4 死を待つ為に糞を垂れる。

 ユンギは自身の唱えた【魔法】の渦潮を見上げる。


やっつけた처치하다?」


 ユンギに声をかけるのは彼の【ナビ】である「ユンジン」だ。

 トカゲのような身体にひれのような尾という「イモリ」のような見た目をしている。そのサイズはユンギの片腕と同じで、「チマ」と呼ばれるゆったりとしたハイウェストのロングスカートを履いていた。どこが腰であるかはわからないが。

 上衣は着ていない。


 彼女の名は、


たぶん아마まだだろう아직일까


 ユンギはタイミングをはからっている。


水操作マニュキューラ イキューエ】は、【MP魔力】の続く限り維持し続ける事ができるが、唱えるときに設定した「アルゴリズム」を変えるには、一度魔法を解除しなければならない。

 ユンギが〝ムルカモク〟と名付けたその術は——「立方体キューブを形成する」「外部の水を使い肥大化する」「敵を追いかけ閉じ込める」「水の密度の比率を意図したものにする」「意図するタイミングで肥大化を止める」——というもの。

 ユンギは「シンの機転の方法」には検討もつかなかったが、その術を「不十分だ」と判断し【大渦ウォルトゥーカス】という別の魔法に切り替えた。大渦ウォルトゥーカスは術者が注入するMP魔力によって威力が変化するだけのシンプルな魔法だ。アルゴリズムを設定しなくても良い代わりに、制限時間がある。——ほんの数秒。


大渦ウォルテゥカス!」


 ユンギはまた魔法をかけ直す。

「これをただ繰り返す」というのが、ユンギの新たなプランだ。ただし、規模は少しだけ小さくした。ユンギのMPにも限界があるし、シンがわからなければ、このプランを続けられない。途中で逃げられる可能性もあるからだ。

 ユンギにはまだ【経験値】は入っていない。それは「シンがまだ意識を保っている」という事に他ならなかった。

 ユンギは、慎重な男なのである。


いた찾았다


 十五メートルほどの「せんの柱」の上部に、シンはいた————。



 シンは水流によってぐるぐる回っている。マスコもそれに合わせてぐるぐる回る、ことはなく、渦潮の外面で、渦の中を見つめていた。


「ちょっとシン! 生きてるの!?」

(はは、やっぱ戦闘中は感覚を切り離して正解だったね)


 シンが精神で応答する。


(ところで、質量とエネルギーは一緒って事だけど、この場合はどうなんだろうね?)

「は? こんな時に何言ってるの!?」

(こんな時だからさ。生き残る為には冷静に、どんな情報も利用しないと。で通常、物体が存在する時、空間にはその分、隙間ができる。物体はみつからに向かい、それを人は重力とか引力とかいう)

「もう、オタクなんだから」


 シンの独自の解釈が含まれマスコでなければ解りにくいが、シンが言うのは一般相対性理論の事である。物体にそれぞれ引力が働くのは物質が空間を歪ませているからだ。


(水が遠心力で外に飛ばないのは渦の中心に引力があるからだと考えられる。けど、渦を作るのはまた別の力、質量を持たないエネルギーそのものだ。つまり魔法を生み出すこの力——仮に『魔素』としよう——は、物体とエネルギー両方の性質をその時々で使い分けられるという事)

「今あんたのやってると、そのハナシ、関係あるの?」


 シンは【見えざる手ヒドゥンハンド】のマニュアルモードを使い、手に水を集めている。


(マイナス方向に力を『加えれ』ば、手に物体を吸い寄せる事ができる。つまり俺の【スキル】は運動エネルギーそのものを扱うタイプのチカラ。渦の力に逆らわないでいるから彼には気づかれてないと思うけど、俺の周りにある水は既に、俺の術中だ)

「じゃあ早く渦を消しなよ! 血圧が低下したわけじゃないから意識は保ててるみたいだけど【HP体力】が削られてんじゃない!」

(そうさせてもらう。けっこう苦しいからね。ただマスコちゃん、先に、謝っておくよ)

「え?」

(この速度の渦を止めるのは疲れるだろうから——急な移動に、ご注意を!!)


 シンの身体がどんどん「加速」していく。加速に合わせてどんどん渦の内側から外へ移動する。そして——。


 渦から、水の塊が、飛び出した。


ナニッムォッ!?」


 ユンギの上空で回転する水から、シンがあらわれる。いや、シンから水が剥がれ落ちる。それが手の形となり収束し、一本の直線となった。


 ビュィィィィィイッッ!!


