第7話 魔法使いと食事。

 翌日、学校に行くと、予想をはるかに上回るくらいの騒ぎだった。

学校に行く途中からしてすごかった。

並んで登校していると、すれ違う一年生はもちろん、三年生からも注目の的で

オレたちの方を見て、ヒソヒソ話をしている。

厳密にいえば、オレたちではなく、あいつである。

「あの、神崎さんですよね。優勝、おめでとうございます」

 いきなり、一年生の女子から声をかけられた。

「ありがとう」

「あの、握手してくれますか?」

「いいわよ」

 驚いているオレを他所に、あいつはにこやかにその女子と握手をした。

うれしそうに走り去っていく女子の背中を見て、改めてあいつのしたことを

知った気がした。

「えへへ、握手されちゃった。なんか、アイドルになった気分だね」

 あいつは、のん気に笑っている。この分じゃ、教室に入るまでが大変だぞ。

校門を入ると、男子からも女子からも話しかけられた。

「優勝おめでとう」

「新記録だって?」

「いっしょに写真撮ってもらっていいですか?」

 靴を履きかえるまでが大変だった。隣にいるオレは、まるで芸能人の

マネージャーみたいだ。

やっと、教室に入ると、クラスの友だちがあいつの周りにやってくる。

「ねぇ、すごかったんだって」

「神崎さんて、すごいのね」

「陸上部に入ればいいのに」

 いろいろ声をかけられても、あいつは、ニコニコしているだけだ。

そろそろ助けてやらないといけないと思って、オレはこういった。

「あのさ、新記録だったけど、参考記録だから、正式じゃないんだ」

「えっ、そうなの?」

「なんだ、残念ねぇ……」

 オレの一言で、周りにいた友だちも離れていった。

「ありがと、明」

 あいつが小さな声で言うのが聞こえた。これで、ちょっとは、役に立った

かもしれない。この調子で、何とか一日やり過ごそうと気合をこめる。

 響子先生が教室に入ってきた。朝の挨拶をすると、出席を取る。

朝のホームルームが始まった。

「みんなも知ってると思うが、昨日の陸上の大会で、神崎がすごい記録を

出した」

 先生までがそんなことを言うのかと、正直驚いた。

「朝から、大会関係者とか、陸上のマスコミから問い合わせが来ている。

学校側としては、生徒の安全を守るために、特に話すことはないので、取材は

断っている」

 そこまで聞いて、ホッとした。先生としては、当たり前の話だ。

「神崎、もし、マスコミに騒がれて、何か聞かれても、嫌なことは応えなくて

いい。困ったこととか、しつこく追い回されたときは、先生に言ってくること。わかったな」

「ハイ、わかりました」

 あいつは、元気よく返事をした。オレが一番心配しているのは、マスコミや

関係者からの取材だった。

学校側も守ってくれるようなら、大丈夫だろう。ただ、不安なのは、あいつは、すぐに調子に乗るから余計なことを言ってしまうことだ。

そこは、オレが、ちゃんと守ってやらなきゃいけない。

 授業中も、相変わらずあいつは、魔法でノートを取っている。

ペンを持つ振りをしているだけで、実際には、持っていない。

オレからは、それがバレバレだ。何度か目で注意をするけど、あいつは、

ちっとも言うことを聞かない。


 体育のときもあいつは、みんなと同じように振舞った。

今日の体育は、バレーボールなので、一時もあいつから目が離せない。

 魔法でボールをアタックしたら、他の生徒には取れない。

「おい、魔法を使うなよ」

「わかってる、わかってる」

 こっそり耳打ちしても、あいつは、笑っているだけだった。

しかし、オレの目には、微妙に魔法を使っているのがわかる。

 チームの女子がレシーブして、関係ない方向に飛んでいくボールが、

微妙にカーブして戻ってきたりサーブして相手のコートをオーバーしそうに

なっても、急にボールが落ちてきたり、とにかく、あいつは、魔法を

使いまくっている。

注意しようにも、男子と女子のコートが違うので、言いに行くわけにも

いかなかった。かなり調子に乗っているので、授業が終わったら、

注意してやらないといけない。

オレは、授業が終わるのを待って、着替えてきたあいつを待ち伏せた。

「マコ、ちょっと待て」

 あいつは、声をかけられて、不思議そうな顔をしている。

「お前、体育の授業のときに、魔法を使っただろ?」

「使ってないわよ」

「使ってた。オレは、ちゃんと見てたんだぞ」

「あら、バレちゃった」

 そういって、あっさり認めた。しかし、ちっとも悪びれている様子ではない。

「あのな、学校じゃ、魔法は使うなっていっただろ」

「だって、負けそうだったんだもん」

「いいんだよ。体育なんだから。勝ち負けは、どうでもいいの」

