第4話:出て行ってしまうんですか?

「これです」

「えっ? とんでもなく立派な本じゃないですか!」


 森からの帰宅後、ロバートさんの持つ薬草の本というのを見せてもらいました。

 水除けの油紙の中から現われたそれは、大貴族の家の書棚に飾られていそうな、メチャメチャ立派な図鑑でありました。

 これ売ったらいくらするんですか?

 一〇年くらい遊んで暮らせる金額になるんじゃないですか?


「ボクの全財産です」

「そうでしょうねえ」

「以前仕事で成功した時に得たお金で買ったんです」

「思い切った買い物ですね」


 薬草屋の私にこそ必要な本だと思います。

 でもこの本を買う機会と資金があったとして、私に買う度胸があるでしょうか?

 ロバートさんはすごいなあ。

 またロバートさんのいいところを見つけてしまいました。


「フィオナさんに差し上げますよ」

「えっ? い、いや、こんな高価なものいただけませんよ」

「いいんです。もう見て覚えてしまいましたから」


 いやいやいや。

 必要ないなら売ればいいじゃないですか。

 ロバートさん、文無しでしょう?

 カルカ村みたいな田舎じゃムリでしょうけど、王都ならきっと欲しい人いますよ?


「昨日あのまま倒れていたら、ボクは今頃きっと干からびてましたよ。フィオナさんに救われたんですから、遠慮することないです」


 ロバートさん笑いますけど、そういえば何であなたそんなに元気なんですか?

 死にかけてたのに、私のお弁当食べたらすぐ復活しましたよね?

 色々不思議な人です。


「時々参考に見せていただければ、それで結構なんです。よろしいでしょうか?」

「フィオナさんがそれで満足できるのならば……」


 十分ですってば。

 滅多にお目にかかれないほど素晴らしい本で勉強できるのは、望外のラッキーなんですから。


 パラパラとページをめくっていくとあの草が。


「先ほどロバートさんが猛烈に腹が痛くなるっていってた草が載っていますよ。クダシ草、あら、下剤として使えると書いてありますね」

「あっ、そうでしたか」


 あれ? ロバートさん、この本覚えてるんじゃなかったの?

 まさか……ロバートさんが寂しそうに笑う。


「お察しの通りです。ボクは字が読めなくて」


 読み書きのできない人は少なくはないです。

 ただ先代の王様の教育政策のおかげで、私達くらいの年齢で読み書きできない人は、外国からの移民くらいしかいないはずなんですが。

 あ、ロバートさんは孤児院育ちとのことでしたから、その関係かもしれませんね。


 雇われてもクビになるという理由が理解できました。

 店主は当然読み書きできるものと考えて雇うでしょうから。

 かといって小柄なロバートさんは、どう見ても肉体労働には向かないですしね。


「わかりました。私がロバートさんに文字をお教えいたしましょう」

「えっ? いいんですか?」

「はい。ロバートさんが読み書きできるようになれば、うちの薬草屋にとって大きなメリットですから。覚える気はありますか?」

「もちろんです! よろしくお願いします!」


 やる気があるのはいいことですね。

 捨てずに取ってあった文字教本を見せると、目を輝かせています。

 ロバートさんったら、本当に子犬みたいで可愛いんですから。


          ◇


 ――――――――――三ヶ月後。


「フィオナさん、薪割り終わりましたよ」

「ありがとうございます。ちょうど食事の用意もできるところですから、いらしてくださいな」

「はい!」


 ロバートさんはすっかり村に馴染みました。

 猛特訓の結果、何とか読み書きもものにしましたし、努力家と言っていいんじゃないでしょうか。

 物腰が柔らかくて優しいですし。


 ……ロバートさんに惹かれていく自分にも気付かされます。


「おやおや、いい雰囲気だねえ」

「あっ、バーバラさんこんにちは」


 宿屋の女将、バーバラさんです。


「まったく、昼間から妬けるねえ」

「何ですか、それは」

「憚ることはないさ。あんた達所帯持っちまいなよ」

「もう、バーバラさんったら」


 それは最近とみに思うことです。

 ロバートさんは真面目で頑張り屋で親切です。

 何より可愛いお顔が私好み。


 ロバートさんだって、私のことを憎からず思ってくれていることは感じます。

 求婚というのは私がするものなのかしら?

 それともロバートさんから?


 ロバートさんがモジモジしながら何かを言いたそうです。


「あの、ボク、そろそろフィオナさんの家を出て行こうと考えているんです」

「「は?」」


 今何と?

 突然過ぎやしませんか?

 私にどこか気にいらないところでもあるんですか?


「いえいえ、フィオナさんが大変良くしてくださるので、ついしばらくお世話になってしまいましたが、ボクには探しているものがあるのです。見つけに行かなければなりませんので……」


 そうだったんですか。

 てっきりロバートさんには安住の地がないから、あちこちフラフラしていたのかと思っていました。

 探しものがあったから旅をしていたとは。


「……それでは引き止めるわけにはいきませんね。とても残念です」

「ボクこそごめんなさい。あまりに居心地が良かったので、ついつい言いそびれてしまいまして」


 居心地がいいならずっといてくださればいいのに。

 胸にぽっかり穴が開いたようです。


「フィオナさんは命の恩人です。薬草図鑑は差し上げますのでお役立てください」

「いえ、そんな高価なものを……」

「いいんですよ。ボクは一両日中にでも……フィオナさん? フィオナさん!」

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