3 髑髏。

 ブォォォォォン。


 車道を走る自動車の垂れ流す排気ガスが、シンたちの歩く歩道にこぼれる。 


「遠くからでもくさいけど、近くでぐと、また格別に臭いね。このにおい」

「ちょっと、きゅうかくを繋がないでくれる?」

「冷たい事言うなよ。俺たちは一心同体だろ? キミも慣れておくと良い」

「なんであたしが慣れなきゃなんないのよ」


 シンは狼のモンスターだ。実際の狼の例にもれなく、嗅覚と聴覚が人間よりも優れている。

 しかし、それはあくまでも「嗅ぎ分ける」能力が高い、というだけだ。

 視力のすぐれている者が、より光をまぶしいと感じるわけではないように、外気に普通に混じっている匂いを必要以上に強烈に感じることもない。


 だが、臭いものはやはり臭い。


 シンの視力は、人間ヒトの時のままで、二、三十メートルくらい離れた距離でも、普通に視認できる。色覚も、問題ない。

【知力】をつかさどるステータスが関係している——脳の受け皿を、ステータスが補っている——だから自分は、人間ではない身でありながら人間の思考を保っていられる、とシンは解釈していた。


「ところで、この前聞かなかったけど、なんで【転職】じゃなくて、【転生】しちゃったの?」


 マスコが言う「転職」とは、、職業を変更できるようのことである。その者が実際に付いている職業が初期の【職業ジョブ】で、本来ならば【レベル】によってできる仕様なのだが【チュートリアル】では特別に、一度だけ変更できた。


「なんでって?」

「だって、転職しても元のお仕事は【称号】として残るし、モンスターは武器とか【装備】できないから」

「他の人たちと『戦う』なら、たしかにその方が良いかもね」

「あ、地雷踏んだ?」

「いやいや、そういうつもりで言ったわけじゃない。俺が『狼』になったのは、ただの思いつきだよ」

「思いつき、か。あんたのことだから、何か考えがあったんだとは思うけど。でもさ、戻れなくなるとは思わなかったの?」

「今思えば気づくべきだったんだけど、ほら俺、おちゃだからさ」

「……」

「……」

「まああんたがそう言うなら、あたしは別に良いんだけど。てかそろそろ、口で喋るのやめたら?」

「なんで?」

「みんなジロジロこっちを見てるよ?」

「ああ、それは放し飼いされた犬が、堂々と歩道を歩いてるからだよ。一匹だけでね。つまり、まったく問題ない」


 人々がシンをジロジロ見ている理由。

 それは、犬が「日本語」で言葉を話していることである。

 マスコは気づいている。

 シンは気にしていない。


「ところで、なんか筋骨きんこつ隆々りゅうりゅうとした人達が多い気するんだけど」

「ステータスを肉体に反映させてるだけでしょ? あんたもやってたじゃん」

「アレはステータスの上昇率を探る為にやったんだ。あのオバさんも、そうだと思うかい?」


 シンたちから少し離れて前方から近づいてくる女性の、グレーのロングスカートから時折ときおりのぞくその足は、ソックスの上からでもわかるくらいに太く、そして、えんいろのカーディガンの下に隠れた肩の部分も、首が短く見えるくらいに、もっこりとしている。


「俺が気になるのはね? 何故、あの年頃の女性が『ああいった体型たいけい』にロマンを感じるのかってことなんだよ。俺の知り合いに——」

「シン? そういうのを『偏見へんけん』っていうんだよ? 女の人がマッチョに憧れたって良いじゃない」

「なるほど、たしかにそうだね。そんな事よりさ、マスコちゃん。あの子、いったい何してると思う?」


 あの子、とシンが言ったのは、ゴツイ体格の女性が通り過ぎた空間の更に向こう——ドラッグストアの駐車場の入り口付近で、一人で立っている少年だった。

 歳の頃はシンの目から見て、十歳ほどである。


「え? 春休みだからでしょ?」

「いや、そうじゃなくてさ」

「お母さんでも待ってるんじゃない?」

「そのわりには、ちょっとキョロキョロしすぎな気がするんだよね。それにさ、


 空気中には様々な成分が混合こんごうしており、それがシンの鼻に入り込んでくる。道行く人々の汗がはつしたものも匂いとなって、わずかな風にのって、流れてくるのだ。


 少年の汗は、他の者たちよりも、明らかに多かった。子供の方が大人よりも、はっかんりょうが多く、体温も高い。そのため、匂いが大人よりものである。だからこそシンは、この少年にかんを感じた。