「良くないわよ。勝負は、勝たなきゃダメだって、パパが言ってたもん」

「そりゃ、そうだけど、大会と授業とは別なの」

「明って、ママみたいね」

「ハァ? どういう意味だよ」

「ママって、あたしが魔法を使うと、いつも使っちゃダメとか言って、

うるさいんだもん」

 どうやら、あいつのママと言うか、女王様は、ちゃんとわかっているようだ。

「お母さんの言うとおりにしろよ。学校じゃ、絶対魔法は使っちゃダメ。

わかったな」

「は~い。明って、つまんないの」

 そういうと、あいつは、少しふて腐れて、教室に歩いていった。

まったく、あいつには、手を焼かせる。召し使いや執事の気持ちが

わかる気がした。


 昼休みになって、各自仲がいい友達同士で、机をつけて弁当を食べ始める。

オレは、いつもの男子たちと食べることにした。あいつは、女子同士で

食べている。しかし、オレは、あいつから目が離せなかった。

また、余計なことをしでかすのではないかと思うと、気が気ではない。

「お前、どこ見てんだよ」

「神崎ばっかり見てんなよ」

 いっしょに食べている男子からからかわれる。

「そんなんじゃないって」

「いいから、いいから。お前と神崎の仲は、みんなわかってるから」

「だから、違うんだって」

 オレは、そういって否定するが、すればするほどあいつらは、おもしろがって笑っている。だからといって、あいつから目を離すわけにもいかない。

 あいつは、そんなオレたちのやり取りを見ながら、楽しそうにおしゃべり

しながら弁当を食べている。

そして、オレと視線が合うと、口元を上げて、ニヤッと笑うと、

片目をつぶって、ウィンクして見せた。

すると、オレの箸が手元から床に落ちた。あわてて箸を取ろうと腰を曲げて手を伸ばす。なのに、箸が勝手に転がっていった。

もう少しで取れるというところになると、箸が勝手に転がっていくのだ。

「ちょ、ちょっと待て」

 オレは、箸を追いかけて床を這い蹲る。

「ちょっと。明くん。女子のスカートの中を覗こうとするなんて、

よくないんじゃないの」

「えっ?」

 言われて顔を上げると、委員長の膝元にいた。

「あっ、イヤ、そうじゃなくて、箸が……」

「そうやって、お箸を転がして、スカートの中を見ようというわけね」

「全然違うんだって」

「神崎さん、どう思う?」

「明が、そんなにエッチだったとは、思わなかったわ」

 オレは、箸を拾うと、立ち上がって、あいつを睨みつけた。

「やりやがったな」

「さぁ、何のことかしら……」

 あいつは、しらばっくれて、横を向いてしまう。

これは、あいつの仕業に違いない。しかも、魔法を使って、箸を転がして、

委員長の足元までオレを誘導したのだ。

「見られたわけじゃないから、先生には、言わないけど、次にやったら、

言いつけるからね」

「イヤ、だから、これは、その……ごめん」

 いいわけすら出来ないオレは、謝るしかなかった。

あいつは、そんなオレを見て、くすくす笑っていた。

 アレほど学校で魔法を使うなっていったのに、全然聞いてない。

それどころか、オレにまで、魔法を使って、いたずらしてくる始末だ。

オレは、箸を握り締めて、自分の席に戻って、弁当を食べる。

「おい、その箸……」

「床に落ちたんだから、洗ってこいよ」

「いいんだよ」

 オレは、男子の言葉を無視して、そのままの箸で弁当を口の中に放り込んだ。


「明、帰ろうか」

 昼休みにオレを魔法でからかったのに、ちっとも悪びれる欠片もなく

何もなかったかのように、オレを誘ってきた。

「あのな、オレが言ったこと、忘れたのか」

「さっきは、ごめん。明が、あんまり怒るから、つい……」

「まったく。二度とすんなよ」

「は~い」

 あいつは、笑いながら返事をする。

今日は、同好会は休みなので、そのままいっしょに帰宅する。

「しつこいようだけど、学校で魔法は使うなよ。オレだったからよかったけど、他のやつだったら、どうすんだ」

「ハイハイ、わかったってば。もう、しませんよ」

 その口ぶりでは、まるでわかってないに違いない。だけど、ここでしつこく

言っても、嫌われるだけなのでこの話は、これ以上言うのはやめて

おくことにした。

「ねぇ、この後、なんか用事ある?」

「別にないけど」

「だったら、今夜は、あたしのうちに夕飯食べにこない?」

「お前のうちで?」

「昨日の優勝したお祝いに、パーティーするっていったでしょ。だから、明も

きてよ」

「いいけど……」

「ポロンが張り切っちゃって、料理を作ってるのよ。一人じゃ食べきれない

から、明もきて」

「そういうことなら」

 正直言って、すごく気になっていたことがある。

あいつは、普段は、どんなものを食べているのか?

