5 獣の咆哮。


おれの中の人間の心がすっかり消えてしまえば、

恐らく、その方が、己はしあわせになれるだ

ろう。だのに、己の中の人間は、その事を、

この上なく恐しく感じているのだ。

ああ、全く、どんなに、恐しく、哀しく、切

なく思っているだろう! 己が人間だった記

憶のなくなることを。この気持は誰にも分ら

ない。誰にも分らない。己と同じ身の上に成

った者でなければ。


           中島敦 山月記



「グァォオンッ」

 

 シンはけものほうこうをあげた。

 シンに【見えざる手ヒドゥンハンド】で頭を持たれた男は体を浮き上がらせ、別の男に激突する。

 シンの四本足の爪は、アイスバーンに喰い込むアイゼンのように、アスファルトを掴んでいた。


「う、くそ」

 ぶつかられたほうの男は、うめき声をあげて立ち上がろうとする。


「って、ちょっと待て——!」


 マンホールのふたが男の顔を、縦に両断するかのように、潰した。

 もう一人の男の首は、シンに投げられたときには既に折れている。

 シンは「両手」で男たちそれぞれの、鎖骨と肩の筋の隙間のくぼみを裂き、「手」を挿し入れ、心臓を握り潰して息の根を止めた。

 ついでに二人の【クントゥム】を同時に抜き取る。

 二人の身体からだが消えて、服と持ち物だけが残る。


「ノリでやったけど、かなりくさいな」


 シンは「地面に空いた丸い穴」に二人の服とを投げ入れて、マンホールの蓋を閉じた。


「さて、これでヒト達は全員かな? それじゃあ、先へ進もう」


 シンは、ワザと公園とは離れたルートを行く。公園にはカナと沢口、そして警官たちがおり、近くを通れば、警官の【公務執行妨ミット害妨害メント】により【スキル】や【ステータス】が使えなくなる。


「勇吾くんは……パチンコ屋?」


 勇吾は公園や事務所からそう離れてはいないパチンコ屋の駐車場、その入り口を通ったところだった。


「ねえシン?」

 

 マスコはシンの進むペースと同じスピードで飛んでいる。途中で通り過ぎる標識に書かれた指定速度を軽く超えるスピードで。軽自動車の法定速度すら超えていた。


「マスコちゃん、前を向いたほうが良い」

「別に平気よ」


 マスコは、物体の影響を受けない。


「それで、なんだい? 俺のやってる事についてかな? まあたしかにアレじゃあクントゥムに依存してるのと大差ないけど——」

「ストップ。そんな言い訳聞きたいわけじゃないわ。『無言で会話』しないのも、心の内を読まれたくないからなんでしょ? なら、わざわざ語ってくれなくて良い」

「納得、してるのかい?」


 マスコにはもう、先ほどまでの態度が見られない。


「さすがにあたしでもわかる。あんたが生き延びるにはああするか、全部放り投げるしかない。でもその場合、勇吾くんや、もしかしたらカナさんや沢口さんが、酷い目に遭わされるかも知れない」

「……その通りだ」

「あんたや勇吾くん、カナさんはある意味、自業自得。でも、沢口さんとは、あんたのせいで危険にさらされてる。責任すらとらないようなやつの【ナビゲーター】なんて、あたしはしたくない」

