2 人間であり続ける事を諦められない。
(これはまずい)
【レッサーウルフ】の姿である【プレイヤー】、三神シンは、今も尚崩壊し続けるビル群へと到達する直前に、
「あっちへ行くなら、そのまま『逃げる』って選択肢もあるよ」
シンの【ナビゲーター】であるマスコは、シンの生存を優先する。何故ならそれは、自身の生存と同義であるからだ。
二人の会話を低レベル者が聞くことができたならば、早送りされた音声に聞こえるだろう。人間は口から言葉を発する時と、言葉を発せずにシンプルに思考を巡らせる時で、その速度は違う。人の話を聞くときなども同様である。
しかし、プレイヤーとナビゲーターの会話は、プレイヤーが考えるだけで成立するのだ。ナビの会話速度も、プレイヤーの思考速度に比例する。
(それはダメだ。騒ぎをデカくしてこの街をこんなにしたのは、勇吾くんでも隼人くんでもなく、この俺だ。それを丸投げして逃げるなんてのは、絶対に許されない)
「ま、それが『あんた』よね?」
マスコのいう「あんた」とは、今のシンの事である。自分の持つ感情を、不要、だと決めつけたりせずに、全てを受け止め、
(マスコちゃん、正直に言うよ。俺は今のこの世界が、とても、楽しい——)
シンは、まだ壊れていない建物達や電線、電柱、鉄骨など、あらゆる物を足場にしながら、そこへ向かっていた。——この街から逃げ出そうとする人々の群れへ、と。
シンと同じスピードで、シンの近くで飛行するように移動するマスコは、黙ってシンの話を聞く。
(世の中で自分の
シンは背の低い民家の屋根から跳び、その百メートルほど先にある電線を、ベリーロールするように身体を捻って、飛び越えた。
シンは小さな犬である為、元々空気抵抗は少なく【素早さ】も反映されている。しかしそれでも、空気の壁にぶつかり身体がぶれた。シンの速度は生き物の限界をはるかに、超越している。
(【レベル】や【ステータス】や【スキル】で、その限界は引き上げられる。能力を遺憾なく発揮して他者を蹂躙する事で。この世界で生き残ろうとするその行動自体が、最高の娯楽だ)
シンは自身のスキル、【
ここでマスコが、口を開いた——。
「それはあんたの場合……ううん、あんたや隼人くんや勇吾くん、山本さんの場合でしょ?」
マスコの口調は穏やかだ。シンの言葉への、非難の色は見られない。
(その通りだよ。今までの世界を不満に思いながらも、それでも懸命に、賢明に生きていた、多くの人達にとって今のこの状況は、地獄だ)
シンは一台の車両の前に降り立つ。
白と黒でデザインされた赤い警光灯が光るその車両は、急停止した。
中の者が急ブレーキを踏んだわけではなく、シンが無理やりスキルで止めたのだ。
グオンッギャルルルルッッ!
パトカーはエンジンを唸らせるが、前には進めない。
「グオォォォオオンッ!!」
シンが吠える。
パトカーの左右の扉が開き、警官達が降りて銃を構えた。ドアは閉めずに盾として使う。
「も、モンスター!? まだ実装されてないってナビが言ってたのに!!」
「目の前にいんだろうが!!」
二人の警官へシンは、「両手」を伸ばす。
警官たちには見えていない。
「驚かせてすまない、お巡りさん」
シンは
「い、犬が喋った!?」
「これがフツーの反応だよね? ふふ、俺は、人間さ」
「人間!?」
「でだ。キミたちの【特殊スキル】は、俺には通じないみたいだ。犬は殺処分される事はあっても、法律では裁けない。たった今、ヤクザのおじさんが言ってたよ」
「や、ヤクザ!? 何の事言っている!?」
シンはパトカーへ降り立つ直前、「山本の声」を聴いた。その異常な聴覚で。
「要するに、キミたちでは今のこの街を守るのには、力不足だ。だから、サポートをしてくれ」
「サポート!?」
「キミたちから見て、ここを右に回ったところに橋があるだろう? そこに街から逃げ出そうとする人達がいる。でもね、ちょっと先走った人達がパニックを起こして橋に攻撃したんだよ。スキルでね? だから、もうすぐ橋が壊れる——」
シンは街全体にアンテナを張り巡らせていた。こういう事態も予測していたからだ。
「大丈夫、そこでは争いは起きていないよ。先に逃げた人達が逃げ延びる為にやっただけさ。ただ、後から来た人達が危ない目に遭っている。その誘導を頼みたい」
「誘導……ったって、橋が落ちそうなんだろ? どうやって誘導するんだ?」
若い警官が言い返す。
「橋は俺が、何とかする」
「何とかって……」
シンの言葉に対し、警官たちは半信半疑だ。唐突に現れたこの得体の知れない生き物の言葉を、信用できないでいる。
「俺はね、こういう状況に
