2 魔物の持つ欲求。

ゆうくん、待たせたね」


 シンがこの公園を出てから、約二時間が経過していた。シンは、勇吾の知らない女を後ろに連れて、公園に入ってくる。

 はたから見たなら飼い主をリードする飼い犬なのだが、女は犬を散歩させるようなではなかった。


かみさん、その女は」


 座っていたベンチから立ち上がって勇吾は、女の様子から、二人の穏やかではない関係性に気づく。じょうか何かで縛られているかのように、女は両手を前に揃えている。

 シンが【スキル】を使って女をいているのだ。嫌がる飼い犬を飼い主が無理やり散歩に連れて行くように、勇吾には見えた。


「何があったんだ?」

「彼女からライターと同じ匂いがしたからね。連れて来てあげたのさ」 

「それにしたって、ずいぶんと乱暴な扱いだな?」

「ふふ、勇吾くん。とてもとは思えないセリフだね? ずいぶんと『あまじょっぱそうな』反応だ」


 シンの返しに勇吾はかたまゆを上げる。


「まだそのスジ、じゃねえからな」

「またまた、そんな事言っちゃって。下っ端とはいえさ、あんなところで働いてたんだ。キミも日常的に悪い事、してたんじゃないのかい?」


 勇吾は困惑した。

 勇吾とシンは先程知り合ったばかりだが、優吾が抱いていたイメージとはかけ離れたセリフを今、シンは口にしている。こんな悪意のある皮肉を言う者だとは思っていなかった。


 ライオウが口を挟む。その声は勇吾にしか聞こえない。


「おい勇吾ぉ、その辺にしとけよー。コイツ、ケッコー危ねー状態だぜい?」

(危ない状態?)


 勇吾は心の中で聞き返す。


「【モンスター】のじっそうはまだだかんなー。だからよー。この説明ははぶいたんだがよー? コイツ、この【レッサーウルフ】って種族は【魔物】に分類されるモンスターだぜい? そいつが苛立ってるってなっちゃあ……」

(わかりやすく説明してくれ)

「だから今してんだろー? 魔物はなー。常に人間を殺したいっつー『欲求』があるんだぜい? それが今、ギリギリっつーワケ。危ないぜい?」


 勇吾はシンの言っていた「負けないため」「俺が手加減するのさ」という言葉を思い出した。


(そういうことか)


 シンは勇吾とは別に、自分とも戦っていたのである——シンの戦闘時の行動は、単なる自己満足ではなく、満たされない欲求を少しでも満たすための工夫——。

 勇吾はこの短い時間の中で、シンに対してそんな理解を示した。


 勇吾が不自然に黙った様子を見逃さずに、シンは言う。


「また【ナビ】と、なんはなしてるね?」

「いや、ずいぶんと『早かったな』ってライオウが言うもんでよ。あんた、よくあんな短時間でその女、見つけて来たな——?」「お? 嘘つくのが上手いじゃねーか」(ま、まあな、って。あ、やべえ)


 勇吾は思い出した。シンが匂いで嘘を見破れることに。

 だがシンは、特に嘘には反応せずに、かれたことに答える。  


「彼女を見つけたのは偶然さ。さじを投げかけたところでたまたま現れてくれたんだ。いや、もしかしたらそれが【運】って【ステータス】の正体かも知れないけど、今はよしておこう」


 今度はライオウがシンの言葉に驚いた。ほんの微細な驚きではあるが。それは口調に表れる。


「へえ? コイツ、かなり考えてやがるな。やっぱり、元々の【知力】がたけーんだ。かなりヤベーやつだが、だからこそ勇吾。お前さんが今、ここで息をして立ってられるっつーわけだぜい?」

(ん? そんなに驚くことなのか?)


 勇吾の顔はシンではなく、自分にしか見えないライオウに向いていた。


「だからよー『魔物の持つ欲求』ってのはなー。例えるなら『ポン中』みてーなもんだ。人間の持つ【クントゥム】を食うまではおさまらねー。欲望に理性が勝ってるんだぜい? 真面目なだけのヤツだと、そんなことはできねーハズさ」

(なるほどな。それよりも【クントゥム】ってなんだ? 何語?)

「ああ? めんどくせぇー。良いかー? 【クントゥム】ってのはだな——」


 ライオウが説明を続けようとしたところに、シンがストップをかける。

 

「ナビと相談中のところ悪いんだけど、そろそろ良いかい? 彼女から、はやくんの事を聞くために、連れて来たんだけどね」

「ああ、悪い。なああんた、すまねえな。ちょっと話を聞かせてもらえるか?」


 勇吾は女をベンチに促し、自分はその正面に立った。


「三神さんも、この人の両手を縛ってるスキルを解いてやってくれよ。【見えざる手ヒドゥンハンド】って云うんだっけか? なんか、見てられねえ」

「ああ、ナビに聞いたのかい? でも悪いね、それはできない」

「なぜだ?」

「その子も【アイテムポケット】を持っていた。どんなモノを隠しているか、わからない。それに、そうじゃなくても【初回特典】の【装備】とかもある。油断は禁物だ」

「そ、そうか」

「それに、俺は配慮の塊のような男だよ。ホラ、この体も元に戻しているだろう? 必要以上に、怖がらせないためにさ」


 勇吾と戦うために隆起していたシンの筋肉が、今は元に戻っている。


「それはあまり、関係ない気がする」


 一応、理屈で納得する勇吾ではあるが、その心の持つ抵抗は残った。


「勇吾ぉ。悪りーけど、オイラもそいつに賛成だ。その女も何かしらの【モンスター】を倒してここにいるんだぜい? 生き残りてーなら、いつでも倒す。その心構えぐれーはしておけよー?」(わかったよ)


