3 大西 勇吾 VS【レッサーウルフ】
「……来ないのかい?」
「アンタこそ、来ないのか? 俺に用事があるんだろ? 手助けとかなんとか」
「やっぱり、馬鹿ではないね」
魔物は、「勇吾に付き合う」と言った。しかし実際は、勇吾が付き合うというのが正解である。いきなり目の前に現れたのは魔物の方であり、状況を動かすのは魔物の役目なのだ。
「へへ。隼人から言われたんだよなあ。喧嘩を売るときは、相手から仕掛けてもらえるように売れってさ」
「なるほどね。なら遠慮なく、行かせてもらう」
遠慮なく、と言った魔物はその言葉とは裏腹に、ゆっくりとしたペースで勇吾に迫る。じりじりと、焦らすように、誘惑するように。
——勇吾は動かない。
(こんなに小せえ人間とは、初めてだ。狙いずれぇ)
「だから言ったろー? 『狙って人間をやめてる』ってよー」
ライオウは、落ち着きを取り戻し、元の口調に戻っていた。
勇吾は空白のような、止まってはいない、この時間を好む。
自分の周りを円を描くように動く者もいたし、今の魔物のように、真っ直ぐに近づいてくる者もいた。いずれにせよ、自分の間合いに入った瞬間に、迎え打つ。
自らの動きは見せずに、相手を
外部の時間と勇吾の時間は、反比例、していた。普段とは比べ物にならないスピードで回転する、頭の中身が心地いい。
勇吾の体重は、後ろに引いた右足の
たとえ、先に仕掛けるのが相手でも、自分が先に、攻撃を当てる。それだけだ。
だから待つ。
魔物が近づく。
まだ待つ。
——急に、魔物の時間が早まった。間合いの半歩前まで距離が縮む。
勇吾の右足が地面を蹴り、その
真っ直ぐに伸びた左足を軸に、半時計回りに
それらの動きは一つの時間で連動される——。
魔物が跳び上がるのも、同時だった。
勇吾が繰り出そうとしたのは、下段の右回し蹴り。蹴った動きをそのまま直線的にぶち当てるものとは違うタイプの、ローキック、である。膝を曲げる分、手順が一つだけ多い。
勇吾の攻撃は、予測されていた——体の小さな魔物に、勇吾ができる攻撃は限られる。正面からか、横からか、そのどちらかの低い蹴り。
だから、魔物は跳んだ。少しだけ
勇吾は
——勇吾も、予測していたのである。「気絶させる」という
勇吾には、魔物の動きがスロー再生のように見えていた。この、一瞬のやりとりが。
勇吾の右足が、魔物の左脇腹に吸い込まれる。
——瞬間、遅れた時間は元に戻り、魔物はサッカーボールのように弾き飛ばされた。
(なに!?)
コマのように回転した勇吾は自然と魔物の方へ向いている。
自分の脚が魔物を弾き飛ばしたように、見えた。
しかし、手応えがない。
魔物の体は、勇吾の蹴りが当たる直前に、空中で軌道を変えていたのだ。
「……何をした?」
「
「なぜ?」
「負けないためさ」
(どういうことだ?)
