5 糞もそんなに悪くない。

 埠頭に立ち込める霧が、信号灯から照射されたやまぶきいろを受け止め、辺りに淡く拡散させる。そのとした灯りが霧の色と化し、周囲に溶けていられるのは、月よりも強烈な光であるが故だろう。

 空間で二匹が動くたび、光のも変化する。

 一匹は人間、一匹は【魔物】。二匹とも獣である事には変わりない。

 

 ユンギが右脚を浮かせる。

 霧が凝縮しぶきとなり、シンをすくい上げるように襲う。

 シンは身を低くしながら移動し、かわした。

 ユンギの振り上げられた右脚の膝から下が、斧のように振り下ろされる。

 舞う飛沫も斧のように、シンに迫る。

 シンは前進した。

 先程のように四肢と【見えざる手ヒドゥンハンド】を使って跳びながらユンギに向かう。

 ユンギが傘を縦に振り下ろした。

 水が鎌になり襲い来る。

 シンは、見えざる手ヒドゥンハンドで受け止めた。水をまとったままのそれを、ユンギに突き出す。

 ユンギは滑るように躱した。

「足に履いた水」を波立たせる事で高速移動を実現している。


「ハァッ! ハァッ!」

「ふふっ」

ナにが、おカしい!?」

「いやゴメン、おかしくはない。ただ、面白い。キミのそのかささばきとあしさばき、『サバット』だね? 杖や靴を武器として扱う武器術、なるほど。【魔法】との親和性が高そうだ——」


 シンを襲う水は常に、ユンギの傘と脚に合わせて動いている。


「魔法についても大体わかった。想像力イメージを武器に戦う技法、それが魔法だ。【MP魔力】というのも言わば情報エネルギー! この『その都度のイメージを具象化するように設定プログラミングされた霧』が消える時、のうろうでキミは意識を失うだろう。どういうわけか、で失われたモノには【HP】が作用しないみたいだからね」

「…………。【大渦ウォルテゥカス】ッッ!!」


 霧が文字通り「霧散」し、海を吸って地上に再びうずしおを創った。その回転は光を透過せずに反射させている。


「諦める気はないみたいだ。だけど、残り少ないMP魔力を使って、どういうつもりかな?」


 ユンギが創り出した「水の竜巻」。それは、ユンギ自身をおおっていた———。


 ユンギは渦潮の中で腕を振った。

 服のそでから粒状のあめが飛び出す。【アイテムポケット】に仕舞い込んでいたモノだ。それを、噛み砕いた。

 口内の粘膜からそのが瞬時に吸収される。【ステータス】によって結果が強化される為だ。


「イメジは! おモは! ゲんだ——!」


ユン!?」

 彼の【ナビ】のユンジンが叫んだ。ユンギ以外の者に、その声は聞こえない。


 ユンギが摂取した薬物。

 それは、リゼルグ酸ジエチルアミドLSDと呼ばれるものだ。

 遠くのものが近くなり、ぼやけたものがハッキリとする。音を視る事ができ、色を聴く事ができる。

 

私こそが無限だ무한의 나ッッ——!!」


 世界が、自分ユンギに、溶け込む。


私こそが내가ッ! 宇宙だ우주다ッッッ!!」


 その万能感が、ユンギのMP魔力を回復させた。脳を、かして———。


 ユンギを包むうずしおがどんどん大きくなる。


(——これは、コッチからは手出し出来ないな)


 シンが渦潮から脱出できたのは、そのにいたからだ。渦と同じ速度で移動していたから【スキル】で干渉する事ができた。しかし、今は渦の外。見えざる手ヒドゥンハンドで渦潮に触れた瞬間、その作用点が力点となり、座標を越えて直接シンに力が伝わる。——つまり、弾き飛ばされる。

 シンが渦潮をどうにかしようとするならば、渦の周りを、渦と同じ速度で、回るように移動し続けなければならない。


「シン、この隙に逃げちゃえば? 栄養と睡眠以外でMP魔力を回復したなんて信じられないけど、たぶん彼、自滅するよ」

(マスコちゃん、キミって……)

「ち、違うわよ! あんたも気づいてるでしょ!? !?」

(あ、気づかなかった。戦闘に夢中でね。——なるほど、黒岩くん達か。でも、今はこっちさ。命を縮めてまで全力で来てくれるんだ。キッチリと決着をつけるのが、おとこってもんさ)


 ————ソレを広げるだけで、終わりではないだろう?


 シンは身構える。


「【水操作マニュキュラ イキュエ】ッ——!!」


 ユンギが魔法を唱えた。

 水達が一瞬解放されるが、渦のざんに、また呑まれる。

 渦潮は細長く伸びていき、そして巨大な、だいじゃとなった。

 そのりんかくせんは、中を渦巻く回転で、ぼやけている。


「〝水神大蛇マンマン デヘ イムギ〟ッッ!!!」

 

 大蛇は天高く昇り、その尾は、ユンギが突き上げた傘の先と繋がっている。

 傘が、振り下ろされた——。


 ギュガガガガガガガガガガガガガガゴガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガカガガガガガガガガガガガガガカッッッッ!!!

