世界にたった一つの特別な世界。

Y.T

I FOR YOU CUZ YOU FOR ME.

 莉子様は令嬢ごっこ中。

 悪賢い人は勉強を軽蔑し、単純な人は勉強

を称賛し、賢い人は勉強を利用する。


     フランシス•ベーコン 随筆集



 たたみが三枚かれた狭い空間。

 そこに、特殊強化ガラスでできた窓から柔らかな朝日が入る。畳の他には机とトイレ、そして布団がたたんで置かれていた。


様、本日も早いお目覚めで」


 上品な服装で、白い毛がもこもこしている、そんなが二本足で立ち、言葉を話す。背の高さは、成人男性の平均よりも少しだけ上だ。

 その羊の着ているものは、サラリーマンなどが着るスーツとは異なる——いわゆる「モーニングコート」と呼ばれるものである。

 黒い上着は、丈が長くとしていてすそが丸い。グレーのウエストコートの内に着たワイシャツの襟を、黒いネクタイで締めており、同じくグレーのコールズボンの淡く細かいストライプが光沢感をはなっていた。 


「当たり前ですわ。だって、わたくし、おそうをしなければなりませんもの。貴方だってをしているのだから、少しくらい手伝ってくれても、よろしいのではなくて? ねえ、セバスチャン?」


「セバスチャン」とこのひつじのことを呼ぶ「莉子様」は、質素な服を着ていた。

 綿を伸び縮みしやすいように編まれたグレーのスウェット生地。そんな服を上下に着ている。少し厚手の生地ではあるが、サイズが彼女にぴったりなので、下着の線がはっきりとわかる。その長い黒髪はゴムで一束に結われていた。


 そして莉子は、このんで、そういう服を着ているわけではない——なのだ。


じょうだんを。わたくしめは普段、この世界のものに触る事はできません。ただそこに居るだけなのでいます。それに、清掃せいそうは下働きのお仕事。


 二人が話していると、この部屋の外にある廊下の、更に奥にあるしつのドアが開く、音がる。誰かが歩くくつの音が、二人の耳に入ってきた。

 だがこの二人は、意に介さない。


「ねえ? あなたのキャラに合わせてあげてんだから、少しは私の冗談にも合わせてよ?」

「これが私めの合わせ方で御座います。それと、口調が戻っておいでですよ?」

「あらいやだわ。オホホホホ」


 カッカッカッカッ。


 かた靴底くつぞこが、硬いゆかに当たる音が、近づいて来る。


「それにです。お言葉ですが莉子様は、この私めのを、とても気に入ってらっしゃるご様子です」

「そうですわね。嫌いではありませんわ」


 カッカッカッ。

 カツン。


 靴の音が、この部屋のドアの前で、止まった。


「番号!!」


「はーい、出席番号三番。いちでーす! ていうか、うるいですわよ? 下働きの分際で。ノックぐらいしたらどうなのです?」


 いち は小窓から顔を覗かせる男と、ドアを挟んで対話する。


「誰が下働きだ! それになんだその喋り方は!? ふざけるな! 番号と言われたら『呼称番号』だろうが!!」


「『イチゴーマルマル』! あら、ほんの冗談ですことよ、部長さん。ところで敬礼けいれいが聞こえませんでしたけど、かんしゅさんはいないんですの?」


 ここは、こうしょの中の独房だ。留置所でも刑務所でもなく。


「しらばっくれるのか!? お前がやったんだろう! お前が、れいを……!!」

「あらまあ、お気の毒に。たしかに、わたくしがやったことになるのかしら?」

「どういう事だ!? 【受刑者】は【刑務官】に『逆らえない』——『攻撃できない』ハズだろう!?」

「あらあら。わたくし、別に逆らう気はありませんことよ? 冗談は言いますけれど。先ほども番号、言いましたでしょう?」

「じゃあ彼女の事は、どう説明する!!」


 看守部長はドア越しでもわかるぐらいに興奮している。


「どうって——どうなってるんですの? わたくし、この部屋の外は、貴方あなたの顔しか見えませんのに」

「彼女は……彼女は、くそっ! !!」


 看守部長は、事細かに「玲奈」の説明をすることを避けた。


「そうでしょうね? それで? なぜわたくしがやったのだと思うんですの? たぶん、でしょうけど」

「それは——」

 