 直線がユンギの足元のコンクリートに螺旋をきざむ。

 ユンギは飛び退くが、避けるには至らない。——細長い水のレーザーが、ユンギの左足首から下を、切断した。


「ぐ! 【回復魔法ステゥラ】」


 ユンギの足首から白い足が生えてくる。


「ガバァッ! ハァハァ! く、空気が! ンマーい!!」


 着地すると同時に、シンが水を吐き出した。


「きさマぁ! 私ニ弄バれてばいもノを!!」

「はぁ、はぁ。弄ばれて喜ぶのは、ど、ドMなヤツ、だけさ」

ちガうッ!! 人はみナぁ! タだ弄バれてくソを垂レるだケの生キモのだッ!!」


 ————リュ ユンは、軍人の家に生まれた。


 ユンギの故郷は、大昔に、とある大国によって作られた。初めこそ順調だったものの、事実上の代理戦争であった南との戦争で国力の多くを失う。その後、後ろ楯であった大国と、別の大国との板挟みに遭い、別の大国を選ぶが、その大国内での権力闘争の「」で憂き目に遭い元の大国に擦り寄るも、その国は崩壊し、国力が更に低下した。

 破綻した国家の代償を払うのは他ならぬ人民。が、軍人の家系に生まれた自分には関係ない、そう思っていた。

 自分も父と同じように海外へ留学し、いずれは上流社会で生き、子をもうけ、更にその血を繋ぐ。それこそが自分の役割りであり、夢なのだ——そう、思い込んでいた。

 父が、処刑されるまでは。

 それまでの指導者が死去し、新たな指導者に代わる中での改革で粛正された者の派閥の中に、父も、くみしていたのだ。

 それから、ユンギの生活は、一変する。

 母は若くはなかったがそれでも、別の軍人に嫁ぐことができた。妹も姓を変え、別な者の養子となり「女としての教育」を受けている筈だ。

 しかし、自分は違う。

 父から多くの事を学んでいた事がし、警戒されたのだ。

 ユンギは落ちぶれた、あるいは野心を諦めつつも生きる事に執着する者達と同じ場所で、生きる事になった。


 ——そうか。これが本来の、人間なのだ。

 

 国も人も変わらない。

 デカいものに弄ばれ、ただ生きる。これが人の宿命で、それが集まる集団の宿命でもある。生まれも育ちも関係なく、幸せに思える環境も他人が自分を弄ぶために与えられたものであり、自分もまた他人を弄び、ただただ死を待つ為にくそを垂れる。

 ヨンにも大蛇イムギにもなれないばかりか、山椒魚トロンニョンですらない。

 山椒魚は、川を昇る。

 人間は昇れない。

 人を蹴落とし、昇った気になっているだけだ。


 ユンギはシンに、自分も、隼人も、父も、これまで出会った全ての者達を、重ねていた———。


「他人の思い出話。嫌いではないけど、今は聞いてあげる余裕がない。想像するだけにとどめておくよ」


 シンは身体をぶるぶるっと震わせ、水を払う。口まわりを舌で舐めとった。


「しょっぱいな。だけど微量ながら回復できるみたいだ。やはり質量の持つエネルギーは大きいね。キミの左足、それを治すのにもそれなりにMP魔力を使ったんじゃないのかい?」

水操作マニュキュライキュエ!」


 ユンギは両足を、高密度の水で覆った。


「図星みたいだ」

「うるサいッッ!!」


 ユンギはフットワークを使わずに移動する。ローラースケート、というよりはまるで、プレジャーボートだ。

 シンが見えざる手ヒドゥンハンドの爪をふるう。ユンギはかわした。


「なるほど、そんな事もできるのか。魔法とは本当に面白い!」


 ユンギは「水の靴」の他に、辺り一帯を覆う霧を作り出していた。立方体キューブ中のシンを見て学習した結果である。


「まタそのに集メるか!?」

「そんな隙はないだろう!?」


 ユンギが右足首を返して、大きく左脚を振った。霧が刃となりシンを襲う。

 シンは跳んでそれを避けた。

 ユンギが左手を回して傘を振り回す。霧が針となり上から襲う。

 シンの見えざる手ヒドゥンハンドがそれを弾く。


「お返しだ!」


 手に付着した水を集めて、シンが飛ばす。


甘いヤッカダッッ!!」


 ユンギが右脚を、後ろ回し蹴りのように振った。水の弾が止まり、シンに帰る。が、シンはそこにはいない。

 ユンギが【ステータス】が示すほうへ顔を向けると眼前に、霧よりも透明な手が、向かって来ていた。


「チッ」


 ユンギは顔を背け水の足を移動させる。が、肩に、シンの「見えない爪」が刺さった。


「キィッ」


 文字通り金切り音のような声を上げて、ユンギはその場から遠ざかる。と音を立てて、傷口が塞がる。


「ハハッ!! 回復魔法は使わないのかな!? 序盤で乱発し過ぎたみたいだね!!」


 シンが縦に爪をふるう。ユンギは横に避けた。

 HPではユンギにがあるが、MPを使わない分シンのほうが精神的な負担は少ない。それが、二人の攻防の形勢となって現れている。


「ナにが楽シい!?」

「キミが苦しいからそう思うだけさ!」

黙れタッチョッッ!!」


 ユンギが傘を回す。水の刃がコンクリートをりながらシンを襲う——。


「〝ムル疾りタリギ〟ッッ!!」

 

 シンは向かって右に躱し、勢いよく跳んだ。脚力に加え見えざる手ヒドゥンハンドも使っている。シンのあぎとが大きく開き、その牙が剥き出しになって、ユンギに向かう。


「クぅッ!」


 間一髪でユンギはその場から離れ、シンの口が、ガチンッと音を立てた。


「弄ぶのは嫌いだ! 一撃で楽にしてあげるよ!!」


 ——化け物め。


 ユンギは目の前の【魔物】に、恐怖した。

 

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