3 セリナと芹菜。

(へへへ、やっぱ自分がってのは気持ち良いな)


 隼人がミニバンの屋根ルーフ上から、建物の外や中を移動しながら自身の攻撃から逃げる勇吾を見て、心の中で呟いた。


「隼人、自分が今使用している【装備】を、理解しているのですか? こう言ってはなんですが、あまり乱雑に使うと我々も危険です」

 

 隼人の【ナビゲーター】であるセリナが返す。


(良いんだよ、理解なんかしなくて。道具の中身なんて、それを作った奴だけ知ってれば良い。大事なのは使い所タイミングと使い方だ)

「その使い方が雑だから言っているのですが」

(うるせーな、大丈夫だって。勇吾は、アイツはこの攻撃を掻い潜って必ず俺らんトコに来る。だからコレで決めようなんて思っちゃいねえ。危なくなったらすぐ消すさ)

「それならば良いのですが」

(心配症だな? 俺は普通ノーマル王道ストレート基準スタンダードなんだよ。俺のやる事に間違いはねえ。たまにミスはするけどな)

「普通、ですか。貴方あなたが」

(あん? そうだよ、俺はフツーだ。そうだな、ってあるだろ——)

「下品ですよ」

(良いから聞けよ? アレは女に舐められてるんじゃねえ。。だが、俺が舐める時はシンプルに『舐める』だ——)

「だから下品です。それを聞いた私は何と返せば良いのですか?」

(だから黙って聞いてれば良いんだよ。んでだ、手マンしてる時もチンポねじ込んだ時も、馬鹿みてえに女が鳴くのは俺がそうさせて。それがサイコーに気持ち良い。オスなら皆んなそうだろ?)

「それは……人によるのでは?」

(なら俺だけがフツーだな。他の奴がフツーじゃねえ)


 ——自分だけが普通。

 セリナには、隼人のこの価値観に、思い当たる事がある。それは隼人の、過去の記憶に、あった————。


 隼人は子供の頃、よく殴られた。父親にだ。隼人の父は酒が入ってもいなくても、すぐに怒鳴ってすぐ殴る、そういう父親だ。さほど珍しくもない。一般的な「良い父親」は子が悪いことをしたならしつけるために子を、時に諭し、時に厳しく叱るものだが、隼人の父も隼人や、隼人の母親を殴っていた。

 しかし、「悪い事」とは叱る人間個人の裁量に委ねられる。

 隼人の父親にとっての悪い事とは、自分の気に入らない行動や言動をする事だった。隼人の父親にとっての「家族」とは、自身の所有物であり、所有物は自身が望むものであれば良い、それがあるべき姿なのだ。

 そして、その父親の「正義」が良いものであるか悪いものであるかも、やはり、それを見た者の裁量に委ねられる。


 隼人にとってはどうだったのか。

 隼人にとってそれは、


 自分の言動が気に召さないとすぐに殴る父も、それを黙ってみていた母も、隼人にとっては普通の両親だ。

 隼人が学校のテストで悪い点数を取ると父は「何故だ?」と訊き、隼人は「僕は間違えてないよ。だから消しゴムはいらないんでしょ? お父さん」と返す。すると父は「それでこそ俺の子だ」と言い隼人の頭を撫でる。普通の優しい父。

 父に殴られると母は、いつも「ごめんなさい」と言う。よくミスをする普通の母。

 隼人は自分の親と他人の親を比べる事はしなかった。無意味だからだ。実際、父にも「他人と自分を比べる事は意味のない事だ」と言われている。だから隼人は、他人を羨ましく思った事は、一度もなかった。


 そんな隼人にも友達ができた。おお西にしゆうである。勇吾は隼人を楽しそうに見ていた。自分はただ普通にしているだけだ。父に言われたように正しく生きているだけ。なのに勇吾は「すごいね」と言って隼人の真似をし、隼人と一緒によく、大人に怒られていた。隼人は母が家を出て行った時は、特に何も感じず普通の事だと思っていたが、勇吾と友達である事は特別な事だと感じていた。


 中学に上がってすぐ隼人は、勇吾に「一緒に空手をやろう」と誘われた。「家に帰ってから聞いてみる」とはいったものの、「欲しいものは極力自分の力で手に入れろ」というのが父の教えであったため、無理である事は明らかだ。結局父には相談せずに断った。

 しかし、それから少し経った時、隼人にとっての転機が訪れる。

 学校の帰り道、知らない少年達に声をかけられた。

「キミ、俺らにさあ。お小遣いちょうだい?」と自分よりも何歳か歳上の少年達は言う。

 隼人は「なぜだろう?」と思った。何か欲しいのなら今は無理でも社会に出てから手に入れれば良いのではないか。なのに、なぜこいつらはまだ中学生である自分にたかるのだろう。

 隼人は「嫌だ」と言った。すると、胸ぐらを掴まれた。隼人はまた「なぜだろう」と思った。自分は今、。なのにこいつらは、——。

 その者達の行動に理解も納得もできない隼人は、胸ぐらを掴まれているにも関わらず、自分の体を思い切り前に倒し、その少年に、渾身の力を込めて拳を振るった。

 隼人の胸ぐらを掴む自分の腕に引っ張られてバランスを崩した少年の顔に、隼人の拳が吸い込まれる。

 転んだ少年はすぐに立ち上がり、「てめえッ!」と叫んだ。拳は少年のひたいに当たったはずなのに、何故か少年は、鼻から血を流していた。

 激昂した少年の仲間達が隼人に、殴りかかった。隼人の顔、腹、腕、太ももなど、至る所に少年達の拳や蹴りが当たる。

 だが隼人は「大した事ないな」と感じた。隼人が一番「痛い」と感じた体験は、父親に前歯をへし折られた時だ。まだ生えていた歯が全て乳歯だった年頃であったため、記憶がちょうされていた部分もあるかもしれないが、それを加味してもやはり、大した事はない。

