2 自慰行為。

 ゆうは今、自分の目の前にいる魔物のことは、何も知らない。その名前も。

 だが、知らないが、知っている。

 自分の好みのタイプの「男」だ。


「おい、聞いてんのかよ! 死ぬぜい?」


 勇吾にしか視えない【ナビゲーター】ライオウが、勇吾に向かって言う。


(悪いな。


 ——勇吾は空手が好きだった。特に好きだったのは、試合だ。

 試合の相手は当然、自分と同じく空手を使う人間。だから、勇吾の使える技は、相手も使える。

 そんな「まだ見ぬ相手」と戦う為に、道場の師範である叔父や、他の道場生などと協力しながら準備をする。勝つ為だ。

 普段の組手とは違う、試合用のスパーリングを繰り返し、吐き気をもよおすほどに酸素を失いながらも、ミットを叩き続ける。家に帰ってからも、もくそうし、試合中の自分を強烈にイメージする。早起きして、基本である型や素振りなども朝食の前に済ませる。フォームを崩さない為だ。 

 そうして自分と仲間とで作り上げた「大会用の自分」が通用するのか、それも含めた今までの積み重ねを如何いかはっするか、「試す」わけである。

 対戦相手に対して、憎悪とか、そういった感情はない。ただ勝つ為に、稽古をし、試合をするのだ。

 それがこの先の稽古にも繋がるし、自身の人生の、大きな経験値にもなる。それが、強さに繋がる。

 勇吾にとって、空手自体が強さを得る為の稽古だったのだ。


 でも辞めた。隼人との遊び、特に「喧嘩」にどっぷりとハマった。隼人のせいだけではない。

 

 基本的に、喧嘩の相手は素人だ。相手が何をしようとするのか、二度三度経験した者なら、大体わかる。帯が「茶よりも上」の者であれば、尚更なおさらだ。相手に何もさせずに封殺ふうさつできる。


 ただ、勇吾がハマった理由はソレではない。


 一方的に相手をじゅうりんするのは、勇吾の好むところではない。それどころか、けんするのが勇吾という男だ。

 しかしたまに、「何をしてくるのかわからない怖い奴」と出会うことがある。それが、たまらなく嬉しかった。

 

 まるで、隼人との組手のようだ。

 その相手に勝つと、勇吾は更に喜びを感じ、自分自身を理解し、そして理解してもらえた気分になれる。


 勇吾も多くの人間の例にもれず、人には言えない「心のゆがみ」を持っていた——。


「『やりてえ』って、わかってんのか? 相手はたぶん、『狙って人間をやめてる』んだぜ? お前が今まででやってた奴らとは違うんだ!」

(おい、さっきまでの余裕そうな口調はどうしたよ? 。邪魔しないでくれ)


 勇吾は感じた。真っ赤に染まった頭髪のもとの奥にある、がいこつの内側に、血液がわたるのを。でも、「熱くなってはいない」。


「どうしたんだい? 固まって」

「ああ、すまねえ。俺があんたと『やりてえ』って言ったら俺のナビ、あせっちまってよ?」

 

 勇吾のセリフに、この狼の魔物は焦らずに返す。


「そうなのかい? 俺はキミとはやるつもりはないんだけどね。ぎぬを着せられそうなキミの、手助けをしたいと思って、ここにいるんだよ」

「あの話を盗み聞きしてたのか? だったら、なおさらタダでは済まされねえな」


 勇吾は構えたままだ。そんな勇吾を再度、ライオウが止めようとする。


「おい勇吾、聞いてくれ! あの【レッサーウルフ】は本来、頭の悪いモンスターだ! なのに、! 魔物の五感と人の知能を両立するために、【知力】の大半を持ってかれるはずなのに!」

(あ? どういうことだよ?)

「だから! 頭が元々すげー良いか! 【レベル】が『高え』ってことだよ!」

(つってもよ? 所詮それはお前の感想だろ? やっぱやってみなきゃ、わかんねえさ)


「またナビと相談かい? できれば、戦わない方向で進めて欲しいんだけどね?」


 魔物は不敵に言った。その口調は、挑発的ですらある。


「俺のナビはそうして欲しいらしいけどな。でも俺としては、

「ふふ、やっぱり、やめてはくれないか」

「ああ」


「ところで、良い事を教えてあげよう。実は【経験値】は相手を殺さなくても良いんだよ。しっしんとか、そういう『戦闘が不可能な状態』に追い込めば、それだけで経験値は手に入るそうだ。まだ、誰にも試してはいないけどね」


 魔物は話題を変えた。


「そうなのか?」


 勇吾は魔物に、ではなく、ライオウに尋ねる。


「……ああ。もし教えたらお前さん、『黒岩』にも、そのこと教えるだろ? そしたらよ、たぶんお前、

(社長がそんなことするわけねえだろ)


「ナビゲーターに確認は済んだかな?」

「ああ、つーかよ、アンタ。俺たちのやりとりが見えてんのか?」

「いいや。なんとなく、そんなカンジに見えてね」

「また『なんとなく』か? まあ、俺は馬鹿だから仕方ねえか。それより、そんなこと俺に教えて『手加減してくれ』って話か?」

「それも違うよ。『俺が』手加減するんだ。キミにね」 

「なんだと?」

「俺みたいなあしの生き物は、首が強い。こんなキュートな生き物でもね。そして……」


 言葉を続ける魔物の体に変化があった。全身の、特に首から肩、そして胸にかけての筋肉がもりもりと膨らんでいく。


「何をしてる?」

「【力】のステータスを肉体に反映させたんだ。【HP体力】を消費してね。殴られても脳みそはさぶられづらいし、締め落とそうとしても、キミは苦労するだろう。だから、『殺すしかない』。キミは俺をね」

「何故そんなことをする?」

「負けたくないのさ。負けたくないから、こうする。おかしいかい?」

「わからねえ。けど、わかった。アンタ、手加減するとか言って、ホントはホンキだろ?」

「だから言ってるじゃないか。『負けたくない』ってね」

「面白え」


 勇吾は自身の脳に、更に血液がじゅうまんするのを感じとった。それは妄想もうそうである。しかし、優吾にとってはただの自覚なのだ。


 脳がじゅうけつし、ぼうちょうし、そして勇吾自身を放出できる瞬間を、願っている——勇吾はその黒い欲求を、自覚していた。


「こんなに可愛い動物に、そんな目を向けるなんてね」

「どこが可愛いんだ? 今のアンタ、『土佐とさけん』みたいだぜ?」

「土佐犬だって、可愛いじゃないか」


 勇吾の姿勢はずっと変わらない。ステータスによって【耐久力】が強化されているからではない。単にこの姿勢に、この構えに、慣れているだけだ。

 しかし、その静かな肉体とは裏腹に、勇吾の「たかぶり」は、エスカレートしていく。


「さて、らすのもそろそろやめにしよう。付き合ってあげるよ。キミのその、『自慰じいこう』にね」


 自慰行為、という言葉で勇吾の目は、細くなり、口の端が、わずかにあがる。

 魔物の方も、口の端が引かれ、裂けたように見せていた。



「ふふふ、覚悟は良いかい? さあ、







 

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