第8話 魔法使いが帰る日?
翌朝、オレは、いつものように朝食を終えて、妹と学校に行こうとすると、
玄関が開いた。
「おはよう、明。迎えにきたわよ」
「あら、マコちゃん、おはよう。今夜は、楽しみにしてるからね」
「ハイ、あたしも楽しみにしてます」
母さんのが先に、あいつに挨拶をする。
「マコお姉ちゃん、今夜は、おいしいものをたくさん食べてね」
「うん、一杯食べるわ」
妹までが、今夜のことを楽しみにしている。
もちろん、オレも楽しみにしているが、不安もあるのも確かだ。
オレたちは、三人で登校する。
「どんなご馳走かしら?」
「さぁ、わからないけど、お母さんも朝から張り切ってたし、お父さんも早く
帰るっていってた」
そうなのか。オレには、気がつかなかったけど、両親揃って、張り切って
いるらしい。
「それじゃ、また、後でね」
妹は、オレたちに手を振りながら、中学の校舎に走っていく。
「なぁ、ホントに大丈夫か?」
「明って、心配性ね。あたしも人間の食事には、興味があるの。だから楽しみ
なのは、ホントよ」
「それならいいけど、無理はしなくていいからな」
果たして、あいつの口に、母さんの料理が合うのか、不安のが大きかった。
決して、母さんの料理は、まずくはないが、魔法の国の食事とは、別物なのだ。
すでにオレの気持ちは、授業どころか、夜に移っていた。
学校の授業は、いつも通り平和に、何事もなく終わった。
あいつには悪いが、放課後の同好会も、今日は、休ませてもらって、夜の準備をすることにした。
今日は、二人で下校しているときも、オレの口数は少なかった。
「今日は、なんか元気ないね」
「そうか?」
「だって、今日は、学校でも、あんまり話さなかったし……」
そういわれるとそうだ。今日のオレは、夜のことで頭が一杯なのだ。
「もしかして、今夜のことをずっと考えてるの?」
「当たり前だろ」
「大丈夫よ。こう見えて、あたしは、食いしん坊だから、何でも食べるから」
「その割には、太ってないよな」
「だって、魔法使いだもん」
魔法使いは、いくら食べても太らないのか? また、一つ不思議なことを聞いた。
「それじゃ、六時に迎えに行くから」
「うん、待ってるね」
「それと、この前みたいな、派手なドレスとか着てくるなよ」
「え~、ダメなの? せっかく、人のうちにお邪魔するんだから、おしゃれして
行こうと思ってたのになぁ」
「ダメダメ、親とか妹が、ビックリするから、普通でいいから」
「ハイハイ、わかりました」
そういうと、あいつは、手を振って、家の中に入っていった。
オレも家に入ると、すでに母さんがいた。珍しくオレより早く帰っている。
「あら、お帰り。早いわね。今、用意してるところだから、まだ時間かかる
わよ」
「わかってるよ。ところで、なにを作るの?」
「季節の鍋なんていいかなと思ってるんだけど」
鍋料理か…… 大勢で一つの鍋を囲んで食べる夕食は、確かにおいしい。
お客さんを招くなら、いいかもしれない。だけど、あいつは、鍋料理なんて
知らないはずだ。
「お鍋は、ダメかしら?」
「イヤ、そんなことはないと思う。あいつは、たぶん、食べたことないから、
喜ぶと思うよ」
「それならいいけど。張り切って、おいしいもの作るわね」
母さんは、エプロンをつけて、材料を切り始めた。
オレは、自分の部屋に戻って着替えて椅子に座ると、机の上にいるキリンの
縫いぐるみを見つめる。
「なぁ、キリン。オレって、あいつのこと、好きになったのかなぁ……」
独り言のようにキリンに向かって呟いてみた。もちろん、返事はない。
「あいつが魔法の国に帰るのって、それでいいんだよな」
キリンは、オレの目を見ているだけで、何も応えない。
オレは、壁の時計を見た。まだ、五時にもなっていない。六時までが
待ち遠しかった。
「お兄ちゃん、鍋の用意が出来たから、マコちゃんを呼んできて」
一階から母さんの声が聞こえた。オレは、階段を降りながら、いよいよ
このときが来たことを感じた。
「お兄ちゃん、あたしも行く」
「いいから、ゆきは、ここにいろ」
いっしょに行くと言い出した妹を残して、オレだけであいつを呼びにいった。
あいつの家の前に立って、一度深呼吸をしてから、チャイムを鳴らした。
「ハーイ」
中から元気な声がして、ドアが開いた。
「用意できたから、迎えに来た」
「ありがと」
オレの前に立っているあいつは、水色のスカートにキリンのプリントしてあるシャツを着ている。
肩には、オレがプレゼントしたポシェットをかけている。
「どう、こんな感じで?」
「いいんじゃないかな……」
見た目が子供っぽいけど、それでもいいかと思った。
「明様、お嬢様をよろしくお願いいたします」
召し使いと執事が揃って出迎えてくれた。
「あの、ホントによろしいんですか? お嬢様は、なにぶん、初めてのことなので、その……」
二人とも、かなり心配している様子だ。ここは、オレがしっかりしなくては
思い直した。
「大丈夫です。オレが責任を持って、マコをフォローします」
「もう、なによ、二人とも。そんなに心配なら、あんたたちもくれば
いいでしょ」
「いえいえ、滅相もありません。お嬢様だけで、お願いします」
召し使いが慌てて頭を下げる。
「それじゃ。マコ、いくよ」
「うん、いってきます」
「いってらっしゃいませ」
オレたちは、召し使いと執事に見送られて、ウチに向かった。
と言っても、すぐ隣なんだが……
「緊張してるか?」
「ちょっとね」
「何かあったら、オレにいえよ」
「うん、わかってる」
「それから、魔法は使うなよ。それと、余計なことは言わないように」
「それもわかってるって」
念を押してから、オレは、ドアを開けた。