「それは、俺とお前以外この施設で、!!」


「ああなるほど」

 莉子は、特に悪びれもせずに言葉を続ける。


「わたくし、攻撃などしてませんわ。ただ少し、『実験』をしていたんですの」

「実験!?」


 小窓には、看守部長の顔が張り付いていた。部屋の内側から見える彼の目は、血走っている。


「ええ、わたくしの取得した【毒合成】がどんなものなのか、試していただけですわ。きっと貴方以外、誰も【毒耐性】を取得していなかったのでしょうね?」

「——たしかに俺は、お前という人間を知っている。だからこそ、このスキルをった。くそっ! こんなことなら彼女にも教えておけば」

「あらあら、部長さんともあろうお方が、わたくしのことが怖かったんですの? ふふ、お可愛いこと。ところで、まだ実験はけいぞくちゅう、ですことよ?」

「なんだと——!?」


「今、貴方の息を妨げているのは果たして、涙と鼻水だけなのかしら?」

「そ、そういえば、息が苦しい」

「今、わたくしオリジナルの毒を、『合成』したのです。『酸素を自分と同じ毒に変える毒』を」

「な、何?」

「たとえ毒に耐性があるかただったとしても、酸素がなくなってしまったら、たまりませんわよね?」

「め、命令だ。やめろ」

「ええ、命令どおり、やめました。ですがこの毒は、一度外に放ったら、かってに増え続けます。——わたくしには、止められませんわ」

「お、まえは、何故、へい、きなんだ?」

「わたくしが息を吸うと、この毒は、酸素に戻るんですの」

「な、ぜ、だ……」

「まだ何か?」

「なぜ、こうげき、できる」


「ふふ、攻撃ではありません。『言葉が必要なルール』なんて、解釈次第でどうにでもなるわ。さっきのがそうだったでしょ?」

「……」

「それと玲奈ちゃん、だったっけ? あの子きっと、部長さん以外にも好きな人いると思うなー。だって、あのイケメン看守さんと一緒の日、めちゃくちゃメイクに気合い入れてるもん」

「……」

「玲奈ちゃんが上番中で良かったー! たぶんあの子、更衣室のロッカーに? ふふっ、あ、もちろん借りるだけよ? 泥棒なんてもの」


「莉子様」

「どうしたの? セバスチャン」


 セバスチャンが話しかけたことで、莉子は、ドア越しの看守部長に声を掛けるのをやめた。


「口調が戻っておいでです」

「あ」

「それと彼は恐らく、ご臨終です」

「それはそれは、お気の毒様」

「それよりこの毒、どう致しますか?」

「そうですわね。違う毒で打ち消しましょう」

「ほう? 流石は莉子様」

「何を言ってるんですの? 先ほどの説明、ですことよ?」


 莉子は手のひらを周囲にかざしながら言う。

 その手からは白い光の直線が、無数に放たれていた。


「いえいえ、使ったのは莉子様です。貴女様の実力ですよ」

「でも、わたくし以外のかたがこの【スキル】を使うとわたくし、とっても困りますわ。だから、ようの変更を要求します」

よろしいのですか?」

「ええ、だって面白そうなスキルはまだまだ山ほどあるし、わたくし、【レベル】だって上がりましたもの。この部屋の扉をくらいには」


 そう言って莉子は、この独房のドアに、足をかけた。そして、勢いよく伸ばす。

 独房のドアは部長ごと吹き飛び、廊下の窓ガラスをり、外の世界へ飛び出した。


「お見事です」

「よして下さいな。貴方の助言があってこそなのだから。これからもサポート、よろしく頼みますわよ?」


 莉子は廊下に出ながらも、手からは光線を出し続ける。


「勿論で御座います。貴女様の生存は、私めの生存と同じです。私め自身の為にも、お役に立たせて頂きましょう。一生をかけて」

「ふふふ、プロポーズみたいですわね? でも好きよ? 貴方みたいな『恐ろしいヒト』、とても頼もしく感じますわ」

「恐縮で御座います」


 莉子は周囲に光を、セバスチャンのその目を見つめる。


「わたし自身、流されやすい性格だからこそ、貴方のようなヒトに、惹かれるのかもね」

「莉子様。また口調が」

「んもう」

「しかし、そうですね。私めも貴女様のように、自分自身を知り、開き直れる人こそ、恐ろしく感じ、そして頼もしいと思う次第で御座います」

「ふふ、わたくしたち、理想のパートナーですわね?」

「恐縮で御座います」



 ——それはこの世界の、新しい朝の、出来事だった。

 




 

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