ウチで食べているような料理なはずがない。きっと、高級料理か何かだろうと

思った。

召し使いが料理を作っていると言っても、魔法で出すに決まってる。

覗き見的な気分で、ちょっと見てみるのもいいかなと、思ったのだ。

「それじゃ、後でね。待ってるから」

「着替えたら、行くから」

 オレたちは、そういって、それぞれの家に入った。

まずは、着替えるために部屋に戻った。さて、なにを着て行こうか。

一応、女子の家にお邪魔するわけだ。しかも、夕食に招待されたのである。

ジーパンにTシャツというわけにはいかないだろう。しかし、おしゃれな服なんて持ってない。

 しばらく洋服ダンスの前で考えた。そこに、母さんが帰ってきた。

オレは、階段を駆け下りると、買い物から帰ってきた母さんに聞いてみた。

「あのさ、今夜、隣のマコの家に夕飯をご馳走になるんだけど、行って

いいかな?」

「いいけど、迷惑じゃないの?」

「昨日の大会で優勝したから、記念のパーティーするんだって。それで、オレもいっしょにって言われて」

「そういうことならいいけど。余り迷惑かけちゃダメよ」

「わかってるって」

「それじゃ、今夜の夕飯は、お兄ちゃんはいらないのね」

「そういうこと。ごめんね、母さん」

「いいわよ。そんなこと。お隣さんだから」

 ここまでは、順調だった。ここからが本番なのだ。

「それでさ、母さんに相談なんだけど……」

「何かしら?」

「一応、隣は女子だろ。しかも、ホームパーティーだろ。何を着ていけば

いいんだろ?」

「ふぅ~ん、そういうこと。お兄ちゃんも、年頃なのね」

 母さんは、腕組みをしながら感心するようにいった。

「ちょっと、部屋にきなさい」

 オレは、母さんと部屋に入った。母さんは、タンスの引き出しを開けたり、

クローゼットを見る。

「お兄ちゃんももう高校生なんだから、少しは、おしゃれしなさい」

 なんだかガッカリしたような口調だった。確かに、オレは、おしゃれにも

服にも特に興味がない。着ている服は、母さんが買ってきたものを、

何も考えずに着ているだけだった。

「それじゃ、これとこれ。ベストくらい着て行きなさい。それから、ちゃんと

行儀よくするのよ」

「わかってるって。母さん、ありがとう」

 選んでくれたのは、親戚の家に行くときに買ってくれた、ストライプの

Yシャツとクリーム色のチノパンに、赤いベストだった。

オレは、早速、それに着替えると、鏡の前で髪を直して出かける。

階段を勢いよく下りる途中で、一番大事なものを忘れて、急いで部屋に戻った。

「これこれ、これを忘れちゃ、大恥をかくところだった」

 オレは、机の引き出しの奥に仕舞った、箱を手に取った。

それを持って、再び、階段を駆け下りた。

「それじゃ、母さん、いってきます」

「ハイ、いってらっしゃい。ちゃんと挨拶するのよ」

「わかってる」

 オレは、そういって、靴を履くと玄関を出る。

そして、すぐ隣のあいつの家の前に立つと、チャイムを押した。

すぐにドアが開いて、召し使いが出てきた。

「いらっしゃいませ、明様。どうぞ、お上がりください」

「ハイ、失礼します」

 そういって、一歩中に踏み入れた。

そこに待っていたのは、大きな白いテーブルに、ヒラヒラの白い布がかかって、

高そうな椅子が二つ向かい合わせに並んでいた。

まだ、テーブルには、何も並んでいない。

「こちらへどうぞ」

「ハ、ハイ」

 緊張してきたオレは、早くも雰囲気に飲み込まれた。

今度は、執事が出てきた。

「ただいま、お嬢様をお呼びします。少々、お待ちください」

 そういって、深々と頭を下げる。オレも思わず、頭を下げた。

召し使いがキッチンの方に消えると、銀色のワゴンを転がしてやってきた。

「まずは、これでも飲んで、お待ちください」

 執事は、小さなバケツのような容器に入っている、青い液体が入ったビンを

手にした。召し使いが、オレの前に、大きめなグラスを置く。

「イヤ、あの、オレはまだ未成年だから、お酒は……」

「ご心配なく、これは、アルコールではありません」

 そういって、オレの前に置かれた大きなワイングラスのようなものに、

青い液体を注いだ。

しかし、どう見てもおいしそうには見えない。オレンジ色なら、

オレンジジュース。紫色なら、グレープジュース。緑色なら、お茶という感じでわかる。だけど、青い飲み物なんて見たことも聞いたことも、

もちろん飲んだこともない。

いったい、なんだこの飲み物は? 怪しくないか? 色からして怪しい。

青は青でも、水色のような透明ではなく、ホントにブルーだ。

真っ青という感じだ。これを飲むのか? 味がまったく想像できない。

しかし、飲まないわけにはいかない。これで飲まなかったら、それこそ失礼だ。