「連れてきたよ」
オレは、そういって、中に入る。
「お邪魔します」
「さぁさぁ、どうぞ」
「マコお姉ちゃんは、ここに座って」
母さんと妹が歓迎するように、マコを出迎える。
「今夜は、鍋料理よ。できるまで、ちょっと待っててね」
「鍋料理?」
あいつの頭の上に、?マークが見えた気がした。慌ててフォローする。
「この季節は、どこの家庭でも、作るもんで、家族で一つの鍋を食べるんだ」
まったく、説明になってない。我ながら、口下手だ。
「いろんなお野菜とか、魚とかお肉を入れて、グツグツさせて食べるんだよ」
妹の説明のが、オレよりわかりやすい。
「へぇ~、楽しみ」
あいつはそういって、楽しそうに笑った。
「ねぇ、マコお姉ちゃん、できるまで、あたしの部屋に来ない」
そういって、妹は、あいつの返事を待たずに、手を引いて階段を上がって
いった。
「ちょっと待て」
オレは、二人の後を追って、階段を登る。
二階に上がると、向かい合っている妹の部屋に入った。
「ここが、ゆきちゃんのお部屋なの? きれいで可愛いわね」
「そういってくれるとうれしいわ」
「おい、勝手に、なにしてんだ」
二人が話しているところに割って入ると、妹がオレにいった。
「お兄ちゃんは、入っちゃダメ」
「なんでだよ?」
「男だからよ」
そういって、妹はオレを部屋から閉め出した。
妹と二人きりにさせると、なにをするかわからないので、心配でたまらない。
あいつのことだから、ちょっとくらいと思って、魔法を使うかもしれない。
そうかといって、部屋に入る訳にもいかないので、オレは、イライラしながら廊下で待っていた。
すると、ドアが開いて、二人が出てきた。
「ねぇ、こっちは、明の部屋なの?」
「そうよ。そっちは、お兄ちゃんの部屋よ」
「ちょっと、見てもいいかな?」
「どうぞ、どうぞ」
そんなことをいいながら、妹がオレの部屋を開ける。
「お、おい、なに、勝手に人の部屋に入ってんだよ……」
オレが慌てて後を追うと、あいつは、オレの部屋の真ん中にたって、周りを
見回している。
「ふぅ~ん、ここが、明の部屋なの。きれいにしてるじゃない」
「あの、だから、あんまり見るなよ」
「キリンさんもちゃんと大事にしてるのね」
机に置いてあるキリンの縫いぐるみを見ていった。
「明って、あたしの思ってたとおりの人ね。なんか、すごく安心した」
「えっ? それって、どういう意味だよ」
「別に……」
あいつは、そういって、オレの部屋をゆっくり歩き回った。
なんだか、すごく意味深な言い方で、オレは、気になった。
「ご飯できたわよ。降りてらっしゃい」
母さんの声で、オレたちは、階段を降りていった。
一階に降りると、テーブルの真ん中のカセットコンロの上で鍋がすでに湯気を
出していた。
いつもは四人だが、今日は、一人多いので、母さんたちの寝室にある椅子を
持ってきて二つ並べていた。一つだけ、形が違うので、なんか違和感を感じる。
「お兄ちゃんとマコちゃんは、そこに座って。ゆきちゃんは、いつもの席ね」
オレとあいつは、隣同士に座り、あいつの隣の角に妹が座る。
オレの隣の角は父さんで、オレの向かいに母さんが座る。
そこに、玄関が開いて父さんが帰ってきた。
「ただいま。おっ、丁度いいタイミングだったようだな」
父さんが、湯気が出ているなべを見て言った。
「お邪魔しています」
「いらっしゃい。今日は、たくさん食べて、ゆっくりしていきなさい」
そういって、父さんは、部屋に着替えに行った。
目の前の鍋は、すでにグツグツと音を立てている。
あいつは、その音と湯気に興味心身で、じっと見つめている。
父さんが席について、いよいよ夕食の始まりだ。
母さんが、頃合を見て、鍋のふたを取った。
すると、中から、湯気が一気に湧き上がって、色とりどりの具材が音を
出していた。
「うわぁ、素敵! おいしそう」
あいつのテンションが一気に上がった。
「そろそろいいかしらね。ほら、お兄ちゃん、小皿に取って上げなさい」
「大丈夫です。自分でやります」
母さんの言葉を遮って、あいつは、立ち上がって箸を取った。
「おい、大丈夫か? 熱いから、オレが取ってやるよ」
オレは、あいつの小皿を取って具材を持ってやった。
「ありがと、明」
「マコお姉ちゃん、これもおいしいわよ。カニよ、カニ」
「カニ?」
あいつは、赤くて長いカニの足を不思議そうに見ている。
「これは、こうやって食べるんだよ」
オレは、カニの足を一本折って、ヘラでカニの身を削いでやった。
「これに、ポン酢をつけて食べるとうまいよ」
食べ方まで教えてやるのも大変だ。だけど、なんか楽しい。
あいつは、オレや妹がやるのを見ながら、自分も一口食べる。
「なにこれ! すっごく、おいしい」
あいつは、そういって、ホントにおいしそうな顔をした。
「甘くて、食べたことがない味。こんなの初めて」
それは、ちょっと言いすぎだと思う。こんなこといったら、どこの国から
きたのかと思われるぞ。
実際、父さんや母さんは、軽く衝撃を受けているようだった。
「いいから、どんどん食べなさい」
父さんは、ちょっと驚いていたが、冷静さを取り戻している。
「これは、なに? とろとろしてて、柔らかくて、優しい味ね」
「それは、白菜って言うのよ。鍋にすると、味がしみておいしいのよね」
妹がオレよりわかりやすく教えてくれた。
「これは、なに?」
「それは、牛肉。それは、しいたけ。その緑のは、春菊」
あいつは、妹の説明を真剣に聞いている。そして、順番に口に入れていった。
「どれもこれも、全部おいしい。明のお母さんて、料理がうまいんですね」
「アラやだ、そんなこといわれると照れるわ」
母さんは、そういって、新しい食材を持ってきて鍋に入れる。