 

 大蛇の表皮が地面のコンクリートを削る。

 傘ががれた。

 大蛇のおおあごが、尚も、地面を削りながらシンに迫る。

 シンはコンテナの上に飛び乗り、更に移動した。


 ジュゥウヴヴァアアグゥォオオオオオォンンングァアアアアアアオォオオオォオオオオォオオオンンヌワァアアアアアアアンッッッッ!!!


 コンテナが削られ、叩かれ、破壊され、弾き飛ばされる音が、魔獣の声のように鳴り響く。

 シンは飛び交うコンテナの破片を「手」で掴み、破片の上に乗り、破片を走り、空中を移動する。

 大蛇のうねりとうなりがシンへ昇る。

 シンは大地を掴んで地上に降りる。

 大蛇は身体をシンを追う。

 シンの身体に、無数の破片が突き刺さった。


(スピード自体は大した事はない! でもその余波が! 大きな傷痕をつくるッ——!)


「凄いじゃないか! 人はただ糞を垂れる生き物! その通りだ! それどころか死ねば肉は腐り! 骨は風化し! 土に帰る! まさに糞そのものだ——!!」

 

 シンの声が聞こえていてかいないでか。ユンギの目は血走っている。


「——だが糞にも意志があるッッ! 強い意志が残す爪痕は世界の! 大きな一部になるッッ!! キミの死体は残そう! この世界に! 糞はそんなに! 悪いモノなんかじゃあないッッッ!!!」


 感情のたかぶりが発した言葉の意味は、シンにもわからない。わからないが、その言葉がシンに、次の行動をうながした——。

 

 シンが大蛇の口に、飛び込んだ。


 大蛇の身体が少し緩む。シンの行動が生んだユンギの感情だ。

 しかし直ぐに引き締まる。


「馬鹿じゃないの!?」


 マスコは叫び視覚をシンに繋いだ。


(すまないマスコちゃん。こんな戦いしかできなくて)


 シンは見えざる手ヒドゥンハンドてのひらを開き、その上に乗っていた。自分の身体を押すような力を加えて。

 水に接する面も、水を押すように力を加えている。微妙に力の向きを換えながら。

 そして——。


 反発力がつくるスピードを利用してこの「チューブ」の先の尾に向かって猛スピードで移動する——。


 チューブライディングをするサーファーさながらに進むシンの周囲には、グリーンルームならぬ「オレンジルーム」が広がっていた。空の月が、ぼやけて透けている。


 大蛇が

 シンはバランスを崩さない。シンの「手」は二本ある。


(月が綺麗だ。でも、キミのこの術はそれ以上に美しい。きっとキミは、この世界に、俺の想像も及ばない、とんでもない思い入れがあるのだろう。俺にはわかる、何故なら——)


 尾の先にある小さな穴の先に、照明に照らされたユンギのオレンジの、があった。


「俺の思いも! 強いからだ!!」


「——ッッ!? 閉じろ다물어라ッッッ!!!」


 それは大蛇に言ったのか、それとも、シンに向けて言ったのか。

 尾の穴は縮むが、それよりも早く、速く、シンが飛び出した。

 シンの顎が、ユンギの喉元に喰らいつく。


「キァッ……!」


 ユンギの声にならない声は、吹き出る血液と共にシンの喉を、うるおした。


「————!!」


 シンの牙は、尚もユンギの肉に食い込み、やがて、メキメキと音を立てて、閉じる。


 水の大蛇の肉が、飛沫となって飛び散り、大蛇は、消滅した。


 ばちゃっ。


 仰向けに倒れたユンギの首はえぐれ、肉が、欠損している。じゅくじゅくと音を立てて再生するが、それも、止まった。


 ぱしゃぱしゃっ。


 シンも、着地した。

 口周りから胸にかけてがユンギの血に染まっている。


「まだ、いるかい? ああ、彼のナビのキミだ」


 シンには、ユンギのナビの声どころか、その姿さえも、認識できない。


「申し訳ない、とは言わない。そこの彼は、間違いなく俺を、殺すつもりだっただろうから。でもね。キミの彼の爪痕は、俺の中に、俺の世界に一生残る」


 ユンギの周りのコンクリートを濡らしてるものは、血なのか水なのか、色だけでは判断ができない。


「俺はこれからも、そして、これからは、彼の糞としても生き続ける。そう考えればさ。糞もそんなに悪くない。そう、だろう? ——お互いに、名前も知らない、けどさ」


 シンは自分の服を剥ぎ取り、ユンギに掛ける。


 そして、隼人達が鳴らす音へ顔を向け、立ち去った。

 


 第六話 THE SHAPE IS THE SHAPE OF EACH BATTLE . 終わり。

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