第四話 HELLO VIOLE”T” WORLD !
1 優しくない男。
「え? もう終わり?」「…………」
「……」「ん、んん。はぁ……」
「ち、ちょっと待って! いってる! イってるから!」「ふっ、ふっ! はぁはぁ、ふっ、ふっ、ふっ!」
「どう? 今何本入ってるか、わかる?」「てゆーか痛い。やめて」
この建物の中の密度は、午前中よりも増加している——。
「なんか今日、ココとあの公園を、行ったり来たりしてるだけのような気がする」
「俺もそう思う。他人の
今回はシンも、マスコと同じ音を聴いている。意識を向けざるを得ない。
ここはラブホテルの駐車場だ。駐車場とはいっても、この建物の入り口のある、一階部分の内部にある駐車場。外部の
「
「良いんじゃない?
「うん。ちょっと本気で考えてみよう。一ヶ月も経てば国も、俺みたいな人の事を考えてくれるだろうしね?」
「あ、でも、あんたの耳だけじゃ浮気の
「よし、やっぱりやめよう」
シン達がここにいるのは、
そしてこの捜査に、
「でもさ、シン。あの
「さあ? たぶん落とし物か何かで、返しそびれたとかそんなんじゃない? どうでも良いさ。『隼人くんの匂い』が残っててくれたんだからね」
隼人の持ち物。それは勇吾が自身の【スキル】、【アイテムポケット】にしまい込んでいたものだ。
金属製のライター。それも、オイルではなくて「可燃ガス」を燃料とするタイプである。いつも
というか、しなかった。シンの、ささやかなプライドである。
ライターには、ガスの成分であるブタンや勇吾の
勇吾以外の「二人分の匂い」。
シンはそのどちらかが隼人であると
しかし……。
「うん、無理だね☆」
「うん、あたしもやる前から思ってた」
駐車場には確かに、人間の出す匂いが残っている。しかし、それは無数だ。
当たり前である。こういったホテルの
つまり、人の入れ替わりが激しいのだ。
更に、繰り返しであるが、ここは駐車場。
トルエンなどの、車の排気ガスの匂いが色濃く残り、それが人々の出すどの匂いよりも強いのである。
この捜査は初めから、
「さてと、どうしよう? 隼人くん、決まった住所とかないらしいし」
「それもすごいよね? 家も車も、銀行の口座も、全部他のヒトのものを使ってるって」
「ああ、彼の方が勇吾くんよりもよっぽど『ヤクザらしい生活』をしている」
「ねえシン? もし、その隼人くんを見つけられたとして、どうするの? もしかして、戦うつもり? あたしはやめた方が良いと思うけど」
「それは隼人くん次第だ。勇吾くんの
不安そうに
「あんたはさ、強いと思うよ。
「ふふ、一般人。確かにね。不必要なほど他人を傷つけてきた、ね」
「シン」
マスコはシンの名前を呟いたが、言葉の先を呑んだ。シンの
シンの声を待った。
「俺は生き残らなきゃならないんだ。俺を育ててくれた、両親のために」
「……」
「やっと解放されて、やっと幸せになるハズだった両親のために。死んだ父さんと、そして母さんにとっては、俺だけが『生きた証』なんだよ。本当の息子が生きてるかどうかもわからないからね」
「……」
「俺が生きるのは『義務』だ。権利なんかじゃない。だからそのためには、なんだってやるさ」
「ねえ?」
「ん?」
マスコは、シンの言葉が途切れたタイミングで、きく。
「勇吾くんの手助けをするのはホントに、お金のため?」
「そうだよ? 金の事がなければ『無自覚な悪党』なんて助けない」
「
「ただの
「ホントにそう? 悠月くんはあんたの言葉で、ヒトの痛みを知れたし、世の中を前向きに見れたんじゃないかな?」
「どうだか」
「勇吾くんを手伝うのも、あんたの言う、『その偽善』がホンネなんじゃないの? 『優しいあんた』が、本当のシンなんだとあたしは思う」
「ふふ、ははは。そう思うのはキミだけさ。俺はそうは思ってないけどね」
「なんでそうやって——」
「マスコちゃん、この話は後でだ。『お客さん』が出てくるみたいだからね」
「……もうっ」
タイミングは、待ってくれない。タイミングとは、
この駐車場と同じ
(マスコちゃん、気づいてるかい?)