「お母さんの料理は、何でもおいしいのよ」
「そうだな。だから我々家族は、毎日、健康で過ごせるんだな」
父さんと妹までが、珍しい事を言い出した。こんな話は、いつもの食事の
ときは出ない会話だ。
「ご飯もどうぞ」
母さんが、茶碗に白いご飯をよそってあいつに出す。
「ありがとうございます。いただきます」
湯気が立っている、炊き立ての白いご飯を一口頬張った。
「おいしい、おいしい。ご飯て、こんなにおいしかったんだ」
あいつは、すごく興奮しているのがわかる。
「そうね。ご飯は、日本人の主食だからね。遠慮しないで、たくさん食べてね」
「ハイ、いただきます。明は、いつもこんなおいしいものを食べてるのね。
いいなぁ~」
あいつは、オレを見ながら、しみじみといった。
「ほら、ご飯粒を付いてるぞ」
オレは、口元に米粒をついているあいつに言いながら、それを指で取って
やる。
「ありがと。明って、優しいね」
食べているときに、そんなこというと、返事に困るじゃないか。
「ところで、マコちゃんは、学校では、明とうまくやってるのかね?」
いきなり学校の事を言い出す父さんに、あいつがどう返事をするのか気に
なった。
「明は、とても優しいですよ。いつも助けてくれるし、すごく頼りになります」
「えーっ、お兄ちゃんが? 信じられない」
「そんなことないよ。明は、あたしが困ってると、助けてくれるのよ」
「明にも、そんなとこがあるんだな」
家族の前で、褒められると、オレは何も言えなくなってしまった。
その後も、学校であったこと、陸上大会で応援したこと、同好会でのこと
出会ってから今日まであったことを、まるで自慢話でもするように話し続けた。
母さんも父さんも、オレの知らない一面を見た気がして、感心している。
妹までが、目を丸くしていたくらいだ。
「お前も、少しは大人になったんだな」
「それも、マコちゃんのおかげかもしれないわね」
母さんと父さんが、あいつとオレを見比べながら言った。
そして、再び、鍋が煮えると、真っ先にあいつが箸をつける。
「すっごくおいしい。すみません、ご飯、お代わりください」
「ハイハイ、何杯でもどうぞ」
うれしそうにご飯を盛り付ける母さんの顔も、今日は一段とうれしそうだ。
妹だって、いつもより口数が多く、楽しそうに笑っている。
食事のときは、黙っている方が多い、父さんも話が続いている。
家族全員が、楽しそうに鍋を囲んで、話は尽きない。
それは、言うまでもなく、あいつがいるからだ。
元々無口なオレは、家族ともうまく会話が出来ない。
あいつは、そんなオレたちの家族関係すら、修復していくような存在だった。
「もう、お腹一杯。ご馳走様でした」
鍋は、すっかり空っぽだ。最後の雑炊まで食べて、炊飯器にもご飯は、一粒も残ってない。
「マコちゃんは、よく食べるわね。それだけおいしそうに食べてくれると、
作りがいがあるわ」
母さんがうれしそうに食器を片付け始める。
「だって、おいしいんですもの」
「これは、食後のデザートよ」
そういって、母さんは、冷蔵庫から、プリンを出してきた。
「マコお姉ちゃん、これもおいしいのよ。お母さんが、昨日作ったの」
「お口に合うといいけどね」
お皿を片付けながら母さんが言った。
「いただきます」
あいつは、そういって、プリンを一口食べる。
「う~ん、おいしすぎる! ねぇ、明、これ、おいしいよ」
あいつは、一口食べるたびに、オレの肩をバンバン叩く。
それくらいおいしいのか…… それは、きっと、お世辞に違いない。
あいつがいつも食べている、魔法の国の食べ物のがうまいはずだ。
オレの家族に気を使っているのか?
しかし、ホントにおいしそうに食べている顔を見ると、とても演技には
見えない。そして、帰り際に、あいつは、頭を深々と下げてこういった。
「今日は、ホントにご馳走様でした。とてもおいしかったです」
「また、食べにきてね」
「キミがいると、なんか、家の中が明るくなった気がする。いつでもきなさい」
「マコお姉ちゃん、また、きてね」
「ハイ、ホントにありがとうございました」
そういって、あいつは、ウチから出て行く。
オレは、あいつの後を追って、飛び出した。
「おい、あんなに食って、大丈夫か?」
「全然、大丈夫よ」
「食べすぎじゃないのか? 太るぞ」
「言ったでしょ。あたしは、魔法使いだって」
「母さんの料理は、ほんとは、どうだったんだ?」
「全部おいしかったよ」
「気を使わなくていいんだって」
「ウソじゃないわよ。あたし、あんな料理って、食べたことなかったから、
すごく感激してるの」
そういって、うれしそうに笑った。その笑顔は、本物に違いなかった。
「明、ホントにありがとね。今日のこと、忘れないからね」
もちろん、オレだって忘れない。いや、オレの家族は、みんな忘れない
だろう。
「それじゃ、また明日ね」
「またな」
オレたちは、そういって、軽く手を振って別れた。
オレは、家に戻ると、父さんと妹が言ってきた。
「明、あの子をちゃんと守ってやるんだぞ」
「マコお姉ちゃんをいじめるやつがいたら、助けてあげてよ」
「大丈夫だって。あいつは、強いからいじめられたりしないよ」
それは、ホントのことだ。魔法使いなんだから、弱い訳がない。
「お兄ちゃん、マコちゃんを、また、ウチに呼びなさい」
母さんまでがそんなことを言うとは、思わなかった。
どうやら、あいつは、ウチの家族の気持ちさえも変えてしまったようだ。
まさか、魔法じゃないだろうな…… オレは、疑り深くなっているようだ。
翌日も朝からあいつが元気よく迎えに来た。
学校に行っても、すっかりクラスの男子にも女子とも仲良くなって、友だちも
たくさんできた。