「俺も、そう思うよ」


 話しながらシンは、見えざる手ヒドゥンハンドを電線へ伸ばし、掴み、縮める。体が宙に浮き、更なるスピードで「飛ぶ」。

 シンは「手」を離し、電線の高さを越えると軽く一回転して、その上に乗った。

 そのまま走る。


「で、あたしが気になったのは、隼人くんのナカマのこと。彼ら、急に無言で動き出したでしょ? 車を使ってる人たちも無言」

「言動の緩急がキツイな。それについては俺に話を聴かれたくないんだろう。メールとかSNSに切り替えた。それだけの事さ。んで、見てよ? コレ」


 シンが自分の口から【アイテムポケット】を使って取り出したのは、。端末が真っ二つに折れていた。


「メールの内容とかも見られたくないわけか。でも、これからの指示はどうするんだろ?」

「いや、もう指示は出してるようだ。気づいてるかい? 彼ら、港に居る『彼』のところに集まってる」

「まさか」

「ああ。隼人くんはもう彼らのコト、要らないみたいだ。いや、違うか。。『犬のエサにするくらいなら別のヤツの【経験値】にする』ってところだろう」


 シンは跳んで、飛んだ。

 背の高い建物の屋上に着地する。


「……! 隼人くん。だ」


 シンの声にわずかに、うなりが混じった。

 遠くで「一番新しい」爆発音が聴こえる。


「誰でも良いんだね、彼」


 シンは明確な、唸り声を出す。


「ヤンキーから『女の子ごと』車を奪ったと思ったら、他のクルマを見境なく、か」 

「シン」

「経験値稼ぎするのと同時に、挑発だな。俺に対しての。ほとんどのナカマを捨ててその強さを一つに集める、自分は自分で他から奪う。幼稚な作戦さ。俺だって似たような事をしている。あんな挑発、効くわけが、ない」


 よだれこぼれる事もいとわず、シンの牙は、剥き出しになっている。


 マスコに心の内を読まれたくない——その通りだ。シンはこの激情を、マスコにでんぱんしたくなかった。

 シンはふう、と息を吐き、口調を戻す。

 

「なるほど、良いね。わかりやすい。『オレはレベルアップしながら逃げる。追うのも良いけど、オレの仲間に挟み撃ちにされるぜ? さあどうする?』ってトコかな? シンプルで良いメッセージだ」


 隼人と「隼人のカバン」を乗せた自動車が停まり、また爆音が鳴った——インターチェンジ。一般道から高速道路に入るための料金所、それが崩れる音も聴こえる。


「——違う。『オレをほっとけば街の連中はみんな獲物だ、どうする?』かな? 隼人くんはこれから。なるほど、実にわかりやすい。なるほど、なるほど」

 

 シンは星がまたたく夜空へ向いた。


「ゴゥルゥァアアアァァアアアァァァアアアアアアアァアアアアァァァルゥウウウウウウゥゥゥゥゥウオオオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォオオォォォオオォオォォオオオォォオアァアアァァアアアァァァアアゥウォオオオオォォォオオォォオオオォォォォォォォオオオォォォォオォォオオォオォ——!!!」


 重さと軽さ、低さと高さを兼ね備えた暴力的な響きを大気がはらみ、街がそれを反響させ自ら、呑み込まれる。

 シンの、ヒステリックな叫びに、街は呑まれる。

 