飲むかどうするか、迷っていると、召し使いが言った。

「あっ、お嬢様」

 オレは、その声で顔を上げると、階段からゆっくりとあいつが降りてきた。

その姿は、普段のあいつとは、まるで別人だった。

「ウソッ!」

 オレは、思わずそういってしまってから、口を両手で押さえた。 

階段からゆっくり降りて、オレの向かいに座ったあいつは、純白のドレスを

着ていたのだ。本物のお嬢様そのものだ。というより、お姫様だ。

 ほんのり化粧もしているらしく、唇がピンク色していた。

頭には、金色のティアラを飾り、両手には、肘まで隠れる白い手袋をしている。

耳には、ピアスかイヤリングをしていた。

「遅かったじゃない。待ってた方の身になってよ」

 話し方は、いつものあいつと同じで、ちょっとホッとした。

「イヤ、その、なんだ……」

「なによ? この格好は、似合わないって言うの?」

「イヤイヤ、そうじゃない。きれい過ぎて、ビックリしてんだよ」

「うれしいことをいってくれるじゃない。でも、やっぱり、この格好は、

ちょっと……」

 笑ったかと思うと、額にしわを寄せたり、表情が忙しい。

「お嬢様、今夜は、優勝記念のお祝いの席ですよ。礼装じゃないと、

いけません」

「でも、こんなんじゃ、なんか食べにくいし、堅苦しいのはイヤなのよね」

「ですが、お嬢様。今夜は、特別なのですから」

「やっぱり、イヤ。テクニクテクニカ、シャランラァ~」

 あいつは、いつもの呪文を唱えると、ドレス姿から、いつものラフな格好に

変身した。

「まったく、お嬢様は……」

 召し使いは、呆れたように言うと、キッチンに消えていった。

執事もため息をついて、肩を落とした。オレには、二人の気持ちが痛いほど

わかる。

「さぁ、食べましょう。ポロン、早く料理を持ってきて。お腹空いてるのよ」

「お嬢様。本日は、明様もいらっしゃるので、もう少し、お言葉に気をつけて

ください」

「いいのよ。明は、わかってるから。ねぇ、大丈夫よね」

 いきなり振られて、オレは、どう返事をしていいのかわからず、ただ頷く

しかなかった。

執事は、さらに困ったような顔をしながら、あいつの前にも同じグラスを置くと

青い液体を注いだ。そうだ、あいつのことですっかり忘れていた。

この青い飲み物はなんだ?

「料理が出来るまで、これでお楽しみください」

 そういって、執事もキッチンの方に消えていった。

「それじゃ、乾杯しましょう」

 オレは、そういわれて、グラスを持ってあいつのグラスと合わせた。

カチンと言う音がして、耳に心地いい。そして、あいつは、そのグラスを

持って一口飲んだ。

「ああぁ、おいしい。久しぶりに飲むと、やっぱり、おいしいわ」

 ホントにおいしそうな顔をしていた。それなら、安心できるかもしれない。

「どうしたの? 飲まないの? おいしいわよ」

「イヤ、あのさ、これ、なんて飲み物なの?」

「あら、知らないの? 人間は、飲んだことないのね」

 あいつは、早くも上から目線な目でオレを見た。

「これはね、フラスていうの」

「フラス?」

「いいから、飲んでみなさい。明の口にも合うはずだから」

 そういわれると、飲まないわけにはいかない。

オレは、目を閉じて、まずは一口飲んでみた。

「な、なんだこれ……」

 口の中に広がったのは、今まで飲んだことがない味だった。

確かにほんのり甘さは感じる。しかし、グレープとかオレンジとか、

フルーツ系の味ではない。

かと言って、お茶やコーヒーのような苦さもない。不思議な味だった。

「どう、おいしいでしょ」

「うまい。うまいよ。これ、何のジュースなの?」

「これは、キリンの汗よ」

「えっ!」

 今、なんていった? 確か、キリンの汗っていったよな。キリンて汗をかくのか?

そもそも汗なんて飲めるのか? 飲んでいいのか? キリンの汗って、青色だっけ?

いろんな?が頭の上に並んだ。

「おいしいでしょ。魔法の国じゃ、みんな飲んでるのよ」

「その、なんていうか、汗って、あの汗のこと?」

「そうよ。明も運動すると汗をかくでしょ」

 オレは、グラスに残った青い液体をじっと見つめた。

確かに、うまかった。だけど、汗といわれると、飲むのは微妙だ。

魔法使いは、キリンの汗を飲んでいるのか?

 あいつは、からになったグラスをテーブルに置く。すると、執事がすぐに

やってきて空になったグラスに青い液体を注ぐ。それをあいつは、また、

グイッと飲んだ。まるで、ビールを煽るオレの父さんのようだ。

見事な飲みっぷりだ。

「これって、この世界にはないでしょ。だから、カブに言って、取り寄せて

もらったの」

 ネット通販みたいなことが出来るのか? 魔法の国とこの世界は、

どう繋がっているんだ?