先生たちからも評価がよく、学校の人気者になっていくのが見てわかる。
それはいいんだが、ときどき魔法でいたずらするのは、変わってないので目が離せない。相変わらずオレは、あいつに振り回されっ放しだった。
時には、あいつが魔法使いだということも忘れることもあった。
どこからどう見ても、あいつは、人間の女の子にしか見えない。
オレは、いつか魔法の国に帰ることすら、忘れていた。
だけど、ある日、突然その日がやってきた。
あいつが隣に越してきて、数ヶ月たって、今もときどきお互いのウチに
行き来するようになって家族ぐるみの付き合いも始まった頃だった。
今日は日曜日で学校は休みだ。こんな日は、いつもあいつとどこかに遊びに
行くのが日課になっていた。
ところが、この日に限って、あいつから何も連絡がなかった。
オレは、キリンに話しかけた。
「もしもし、マコ」
何度か呼んでも返事がない。
「もしもし、マコ、聞こえる?」
五回くらい呼んでみて、やっとあいつが出た。
『明……』
「どうした? なんかあった? 暇なら、駅前の喫茶店でもいってみないか?」
『あの、あのね。今から、ウチに来てくれる?』
「いいけど、なんかあったのか?」
『きたら、話すから』
そういって、通話が切れた。声がいつもより元気がなかった気がしたので、
心配して、すぐにあいつのウチに行った。
チャイムを鳴らすと、ドアが開いて、召し使いが顔を出した。
「明様……」
「あの、マコ、いますか?」
「ハ、ハイ……」
なぜか、召し使いまでが元気がなかった。少しすると、階段からあいつが
降りてきた。
「マコ、どうした? なにがあった?」
「あの、あのね。あの……」
「どうしたんだよ。いつものお前らしくないじゃないか。何があったんだ」
降りてきたあいつを問い詰めた。
すると、あいつは、顔を上げると笑ってこういった。でも、いつもの笑顔とは
違う。無理に笑っている顔をしていた。
「ごめんね。明…… あたし、魔法の国に帰る」
「えっ!」
「パパが、戻って来いって」
一瞬にして、頭の中が真っ白になった。言葉が口から出てこない。
「いや、あの…… だから、その……」
オレは、自分で何を言ってるのかすらわからなかった。
「今までありがとう。明のこと、忘れないからね」
「ちょ、ちょっと待てよ。何だよいきなり帰るって、どういうことだよ」
すると、奥から執事がやってきて代わりに応えた。
「王様のご命令は、絶対なのです」
「そんなことはわかってるよ。だけど、いきなり帰るって、そんなのありかよ」
もう、オレは、黙っていられなかった。
俯いている執事に駆け寄ると、着ている黒服を掴んだ。
「オレだって、わかってるよ。マコは、女王になるんだから、いつかは帰るん
だって。だけど、だけどさ、いきなりそんなこと言われて、納得できるかよ」
問い詰められた執事は、頭を下げたまま何も言わない。
「それで、いつ、帰るんだよ」
オレは、マコに向き直って問い詰めた。
「……」
「黙ってないで、なんか言えよ。いつ帰るんだよ。クラスの友だちとか、
オレんちの家族とか、みんなでさよならパーティーくらいするから。いつだよ、いつ帰るんだよ?」
オレは、自分の感情を抑えて、なるべく冷静にいったつもりだった。
「今日、これから帰る」
「きょ、今日…… これから!」
オレは、自分の感情を抑えられなかった。頭が爆発しそうになった。
「なに言ってんだよ。今日、これからって……」
「もうすぐ、迎えが来るの。だから、これでさよならなの」
「バ、バカ言ってんなよ。そんなのあるかよ」
「ごめん。ホントにごめん」
あいつは、深々と頭を下げる。
「なんで、いきなりなんだよ。そんなのずるいよ」
頭を上げたあいつの目から、涙がポロポロ落ちているのが見えた。
あいつの泣き顔を見たのは、これが初めてだった。
「なんだよ。勝手に決めて。オレの気持ちは、どうなるんだよ」
「わかってる。わかってるけど……」
胸に熱いものがこみ上げてきた。だけど、オレは男だから、ここで泣いちゃ
いけない。
見ると、召し使いもハンカチで目を押さえている。
執事は、ずっと頭を下げっ放しだ。
オレは、一度、呼吸を整えて、気持ちを落ち着けた。
あいつは、いつかは魔法の国に帰らないといけない。
その日が、今日だったということだ。
いきなりだったけど、それを止める権利はオレにはない。
あいつは、女王にならなきゃいけない。魔法の国に帰らないといけない。
もちろん、オレは、淋しい。出来ることなら引き止めたい。
だけど、それは、あいつのためにはならない。それくらいは、高校生のオレでもわかる。淋しいのは、オレだけじゃない。召し使いも、執事も、淋しいに
決まってる。あいつだって、今まで見せた事のない涙を見せているんだ。
別れは淋しい。だけど、ここは、笑って見送るのが、男ってもんだ。
「わかった。お前と別れるのは淋しいけど、お前は、女王様になるんだもんな。元気でな。体に気をつけろよ。がんばって、女王になれよ」
「明……」
あいつは、そういうと、オレの胸の中に飛び込んできた。
「あたし、明のこと忘れないからね。いつか女王になって、迎えに来るからね。必ず来るから、待っててね」
「わかってるって。いつまでも、ずっとずっと、待ってるから」
「明……」
もう、言葉は要らない。あいつの言いたいことも、オレの言いたいことも、
わかっている。あいつは、オレにしがみついて一頻り泣くと、涙を拭って
泣き笑いの顔を上げた。
「明、元気でね」
「おまえもな」
ここで泣いたら、男として失格だ。オレは、一世一代の我慢をした。
すると、壁にある大きな姿見の鏡から、虹色の光が出てきた。
「お嬢様、お迎えが来ました」
