4 全裸。


 ——僕が、燃えている。


 沢口は、の目を介して映る自分の姿に、そんなシンプルな感想を持った。

 自分の腕に抱かれた女が何か喚きながら自分を叩くが、自分には何も感じない。

 もはや熱さすら感じない沢口は、ただただを待っている————。


「あああああああ!! 離せクソッ! このクソイカれポンコツゴミがぁぁぁぁあああああああああッッ!!」


 りょくに乏しい亜美の叫びを聴ける者は、互いの【ナビ】しかいなかった。

 亜美自身ですらも自分の吐いた言葉を認識する余裕が無い。

 亜美の右手に握られた攻撃手榴弾がこぼれ落ちる。それが地面に着いた時、また爆音が鳴り響いた。

 それでも沢口は離れない。

 彼の腕は、固まっていた。

【ステータス】により、未だ人間の女を保つ亜美ではあるが、既に衣服が焼け落ち、ゲームの【装備】を残して今は、全裸である。

 その素肌に容赦なく、爆炎から、甲冑から、熱と衝撃が伝わる。亜美が意識を正常に保っていられるのは、脳内麻薬による効果が大きい。

 沢口が、離れた。

 自身と亜美を繋ぐ両腕の筋が焼け、千切れたのだ。


 がしゃん。


 熱を帯びた甲冑が、冷たく乾いた音を立てて倒れる。

 

「はぁ……はぁ……! ようやくやがったか!? このゲロクズチンカス野郎……ッッ!!」


「あらあらお下品なこと。ですが巧サマ? 貴方はよくやりましたわ。今更【HP】での修復を再開しても手遅れなんでしょうけど、わたくし、とても楽しかったから、満足ですの」


 自身の担当する【プレイヤー】が死に向かおうとしているというに、イラは笑みを絶やさない。

 沢口をいつくしむように見つめるイラの視覚が、そのまま沢口に伝わる。

 既にイラによって【プレートアーマー】は解除されていた。自分を燃料にして尚も残り続ける炎が視える。黒く焦げた肉体からと昇る、ささやかな残り火が。 


 ——カナちゃんは、どう思うだろうか。


「チッ! まだ【経験値】が入らねえ! あんた、本当にウザい男ね!?」


 多少の冷静さを取り戻した亜美が、沢口に引導を渡そうと、新たな手榴弾を手に取る。


「冥土の土産に私のカラダ、その冴えねーツラの奥に焼き付けろッ! せいぜいあの世でシコシコやんなッッ!!」


 自身の恥部を隠そうともせずに、亜美は左脚を上げて、振りかぶった。


「——魅惑的な肢体だけど、それはご遠慮願おう」


「!?」


 亜美が声へ向こうとする。

 亜美の、首から上だけが、後ろを向いた。

 捻れた皮膚が見えない爪のような何かで裂かれ、噴き出す血を、灯りが照らす。

 肉の隙間が広がり、首と胴体が離れ続ける。

 亜美の右肩に、見えない手が食い込んでいる。そう、視える。

 完全に頭部と胴が離れた。しかしずるずると引き出される背骨がまだ、この二つを繋いでいる。

 背骨が握り潰され、赤黒さを含んだクリーム色の脂質が飛び散った。脊髄だ。

 亜美の胴体が沢口へ向けて、うつ伏せに倒れる。

 頭部も、落下を始めた。

 無秩序に回り落ちる亜美の頭部は、そのそうぼうが見開かれたまま、アスファルトへ、激突する。


「あらあら、巧サマ? もしかしたら、まだまだ楽しめそうですわよ?」


 うつ伏せの胴の尻の割れ目へ亜美の生首が転がり、やがてそこに、その鼻をうずめる。

 それぞれの傷口がと再生しようとし、離れた背骨もぴちぴちとが、それは果たされない。

 途中で再生が止まった。

 ピンが外れた手榴弾は何かに弾き飛ばされていて、遠くで爆発する。


「やあ沢口くん。まだ生きてるかい?」


 亜美の死体の横に降り立ったのは、黒いハスキーのような小さな狼——かみシンだった。


 ぶすぶすと音を立てて燃えていた沢口の火が、段々と小さくなってゆく。

 亜美を手にかけたシンだけにではなく、亜美に大きなダメージを与えていた沢口にも、経験値が入っていた。

 それでも、沢口には聴こえていない。


「あらあら、どう致しましょう?【レベル】がまた上がりましたけど、HP体力はまだ足りてませんわ」


 セリフとは裏腹に、イラの口調はたのしげだ。


「どうやら、間に合ったようだね」


 シンの口から、が飛び出す。

 沢口の焦げ付いて癒着した顎が見えない力で開かれ、それを、受け入れた。

 咀嚼などは必要とせずに、一瞬でそれは沢口のHP体力へと変換される。


「ワンちゃんからの口移し! すごいモノを見た気分ですわ!」


 ひゅーひゅーと漏れる沢口の吐息が、確かなものと、なった。

 しかし、沢口は、応えない。


「まだ足りてない? 食いしん坊だね。ホラ、もっとだ」


 シンの口からまた【アイテムポケット】にしまわれていた食糧が飛び出す。

 それが口へ運ばれる。

 沢口の肌の焦げが剥がれ、内側から本来の色が瑞々しさを見せる。

 それでも沢口はシンを、認識していない。


「困ったちゃんですわね? 巧サマ? 起きて下さいまし」


 沢口にイラの声は届いていた。しかし外側から、内側から、熱で焼かれた脳がその形状を回復させても尚、機能に障害が生じている。様々な快楽物質が沢口の脳内を埋め尽くし、沢口は恍惚に、支配、されていた。


「沢口くん、キミは、本当にカッコいいと、俺は思う。俺のように他者を蹂躙して、準備をして、そして戦いに臨むような事はせず、低いレベルのままで、カナちゃんを守ろうとした——」


 ——カナ、ちゃん?