オレは、いろんな疑問がわいてきた。これから出てくるだろう料理は、

想像を絶するだろう。

「お待たせいたしました。まずは、前菜からお召し上がりください」

 召し使いがさっきと同じワゴンを押してやってきた。

大きな銀色のさらに乗っているのは、赤や青、緑にピンク、黄色やオレンジと

いったカラフルな原色そのままの、鮮やかな色をした物体だった。

 召し使いは、オレたちの前に小皿を置くと、フォークやナイフ、スプーンなどを並べ目の前にあるカラフルな物体を取り分けてくれた。

「どうぞ、お召し上がりください」

 そういって、召し使いは、また、キッチンに引っ込んだ。

「明も食べて。これもおいしいのよ」

 そういうと、あいつは、フォークで一口食べる。

「これよ、これ。こういうおめでたいときには、これがないとね」

 あいつは、嬉しそうに言って、一口、二口と食べていく。

見ていると、確かに、おいしそうだ。あいつもうまそうに食べているから、

きっと大丈夫だろう。

「あの、これは、なんていう食べ物なの?」

「これは、そうね……」

 あいつは、少し考えてから、こういった。

「こっちの世界で言えば、サラダみたいなものかしらね?」

「サラダ? これが……」

 オレが知ってる食べたことがあるサラダというのは、野菜である。

キャベツの千切りに、トマトに薄切りのキュウリが乗って、ちぎったレタスなどが乗ってドレッシングやマヨネーズで食べるものだ。

しかし、これは、どう見てもサラダではない。

 何しろ、見た目が野菜には見えない。サイコロのような四角い形をしたり

星型だったり、ハート型だったり、いろんな形をした、ゼリーのようなものだ。

果たして、どんな味がするんだ? まったく想像がつかない。

「ほら、明も食べてみてよ」

 ここで、断ったり逃げ出すわけにもいかない。隣には、執事が立っている

のだ。

オレは、取り分けられた小皿に乗ったその物体を、一つ食べてみた。

口の中に入れて、恐る恐る噛んでみると、見た目と違って、すごく歯ごたえが

ある。

まるで、硬い豆腐を食べているようだ。味はといえば、ダシが聞いている

かつお風味だ。しかし、これが、かつお風味なわけがない。

今度は、ハート型の赤いものを食べてみた。

 それは、少ししょっぱい、薄いケチャップの味がした。

「なんだこれ?」

「おいしくない?」

「イヤ、そういうわけじゃないけど、なんと言うか、初めての食感でよく

わからない」

「人間は、食べるの初めてだもんね」

 そういいながら、あいつは、食べ続けている。見た目は、ホントにおいしそうだが色が原色過ぎるのと、味が食べるごとに違うので箸が進まない。

「魔法使いって、いつもこういうのを食べてるの?」

「そうよ」

 あいつは、そういって、青い飲み物をグッと煽った。

魔法使いは、原色が好きなのかもしれない。

「お待たせしました」

 召し使いがワゴンで持ってきたのは、白い塊だった。

「これよ、これ。いいニオイだわ」

 湯気がたっているそれは、確かに暖かそうだ。

だけど、これは何だ? 白い塊というか、物体はなんだ。

あいつは、よだれを垂らさんばかりに喜んでいるところを見ると、おいしいものには違いないだろう。

 執事がナイフで食べやすい大きさに切り分けて、小皿にとってくれた。

しかし、見てみると中も真っ白だ。オレは、ステーキか何かを期待していたが、どうやら違うようだ。

「いただきます」

 あいつは、そういって一口食べた。

「あぁ~、おいしい!」

 感激の余り、顔を左右に振っている。それほどうまいなら、食べてみるかと

思って一口食べてみた。

「な、なんだこれ……」

 食べた感想の第一声がこれだった。これしか思い付かない。

肉でもない、魚でもない、ましてケーキのような柔らかくもない、かと言って、歯ごたえがあるわけでもない。

味も甘くもなく、しょっぱくもない。適度なおいしさというか、

初めての味覚だ。だけど、間違いなく、これはうまい。

「あの、なんですか、これは?」

 素朴な疑問を執事に聞いてみた。

「ハイ、これは、王家に伝わる秘伝の料理で、パスレといいます」

「パスレ? えっと、肉とか魚ではないんですね」

「左様でございます。魔法の国に流れる川から取れる、白い粉というか、砂と

いうか、それを固めて秘伝の味付けをして、調理いたします」

 もう、なにがなんだかわからない。だけど、正直言って、おいしかった。

口に入れた瞬間、口の中であっという間に溶けてなくなった。

噛むどころではない。口に入れると、消えてなくなるのだ。

なのに、後味が悪くない。クセになる味だった。

「もう、どれもこれも、おいしい」

 あんなにおいしそうに食べる顔を見たのは、初めてかもしれない。

今まで、いっしょに弁当やスナックなどを食べている姿を見たけど、これほど

うまそうに食べているかといえばそうでもない気がする。

やはり、魔法の国が恋しいのかもしれない。

 それからも次々と、まったく見たことも、食べたこともない料理がやって

きた。テーブル一杯に並んだ料理を、オレもあいつも夢中で食べた。

「これは、最後のデザートでございます」

 召し使いが持ってきたのは、七色のカステラというか、ドラ焼きというか、

そんなものだった。

「待ってたわ。これを食べなきゃ。食事の〆って感じがしないものね」

 またまた、わからないものが出てきた。いったい、これは何だ?