 隼人は、地面に生えた草の根元から覗く丸い石を、指で掘り起こし、手に取った。

 それで少年達を、次々に殴る。

 石が少年達の顔にめり込むたびに、てのひらの中に、柔らかいものが潰れる感触と硬いものが削られる感触が伝わる。

 しばらくすると少年達は、顔を血と涙で濡らしながら頭を下げて来た。

 隼人は言う。

「——間違ってたのはお前らだ。だから俺に?」

 少年達の返答を待たずに隼人は、一人一人の胸やらズボンやら鞄やらをまさぐる。


 ——なんだ。金ならあるじゃないか。


 その日、仕事から帰ってきた父は、隼人の腫れた顔を見て目を丸くした。母親似の整った隼人の顔が、自分以外の誰かに殴られた、その跡を見て。

 隼人は得意げに「父さん、俺は今日、正しい事をしたんだよ」と言う。

 その日から父は、隼人を殴るのをやめた。

 その日から隼人は、他の者達から金を奪う「遊び」を始めた。父に殴られなくなったのだから、今の自分は正しいのだと解釈したのだ。その金で、道場にも通った。

 しかし、殴らなくなった父を見て隼人は「本当に父は正しいのか」という疑問を持ち始める。何故なら隼人を見る父の眼は、と同じ眼をしていたからだ。

 それから隼人は父を試すかのように、一つずつ、父の言いつけを破っていった。

 それでも殴られない——やっぱりそうか。


 隼人にはもう一つ、転機があった。

 初めて女を抱いた時である。

 隼人の父は外で酒を呑むと、よく決まった女を家に連れてくる事があった。

 ある日父親が酔い潰れて寝ていた時、その女は隼人の目の前で上半身の服を脱ぎ、ブラジャーを外す。隼人は女の白い乳房とその頂点でつん、と立つ小さな赤みを見て、とした。

 しかし、同時に気づく。

 、と。中学生である隼人の体を使ってこの女は、退屈をしのごうとしていたのである。隼人にはそれが、認められなかった。

 だから——。


 だから隼人は、女の頬を張った。

 女は驚きかん高い声で、隼人を罵る。

 父は起きなかった。

 また張った。ズボンのファスナーを下ろして既に膨らんでいたものを露出させ、女の髪を鷲掴みにする。


「しゃぶれ」


 女の顔に、それを押し付けた。

 女は拒む。

 髪を掴む指の力を更に込める。

 やがて女は、従った。

 隼人はゾクゾクした。

 産まれて初めて感じる自分を包む柔らかで滑らかで温かな女の口内よりも、隼人に怯えて支配されるその女の眼にだ。それだけで果てそうになる。

 それを隼人は認めなかった。

 女の口からそれを抜き取り、女の身体をむさぼった。経験はない。だが、するべき事は知っている。一度父が隼人の目の前で、母とのその行為を見せつけてきた事があったのだ。

 ひたすらに、がむしゃらに、そして的確に、その作業は進んでゆく。

 作業が足の付け根に差し掛かった時、女の吐息が一際荒くなる部位を、隼人は見つけた。

 隼人は女から指を抜かずに、親指だけでそれをもてあそんだ。

 女が声を出す。 


「これを、噛みちぎったら、あんたは一体どうなるんだろうな?」


 指を細かく動かしながら、そこに、歯を当てる。

 隼人のあごに、女の温水が当たった。


 その体験から、女は、いや、、支配されて喜ぶのだと、隼人は学習した。

 

 ——しかし、勇吾は違う。

 何故か隼人は、そう思った。

 隼人は勇吾に対して喜ぶ事もあれば、顔には出さなかったが怯える事もあった。楽しい、と感じた事もあれば寂しいと感じた事もある。そして、支配したい、と思った事はなく、支配されたいとも思った事はない。

 ただ、と常に、願っていた。しかし、ぶつかる事はなかった。

 自分は色々な事を知った。勇吾もいずれそうなるだろう。

 その時に、全身全霊で交わりたい。

 それが隼人の願望であり、夢だったのだ。

 

 その夢が今、達成されようとしている————。


 セリナは考察をやめて、隼人に言う。


「……私と、こんな話をしていて良いのですか? もっと大西氏に集中するべきかと」

(おっと、そうだった。遊びってのはやっぱガチでやんなきゃな)


 隼人は、ビルの瓦礫を自分に投げつける勇吾を見つめながら、その瓦礫を避けた。


(ほお? 俺の【おうまがひらしゅけん】の特性に気付いたか。テツを一切使って来ねえ。ふふ、やるねえ——?)


 隼人の記憶の中にいた女は、隼人の父親に「せり」と呼ばれていた。本名であるのか源氏名なのかは分からないが、隼人にとってのその女の名前は、芹奈、だ。


 セリナは自分と同じ名を持つ、隼人の記憶の中にいるその女に、嫉妬した。同時に、思い出の中にあるその名を自分につけてくれた隼人を、嬉しくも思った。


 ——自分が隼人を支える。隼人が世界の基準となるその日まで。そして、そのあとも。自分は隼人を愛している。この感情は、このゲームの【ナビ】として創られたものではない。思わされているわけでも、感じさせられているわけでもない。


 である私が、そう思っているのだ——-。


 セリナは、隼人のこの世でただ一人の、理解者なのである。


 

 

 

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