 それは「しっ」だった。


 同じような事をして、同じように生きていれば、仲間になれると思った。

 愛してるふり、一緒に困ってるふり、一緒に戦ってるふりをしていれば、仲間になれる、そう思っていた。

 シンの獣は虎ではなくて「狼」だ。

 いっそのこと、人ではなくその本性を見せたほうが、返って、分かり合えるかも知れない。

 一匹だけで生きる事を好まず、とも分かり合えない、自分の場合は。

 なのに。

 なのにだ。

 何故、共喰いをする。

 自分はお前達を喰わないように我慢しているのに、何故、自ら互いに、かんたんに、喰らい合う。

 何故かんたんに、手離すのだ。

 なんて、ぜいたくな生き物だ。

 シンは物心ついたときからに、嫉妬していた。

 シンは初めから、一匹のはぐれた、狼だった。

 シンは初めから、一匹の「魔物」だったのである。

 ゲームなどとは関係なしに。


 マスコはシンに、共感はできない。でも、理解わかる。

 だから、マスコはシンに、自分の「全て」を繋いだ。

 そして——。


 ごんっ。


 シンを、殴った。


「いっ、つぅ〰〰っ!」

 マスコが届かない手で頭を抱えるようにしながら、痛みをうったえる。


 シンは殴られたことで屋上のコンクリートを転がって、顎をぶつけた。


「え、えーと、マスコ、ちゃん?」

「このダメ!」


 マスコは目に涙を浮かべている。ぬいぐるみのような見た目なのに。


「ぺ、ペナルティ……」

「うるさい! サッカーとかバスケと同じよ!」


 マスコはシンのスキルを「勝手に」使った。そしてさらにシンを、「攻撃」したのである。


「へ? さ、サッカー? バス、ケ?」

「今の【ペナルティ】は二つ。でも、あと一回までならまだオッケー。どう? 理解もオーケー?」

「で、でも、なんで?」


 シンの戸惑いは消えない。だが、そのせいで激情が、おさまっていた。マスコとは逆に。


「あんた、何も感じなくなるのが怖いんでしょ? もともと実感の薄かったモノが完全になくなるのが怖い。違う?」

「!」

「その怖さ自体が消えるのも怖い。だからそれらを毒とは思えないし、

「……」

「だったらもっとちゃんとしてよ! あたしは、ホントはあんたに『逃げてほしい』って思ってる。でも、わかる。あたしにだってわかるわよ!」

「ま、マスコちゃん?」


 シンはさらに狼狽うろたえる。


「あたしだってあんたののーくらいわかるわよ! だってあたし、!!!」


 ずっと抑えていたマスコの感情が、爆発した。マスコと全てが繋がってる今、シンにはそれが言葉以上に伝わっている。

 シンが他人へ持つ嫉妬心よりも、瞬発力のある激情だ。


「と、取り敢えず、この繋がりを切ろう。お互いにとっての毒だ」

「違う! あんたのごこが悪いからやめたいだけでしょ!? このヘタレ! 弱虫! あたしは毒だなんて思ってない!!」

「マスコちゃ——」


 そのとき、シンに勇吾から【念話】が入る。


「ふん! ズズッ……出ればいいじゃない」


 マスコは鼻をすすっている。

 シンは念話を繋いだ。


「……勇吾くん。どうしたんだい?」


 パチンコ屋の駐車場から、バイクのエンジン音が鳴っている。


『三神さん。やっぱり俺、人任せなんてしょうに合わねえよ。隼人は俺が追う』

「隼人くんは今、沢山経験値を稼いでいる。キミじゃ勝てない、危険だ」

『だろうな。さっきから俺にも聴こえるドンパチ。あれ、隼人だろ? だからさ三神さん。隼人の仲間達をなるべく早く片付けて、急いで合流してくれ。それまでなんとか頑張るからよ』

 

 勇吾は隼人の仲間の詳細を知らない。だが、今のシンにとって的確に思える判断だった。


「しかし——」

『良いか? 三神さん。これはもともと俺の厄介ごとで、あんたはそのサポートだったハズだ。あんまり勝手されても困る』

「ずいぶんと生意気な事を言うね?」

『ああ、ドンパチとは別の、あんただろ? 生意気言われても仕方ないんじゃねえのか?』

「わかった、よ」


 シンは念話を切った。

 遠い公園からは「お巡りさん、カナちゃんを頼みます」という沢口の声が聴こえる。


「皆んな、人のいうこと聞かないね」

「ふん。素直に『助かった』とか言えばいいじゃない。ホント、嫌い」

「ああ。ありがとう、マスコちゃん」


 シンはマスコに、真っ直ぐに向いた。


「……なんであたしに言うのよ? って、え!?」


 シンは、自身の持つ全ての感情を「毒と定義する事」を、辞めた。


「ちょっと! なんでこのタイミングで!?」

「このタイミングを逃したら、たぶん、だめだ」


 殺した者達の怨念、そんな妄想がシンに、のしかかる。


「ふふ、すぐに行かなきゃならないのに、凄く、怖い。でもさ、皆んな必死なのに、俺だけ空っぽじゃ、きょうだろう?」


 マスコとはまだ、繋がったままだ。自分の感情がマスコに伝わり、それがまた戻ってくる。


「あ、ああ、ゴメン。一人で耐えないと意味ないね」


 シンはその繋がりを遮断——。


「だから、そういうトコよ」


 できなかった。


「なん、で?」

「びっくりさせられたから、仕返しよ」

「俺、さっきからキミに、やられっぱなしだ」

「当たり前でしょ?【ナビ】は【プレイヤー】の奴隷じゃない。……だから、落ち着くまで、そのままで、良いよ」


 マスコのペナルティは三つ。あと一度でも「勝手」をしたなら、マスコはこの世界から消えてしまう。

 

「キミにいなくなられると、俺が困る。だからもう、大丈夫。情けない姿は見せないさ。……マジで、ありがとう」


 シンは今度こそ、マスコとの繋がりを遮断した。ただし、心の繋がりは残したままで。


「まぁ良いわ。あたしも痛いこと自体は嫌だし」

(そうだね)


 シンは再び、駆け出した。



 これから、長い夜が、始まる。



 第五話 CAN’T WANT OUT. 終わり。



 

 


 

 

 




 

 

 

 

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