「あの、これは、カステラですか、ケーキですか?」

 すると、執事は、少し考えてからいった。

「そのようなものです」

 それだけしか言わないということは、きっと、説明が難しいのだろう。

オレは、あいつが食べているのを見ながら、一口食べる。

「う~ん、これは、なんていうか、スポンジケーキみたいな……」

「それは、虹を焼いたお菓子よ」

「ハァ?」

 あいつの一言で、オレの箸が止まった。

「虹って、あの空の虹のことか?」

「他にないでしょ」

「だけど、虹って、食べるもんじゃないだろ」

「そんなことはないわよ。いろんな食べ方あるし。ホントは、そのまま食べる

のが一番おいしいんだけどね」

 虹をそのまま食べる? どうやって食うんだ? 魔法使いは、怪獣か? どんな食生活してるんだ。だけど、ここも思い切って、一口食べてみる。

「なにこれ? 甘くてうまいじゃん」

「でしょ、でしょ」

 あいつは、オレの同意を得て、大きく頷いている。

優しい甘さを感じた。まるで、和菓子のように上品な甘さで、口どけも

爽やかだ。ふんわりした食感で、なんともいえない幸せの味がした。

一口食べると、頬が緩んで顔が笑ってしまうくらいだ。

その後に、青い飲み物を飲むと、口の中がサッパリする。とても不思議だ。

「そうそう、すっかり忘れてたよ」

 オレは、食べることに夢中で、とても大事なことを忘れていたことを

思い出した。小さな箱を取り出して、あいつの前に置いた。

「いつ渡そうかと思って、買っておいたけど、優勝記念にオレからプレゼント」

「私に?」

「当たり前だろ。他にいるかよ」

「ホントにホント?」

「ウソじゃないって」

「夢みたい。うれしい。うれしすぎるぅぅぅ」

 そういうと、あいつは、座った姿勢のまま、天井まで飛び上がった。

「お、おい……」

「お嬢様、落ちついてください」

 オレと召し使いの声が重なった。

「あイタ……」

 あいつは、天井に軽く頭をぶつけると、元の席に下りてきた。

慌てて執事があいつに手を添える。

「ねぇ、開けてもいい?」

「いいよ」

 そういうと、あいつはオレの渡した小さな箱を開ける。

「うわぁ…… 可愛い!」

 あいつは、そういうと、箱から取り出したキリンのポーチを手に取った。

「明、ありがとう。あたし、一生、大事にするから」

「よかったですね。お嬢様」

「うん。見てみて、可愛いでしょ」

 あいつは、召し使いや執事に向けてポーチを見せびらかす。

キリンの形をした小さなポーチを見つけたときは、いつかあいつに渡そうと

思って買っておいたものだ。

「どう、似合う?」

 あいつは、肩からポーチをかけると、立ち上がってオレの前でくるくる回って見せた。

「よく似合うよ」

「明、ホンッとに、ありがとう。とっても、うれしいわ」

 そういうと、座っているオレに体を軽く折り曲げると、頬に軽くキスをした。

「これは、お礼よ」

 あいつは、笑って言うと、肩からかけたポーチを大事そうに胸に抱いた。

しかし、執事と召し使いは、信じられないものを見たかのように、

オレとあいつを交互に見つめていた。

「お、お嬢様…… なんと言うことを……」

 二人とも、目の前で、人間のオレにキスなんかするから、頭が沸騰している

らしい。

「いいじゃない。人間だって、魔法使いだって、好きな人には、キスする

でしょ」

「あの、そういうことではなく、その……」

 慌てふためいて言葉が出てこない執事の気持ちは、オレにも痛いほどわかる。

執事や召し使いより、この場にいるオレが一番どうしたらいいのか

わからないのだ。

「あの、このことは、王様と女王様には、内密ということで……」

「そ、そうですわね。明様も、ご承知くださいませ」

「わかってます。ハイ……」

 オレたち三人は、この場をどう治めるかに必死なのに、あいつ一人は、

浮かれていた。

「うれしくて、また、お腹が空いちゃったわ」

 そういうと、あいつは、テーブルに残っている料理を、また食べ始めた。

よく食べるなと思うと同時に、太るとかダイエットとか、魔法使いは関係ないのかと思った。

「うれしいと、お腹が空くのね」

 そういって、あいつは、食べ続けている。

見ているこっちもなんだか腹が減った気分になる。

「明も、食べようよ」

「そうだな。せっかく、ポロンさんが作ってくれたんだもんな。残しちゃ、

もったいないよな」

 オレもあいつを見て、フォークとナイフを使って、いろいろ食べ始めた。

どれもこれも、初めて食べたものだけど、全部がおいしかった。

それに、おいしそうに食べるあいつを見ていると、オレもそれに釣られて

しまう。

 さっきまでの緊張感は、もうなかった。オレたちは、笑ったり、おしゃべりしたり楽しい食事になっていた。いつの間にか、執事や召し使いも、オレたちの

話に笑ったりするようになっていた。

オレたちは、時間を忘れて楽しいひと時を過ごした。

「明、ちょっと待っててね」

 そういうと、あいつは、席を立って、二階に上がっていった。

「もう、お腹一杯だ。ご馳走様でした」

 オレは、手を合わせて、召し使いに言った。

「明様、ありがとうございました」

「イヤイヤ、オレの方こそ、今日は、ご馳走になって、ありがとうござい

ました」

「私、感動いたしております」