「おしっこでも我慢してるんじゃない?」

「だったらお店のトイレを使えば良い」

「あ、たしかに」


 そんな事をシンとマスコが話していると、ドラッグストアの自動ドアが開く——店の中から、同じく十歳くらいの少年が飛び出してきた。両手でガサガサと、ビニールに包まれた物を抱えている——少年は、入り口の少年のもとへと駆け寄った。

 そして——。


「うん? 何か手渡した。アレは……菓子パンの匂いだね。チョコが入ってる部分とクリームの部分がちょうど半分に分かれてるヤツ。あとは……色々なお菓子だ。マスコちゃん【毒耐性】ってチョコにも効くかい?」


「うん。毒だとにんしきしてさえいれば——ってあの男の子、行っちゃったわよ? なんであんなに焦ってるのかな?」


 駐車場の入り口にいた少年は、走って、シンたちとは別の方向に行ってしまった。


「ああ、たぶん彼はだよ。ほら、店員が出てきた」


 シンの言う通り、店の中から、緑のエプロンをつけた男の店員が、勢いよく走って出てきた。


「受け子って、もしかして万引き? 追わなくていいの? 子供がそういうことするの、好きじゃなかったでしょ?」

「ああ、あっちはたぶん大丈夫。それよりもこっちだよ。証人がいないとさ、店員さんが気の毒だからね」


 せっとうとは基本的に、盗まれた物がないと、認められづらい。ましてや相手は子供だ。このドラッグストアの外には、監視カメラはない。

 そしてこの少年は。走り去った少年とは違い、汗の量が少ない。

 落ち着いているのだ。


 店員は少年に「った商品を出しなさい」と言っている。

 少年は「え? どういうこと?」と言う。

 店員は「良いからリュックとポケットの中身を見せてみろ」

 少年は「ヘンなの。べつにいいよ? ホラ」


 少年のリュックや衣服からは、元々の持ち物しか出てこない。しかも少年はがる服装ふくそうをしていた。上着などは着ておらず、ポケットが付いているのも、綿とナイロンで出来た緑のトレーナーと、デニム素材のパンツのみである。

 菓子パンを、包装ほうそうしているビニールごとそこにしまい込むのは少しばかり無理がある、とシンには思えた。


「ふーん。でもさ、なんであんた以外の人たちは、見向きもしないんだろうね?」

「そりゃそうさ。彼らには関係のない事だし、店員がいるんだ。別に悪い事じゃない」

「じゃあ、なんであんたは気にするの?」

「別に良いじゃないか、そんなコト。それよりも——」


 ——その時、シンの鼻が、わずかに動いた。


(あの子の、匂いが変わった?)


 店員はなおも、少年に向かって言葉を浴びせ続けている。

 少年の方は黙って店員を見つめていた。


 シンは、狼としてはである。その匂いの変化の意味はわからない。

 しかし、限りなく正解に近い、そんなを立てていた。

 

(感情の変化?)


 少年の周囲の空間にも、変化が起こった。


 ねずみの骨格標本のような、そんな「髑髏どくろ」を模した「何か」が二つ、少年の背後に現れ、浮かび上がる。

 さらに、髑髏の口がひらいて店員のほうへ向き——。


 次の瞬間、店員の身体からだが突然、シンたちのいる方向に傾いた。


 髑髏のせいではない。

 シンがで、引っ張ったのだ。勢いよく。シンの持つスキル、【見えざる手ヒドゥンハンド】によるものである。


 店員とシンは、十五メートル程離れた場所にいたが、その距離が縮まった。シンの体重の方が店員よりも軽いため、どちらかとえばシンの方が引っ張られたになる。


 それとほぼ同時に、先ほどまで店員の頭があった空間に、黒い直線がはしった。少年の背後の、二つの髑髏の口から。


 線、と呼ぶには少しだけ太い、えんぴつくらいの太さの、真っ黒な直線——その二本の直線が、店員の頭があったひょうまじわり、そして消えた。


 一瞬の出来事である。

 シンの鼻が、空気の焦げた匂いを、拾い上げた。


「まったく。、しないね」

 




 



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