執事がそういって、あいつの手を取って、鏡の前まで歩く。
「明様、今までお世話になりました。貴方様のことは、私は一生忘れません。
お嬢様のことありがとうございました」
召し使いがそういうと、何度も頭を下げる。
「ポロンさんのことも、忘れないから。あの時の不思議な料理は、おいしかったです。また、食べたいです」
「明様……」
そういうと、召し使いは、ハンカチで顔を覆ったまま鏡の中に入っていった。
「カブさんも元気で。マコのこと、よろしく頼むな」
「おっしゃるまでもありません。私の命に代えても、お嬢様をお守りいたし
ます」
そういって、あの強面の執事が初めて見せる、優しい顔だった。
「さぁ、お嬢様」
執事があいつの手を取って、鏡の中に入っていく。
「明様、最後に一つ。私どもがここから消えたとき、お嬢様とかかわりのあった人間たちの記憶から消えます。もちろん、明様の記憶からも。すべて消えます」
「な、なんだって。そんなバカな……」
「魔法の力で、すべてを消し去ります。それが、魔法の国の掟なのです」
執事は、信じられないことをいった。オレの記憶からもあいつのことが消えるというのか? 冗談じゃない。消えてたまるか。消してたまるか。
忘れてたまるか。
「わかった。だけど、オレは、絶対にマコのことは、忘れないからな。
記憶からも消さない。消してたまるか。マコ、オレは、お前のことを忘れたり
しないから安心しろ」
「明……」
「大丈夫だって。心配するな。マコのことを忘れるわけないだろ」
あいつは、何度も首を縦に振っている。そうさ、いくら魔法だって、
オレの心からあいつを消し去ることは出来ない。やれるはずがない。
やられてたまるか。
「お嬢様、そろそろ行きます」
あいつは、執事に連れられて鏡の中に入っていく。できることなら
追いかけたかった。
「マコ……」
それしか、言葉が出てこない。こんなときに、他に言うことはあるだろう。
もしかしたら、もう二度と会えないかもしれないのに、他に言葉が見つから
ない。口から出てこない。
鏡の中に消えて行くあいつを見送りながら、オレは、大切なものを失うことの悲しさを感じていた。
「明、あたしを忘れないで! あたしを忘れないで」
あいつは、最後に振り向いてそう叫んだ。
オレが、返事をしようとしたとき、あいつは、もう鏡の中に消えていた。
「マコっー!」
ただの鏡になったそれに手をついて、思いっきりあいつの名前を叫んだ。
心の底から大声であいつを呼んだ。
「マコー! 待ってるからな。だから、必ず、戻ってこいよ。迎えに来るの待ってるからな」
オレは、何度も何度も叫んだ。自然と涙が頬を伝っていた。
悔しくて、悲しくて、だけどどうにもならない運命に、オレは一人の人間としての無力を感じた。
顔を上げると、いつの間にか、部屋にあったテーブルも家具も、調度品も
壁にかけてあった、高そうな絵や時計も何もかもが消えていた。
さっきまで、人が住んでいたのに、この部屋は、ただの空き家に変わっていた。
明かりが消えた真っ暗な部屋に一人佇んだまま、オレは、立ち尽くしていた。
家を出ると、そこはすでに真っ暗で表札もない空き家だった。
オレは、その空き家となった、あいつの家を見上げた。
ボーっとしながら自宅に戻ると、家族の会話が耳に入ってきた。
「お隣さんは、いつまで空き家のままなのかねぇ?」
「そうねぇ。早く、誰か越してこないかしらね」
オレは、父さんと母さんの声を聞いて、信じられなかった。
すでに、隣にあいつがいたことを忘れている。それどころか、すべてが
なかったことになっている。
しかし、すぐにオレも気がついた。隣に誰が住んでいたのか思い出せない
ことを……
部屋に戻ってふと見ると、机の上に見慣れないキリンの縫いぐるみが
置いてあった。
「アレ? これ、なんだろう……」
オレは、独り言のように言うと、キリンの縫いぐるみを手にした。
しかし、それを見ても、何でここにあるのかわからない。
自分で買った記憶もないし、誰かにもらった記憶もない。
キリンなんて、好きでも嫌いでもないし、まして、縫いぐるみなんて
趣味じゃない。
妹のかもしれないと思って聞いてみたけど、そうじゃないという。
いったい、これは、なんだろう…… 不思議な感覚を覚えながら、
その日の夜が過ぎた。
翌朝、いつものように起きて、朝ご飯を食べて、制服に着替えると妹と
学校に行く。家を出ると、すぐ隣の空き家の前を通る。
なぜか、その時、足が止まった。
「どうしたの、お兄ちゃん?」
「いや、なんでもない」
どうして、隣の空き家の前で足が止まったのかわからなかった。
だけど、何かが心に引っかかった。でも、それがなんなのか、
思い出せなかった。
教室に行って、自分の席に座る。ふと見ると、オレの隣に空席がある。
おはようと声をかけてきた友だちに、何気なく聞いてみた。
「あのさ、この席って、ずっと誰もいなかったっけ?」
「当たり前だろ。ずっと、空席のままじゃん」
「そうだっけ?」
不思議な感じがした。オレの隣の席には、誰かが座っていたような気がする。
それが誰なのかわからない。だけど、何か違和感を感じていた。
担任の響子先生がチャイムと同時に入ってきた。
朝の挨拶と出席を取って、ホームルームを始める。
出席をとっているときも、誰か足りない気がして仕方がない。
しかし、それが誰なのか、男子なのか、女子なのか、名前も思い出せない。
胸の中にもやもやしたものが湧き上がって、苦しくなってくる。
この気持ちは、なんなんだろう……
放課後に所属している、創作同好会に顔を出した。
いつものメンバーである。だけど、なんか違和感があった。一人たらない気が
する。
