第一話 UNWANTED DAWN.

 1 大襟。

 雲がかすむ、そんな昼下がり。

 白い空の下、白い煙が空気に溶ける。

 まだ煙が拡散かくさんされる前の濃密のうみつな場所に、一匹の犬が座っていた。


 頭部の大半が黒い毛で覆われている、おおかみのような、少し小さな犬。

 犬は煙草たばこを吸っていた。

 その灰を入れる為の水の入った、一メートル程の高さの煙缶えんかん。そこから三十センチ程の隙間を空けて置かれている、ベンチの上で。


「いやあ、参ったな。まさか門前もんぜんばらいを喰らうとはね」


 犬が、しゃべった。


鹿じゃないの? 犬が『仕事探しに来ました!』とか言っても受け入れられるワケないじゃない。それよりも『シン』声、大丈夫? 心の中でつぶやいても会話できるってあたし、言ったよね? 変な目で見られても知らないよ?」


 三頭身の、猫のぬいぐるみのような生き物が、ため息混じりに応える。赤いワンピースを着ていた。肌の色はピンク——この世界に、そんな色の猫はいない。

 その生き物が宙に浮かんで、ベンチの犬に、話しかけている。犬よりもデカい。 


「あ、そういやそうだった。でも大丈夫さ、『マスコ』ちゃん。犬がタバコを吸ってる時点で既に、おかしいからね」

「たしかに。見た目もちょっとし」


 犬が着ている服。

 それは、人間の五、六歳ほどの子供が着る、「セットアップ」のスポーツウェアだ。

 ポリエステルという素材でできたTシャツと短パン。上下共に黒い色をメインにデザインされており、所々に蛍光イエローが散りばめられている。

 

「そんな事言わないでよ。親切なご近所さんの子供が、ダンスを習ってたからこそ、貰えたモノなんだからね」

「いや、素っ裸でいいでしょ。そこは。白黒の小さなハスキー犬のままの方が、あたしは好きだけどね」

「お? そんな事言っちゃう? じゃあマスコちゃんの為にハダカになっちゃおうかな?」

「……ねえ、シン。キモいからそういう事言うのやめてくれる? 【ナビゲーター】に嫌われたらどうなるか、知りたい?」


 今、自分をナビゲーターと名乗った生き物、マスコ。彼女も他人ひとのことは言えない——この犬はそう思っていた。 


 マスコの着ている赤いワンピース。特徴的な、「大襟ダァジン」と呼ばれる首元の生地が重なる部分と、それをとめる「チャイナボタン」。そんなオリエンタルなワンピースを着こなす、変な生き物がマスコなのだ。

 マスコはこの犬の【ナビ】である。


 そして、この世界に存在するのは、この二人だけではない。

 

 二匹に向けられる視線——それは、職業案内所の入り口付近をほうきで掃いている、初老の男性の目から出ているものだった。

 正確にいうならば、彼の視線が捉えているのは、煙草を吸うおかしな犬、一匹だけである。マスコの姿は見えていない。


 男性は、今自分がみている光景を、「異常だ」と感じていたが、驚いてはいなかった。

 彼にもまた、、その光景を解説してくれるからである。


 この男性や、ベンチでタバコを吸っている犬は、この世界における、【プレイヤー】だ。一夜にして、新たなことわりを押し付けられた、この世界の。


(意味が、わからねえ)


 この心の声は、この男性「だけ」のものではない。この清掃員の男性の他にもこの日、多くの人々が持った感想である。

 仕事というものは、現実逃避するのに都合が良い——それもこの日、多くの者達が感じたことだった。


 ただし、この犬、三神みかみシンの場合は別である。


「それにしてもさ、世知せちがらい世の中だよね? ちょっと見た目が変わったくらいで職を失うなんてさ」

「……あんたの中での『ちょっと』が、あたしにはわからない」

「ちょっとはちょっとだろう? 見た目や肩書きなんかはどうでも良い。男は中身で勝負ってね」


 シンはマスコに向けて、ウインクする。

 

「はいはい、じゃあ無職って肩書きでも別に良いでしょ? ところでいつまでココにいるつもり?」


 マスコは、シンのウインクから飛ばされたように感じるを、素早く回避した。


「いやいや、仕事がないとお金もなくなる。死活問題だぜ?」

「じゃあ市役所にでも行けば?」

「うーむ。またつまみ出されそうな気がする」

「だよね? あんたの体毛、アレルギーの人たちには『毒』だよ?」


「そこはホラ、【毒耐性】を取得して貰えばさ」 

「一人一人に獲らせるつもり? てか【スキル】に適応できてそうなの、あんたくらいじゃない?」


 スキル。

 この世界に押し付けられた【設定】の中の、とくしゅのうりょくである。

 毒耐性も、シンが取得したスキルのうちの一つ。

 シンが、犬の身でありながら煙草を吸えているのも、そのためなのだ。


「俺ができるって事はだね、他の人たちもできるって事だよ。あんな親切な【チュートリアル】、誰だって理解できるだろ?」

「それはあたしが親切なナビだったからでしょ? あたしじゃなかったら、あんたのウザい質問に一つ一つ答えていなかったと思う」


「それはそうだね。だからこそ俺はキミのことを、信頼してるのさ」

「いや、だからキモいって。そーゆーこと、フツーに言っちゃうところ」


 可愛いとは、見た目だけでは成立しないとマスコは考えている。「キモい」というマスコの言葉は、彼女の本心からくるものだった。その価値観も、シンの脳に保存された記憶をベースに

 つまりナビゲーターとは、プレイヤー自身を投影した、分身のようなものなのである、その性格せいかくこうは別であるが。


「なかなか手厳しいね。まあ、ここにはもう用がないから、散歩でもするとしますか」


 シンがそう言うと、彼の口にくわえられていた煙草が、彼の口元を離れて煙缶の中へと移動する。じゅっ、と火の消える音がした。


「いや、用がないなら帰りなよ」


 シンはベンチから跳び下り、てくてくと歩き出す。


 彼が犬のような見た目になってからまだ、半日しか経っていない。


 




 


 


 

 


 

 

 

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