5 境界の科学。

 シンのちょうかく。それは六マイル——メートルでいうならば10キロメートルほど離れた遠くの音も、にんする事ができる。人が多い、そんな街中であったとしても、数キロメートル程度の距離ならば聴くことができる。

 しかし、シンには今、自分と少年の出す音しか聴こえていない。


 ——自分と少年の音にしか、


 この戦闘を遠まきからながめている「観客」も、そうだった。

 車道では自動車が。

 ドラッグストアの店内からはBGMが。

 自分達からは、息や、洋服と上着がこすれる音、そしてせきの音なども出ているはずなのだが、誰一人としてかくしていない。

 ただ、それぞれの者が共通して「かく」している事があった。


 ——自分は今、この戦いに夢中になっている。


 さながら、コンサート会場だ。で演奏する二人はなおも、手を休めない。


「ああ、イライラするなぁ。いいかげんにさ、しんでよ?」


 少年はいらっていた。自分の攻撃がシンに、当たらない。


「ははは! キミは『指揮者』じゃないんだ。俺がキミの思い通りになってやる義理ぎりは、ない!」


 そう言うとシンは、この戦闘が始まってから初めて、


 ばきんっ。


 少年の背後にあるはたが、音を立てて折れた。ドラッグストアの駐車場と歩道の境い目に並ぶうちの一本だ。

 少年は、その音が鳴った方へ、顔を向ける。


「ヘイヘイ! よそ見なんてしている場合かい!?」


 じゃっ。


 今度は少年の足下あしもとのアスファルトに、猫が爪でいたような傷が、数本ついた。


「おまえ、ナニしたの?」

「教えるわけないだろう? コレが俺の攻撃だよ。ちなみに俺は、外して『やっている』んだ。優しいだろう?」

「……ああ、くそ。まじで、マジでイライラする!」


 少年は両腕を前に突き出す——そして右手の平を上に、左手の平を下に向けて、くいっと両手首を曲げた。


 シンの背後に二体の髑髏が現れる——。


 シンは三メートル程の高さまでちょうやくし、空中で後ろに向かい、宙返りをした。


 髑髏たちの吐き出した攻撃が、アスファルトを焼く。


 髑髏たちの更に後ろに着地した。


 髑髏が消える。


「ああ! なんでだよ!? なんであたんないんだ!!」

「その髑髏を操るときに両手を動かすのは『そういう武器』だからなのかな? それともたんに、キミが扱い切れてないだけなのかい?」

「うっ……!」


「その反応だと、おそらく後者か。人間ってさ、同時に色々なことは、考えられないようにできてるんだ。どんなに頭が良くてもね」

「うるさい!!」


 少年はまた、髑髏どくろを出現させる——シンはそれもかわす。


「だからキミは、その武器を、二つだけに絞っている。違うかい? 本当はもっと沢山、出せるんじゃないのかな? それでも手がだ。ふふ、とても大変そうだね?」

「ああああああっ!!!」


 シンは尚も躱す。


「攻撃をけるのは簡単だ。キミの手と、そして目を向けた方向にさえ気をつければ、簡単に避けられる。たとえ髑髏をその時その時で、出したり消したり、していたとしてもね」

「うるさいうるさい!」


 かわす。

 かわす。


「だまれだまれだまれ!!」


 かわす、かわす、かわす。


「あたれあたれ、あたれ!!!」


 当たらない。


「ところでさ。キミが攻撃した場所、ちょっと見てごらん?」

「……え?」


 シンの言う、少年が攻撃した場所。それは地面の事だ。高熱にさらされた二層のアスファルトが所々融けている。その下の、じゃしゅつしている場所もあった。

 ——だ。

 

