2 黒。
小さな小さな狼が、金髪の男と向かい合う。彼は今服を着ておらず、黒に微少な白が含まれた毛皮が身体を包むのみであった。
そんなありのままの獣、
黒はどんな色をも黒く染める。それほどの彩度と支配力を持つ。だからこそ調和する事なく、離れた所に身を置くのだ。
他の色と並ぶ事はあるものの、自ら混ざり合うのを拒む、或いは、自分と同じ色を増やそうと、もがく。
本当は白や黄などと溶け合いたい欲求を持つが、混ざり合ったとしても、その色になる事は叶わない。
耐えても染めても、結果は同じ。
シンは、耐え続けて来た。
隼人は、染め続けて来た。
二匹の違いは、それだけである。
「グァオゥッ!」
シンが吠えた。
だが、動いていない。
動くのは地面、隼人の立つ地が、揺れている——それが、
無機質な大地が挟んだのは無だ。正確には大気。それらを含んだ
その中に、隼人は居ない——既に移動していた。
「うるぁッ!」
隼人が吠える。
動いている。
動きながら左の猫手で、大気を、動かす。
細かな空気の弾丸がシンに四方から襲いかかる。それは空気を圧縮して固形化したものではなく、粒子の運動を制御したものだ。
つまり、着弾するまで威力が衰えない。
「ゴオォォォオオッッ——!!」
シンは、避けなかった。
頭部を除くあらゆる部位へのダメージを受け入れ、四肢で大地を掴み続ける。
大きな石灰や炭素や
粉塵のすぐ先で隼人が走る。
「しぃッ!」
隼人はシンに、寄っていた。
だが、すぐに離れる。
塊がシンを襲う。
だが、軌道を変えた。
跳んだ隼人へ塊が向かう。
右手の手甲鉤が、空気の壁を作り出した。
それごと、しころで斬った。
真っ二つになった塊が尚も空気を押し、その壁が、歪む。
隼人は手甲鉤でその壁を
壁を作っては掻き。掻いては壁を作る。
そうやって、縦横無尽に、立体的に、移動する。
その壁をシンも使う。
壁は透明で見えないが、それでもシンにはその位置がわかる。
シンも宙空を移動する。
二匹の時間は同じだった。
シンの行手に隼人が壁を残すが、シンは掴み、又は、砕き、そうやって、飛び回る。
互いの【ステータス】は、拮抗していた。
不意に壁が消える。
が、シンは常に、空いた片方の手で、地面を掴んでいた。
バランスは、崩れない。
目に視える苦無と手裏剣が飛ぶ。
シンが弾く。
【
炮烙玉も飛んで来た。
それも弾く——前に、炸裂した。
破片がシンに降り掛かる。
だが、今のシンにとっては、焼き菓子の欠片を浴びたようなものだ。むしろ、隼人の膂力から放たれる手裏剣達の方が脅威である。
だが一瞬、体が硬直する。
シンの優れた聴覚により、爆音が正確に知覚された結果だ。
隼人の姿を見失う。
鼻も耳も、数秒程度、使えない。
苦無が来る。
シンは地面を引いて、地面に向かう。
更に苦無が降り注ぐ。
手裏剣や、短刀も。
それらを弾き、躱し、地面を蹴った。
新たな武器達が来る。
絶妙な角度とタイミングでそれらを、四肢で蹴った。
武器達の上を、渡っていた——その先に、隼人が居る。
直ぐに居なくなるが、追えている。
武器達を掴み、逆に隼人へ飛ばした。
隼人が跳ぶ。
隼人が、更に、武器を投げる。
シンは避けた。
そして、見えない手を、伸ばした。
今の隼人は、空中で移動できないはずだ。
だが————。
隼人は避けた。
そして、避けたはずの武器達が、シンの背後に突き刺さった。
「……!!」
それらが、消えた。
隼人の手には、大型の平手裏剣が載っている。
放たれた。
避け——られない。
脚が。右前脚と、左の後脚が、見えない何かに掴まれて、細かな金属が集まり出来た円盤にシンの身体が、吸い込まれる————。
しかし、かろうじてシンは、身を躱した。
二人はそれぞれ離れた位置へ着地して、互いを見る。
「やられたね。自分に出来る事は他人にも出来る。それを、失念していた」
シンの掴まれていた脚は、もうない。自分で、切り離していた。
シンの毛の僅かな白の部分が、血に染まっている。だが夜闇では極端に明るい色でもない限り、全ては黒く塗られるものだ。
「よく言うぜ。想定ぐらいはしてたんだろう? 俺があんたの真似をするって事をさ」
隼人はシンの脚が再生を始めているにも関わらず、話す事を優先している。
「だから『失念』って言葉を使ったんだよ」
シンは手早く口からお握りを取り出し、また戻した。
「無理ねぇさ。俺らができる事は俺らにしかできねぇ。今までもそうだっただろ?」
隼人は今までのシンを見て来たかのように語る。先ほど自分を「餓鬼」と呼んだシンと同じく。
