3 狂った者しか居ない。
街灯とは別の灯りに照らされる公道。二つの車両からパチパチと炎が上がり、漏れ出たガソリンが更に、その範囲を広げている。
放射熱を甲冑越しに感じるのは、
彼の着る甲冑はゲームの装備【プレートアーマー】である。外観は十六世紀初頭に登場したマクシミリアン式のそれと同様であり、強度もそれに使われた
現実の物と違うのは【ステータス】が反映される事だ。【素早さ】に至っては使用者のステータスには関係なく「全ての不都合な慣性」が無視される。つまり使用者には重さが感じられず、それ以外の者達にとってはその質量全てが障壁となる。
なのに、沢口は、そこに立っていた。
「巧サマ? あまり無茶をなさらないで下さいな」
沢口の肩には、手の平サイズの人が、座っている。その背には羽虫のような
(うるさい。君は僕が車から飛び出した瞬間、笑っていただろう)
「あら、ごめん遊ばせ? だって貴方、面白いんですもの。いくら元々お身体が頑丈だからって、向こう見ずにも程がありますわ。おほほほほっ」
沢口が立っていられる理由。その一つは沢口の身体が元々鍛えられていたものだから、である。
沢口は自分が「冴えない男」である事を自覚していた。周囲の者達から「悪い意味で童顔」などと、
事前に【
(考え無しにやったわけじゃない。相手を一瞬気絶させるだけでも【経験値】が入る事を、あのクソ犬にやられて知った。この街をこんなにしたヤツらに思い知らせてやれば、その時点で死なないと僕は踏んだ。実際、その通りになった)
「でも、もし狙いが外れていたならば、無駄死にではありませんこと?」
(その程度の覚悟はしていたさ。カナちゃんを守ると決めた、その時から)
「あらあら、あんな女のどこが良いのかしら?」
(黙れ)
「あら失礼? おほほほほ」
二つ目は、亜美のレベルである。
隼人やシンのように極端に高レベルな者でもない限りは、車両同士の衝突に、それなりの対応を迫られる。普段から物事がゆっくりに見えているからこそ、判断が鈍る場合もある。沢口に亜美のレベルは知る由もなかったが、沢口はそれを憶測し、実行した。実際、亜美はレベルが23程度の中レベル者であったので沢口の目論見は成功する。大量の経験値によってレベルが数段アップし、【耐久力】もそれに伴い上昇した。
その為、今の沢口の甲冑の強度は、チタンよりも硬く、鉛よりも砕けにくい。時速170キロのスピードでアスファルトを転がっても、少しの傷やへこみだけで済むほどだ。【
肉体と職業によって決定されるステータスの上昇値の優位性が、発揮された瞬間だ。
亜美の頭部へ衝撃が伝わったのは偶然であるが、沢口の持ち前の【
(死んで、は、いないだろうな)
「恐らくは、そうでしょうね。だって貴方に入った経験値から推測するに、彼女のレベルは今の貴方の倍以上、気絶させられた事が奇跡的ですもの」
(それを聞いて安心した。女性を死なせるのは、後味が悪過ぎる)
「
(男ならそれは、自己責任だ)
「あらあら、お冷たいこと。そういうのを差別と呼ぶのではないかしら?」
(差別じゃない、区別だ。僕は〝
沢口は〝騎漢者〟という造語を、気に入っていた。
「それで? この後は? 大西サマと合流でもするんですの?」
(いや、自分の能力ぐらいは試してみなくてもわかる。悔しいがこの上昇したレベルでも、あの金髪忍者野郎には追いつけないだろう。橋を渡ってカナちゃんと合流するよ)
「貴方のそのお利口なところ、わたくしは好きですわ」
(僕は、嫌いだ)
「おほほほほっ」
そんなやり取りをしながら沢口が後ろへ向こうとした時、亜美の指先がぴくりと動く。
沢口は気づかない。
沢口は勇吾と出会うまで、競技化されたもの以外の争い事を体験した事がなかった。公道で無許可に行うレースなどにも、ルールはある。
だから、想像が及ばなかった。
一度倒れた者が、自分に報復してくるという事に。
服が
レバーを握りながら、ゆっくりと、ピンを抜く。
沢口が悪寒を感じ、再び亜美に向いた。
沢口の眼前に、ピンの外れた円筒形のそれが、
瞬間、カッと光が炸裂し、ドパンッと大きな音が鳴った。
亜美が投げた物、それは
(——!? イラ!!)