「駐車場がこんなになるなんて、凄い温度だよね? とても熱そうだ。キミは俺や、さっきの店員さんに、コレを当てようとしてたんだぜ? 何か言うことは?」

「いうこと? そんなの、ナニもない!」

「はあ……更に言おう。キミのその『ドクロ光線』。どうやらあるのは熱だけで、圧力とか衝撃とか、はないみたいだ」

「ねつ? いりょく?」

「おそらく光の向きをイジッてるんだろうね。光が全部、俺に向かってくるから黒く見える。まさに、境界の科学フリンジ サイエンス、だね」


 白い光が見える時、それはその光を、目に受けた時だけだ。


「ふりんじさいえんす?」

「キミが自分で言ったんじゃないか。まさか意味を知らないとか? スマホとかで調べなよ?」


 シン達のやり取りを見ていた者のうちの一人が、自分のスマートフォンを操作し始めた。周りよりも一際ひときわ体格の良い女性である。


「スマホもってない」

「なるほど、じゃあ後で、図書館にでも行って、辞書で調べてみると良い」

「めんどくさ」


 少年の攻撃はすでに止んでいる。シンの言葉に、夢中になっている。

 攻撃よりも、言葉に。


「それとね。今はこんなナリをしてるけど俺、元々、けっこう体格の良いお兄さんだったんだよね。【力】のステータスはその時のものが、反映されている」

「だからナニ?」

「これからは、キミが俺を攻撃するたびに、キミの骨を折る。俺のパワーならキミのもろそうな骨なんて一発さ。前脚まえあしを狙ったなら腕を、後脚うしろあしならキミの足、みたいなカンジでね」 

「ほ——って、え!? おる!?」


「ああそうだ、いきなり頭は狙わないでくれよ? 首を折ったらたぶんキミは死ぬし、図書館にも行けなくなっちゃうからね?」


 シンの言葉で青ざめたのは、少年だけではない。遠まきから眺めている人々も、ざわついていた。


「い、イヤだよ!」

「大丈夫さ。【HP】と【耐久力】のおかげで、折れた骨はすぐに治る」

「そ、そうじゃなくて! な、なんでそんなことするのさ!?」

「キミが他人の痛みを考えようとしないからだよ。ちなみに俺はけるけどね。熱いの嫌だし」


「そんなの、ズルい!」

 

 シンは「どの口がそんなことを言うんだ?」とは言わずに、言葉を続ける。


「そう、大人はずるいんだ。大人と『喧嘩する』ってことは、こういうことをうんだぜ?」


「うう……」

「さあ、まずはどこからだい? いつでも良いよ? かかって来なさい!」


「もういい! わかったよ!」


 少年の目には涙が浮かんでいた。くうの奥では、鼻水はなみずの量も増加している。

 

「何が『もう良い』のかな? それに、なんにも良くない」

「もう! ぼくにどうしろっていうの!?」


 シンはパンツの中から煙草たばこの箱と、ライターを取り出した。「観客たち」には、宙に浮かぶ箱から一本の煙草が飛び出して、シンの口元に移動しているように見えている。


 シンは煙草を口にくわえて、ライターの火を、しゅっとつけた。

 ふぅーっと白いけむりを、口から吐き出す。


「ねえキミ、名前は?」

「え? く、窪塚くぼづか。窪塚悠月ゆづき

「悠月くん、良い名前だね。それでね悠月くん。キミのお父さんとお母さん、どんな人なのかな?」


「おとうさんはいない。おかあさんは……おかあさんは、やさしい」

「へえ? どう優しいの?」


「おかあさんは、あさにしかウチにいないんだ。でも、でもね? まいにち、ぼくのために、ごはんをつくってくれる。よるのブンも『つくりおき』してくれるんだ」


「ご飯を用意してくれるのが『優しい』のかい?」

「そうじゃない! おかあさんはいつも、いそがしいんだ。ぼくがまだよわいから。だからぼくは……ぼくは、じぶんのホシイモノは、じぶんで。そう、じぶんでてにいれなきゃならないんだ」


「お母さんが、そう言ったのかい?」

「ちがう。さいきんウチにくる、しらないおニイちゃんが、そういってた」

「なるほどね。じゃあさ、俺がお母さんを傷つけたらどう思う?」

 