シンの見た目は小さな犬だ。しかし、多くの他のプレイヤーを殺めている。だからこその、パトカーをも上回るほどの【
それが警官たちにも本能で伝わり、恐怖心を芽生えさせる。
「脅しでもハッタリでもないよ? 事故で死なせるなんて【経験値】が勿体無いからね。無駄にはしないってオハナシ。どうする? 俺と協力して人々を守るか、俺を信用しないで人々を見殺しにするか。キミたちが選ぶと良い」
シンは敢えて、冷淡に振る舞った。理解できないものに出逢うと人は、味方としてよりも、敵や脅威としての方へ認知しやすい。
「……信用はしない。だが、俺たちは仕事をしよう。もしかしたら俺の家族も、そこに居るかも知れない」
「先輩!?」
「ありがとう。俺の名前は、三神シン、だ。この騒ぎの後にでも調べると良い。自首するつもりはないけどね。それじゃ、なるべく急いでくれ!」
シンは
シンは自分のいる座標と、手の座標の間にある直線を、縮める。
飛んだ。
建物へぶつかる前に、また別な場所へ伸ばし、縮める。
空中で方向転換をした。
そしてその直線運動の先に、人々はいた。
車両同士の車間距離が詰まり、橋の上で渋滞が起こっている。車を持たない、或いは失った者たちは、その間を我先にと、歩いて移動しようとしている。
(おおヤバい。俺も早く仕事をしなくちゃね)
橋がぐらぐらと揺れている。物体に力を加えると、それぞれの物体がそれぞれの持つ固有の振動数で揺れ動く。それが、たかだか数人のプレイヤーが作った小さな
(あちゃーミスったな——)
街から外へ向かう車両たちは、対抗車線をも使っている。パトカーが追い抜く隙間がない。
(警官たちには回り道させるんだった。でも、俺がその分、頑張れば良いだけだ……!)
シンは跳んだ。
そして橋の両端を支える大地を掴む。
シンはちょうど橋の真ん中あたりの空中で静止した。
スキルの両手を、思い切り自分の方向へ、引く。
(くっ! 身体が、千切れそう、だ!)
「ちょっと! 下から橋を支えるとかじゃダメなの!?」
(俺の手は、二つしか、ないからね。力を一定に保つ、には、橋の、両端を引っ張るか、橋を両端から、押すしか、ない……!)
「ホントに!?」
(し、知らないよ。俺は土木屋じゃないんだ。でも、俺の【
橋が揺れる度に、力の波が、シンを襲う。
シンはそれを無視して力を大地に加え続けた。揺れが少しだけ、穏やかになった。
すると、車両の動きが早くなり、激しくなった。このタイミングを逃さまいと、前列にいる者を皮切りに、一切に動き出したのだ。車両の隙間を埋める人々が悲鳴を上げる。
「あ……危ない……! から……! 落ち着い…て……!」
シンは自身が演算したものよりも、大きい力を加えていた。念の為である。そのせいで声に、力が入らない。その時——。
『皆さん!! 落ち着いて下さい——!!』
橋の先から、若い警官の声が聞こえた。サイレンアンプのスピーカーから出た声である。
『この橋にはヒビが入っています! ですが橋には様々な機構があり、それによって橋の揺れを抑えています! ですが、皆さんが慌てるとそれも効果が薄くなり、とても危険です! 我々が誘導しますので皆さん、ゆっくりと、避難して下さい——!!』
デタラメだ。
警官達に
警官たちが乗ってきたそのパトカーも、街の対岸へ迷いなく停められていた。シンの「誘導を頼む」という言葉を受け取り、まだ状況を見てもいないのに、自分たちで遠回りをするという判断をしたのである。
避難する人々側からも「焦らないでゆっくり行きましょう!」と声が上がった。男性と見紛うばかりに体格の良い、女性の声だ。
『ここから二つ先の橋も空いています! そちらも今誘導員が向かってますので、余裕のある方々はそちらにお願いします——!』
ここには余裕のある者などいない。いないはずなのだが、車両を下げて迂回しようとする者たちも現れ始めた。
(この状況を、作り出したのは、間違いなく俺たち人間、プレイヤーだ。でも、世界を切り崩して抜きん出ようとするのも人間なら、
シンは、戦いの時とは違う、歪みのない笑みをマスコに向けた。
「……アレを見ても同じ事言える?」
橋の上の人々の数は緩やかに減っていくが、その後ろから新たな車両たちがやって来る。
(うわ。いや、大丈夫。タフネス、には、自信があるんだ。俺が諦めない限り、彼らも、大丈夫、だ……)
——このまま人々の群れが途絶えなければ良いのに。
とマスコは思った。
人々の避難が終わった時、シンはまた、戦いに身を投じなければならないからである。
義務ではない、が、シンは、そういう男なのだ————。
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