「ねぇ、会長、ウチって、これで全員だっけ? もう少し人がいたんじゃなかった」
「何を言ってるの、明くん。ウチは、全部で五人でしょ」
会長は、そういった。だけど、もう一人誰かいた気がする。
「そうですよ先輩。五人しかいないから、部に昇格できないんじゃないですか」
一年生の後輩も付け加えた。確かにその通りなのだ。
ウチの学校は、五人以上にならないと、部として認めてもらえない。
だから、ウチは、いつまでたっても、同好会という、非公認なのだ。
帰るときに、校庭の脇を通る。校門の前にある大きな桜の木を見上げて、
ここで何かあったような気がした。グランドを走る、陸上部の部員たちを見て
何かすごいことをしたような気がする。だけど、それがなんなのか
思い出せない。
「あー、もう、なんなんだよ」
オレは、頭をくしゃくしゃ掻き毟りながら、自分に腹を立てた。
何か大事なことを忘れているような気がしてならなかった。
だけど、それがなんなのか思い出せなくて、イライラする。
それから数日過ぎても、それがわからなくて、精神的に追い詰められてきた。
「どうしたの。元気がないじゃない」
珍しく早く帰っていた母さんが心配して聞いてきた。
「なんだか、大事なことを忘れてる気がするんだ」
「それは、大変じゃない。早く思い出しなさい」
しかし、どうやっても思い出せないのだ。
その日の夜、夕飯を食べると、家族でテレビを見た。
オレは、何も考えたくないので、ぼんやりテレビを見ているだけだ。
妹がチャンネルを変えると、映ったのは動物の特集だった。
アフリカで生きる、野生動物たち映像だ。
「キリンて、大きいよね」
妹がテレビ画面に映ったキリンを見て言った。
オレは、何気なくそこに映るキリンをみて、何かが頭に閃いた。
だけど、それがなんなのかわからないので、余計に気持ち悪い。
「キリンて言えば、お母さんが子供の頃に、キリンが好きな女の子がいたのよ」
「へぇ~、どんな子なの?」
妹と母さんが話を始めた。オレは、興味もなくただ聞いているだけだった。
「その子って、不思議な力があってね。変わった子だったのよ」
「そうなんだ」
「だけどね、あるとき、急にどっかに行っちゃったのよ」
「転校したの?」
「そうじゃないの。魔法の国に帰るんだっていって、帰っちゃったのよ」
「えー、なにそれ」
オレは、母さんの言葉を聞いて、急に何かを思い出した。
笑い転げる妹を無視して、母さんに食いついた。
「ねぇ、母さん、その話、ホントなの?」
「さぁ、どうかしらね? だけど、その子は、そういって、帰ったのよ」
「その後、どうしたの?」
「それっきり、会ってないから、わからないわ。きっと、今頃、立派な女王様になってるんじゃないかしら」
女王様? 今、はっきり母さんは、そういった。オレの中で、何かが弾けた。
弾けたというより、雷に打たれたような気分だった。
「その子の名前、なんていうのか覚えてない?」
「確か…… サ、サ、サリーだったかな? そうよ、サリーちゃんよ。外人みたいな名前だったのよ」
だけど、オレの知ってる女子で、サリーなんて名前の子はいない。
「今頃どうしてるかしらねぇ。結婚して、お兄ちゃんくらいの子供がいても
不思議じゃないからね」
母さんの話を聞いて、バラバラのパズルが少しずつ出来上がっていくのを
感じた。今まで感じていた、違和感がわかってきたような気がした。
「別れたときは、悲しかったわ。空飛ぶ絨毯に乗って行っちゃったときは、
お母さんも泣いたのよ」
空飛ぶ絨毯? どっかで聞いたことがある。本とか小説の中じゃない。
現実の世界の話だ。しかも、オレは、その絨毯を知ってる。
そうだ。オレは、その空飛ぶ絨毯を知ってるんだ。・
そう思うと、いてもたってもいられなかった。
オレは、自分の部屋に入ると、机に置きっ放しのキリンの縫いぐるみを
つかむと、階段を駆け下りて、そのまま家を飛び出した。
父さんが何か言ってるようだったが、耳には入っていない。
オレは、靴を履いて、家を飛び出すと、隣の空き家の前に立っていた。
「そうだよ。ここだよ」
オレは、そういうと、空き家の玄関のドアに手をかけた。
すると、空き家のはずなのに、鍵が開いていた。
静かにドアを開けて中に入る。もちろん、中は真っ暗だ。
オレは、その中で一人立ち尽くしたまま、キリンを手にしていた。
「なんだ、この気持ちは…… おい、キリン、何とか言え」
オレは、誰に言う訳ではなく、キリンの縫いぐるみに叫んだ。
そのとき、キリンの目が赤く光った。
「うわっ、何だこれ」
オレは、思わずキリンの縫いぐるみを落とした。
そして、しゃがんで拾おうと手にしたとき、その手に何か熱いものを感じた。
その手に伝わる温かさは、オレが知っているぬくもりだ。
「そうだ。これ、知ってるぞ」
オレは、必死で思い出した。頭をフル回転させて、過去の記憶を
呼び起こした。そのとき、目の前が突然光った。眩しくて目を閉じて、
もう一度、ゆっくり目を開けるとそこには、見たことがあるテーブルがあった。空き家のはずなのに、家具もあった。
高そうな調度品、壁にかかっている高価な絵、おしゃれな時計。
何もかも、みたことあった。オレは、それを知ってる。
そのとき、オレの頭の中に、一人の女の子の名前が浮かんだ。
「マコ!」
考えるより先に、その名前を口にした。
「そうだ。マコだ。マコ、マコ、どこにいるんだ。オレは、お前のことを
忘れてないぞ」
オレは、そういって、大声であいつを呼んだ。
いっしょに食べた魔法の国の不思議な食べ物。いっしょに飛んだ空飛ぶ絨毯の
こと。魔法で火事を消したこと。陸上競技で、世界記録を出したこと。
二人で星空を走ったこと。全部思い出した。何で、こんな大事なことを