沢口は自身の【ナビゲーター】イラに視界を繋ごうとした、しかし————。
「ダメですわ! わたくしの目も眩んでしまってますの!」
亜美は既に立ち上がっており、沢口から距離を取った。
「ざまぁみやがれ! あははははっ!!」
亜美が破片手榴弾を投げる。
しかし、その破片は甲冑を貫くには至らない。本来ならば原始的な銃弾ですら通してしまう頼りない板金のはずであるが、今は上昇した沢口の【耐久力】の恩恵がある。
むしろ破片は使用者である亜美の方に降り掛かっていた。
「——痛っ……!? この
叫ぶ亜美は【
「——クソッタレがぁ! なんでこういう時に
沢口の装甲は銃弾を全て、弾き飛ばしている。亜美の装備は武器としてのその本来の役割を果たす時、ステータスが反映されない。つまり、普通の銃弾だ。警察が持つ【スキル】が作用している状態でもない限り、沢口に銃弾を通すのは不可能である。
「——なら、コレは——!?」
次に攻撃手榴弾を投げた。
沢口を爆炎が包み、爆風が甲冑の内部へと侵入する。
「ガァっ……!!」
沢口の、その生身の身体にも、耐久力は働く。しかし沢口のレベルはまだ、中レベル者にすら、至っていない。
爆発により生じた有毒ガスが高圧力で沢口の穴という穴に裂傷を作る。目は潰れ鼓膜も破れ、器官や肺にまでその損耗は達した。単純な爆風により、身体も吹っ飛ぶ。だが——。
「きゃっ——!?」
自らの生み出した爆風が亜美自身にも及んだ。亜美の体重は甲冑も含めた沢口の体重よりもかなり軽いが、レベルが数段上なので、少しだけ後ずさる程度にとどまっている。
が、その衣服には耐久力が働かず、上衣は完全に失われ、穿いているズボンも素肌と同じく大きく焼けていた。肌の火傷はステータスによってすぐに修復される。
「ああああああッ!! なんで私が!? なんで私がこんな目に遭うのよ!?」
亜美の
亜美が無事なのは現在のレベルによるもので、初期状態であれば致命的、とまではいかずとも
今亜美はそれを体感しているが、体験にまでは至っていない。血が頭に昇り、その原因の全てを沢口に、追及している。
思わず閉じてしまった目を再び開けると、離れた位置で立ち上がる、沢口の姿があった。
「——私がこんなになったのに! まだ死んでねぇのか!? このクソがッッ!!」
亜美は更に、新たな手榴弾を投げる。
先程よりも高い熱が、沢口を襲った。
テルミット反応——金属酸化物と金属アルミニウムが粉末状に混じり合ったものに着火すると、アルミニウムが金属から急速に酸素を奪い、高熱を発する。
本来ならば酸化した金属を還元する為の
その燃焼温度は摂氏四千度から五千度にもなり、金属製のバリケードや鉄条網でさえも容易に熔かす。
沢口の甲冑も例外ではなく、熔け出してはいないものの、赤い熱を帯びていた。
内部の状態は、
それでも沢口は、立っていた————。
「ゔゔぉおああッッ」
発声に於ける重要な器官が焼け、
焼夷手榴弾の燃焼はテルミット混合物内で完結しているが、その高い熱が沢口や、甲冑や、大気の混合物を酸化させる為に、周囲の大量の酸素を、消費していた。
沢口の身体や甲冑の損耗は致命的ではあるものの、その高い耐久力により、ギリギリで機能性を保てている。ならば、治す事よりも動く事を優先させた方が、効率がよい。
それを実行できた沢口は、一般人の枠組みから既に、逸脱していた。
「なんなんだコイツは——!?」
亜美は沢口を躱すが、その顔には恐怖がにじむ。
「
「ナニ言ってるかわかんねーし!?」
不意を突かれ致命傷を負ったはずの沢口は、臆しておらず、燃えていた。自身の持つリンが発火して甲冑内部で燃えているように、その心も、燃えている。
しかし、一方的にダメージを受けている今の状況は、狡くはない。
相手が女だったとしても、負い目を感じる必要は、ない——。
「ヴァアアアアアアアッッッ!!!」
真っ赤な甲冑の内側から火炎が噴き出し、沢口はイラの視覚だけを頼りに、突進を繰り返す。
「だからぁ!! トロいんだよぉおおおおおぉぉッ!! 死ね死ね死ねぇッッ!!!」
亜美が右手を振りかぶって、更に投擲を続けようとした時、亜美の履くハイヒールが、折れた。足首も捩れ、亜美は一瞬だけ、苦痛を顔に出す。
——その機を、逃さなかった。
沢口が亜美を、抱き締める。
「——ぎ!? あああ! 熱い! 離せ! クソ野郎ッッ!!」
【力】は、亜美の方が上だ。
しかし、亜美の脇を通った沢口の腕は、亜美の背中でガッチリとホールドされている。
「——お前馬鹿か!? そんな事したって私の方がレベルは上!! お前が先に! 死ぬんだっつーのぉ!!」
亜美が沢口をガンガン叩いた。
それでも離さない。
亜美の言う通り、先に
だが沢口に、打算はなかった。
あるのは、この女を自分と一緒に焼く、という考えだけだ。
それしか、考えていない。
脳に
「巧サマ! 貴方は本当に面白い殿方ですわぁ! おほほほほほほほほほほほッッ!!」
イラの声も沢口には届いていない。
今この場には、狂った者しかいなかった。
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