「うん」
(ふふ、思わぬ収穫だ)
駐車している自動車のうちの一つに隠れて、シンたちはそのカップルを
(あの女性のほう、ライターの匂いとおんなじだ。しかもだ。一緒にいる男性の匂いの他に、『もう一人のほう』の匂いもしている。
「うん」
返事をするマスコ。
シンの言葉は耳に入っている。入ってきてはいるが、その意識は、まだ先ほどの会話に引きずられていた。
(マスコちゃん、良いかい? 俺が『優しくない男』だってトコロを、見せてあげるよ)
「え?」
マスコの嗅覚は、この捜査の最初からシンと繋がっており、今もまだ、繋がっている——その為、シン自身も気づいていない「シンの体が出す
「ごめんなさい。あたしが変なこと
そして、心の一部が繋がっていることで、これからシンが「行おうとしていること」にも気づく。
(早まってなんていないさ。必要だからやるんだよ。それにね、これが俺の本性だ。この姿になってからずっと、ウズウズしていた)
「やめて、お願い。他にも方法があるはずだから」
(あるにはある。でも、時間が少ない。俺は
「そうじゃない。何もしてないヒトたちと、勇吾くんみたいなヒトたち。優先するなら、弱いヒトたちのハズでしょ? あんたなら」
(何もしてないわけじゃないだろう? 今、彼らがこの世界にいるってことは、【チュートリアル】を乗り越えたって事だよ。『自分以外の生き物を殺傷した体験』を経てね。俺たちは、この世界に立っている時点で既に、平等なのさ)
——シンは自動車の影から、自動ドアの前に飛び出した。
もうそこにカップルはいない。駐車場の出口近くに停めてある白い車の方へ、歩いている。シン達に背中を向けて。
シンの爪がアスファルトに当たる音が鳴った。
灰色のスーツを着た男が、その歩みを止める。シンの音のせいではない。
シンのスキルのせいだ。
シンは【
ごっ、という、鈍い音が響いた。
女が振り向くよりも早くシンは、
更に鈍い音が鳴る。
反動で、シンの体が浮き上がった。
「え? さわぐ、ちさん? 『
女に「沢口」と呼ばれた男の顔面は、ちょうど顔の真ん中で、
メキメキ、という音がした。
再生を始めている。【HP】と【耐久力】の効果のおかげだ。
潰れた鼻の穴と歯が砕けた口の隙間から、ひゅーひゅー、と空気が抜けている。
「ああ、死んじゃいないね。ホントは『
「え? 犬!? 大丈夫って、え!? 何!? なんなのよ!?」
振り向いた女は目を見開き、少し小さめの
肩から腰までの肌に密着した、紺色のワンピース。ふわりとしたスカート部分にもその足のラインが浮き出るほど、ガニ股になっている。服と同じような色の靴が、高いヒールの音を鳴らした。
「あ、大声を出されちゃ困るね」
「む、ぐ……!」
女の口周りの肌が、まるで手で押さえつけられてるかのように、つぶれる。
マスコは何も言わない。言えなかった。これ以上何かを言えば、更にシンの感情を
マスコとシンは、精神で会話できる状態のままだ。全て、ではないがシンの感情はマスコに伝わる。しかし、マスコの感情はシンには伝わらない。
そういう仕組みだ。
マスコは当初、この仕組みを
だが、今は逆だ。
自分の言葉がシンに、このようなことをさせた。「優しい」という、シンが一番言われたくない言葉を、マスコは言ってしまった。
シンを思うが
マスコは後悔していた。
だから、自分のこの感情がシンに、伝わらない事に、
伝わったならば、更にシンの行動が、エスカレートすると思ったからだ。
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