忘れていたんだ。マコのことを忘れるなんて、オレは、自分を責めた。
「マコーっ、早く迎えにこい。いつまで待たせるんだ」
オレは、家中のどこにいても聞こえるくらいの大声で叫んだ。
「うるさいわね。夜になにを大声出してるのよ」
階段からあいつが降りてきた。
「マコ……」
「ただいま、明」
「お帰り、マコ」
オレは、そういうのがやっとだった。オレは、自然と足が前に踏み出して
いた。そして、階段を降りたあいつを力いっぱい抱きしめた。
「ちょっと、戻ってくるのが、早かったかな?」
「バカ。ちっとも、早くないよ」
オレは、あいつを抱きしめたまま涙が止まらなかった。
「いつまで抱きしめてんのよ」
そういって、オレを引き離す。オレは、シャツの袖で涙を拭いた。
「夢じゃないんだよな」
「当たり前でしょ。まったく、明は、あたしがいないと何にも出来ないん
だから」
そういって、笑った顔は、いつものあいつだった。
そこに、奥から、召し使いと執事が現れた。
「明様、私どもを覚えておられますか?」
「ポロンさんと、カブさんだろ。覚えてるに決まってるだろ」
そういうと、召し使いがうれしそうな顔をして、強面の執事と喜んでいた。
「お前、いつ戻ってきたんだ? もう、女王様になったのかよ」
「バカね。そんなに早く女王になれるわけないでしょ」
あいつは、そういって、オレをバカにしたように笑った。
そのとき、壁の大きな鏡から虹色の光が出てきた。
「ようこそ、王様、女王様」
執事と召し使いが、跪いてそういった。すると、その鏡の中から、
誰かが出てきた。
あいつを魔法の国に連れ戻しに来たのかもしれない。
今度こそ、オレが守らなきゃ。
しかし、鏡からゆっくり現れた二人をみて、オレは、腰を抜かしそうに
なった。
「パパ、ママ」
あいつがその二人をそう呼んだ。
「えっ! てことは……」
目の前にいるその二人は、紛れもなく、あいつの父と母であり、
王様と女王様なのだ。
「キミが明くんかな? お初にお目にかかる。私がマコの父で、魔法の国の王で
ある」
「あっ、その、えーと…… 初めまして」
「そんなに緊張しなくてもいい。キミは、合格だ」
「えっ?」
今、オレの目の前にいるのは、全身を黒い服に身を包み、黒いマントを羽織り
手には長くて太いステッキを持っている。髪は角のように逆立って、
黒い口ひげがある。オレよりはるかに背が高く、強面の執事よりも迫力が
あった。これが、あいつの父親なのか……
「明さん、娘がお世話になりました」
そういって、一歩前に出てオレに軽く会釈したその人は、あいつの母親で
女王様だ。
「あ、あの、あの……」
オレは、緊張で言葉が出てこなかった。
「実は、娘を魔法の国に呼び戻したのは、王様なのです」
「オッホン。それは、もういいだろう」
「いいえ、それはいけません」
女王様は、話を続けた。
「やはり、王様は、娘のことが可愛いので、手元に起きたいのでしょう。
その気持ちもわかります。しかし、マコは、私の後をついで、女王にならなければいけない立場なのです。まだまだ修行が足りません。もうしばらく、人間の
世界で、勉強しなくてはならないのです」
オレは、黙って、話を聞いていた。
「明さん、もうしばらく、娘のことを頼めますか?」
「ハ、ハイ」
「ありがとうございます。これからも、娘のことをよろしく頼みます」
「い、いえ、こちらこそ」
オレは、ぺこぺこ頭を何度も下げる。それを見て、マコがまた笑う。
「こら、お前が笑える立場か。このバカモノ」
王様に怒られてしゅんとなるあいつをみて、こっちのがおかしくなる。
「明さん、少し話を聞いてください」
そういって、女王様は話を始めた。
「私がマコくらいの頃、私も人間界で暮らしていました。女王になるための修行です。そのとき、知り合った人間の女の子で、とても仲良くしてくれた人が
いました。私は、今でもその子のことを思い出します。今でも、友だちと思っているのです」
待てよ。この話、どっかで聞いたことがある。
「あの、一つ聞いていいですか?」
「どうぞ」
「失礼ですが、女王様のお名前は?」
「サリーですが、それが何か?」
サリーって…… それじゃ、母さんがいってた不思議な女の子って、
女王様のことか。
「あの、スミレって、覚えてますか?」
「もちろん。私の大切な友だちです」
「それ、オレ…… じゃなくて、ぼくの母です」
「知ってますよ」
驚くことに、女王様は、オレの母のことを知っていたのだ。
「貴方のお母様が、昔の私の友だちだと言うことも知ってました。だから、私の娘をあなたの元に預けたのですよ」
そうだったのか。だから、オレの隣に引っ越してきたのか。
隣に魔法使いが越してくる偶然なんてあるわけがない。そういうことだった
のか。
「貴方が、私の友だちの子供なら、きっと、私の娘も昔の私のように友だちに
なってくれると思いました。
それは、正解だったようですね。貴方に娘を預けてよかった」
女王様は、そういって、オレの手を取ってこういった。
「ありがとう」
「いえ、あの、その……」
オレは、しどろもどろになって、返事すらまともに出来ない。
「そろそろ戻るぞ」
「ハイ」
「明くん、くれぐれも娘のことを頼む。まだまだ修行が足りないのでな。
厳しくしてやってくれ」
「ハイ、わかりました」
オレは、背筋を伸ばしてそういった。
「しかし、娘は、次期女王だということは、忘れないでくれよ。いつかは、
魔法の国に帰してもらうからな」
「ハイ、わかってます」
「だが、その後のことは、私は知らん。キミは、合格だが、まだまだ子供だ。
もちろん、娘も女王の資格もない。未来の話になるが、娘が女王になってキミが大人になったとき、どうするか、二人で決めるんだ」