「まあね。だが俺は、そうじゃないと信じている」
「あんたやっぱ変わってんな? 俺の【ナビ】が、嫉妬してるぜ?」
「俺のナビは呆れてるよ」
「くく。サバサバした奴が好きなのか? 意外と女々しいな」
「キミほどじゃない」
「そうかもな」
まるで互いがソウルメイトででもあるかのように話す。
だが同時に、睨み合ってもいた。
互いが互いの天敵であり、宿敵。
この戦いは、必然、だった。
シンの両手に、空気が集まる。
隼人の武器の切り替えを見極めながら。
【装備】には種類があり、それは武器、防具、アクセサリーである。【プレイヤー】は幾つでも装備を所有できるが、装備出来るのは、各種類一つずつ。
例えば隼人の三つの装備は全て武器であり、それらを同時に装備する事は出来ない。【初級忍者セット】と【中級忍者セット】を同時に使う事は不可能なのだ。それは、【逢魔ヶ平手裏剣】も同様である。
しかし隼人は苦無や手裏剣を投げながら空中で移動した。
避けたはずの武器達が戻って来た。
決定的なのは、逢魔ヶ平手裏剣を構えていた時、シンは見えない何かに掴まれていた。
これらの情報は一つの答えを示している。
隼人も
シンは自分ほどこの【スキル】を使いこなせる者はいないと自負している。だがそれはあくまでも、スキル単体での話だ。
三つの武器を状況に合わせて手早く切り替える隼人が使うのならば、別である。
更に言えば、二匹は互いに高レベル者。
隼人が別の武器やスキルを全て開示しているとは限らない。
それはシンも同じだが。
「何か、しようとしてる——」
隼人がそう言いかけた時、隼人よりも少しだけ離れた空間から火の矢が降り注ぐ、シンへ向かい。火のついた矢ではなく、火の矢だ。
シンは圧縮された空気の手で、それらを防いだ。極端に高い炎熱でもなければ、空気は空気だけで燃える事はできない。矢に込められた【
「……コレも、予測してたのか?」
「いいや、偶然だよ」
本当に偶然だ。シンは隼人の手甲鉤や猫手による大気の固定にインスピレーションを受けて、同じ事をしようとしただけだ。意趣返しのつもりで、である。
しかしそれが、功を奏した。
「——【忍者】ってのは【魔法】も使えるのか、火遁の術ってところかな? ステータスを無駄にしない、まさにチート級の【
「へっ。つーか、もっとびっくりしろよ」
隼人のリアルな火遁は炮烙玉を使った戦法だ。それは今のシンには通じない。だが魔法、というゲームの設定内のものであれば、火力は魔力量に応じて上昇する。シンが冷静でいられるのは埠頭での闘いを体験できた故だろう。
「——ホラ、こんな事もできるぜ?」
いつの間にか、辺りが湿気に満ちている。空気に溶け込む細かな水の粒子達が、一気に固まり針となり、シンを四方から襲った。
「悪いね? 水遁も、もう体験済みだ」
シンは自身に針が届く前に、
空気の壁が、それを阻む。
「はっ! ユンギを使ったのは失敗だったな」
「ユンギ? ああ、彼の事か。失敗じゃないよ。彼は俺に、会う事ができた」
「? まぁ良いか。まだ色々あるが、それは
「ああ、そうするよ」
シンにとっての脅威は未だ、隼人の金遁——つまり武器達による連続攻撃だ。問題は、隼人が武器達を使いながら、スキルも使う事ができるという事。会話の途中で、魔法を使えるという事だ。
シンは会話の最中であっても、隼人の匂いへの観察を怠ってはいない。であるのに、火の矢が生まれるまで、その攻撃に気づかなかった。
——なるほど、ナビを使っているのか。
そのセリフは一々言わない。
気づいた事に気づかれなければ、隼人のナビの位置を探る事は可能。まだ試した事はないが、他人のナビへの攻撃が、通るかもしれない。
隼人の攻撃を掻い潜り、隼人に攻撃を続けながら、隼人の隙を見て、その目論みを達成させる。もちろん、ナビへの攻撃がプレイヤーに影響を与えるのかは、試してみないとわからない。
だが互いに決め手に欠けるこの状況、やってみる価値はあると考える。
——中々心が痛む試みだが、物凄くワクワクしているよ。どう思う? マスコちゃん?
シンの状況に余裕はない。だがその心境がシンの心に、余裕を生んでいた。楽しむ、という事は行動にポジティブな効果を与える。
たとえそれが後々、シンにマイナスな影響を及ぼす事だとしても、それは未来の事。
現在のシンには、関係なかった。
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