3 陣内 隼人。
現在、シンとマスコは、ビルの前に立っていた。ビルと呼ぶにはピンク色の塗装が目立つ、
その中から聞こえる人々の声が、
「うわ! 一時間もオーバーしてる!」「ええ? でも大丈夫なんでしょ?」
「ねえ? すごく大きくなってる。……触って欲しい?」「お前がそうさせてるんだ。それよりも俺が、お前を触りたい」
「ちょっ! シャワー浴びてからにしましょ?」「待てるワケねえじゃん。わかってんだろ?」「いや、ちょっと!」
「そろそろ入れる?」「ん……」「すげぇ、かわいい」「ねえ、あんまりそういうこと言わないで、……恥ずかし、ああっ」
マスコはシンに向けて言う。
「……ねえシン? 『気になる声』って、もしかして、ココのこと?」
シンはマスコに今、聴覚を
「違う違う。そのとなり」
シンが「気になる声」を聞いたのは先程、自宅の近くにある公園で、スキルの練習をしていた時である——。
「結局、あのお兄さんに良いトコ全部持ってかれちゃったよね? あ、カッコ悪いとは言わないよ? あたしはちゃんと、わかってるから」
「はは、お世辞でも、言ってもらえるだけマシかな? あ、そうだマスコちゃん、『例の申請』どうだった?」
例の申請、それは「ゲーム参加者の年齢」をどういった基準で決めているのか、その明確化と、その基準の引き上げである。シンは、
「とりあえず、選定の基準は少しだけ『オープン』になったよ。【知力】以外のステータスも含めて選んでるみたい。あと、ごめんなさい。選定の基準の引き上げとかは、ダメだった。なんかゲームが『盛り下がるから』、とかなんとか」
「盛り下がる、か。なるほどね。まぁみんな、
「うん、あたしもそう思う。それと、他にも通知が来てるよ。聞く?」
「ああ、頼むよ」
プレイヤーに、「運営からのお知らせ」を伝えるのは、マスコたち【ナビゲーター】の仕事である。プレイングに支障をきたさないための
「『緊急アップデートのお知らせ! プレイヤーからの申請により、一部のスキルの仕様を変更しました!』だって。シンに関係ありそうなスキルは……ない! あ、ちょっと待って? 【毒合成】の仕様が大幅に変わったみたいだよ?」
運営からの通知の内容に限って、全ての情報をナビたちは、
「緊急アップデート。……ねえマスコちゃん? 申請した俺が言うのもアレだけど、このゲーム大丈夫? 二日目にアップデートとか」
「大丈夫じゃないと思ってるよ、あたしは。最初から」
「おいおい。でも良いのかい? たしかプレイヤーに関係あるヤツしか教えちゃダメなんじゃ?」
ナビはプレイヤーに肩入れしすぎると、ペナルティを受ける。シンはマスコから、そう説明されていた。
「良いの良いの。シンは『毒』耐性を持ってるんだから、関係ありありでしょ?」
「ふーん? まあ変更の内容は訊かないことにするよ」
「え? なんで?」
「またお話が長くなりそうだからね。ナビゲーターに嫌われたくはないのさ」
「自覚あったんだ?」
本当は別の理由でそう言ったのであるが、シンはそれを呑み込む。シンは独特な感性の持ち主ではあるが、たとえ近しい者に対してでも、聞かれたくない本音はあるのだ。
「今、心の中でなんか言ったでしょ? ああ、だから普段は口で喋ってるんだ。本音を聞かれないために」
「そういうことさ。まあ悪口とかじゃないから安心してよ? それよりも、そろそろこの公園を出よう。『気になる声』も聴こえたことだしね」
「気になる声?」
——そして、今に
「マスコちゃん。どうやらキミも『人間』なんだね」
「は? あたしのドコを見てそう思うワケ?」
「人間は同時に複数のモノを意識しづらい生き物。この前言ったろ? 俺はコッチの建物、キミはラブホテルから聴こえてくる音。聴覚を繋いでる今は、『同じ音たち』が聴こえてるはずなのにね? これ以上の説明は、セクハラになりそうだからよしておくよ」
「だったら、今の説明も心の中にしまっておいてよ」
「ははは、ゴメンね? さて、それじゃあ、『コッチの建物』に意識を向けてみようか?」
「佐藤商事」と看板を掲げる建物の二階。そのフロアから聴こえる「音」に、シンとマスコは集中した。建物の壁を通った音や、反射を繰り返しながら出てきた音。様々な音たちが二人に、色々な情報をくれる。
それに加えて「匂い」もシンの
——建物の二階には、複数名の男達。事務所の中にいるのは四名。そして、その部屋のドアの外に立っている者が一名。計五名である。
「なあ
「は、はい。俺は、何も、知りません」こちらの男は、セリフのわりに声に張りがある。
「勇吾」と呼ばれた若い男は、正座をしていた。シンにその姿は見えないのだが、優吾を見下ろすような「高い声の主」により、そう
勇吾の両脇には男達が二人、勇吾を挟むようにして立っていた。その二人も勇吾を見下ろしている。
「じゃあよお?