「えっ? あの、オレ、なんか言いました?」

 深々と頭を下げた召し使いが顔を上げると、涙ぐんでいるのを見て驚いた。

「明様が、私の作った物を食べてくれるのか、正直言って不安でした。

人間である明様のお口に合うかどうか、実は心配していました。それなのに、

明様は、おいしいといって、食べてくれたことに、私はうれしくてたまり

ません」

「ホントにうまかったんだって。そりゃ、初めて食べたものだけどさ、

うまけりゃいいんだよ」

 そういうと、召し使いは、涙が止まらないみたいで、執事が差し出した

ハンカチで目元を拭った。

「ポロン、しっかりしなさい。明様の前で、みっともないですよ」

「ハイ、失礼しました」

 そういうと、召し使いは、空になった皿を片付けて、奥に引っ込んでいく。

「明様。実は、私も感動いたしました」

 執事までが、なにを言い出すんだ。 

「先ほど、明様がおっしゃいました。残してはもったいないと。それに、私は

感激いたしました」

「いや、そのなんていうか、ウチの母さんからも、作ってくれたものは、

残すなって言われてるから」

「明様のお母様は、とても素晴らしい人間なのですね。そして、明様も、

素晴らしいです」

 そこまで言わなくてもいいと思うけど…… なんだか、恥ずかしくなって

くる。

「魔法の国では、食べ物は、残すのが当たり前なのです」

「えっ、それじゃ、残ったものはどうするんですか? 捨てるんですか?」

「いえ、捨てるのではなく、魔法で消すのです。しかし、作ったほうとしては、

せっかく作った物を食べずに消してしまうというのは、余り気持ちのいいこと

ではありません」

 それはそうだ。作ったものを残されるのもつらいけど、それを捨てるのは、

もっとつらい。消すと捨てるとでは、意味が違うのかもしれないけど、

作ったほうにとっては、同じことだ。

「魔法の国では、すべてが魔法で処理されるのです。それなのに、明様は、

もったいないといって食べたのです。

私は、そこに感激しました。私は、人間というのを少し誤解していたように

思います。明様を見て、考えを変えようと思います」

 なんだか、話が違う方向に向いてきた。オレは、執事が言うほど、立派な

ことをしてはいない。でも、あの強面の執事が、オレを見て、人間を少しでも

理解してくれるなら、うれしいことだ。

「明、これ、見て」

 二階から降りたきたあいつは、そういって、オレにキリンの縫いぐるみを

突き出した。

「これって、オレのキリンと同じやつだろ」

「これは、魔法の国から持ってきたの」

 そういうことか。だから、オレのキリンと話が出来るのか。

「これを明に見せたかったんだ」

 あいつは、うれしそうに言うので、オレもつい頬が緩んでしまう。

子供っぽいところは、人間の女の子と同じだ。

「あのさ、だから、明のキリンと交換して欲しいの」

「ハァ? 同じなんだから別にいいだろ」

「全然違うよ。明のキリンは、動物園で買ったものに、魔法をかけて話せる

ようにしたものでしょ。これは、魔法の国から持ってきたキリンよ。だから、

全然違うの」

「それは、そうだけど、どっちも話が出来るなら、交換することないだろ」

「あたしは、アレがいいの。明のキリンがいいの!」

 最後は、だだっ子のようにわがままを言い始めた。

「わかったよ。それじゃ、取ってくるから」

「大丈夫。魔法で取ってくるから」

「あっ、イヤ、ちょっと待て……」

 オレや召し使い、執事が止めるのも聞かず、あいつは、いつもの呪文を

唱えた。すると、テーブルの上に、オレの机の上にあったキリンの縫いぐるみが現れた。あいつ以外の三人は、呆れてものもいえない雰囲気だった。

しかし、あいつは、うれしそうにテーブルに置いてあるキリンと自分が

抱いているキリンを交換して一方をオレに渡した。

「これが欲しかったの。だって、これは、人間界の物でしょ」

「お前、人間界のものが欲しかったのか?」

「うん。だから、明がこれをくれたとき、すっごくうれしかったんだ」

 そういって、キリンのポーチをオレに見せた。

人間界からのお土産という意味なのかもしれない。それならそれで、

いい記念になる。

「そのキリンの使い方は、同じだからね」

あいつは、そういって、大事そうにオレのキリンを抱きしめた。

オレは、あいつの喜ぶ姿を見て、そろそろ帰ろうと席を立った。

「今日は、いろいろご馳走様でした。今夜のことは、人には言わないので、

安心してください」

 オレは、頭を下げて、執事と召し使いに言った。

「明様……」

 二人とも、それ以上言葉が続かなかった。

「それじゃ、オレは、帰るわ。また、明日な」

「うん、また、明日ね」

「キリン、ありがとな」

 振り向いてそういうと、あいつは、元気よく手を振っていた。

執事と召し使いは、オレが出て行くまで、頭を下げたままだ。

 オレは、隣の自分の家の玄関の前に立つと、手にしたキリンを見て、

さっきまであったことは夢じゃないことを感じた。

このキリンが、何よりの証拠だ。

「ただいま」

 そういって、ドアを開ける。

「お帰り。遅かったわね。お隣さんは、大丈夫だった?」

「うん、別に大丈夫だよ」

 母さんにそういって、部屋に行こうとすると、妹が声をかけた。