オレは、王様が何を言っているのか、このときは理解できなかった。
あいつもしっかり立って聞いている。
「では、戻るぞ。カブ、ポロン、これからも娘のことを頼んだぞ」
「ハイ、お任せくださいませ。王様」
執事と召し使いは、さらに頭を深く下げてこういった。
「明さん、また、お会いするのを楽しみにしていますね」
「あの、母に会わなくていいんですか? 母は、女王様のこと、覚えているん
ですよ」
「いいえ。会わなくても、お互いに心の中でいつもいっしょだから、
大丈夫です」
女王様は、そういって、王様と鏡の中に入っていった。
「パパ、ママ、あたし、がんばって、女王になるからね」
あいつは、鏡の中に消えていく二人にそう宣言して、大きく手を振った。
そして、鏡は、元の鏡に戻った。
「そういうことだから、また、よろしくね」
あいつは、そういって、オレの頬に軽くキスをした。
「お嬢様!」
「王様がみていたら、怒られますよ」
執事と召し使いが揃って注意する。
「いいから、いいから。明、明日も学校行こうね」
「お、おぅ……」
オレは、頬に感じる、あいつの唇のぬくもりを感じて、口がうまく
回らなかった。
その後、オレは、あいつの家を出て、自分の家に戻った。
あいつの家を見上げる。家には明かりがついて、表札もあった。
「よかった。これで、元通りだ。夢じゃないんだ」
オレは、そういって、ホッとした。そして、家に入った。
「ただいま」
「どこに行ってたの?」
「隣に……」
と、言いかけて、黙ってしまった。母さんたちの記憶が戻っているか、
不安だった。
「何だ、こんな時間に。お隣には、女の子がいるんだぞ。失礼だろ」
「お兄ちゃん、マコお姉ちゃんのとこに行ってたの?」
「う、うん……」
「夜遅くに、女の子の家になんて行っちゃダメじゃないの」
「ねぇ、母さんたちは、隣の家のこと知ってるの?」
「何を言ってるんだ、お前は」
「当たり前でしょ。だから、お母さんは、注意してるのよ」
「ヘンなお兄ちゃん……」
「それじゃ、隣に住んでる子の名前って、覚えてる?」
「マコお姉ちゃんでしょ」
妹は、はっきりあいつの名前を言った。
「そうか…… よかった。ホントによかった」
「何を言ってんのよ」
母さんの一言を聞き終わらないうちに、オレは、自分の部屋に急いで戻った。
そして、机の上にあるキリンの縫いぐるみに話しかけた。
「もしもし、マコ。聞こえたら、返事してくれ」
『ハイハイ、あたしだけど。どうしたの?』
「ウチの家族もお前のこと、思い出したぞ」
『当たり前じゃん。パパが魔法を解いたんだもん』
「そうか、ありがとな」
『ねぇ、ちょっと、外に出て』
そういうと、キリンの目が光った。
オレは、キリンを持ったままベランダに出る。
「また、明日から、学校に行くの楽しみなのよ」
あいつは、楽しそうにいった。ベランダ越しに見るあいつは、いつもと
変わらない。
「なぁ、今度、お前が魔法に国に帰るときは、オレは、ちゃんとお前を
見送るからな」
「うん」
「オレ、絶対泣かずに、笑って見送ってやる。お前のことも忘れないから」
「うん」
「だから、ちゃんと修行しろよ。立派な女王様になるんだぞ」
「うん」
「それまで、オレが人間のこと、たくさん教えてやる」
「うん」
「なんだよ、さっきから、うんしか言わないで、わかってるのかよ」
「うん……」
見ると、あいつは、静かに泣いていた。
泣き顔も可愛いが、あいつに泣き顔は似合わない。いつも笑っていて欲しい。
あいつには、笑顔が一番似合うんだから。
「バカだな。なに、泣いてんだよ。そんなことじゃ、女王様になれないぞ」
「うん…… だって、うれしいんだもん」
オレは、何も言えなかった。
「明、あたし、がんばって修行する。だから、もっと、たくさん教えてね」
「任せろ」
「あたし、明のこと、大好き。明に会えてよかった」
「わかってるよ。オレだって、お前のこと、好きだから」
「うん……」
あいつは、ボロボロ泣いていた。あいつの涙は、星の明かりに照らされて
光っていてきれいだった。
「明、明日も学校に行こうね」
「ちゃんと、迎えにこいよ」
「うん。それじゃ、おやすみ」
「おぅ、おやすみ」
そういって、涙を拭きながらあいつは、部屋に戻っていった。
オレは、あいつの後姿を見送って、夜空を見上げた。
暗い空には、星がたくさん光っていた。
それから、オレたちは、以前のような学校生活が続いた。
あいつは、ときどき魔法を使うので、そのたびに注意する。
だから、あいつから目が離せない。
学校でも、家にいても、いつもあいつに振り回された。
でも、それが楽しかった。
オレの彼女は、魔法使い。魔法の国の次期女王のお姫様だ。
いつか帰るその日まで、オレがあいつを立派な女王様にしてみせる。
オレの隣には、いつもあいつがいた。お前が帰るその日まで、いつもオレは、傍にいるからな。安心して暮らせよ。困ったときは、必ず助けるから。
オレは、何も出来ない人間だけど魔法なんて使えないけど、この世界中で
マコのことが、一番好きだ。大好きだ。オレは、あいつに大声で言いたかった。
教室に入り席に座ると、隣の席にあいつがいる。
クラスの友だちに囲まれて、いつものように楽しそうに話している。
教室の窓から外を見ると、今のオレの心のように、どこまでも晴れやかな、
青い空が広がっていた。気持ちのいい一日の始まりだ。
何度でも言う。オレの彼女は、魔法使い。魔法の国の次期女王のお姫様だ。
終わり
オレの彼女は、魔法使い。 山本田口 @cmllaaa
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