勇吾もそれに応える。「いえ! それは違います!」
「ならどうしてだ?」
「だから、俺は——」
その時、事務所のドアが開いて、外にいた男が入ってきた。
「おう
「あ、アニキ!」声の高い男、「黒岩」は焦りの混じった声で言った。
黒岩は、勇吾の頭から自分の顔を
「ご苦労様です!!」すかさず、勇吾の両脇の男達が、今入ってきた「アニキ」に向かって大きく声を出した。
黒岩が
「お前は俺に、
「し、失礼しました。ご苦労様です」
「おう、ご苦労さん。それで? お前さん
「
「いや
「山本のアニキ」は勇吾の右側の、自分と一番近い位置にいる男、「佐藤」に言った。
「いたします、だろ? 今は令和だぜ? そんな古臭え
「申し訳ありません。今朝、社長がこの事務所に来た時、金庫の中身を確かめたのですが、そこに入っていたカネが、無くなっていたんです」
「ふーん。わざわざ金庫にしまってたのか。銀行にカネを預けることなんて、お前らを使えば
佐藤は更に続ける。「はい、俺と
「ほうほう。その後に黒岩が出てきたワケだな? まあこんな奴でも一応は社長だ。当然と
「……」
佐藤は黙った。自分達の社長が「こんな奴」呼ばわりされて、「ハイ、それで」と話を続けることはできない。
山本はまた、黒岩に向く。「黒岩。それで、金庫の中身がないことに気づいたお前は、なんでこのニイちゃんを疑ってるんだ?」
「いえ、コイツがやったとは思ってません。ただ、この加藤が、コイツの連れの仕業かもしれない、と言い出しまして」
「ほう? 加藤、説明してくれるか?」
山本に呼ばれた「加藤」は、二歩左にずれて、山本の見やすい位置に、移動した。
「へい。あ、いや、ハイ。勇吾……、大西は普段、電話番なんかをさせてる奴なんですが、コイツの知り合いでフットワークの軽い奴がおりまして、ソイツの仕業だと思ったんです」加藤は山本よりも、野太い声で話す。
「なるほど。まあ俺や黒岩みたいな『
「はい、コイツもただの『正社員』です。それでコイツの連れ、
「へえ? 聞いたことねえ奴だな」
「はい、陣内はいわゆる『半グレ』です。街のガキどもをまとめ上げているそうなんですが、アイツ自身はトップを名乗ってはいないので、この街で何か起こっても、アイツの名前が表に出てくることはありません」
「なるほどね。俺たちみてえなことをしやがる。で? なんでそんな奴がココに出入りを?」山本の声は心なしか少し、楽しそうだ。
「実はソイツ、大西と
山本の声は黒岩へと戻る。「黒岩、お前はソイツのどこが気に入ったんだ?」
「は、はい。アイツは頼まれた仕事はなんでもやります。
「ありません、だろうがまったく。まあ良いや。ソイツの
「アイツは自分の
「くくく。具体的に?」
黒岩の話を聞いた山本は、その口元に
黒岩は続ける。「アイツは、自分のグループのガキどもだとかスケだとかでも構わずに、平気で『ジギリ』をさせます。そしてジギリさせられた奴らも、自ら進んで罪を被るのです。たとえ
「まるでチャイナの奴らみてえだ。よほど人望があるらしい」
山本が言った「チャイナ」という言葉。
それは国家とか人種を指したものではないことを、シンは感じ取った。自分達と同類の者達を、カテゴリー分けした言葉の一つである。山本が知る中での。
「ヤツがチャイナと違うところは、ワザとそういう証拠を残すことです。
「そうだろうな。だからお前さんも『下の名前』で呼んでいたんだろ? 『隼人』ってよ? よし、隼人がどんな奴かはわかった。で、加藤。なんでお前はソイツがやったと思うんだ?」
「はい、実は……」
山本に、再び話を振られた加藤は、それに再び応えた。最初から姿勢をずっと変えない勇吾は、床を見つめながら歯を食いしばり、ただただ話を聞き続ける。
そして、同じく外から男たちの会話を聴き続けるシンは、犬や狼のそれとは違う舌舐めずりをした。
新しく買ってもらったビデオゲームを起動したばかりの、子供のように。
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