 沢口の唇が、微かに動いた。


「だけどね、人間、出来る事と出来ない事がある。もし俺が来なかったら、このセクシーな彼女はキミを糧にして、もっと強く、残酷な生き物になっていただろう。能力の足りない人は、喰い物にされ、また新たな犠牲者を産み出す燃料になる——」

(……)

「キミのその無鉄砲が、カナちゃんを更に危険に晒すような事にもなり得るんだ——」


 沢口の、指先が動く。


「それでも俺はそんなキミを尊敬しよう! 結果的に俺が来るまでの間キミは、このエロいギャルを食い止めた! キミが犠牲者を減らしたんだ!」

(僕が、食い、止めた……?)


 沢口の意識が、はっきりとしてゆく。


「だから起きろ! 沢口!! これからを見るのはキミだろう!? 他の奴に任せるほど! キミは無責任な奴なのか!?」


 シンの怒声が響いた。

 辺りに。

 そして、さわぐちたくみに。


「……うるさい。お前が僕に、説教を、するな」


 街灯と燃える車両に照らされた全裸の沢口の目は、澄んでいた。


「ふふ、たまには怒鳴ってみるもんだ」

「黙れ」

「一人でカナちゃんの所まで行けるかい?」

「当たり前だ」

「そうか。なら俺は、行く。あ、お金は彼女が持ってたみたいだ。ハイ、キミへの慰謝料」


 シンは亜美の死体の傍らに落ちていたピンクのボストンバッグから、札束を取り出し沢口へと渡す。側から見れば、札束が宙に浮いている様に見える。


「そんなものは要らない」

「何故だい? カナちゃんと一緒に生きるなら、必要だろう?」

「自分の力で、なんとかする」

「やれやれ、随分と甘ったれた考えだな。でも、少しだけ眩しいよ」

「うるさい。ただお前に二度と会いたくないだけだ」

 

 その目はシンを見ていなかった。


「そうかい? じゃあ俺はもう行くよ、達者でね?」

「待て」


 沢口が上体を起こしてシンを見た。


「金は手に入ったんだろう? 何処へ行くんだ?」

「たしかに。目的は果たしたカタチになるのかな? ああ勿論、必要なお金は後でいただくよ。だからこれを勇吾くんに渡す為、かな?」

「嘘だな」

「嘘?」

「本当に金が欲しいなら、そのまま渡さず消えれば良いだけの話だ。それをしない、という事は別に理由があるはずだ。あの大西って奴と本当のオトモダチってわけでもないだろう?」

「さて、ね。取り敢えず、二度と会う事のないキミに言う義理はない」

「……確かにな。もう行けよ、僕も消える」

「そうするさ」


 再びシンはビル群へと跳んで消え去り、沢口は全裸で駆け出した。


「巧サマ? 先にブティックに立ち寄った方が宜しくてよ?」

(……たまには良い事言うな)


 沢口は素肌を甲冑で被い隠し、走る方向を変える。

 その姿はまさに〝騎漢者〟だ————。



「——ねえシン?」

「なんだい? マスコちゃん」

「なんで沢口さんに言ってあげなかったの?『後始末』だって」

「その事か、カンタンさ。単なる自己満足をわざわざ他人に話すのは恥ずかしい、それだけだよ」

「……ふーん? ところで、全然話変わるけどあんたさ、けっこうスケベだよね?」

「ん? さっきのエロいギャル、のかい? 流石にアレは違うよ、冗談だ。どうも俺は真面目な事言うの、苦手みたいだね」

「ううん、違う。香奈美さんのこと」

「……今初めて、キミとの記憶の共有を、厄介だと思ったよ」

「あたしは最初から」

「ふっ」


 シンの記憶の中に、くぼづかはいた。

 シンが言葉を覚えて間もない頃に出会い、初めて恋をした人間である。好きになった理由はマスコの言う通り、単なる欲情だった。

 もっとも、シンが転校して来てからすぐに、香奈美は高校を中退したのだが。


「笑ってんじゃないわよ? 悠月くんや、今の沢口さんにも偉そうに説教垂れてたけど、あんたナニサマ? 人の事言える?」

「さてね。俺はそういう性格だから仕方ないのさ」

「そういう開き直り、あたし嫌い」

「それは困った。キミに嫌われたら俺は、誰に好かれる事を目指せば良い?」

「……勇吾くんがいるでしょ」

「そうだった。音が複雑だから詳しい様子はわからないが、きっとアッチも大変だろう——」


 シンは激しい風が吹き荒れる戦場へ進める脚を、早めるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る