したところで、結果は目に見えている。


「酷い親なら、いない方がまだマシですよ」


 そう呟き、赤沼は苦々しく口元を歪めた。


「……“親は無くとも子は育つ”。でも、あの子は幼すぎる」


 世間は甘い顔をしているが、一歩踏み出せばその顔はドロリと溶け、血の気が引くほどグロテスクな顔が露わになる。

 大人でさえ耐えられないのに、そんな場所に子供を放り出すことは出来ない。


「ISSはあの子エレナをどうする気です?」

「……ウチの班長の話じゃ、施設に預ける事で半ば決定しているらしいですね」

「孤児院とか?」

「ええ」


 それが、正しい選択なのだろう。

 ISSは治安組織であり、養護施設ではない。

 悲しい話だが、これもまたグロテスク顔の一つなのだ。


「運が良ければ、里親にありつけるかもしれませんし、面倒はちゃんと見てくれる。……適任ですよ」

「……そうですね」


 頼る場所も人もいない。

 天涯孤独と言っても間違いではないだろう。

 ……本当に、俺と被って仕方がない。


「赤沼さん。……親、いますか?」

「親父は俺が高校生の時に死にましたけど、お袋も弟も元気です」

「……そうですか」

「石田さんは?」

「二人共、とっくの昔に、死にました。兄弟はいないし、親戚連中は何処で何してるかも分かりません」


 中学生の頃。両親は、玉突き事故に遭い死んだ。

 俺はその時反抗期で、親と出掛ける事を拒んだ。

 皮肉な話だが、それで難を逃れたのだ。

 即死したという両親の遺体は、車がトラックに追突された衝撃で、腰から下がぐちゃぐちゃになっていた。

 いっそ、全身が肉塊になっていたら諦めも付いていたかもしれない。

 だが、顔は破壊は免れていた。

 棺に収まった両親は、死に化粧が施されていたけれど、何故だか今にも起き上がりそうな気がしたのだ。

 ムクリと胴体を上げ、「おはよう」と言ってくれる。

 そんな淡い期待をよそに、事態はベルトコンベヤーの如く俺を荒波へ運んで行った。

 俺は叔父――親父の兄の家に住まわせてもらう事になった。

 突然転がり込んできた俺を、叔父夫婦は優しく迎えてくれたが、その態度は何処かよそよそしかった。

 叔父夫婦を責める気は無い。

 いくら親戚とは言え、弟の子供とは言え、実の子供じゃない以上、心から愛すのは中々難しい。

 ……成長した今ならそれも理解できるが、中学生が理解するには経験値が圧倒的に足りなかった。

 結局、その家に居つくことは出来ず、中学を卒業したが高校には行かないで日雇いバイトで金を稼ぎ始める。

 叔父夫婦の扶養に頼りたくなかったのだ。

 学生だと、否応にも養われなきゃいけない。だから、働き始めた。

 バブル景気の真っただ中だったから、仕事は掃いて捨てるほどあった。

 それに、例えようの無い孤独を埋めるには、がむしゃらに動くしかなかった。

 そして、十八の秋。僅かな私物を抱え、探さないでくださいの書置きを残し、叔父の家を出た。

 その日は、両親の命日だった。

 

「………………」


 赤沼は気まずそうに、ドクターペッパーを一口飲んだ。

 頼れる人がいただけ、俺はまだマシだったのかもしれない。

 けれど、俺はその手を振り払ってしまった。

 悔やんだって、もう後の祭りだ。

 洗濯しても取れないシミ。そう形容すべきだろう。

 だったら。


「……赤沼さん」


 俺はコーヒーを飲み干すと、年の離れた先輩に向き直った。


「話を聞いて欲しいんですけど」


 ――あの時、俺は何をして欲しかったか。

 硬く冷たくなってしまった心に、寄り添って欲しかった。

 ただ、隣に居てくれるだけでもよかった。

 自分だけの過ちならいい。

 しかし、同じ様な過ちを犯しそうな奴を前にして、何もしないのは間違っている。

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