「じゃあ早速質問に移ろう。キミ、じんない隼人ってヒト、知ってるよね?」


 シンの質問に、女は答える。


「知らないわ」

「嘘だね」


 シンは即座に否定した。


「なんで? 嘘なんて言ってない」

「いいや、嘘だ。俺が当てずっぽうでキミをさらったとでも? さっき聞いていたろう? 隼人くんのライターと同じ匂いがキミからした。しかもライターにはね、キミ自身の匂いもあったんだ。キミが隼人くんにプレゼントしたんじゃないのかい?」


 シンの言葉を聞いた勇吾は、ライオウに、こっそりと話す。


(なあ、どうして三神さんは匂いで嘘がわかることを言わねえんだろうな?)

「そんなの決まってるぜい。そのほうが女に、ストレスを与えやすいかんなー。なんで嘘を見破られるかわかんねーって状況の方が返って誤魔化そうとなんてしねーと思うぜい?」

(……お前、ホントに俺の記憶から生まれたのか?)


 勇吾とライオウのやり取りとは関係なく尋問は続いていた。


「だから知らない。あ、そういえばそのライター、わたしが落としたやつだわ」

「はあ、俺はね。キミの指の骨くらいなら折っても平気な男なんだけどね? あ、そうか。どうせステータスのお陰で『再生』するんだ。腕とか足を切断しても、良いかもしれない」


 シンがいきなり物騒な言葉を吐いた事で、勇吾の持つ抵抗も言葉となってけんげんする。

 

「三神さん、ちょっとやり過ぎじゃねえのか? その人、一般人だろ——?」「おい、お前がそんな事言ったらコッチが『何も知らねー』のバレバレだろ」「——あ、そうか」「——口に出てんぞー?」「——うわ、すまねえ」


 勇吾とライオウの、他の者には見えない口論は、勇吾のセリフだけでシンに伝わったようだった。


「勇吾くん。キミにも溜め息が出そうだよ。まあいい、質問を変えるかな?」


 シンは女に向き直る。


「さっきキミといた『沢口さわぐち』っていう彼、どんな関係?」

「どんなって、恋人よ。あんなトコにいたんだから当然でしょ?」

「でもさ、キミの体からは隼人くんの匂いもプンプンするんだ。シャワーで洗い流しても落ちないほどにね。毎日抱き合ったりしてたんじゃないのかな?」


 女は顔をしかめた。「……悪趣味な犬」

「どうなんだい?」シンは淡々と質問を続ける。


「沢口さんは、客よ」

「隼人くんとの関係は?」

「だからそんな人知らない。ああ、きっと他のお客さんだわ」

「ふうん? 体に匂いが残るほどのお客さんねぇ? じゃあキミをこのまま拘束し続ければ、そのうち予約の電話が入るかもね」

「そんな——」

「嘘で乗り切れば、逃げられるとでも思ったのかい?」


「ちょ——」「勇吾、黙れ」シンと女のやり取りに口出ししようとした勇吾を、ライオウが止めた。


(なんで止めるんだよ? 女を縛っておく時間なんて、俺らにはないのに)

「時間がないからだぜい? この女逃して、隼人を見つける手立て、お前さんにはあんのかよー?」

(でもよ、女にこんな事するなんて)

「もちろんオイラもそう思うぜい? ただよー、オイラにとってはお前さんのほうが大事だ。オイラ自身の命が掛かってんだからなー? ちとワイソーだけど、黙っとけってー」


 一瞬れた勇吾の声を無視して、シンは更に続ける。


「ハッキリ言おう。キミが隼人くんと関係あるのはわかってる。で、俺が望む答えは隼人くんの居場所。望まない答えを言えば、それが嘘でもホントでも、さっき言ったとおりにする。俺の見た目が可愛いからって、あまり舐めるな」


 シンの声色はずっと、同じままだ。しかし、シンと戦った優吾には、その声に込められたすごみが感じられる。それは女も同じであるようで、ファンデーションに隠れていない首の皮膚が、いろせた。


 ——その時である。

 シンの鼻と耳が動いた。


「何故、この場所がわかったんだろうね? キミの。残念ながら、望んだ『客』ではないけどね」

「え?」

 

 公園の入り口には、灰色のスーツを着た男が立っていた。その口周りには少しだけ黒ずんだ赤がへばりつき、上着の灰色や中のワイシャツの白にも、その赤褐色が染みている。


「沢口さん!」


 女は男をそう呼んだ。



 



 

 



 

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