 ——悠月は目を見開いた。


「ぜったいにゆるさない!!」


「ふふ、良い返事だ。でもね、キミがさっき傷つけようとした店員さんも、お母さんと同じなんだよ?」

「おなじ?」


「お母さんと同じでお金を稼ぐために、必死で働いてるんだ。その人をキミは『ぶっコロす』とか言ったんだよ? 『ナマイキ』って理由でね」

「……」

「それにね。お店の物をさ。お金を払わないで持って行くのも遠回しに『ぶっコロしてる』のと同じなんだ。僕らはお金が貰えないと、生きてはいけないからね。キミなら、わかるだろ?」

「……うん」

「うんうん。やっぱりキミは、頭が良い」


 シンは悠月の返事を聞いて、満足げに頷き、ドラッグストアの自動ドアの方へ、顔を向けた。

 

「店員さん! もう良いよ! ちょっとこっちに来てくれ!」


 店員は呼ばれてすぐに、シン達のもとへ駆けてきた。


「も、もう終わりましたか?」

「見ての通りさ。さあ、悠月くん、店員さんに言うことは?」


 シンは悠月に向き直る。


「ごめんなさい」

「店員さん。彼もこう言ってるんだ。お代は俺が払うから、おおに見てあげてくれないか?」


「ええ? そう言われましても……」


 店員は悠月に、殺されかけたのだ。簡単に納得できるわけがない。


「甘いのはわかってる。でもさ、頼むよ?」

「……ところで、当店はこの駐車場も含めて、敷地内は禁煙なのですが……」

「ああ、ごめん」


 店員に言われてシンは、パンツから携帯用の灰皿を取り出し、そこに吸いかけの煙草をじ込んだ。


「それで、どうだい? 許してあげてくれ——」

「無理です」

「——え?」


「自分はこの店のオーナーではないので、詳しい金額は言えませんが、店の看板の修理代と、駐車場の工事費用は、払って頂かなければ」


「……嘘? マジで?」

「マジです」


 戦闘中は冷静であったシンではあるが、金の話になると、かなり動揺していた。もっとも、人間が狼の気持ちをその表情から読み取れるはずもない。狼と心が繋がっている者がいたのならば、話は別だが。


(うわ、やっべ! マスコちゃん、どうしよう!?)

「ええ? それも含めて戦ってたんじゃないの? 少なくとも旗のほうは、シンが折ったんだからね?」


 シンが介入しなければ、出なかった被害だ。店員が自分で悠月に対応できた可能性もある。あくまでも可能性の話ではあるが。


(くそ! 考えが甘かった!)


「もちろんアナタが払う必要はありません。この子のおやさんに請求しますよ? そういうわけで、完全になかったことにするのは無理です。さっき警察に電話しました。もうすぐ来るそうです。遠まきに見ていた誰かが通報してくれたみたいで」


「ぼくんち、おカネとかないんだけど……。イヌのおニイちゃん、どうしよう?」


(どうしようだって? うう、たしかに、この子のごうとく、なんだけど……うう……くそ! そんな目で見ないでくれ!)


「どうするの、シン? あたしはこのまま帰っても悪いとは思わないけど、ただ『カッコ悪い』とは思うかな」


(そ、そうだ! きっと戦いを観てた人たちの中に、良心的な人もいるはず……!)


 シンはチラッと歩道に、目を向ける。そこには通行人が数人、歩いているだけだった。先程まで、遠まきに見ていた人たちは、もういない。


(……がらい世の中だ)


 シンのしっは地面に向かって、しゅん、と垂れ下がってる。

 そして、マスコもしんそこ、申し訳なさそうにシンに言った。


「ごめんなさい。あたしには、どうすることもできない」


 何かに介入する。

 それは、最後まで責任の取れる者だけに許された行為である。この世の中では。




 第一話 UNWANTED DAWN. 終わり。


 

 

 

 

 

 



 

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