「勇吾! アイツはお前を
(スキル? わけ、わかんねえな。まあ良いや。ライオウ、解説は良い。余計にわからなくなるからな)
勇吾は魔物に言う。
「アンタ、そんなサービスしてくれてもよ、 俺のやることは、変わんねーぜ?」
「そう言うと思った。俺も良いモノを見せてもらったよ。キミ、『テコンドー』も使うのかい?」
勇吾の、右脚が前に出た「スイッチされた構え」を見て、魔物の方も言った。
「そんなもん、習った覚えはねーな」
とは言ったものの、勇吾には心当たりがある。
通常、蹴りを放つときは、軸足の膝が「伸びる」ものだ。蹴りの勢いを殺さないようにすれば、自然とそうなる。空手のように膝を一度
だが、勇吾は昔、観ていた。隼人が自分以外の者と組手をしていたときの、その蹴りを。隼人の蹴りが相手に当たる瞬間、軸足の膝が折れ曲がったのだ。
一度
隼人に
「ああなるほど、コレのことか。ただのマネさ。隼人のな」
先ほどから勇吾は、魔物が、隼人を知っている
「ふうん? まあなんでも良いか。そしてもう、サービスはなしだ。一気に仕留めに行くよ? ここまで自分の手の内を
「『負けないため』ってそういうことか? ハナからそんなこと、言う気はねえ」
「それを聞いて安心したよ。俺はフェアが好きなのさ」
「なんだよ。結局のところ、
「まあね。ていうか、さっきから言ってるだろ? 自慰行為ってさ」
「ふふ、違えねえ」
「じゃあ、行くよ!」
魔物は、再び動いた。今度は歩き、ではなく、走って、だ。
(なんのつもりだ?)
魔物が走る方向は、勇吾に向かってではない。勇吾の周りをぐるぐると。
勇吾は、混乱した。
ボクシングをやる者などが見せる、相手の周りを「円を描くように」回る動き。それは、その動きで相手を動かすため、
魔物の動きもそのためのものであることに、疑いの余地はない。「仕留める」と言っていたのだから。
ただ、速すぎる。
これでは自分も攻撃できないし、方向転換をして、惑わすこともできない。
——何が狙いか。
「勇吾! きっとアイツのスキルは——!」(うるせえ!)
勇吾は、自分の体の向きを魔物へ向け続けることに、精一杯だ。
と、不意に、右腕が後方に引かれる。勇吾の姿勢は少し崩れた。しかし、持ち直す。
「ふふっ! 体重を増やしても、まだ足りないか!」
走りながら魔物は笑い、そして更にスピードを上げる。
勇吾はわけがわからない。
これだけ走ることに専念したのなら、魔物も急には飛びかかれない。もう、体の向きを変えて魔物を追う必要もない。
首と目だけを動かして勇吾は、魔物の動きを追う。
——左腕が引かれた。
今度は前方に。いや、左の下方向に。
(踏ん張りが効かねえ! いや違う! 踏ん張れねえ!)
勇吾は大きく前に、姿勢を崩す。
左足を出して、バランスを取る。
そのまま左腕を横に引かれる。魔物の時計回りの動きに合わせるように、前方を経て、右に。
勇吾はやっとの思いで、自身が
「はははっ! 頑張るね!?」
また右腕が引かれる。ナナメ後ろに——。
右足を下げて持ち直す。
前に引かれる。
後ろに引かれる。
魔物の方は、スピードを増す。
そして
(くそっ!)
勇吾は両手で体を持ち上げて、再び立とうとする——だがその前に、魔物が勇吾の背中に、乗った。
重くはない。しかし背中に、強い
「さてさて? このまま締め落とさせてもらうよ?」
「ぐ」
勇吾は首に力を入れた。
「安心しなよ? 俺は殺さない。キミを失神させるだけだ。【経験値】は、頂くけどね」
「かっ」
勇吾の上体を支えていた腕は崩れ、勇吾の胸が、地面に落ちる。首から上だけが後方に向けて持ちあがり、あごの先が空に向かって
「何故俺がキミを転ばせられたかって? うんうん。教えてあげよう。俺はお
勇吾が応えていないのに、魔物は勝手に喋り続ける。
「格闘家って、
「!」
「そして、さっきのキミの『後屈立ち』は、重心を
「————」
「人間ってのはね。二本足である時点で、とても不安定なんだ。俺はその二本足の『三角点』に向かって、力を加えただけ」
(さ、ん、かく、てん?)
勇吾の意識が、薄くなってゆく。
「ふふ、わかっちゃいないか。ところでどうだい? 気持ち良くなってきたろう? 大丈夫さ。すぐに起こしてあげるから。それまで、おやすみ。良い夢を」
魔物の声はもう、勇吾には聞こえていない。
勇吾の視界は、黒いのか白いのか、判断のつかない世界に、
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