「ねぇ、マコお姉ちゃんちで、なにを食べてきたの?」

「なにって…… ご馳走だったぜ」

 そういうしかない。いくら妹でも、あの料理のことは秘密だ。

「あっ、それなに?」

 手に持っていたキリンを見て、妹が寄ってきた。

「可愛い! あたしにも見せて」

「いや、これは、ダメ。あいつからもらった大事なものだから」

「マコお姉ちゃんからもらったの? お兄ちゃんもやるわね」

 妹もあいつのこととなると、それ以上突っ込んでこない。

「おい、食事をご馳走になったなら、お返しにお隣さんをウチに呼びなさい」

「それ、いいわね。ねぇ、お母さん、マコお姉ちゃんをウチに呼ぼうよ」

「いいけど、ウチじゃ、お隣さんのような、ご馳走は作れないわよ」

「いいんだよ。お母さんの手料理で。特別なことをすることはない」

 なんだか、また話が違う方向に向いてきた。

あいつをウチに呼んで、食事をご馳走するなんて、考えたこともなかった。

さっき食べたような、不思議な料理の数々を、うまいと食べていたあいつが

ウチのような家庭料理が、口に合うわけがない。魔法使いと人間とでは、味覚も好みも違うのだ。

「別に、そこまでしなくてもいいんじゃないかな」

 オレは、なるべく小さな声で言った。

「何を言ってんだ。ご馳走になってばかりで、お返しをしないでどうする」

「そうよ。それにお隣なのよ。いつも仲良くしてもらってるのに、こっちこそ

招待したいくらいよ」

「あたしもマコお姉ちゃんにいろいろ聞きたいこともあるし、招待しようよ」

 三対一では分が悪い。ここは、おとなしく引き下がった方がいい。

「それじゃ、明日、聞いてみるよ」

 オレは、そういって、誤魔化して急いで部屋に戻った。

ベッドに横になると、少し前のことを思い出す。あんなものを食べたのは

初めてだし、あの取っ付きにくい召し使いと強面の執事から、あんなことを

言われたのもビックリだ。

今日もいろいろあったなと、思いながら天井を眺めていると、部屋のどこかから音が聞こえた。

起き上がって、音のする方向を見ると、あのキリンだった。

『もしもし、明、聞こえる?』

「もしもし、聞こえるよ」

『よかった、通じる、外に出て』

 いわれたオレは、ベランダに出ると、あいつもベランダにいた。

「今日は、ご馳走になったな」

「そんなことない。あたしのほうこそ、今日は、来てくれてありがとね。ポロンもカブもすごく喜んでたよ」

 そういってくれると、少しは、安心する。

「これで、あたしが魔法の国に帰っても、話できるね」

「えっ!」

「だって、魔法の国でも、明と話がしたいじゃない。顔は見えなくても、

声くらい聞きたいし」

 突然、そんなことをいわれて、オレはドキッとした。

確かに、オレも同じ気持ちだ。いつか、あいつは、魔法の国に帰る。

別れる日が来るのだ。あいつの言ってることは、すごくわかる。

だけど、オレは、まだ、あいつと別れる日がくることなんて、考えたことも

ない。考えたくもない。それなのに、あいつは、そのことを今からちゃんと

考えている。

「どうしたの? なに、黙ってるのよ」

「あっ、イヤ…… そうじゃないんだ。これ、ありがとな。大事にするよ」

 オレは、改めてキリンを見つめた。

「それじゃ、また、明日ね。おやすみ」

 あいつは、そういって、キリンを抱いて部屋に入っていった。

「おやすみ」

 オレは、あいつの背中にそういって、自分も部屋に入った。

オレは、机にそのキリンを置いて、ベッドに入る。

何気なく、ベッドの中からキリンを見ると、あいつと特別な繋がりを持てた

ようで、ちょっとうれしかった。


 翌日、いつものように、朝食を食べて、制服に着替えると、かばんを持って

妹と玄関に向かう。

「おはよう、明」

 いつものように、あいつが迎えに来た。

「おはよう、マコお姉ちゃん」

「おはよう、ゆきちゃん」

 オレたちは、いつものように、三人で登校する。その途中のことだった。

「マコお姉ちゃん、昨日、お兄ちゃんが夕食ご馳走になったんでしょ」

「ご馳走って言うほどじゃないけどね」

「だから、今度、お返しに、マコお姉ちゃんをウチに招待したいんだけど、

来てくれますか?」

 おいおい、いきなり言うかよ。それは、オレの台詞だろうと、妹に突っ込み

いれたくなった。

「ホントに?」

「うん。ホントよ。お父さんもお母さんも、マコお姉ちゃんを招待したいって

いってるし」

「うれしい! ねぇ、明、ホントに行ってもいいの?」

「うん、まぁ、その、お前さえよければ……」

「行く! 行きたいな」

「やったぁ! ねぇ、マコお姉ちゃん、いつがいい?」

「あたしは、いつでもいいけど」

「ちょ、ちょっと待て。母さんの都合もあるから、勝手に決めるな」

 話が勝手に進んでいくので、慌てて止めに入る。

「そうか。それじゃ、今夜、お母さんに聞いてみるね」

 妹は、そういうと、オレたちと別れて中学の校舎に走っていく。

「なぁ、ホントに来るのか?」

「迷惑じゃなければね」

「それは、大丈夫なんだけど。人間の家庭の食事が、お前の口に合うのか?」

「う~ん、それはわからないけど、明のお母さんが作るものなら、きっと

おいしいから大丈夫よ」

 そういわれると断れない。母さんの料理は、決してまずくはない。

毎日、当たり前のように食べているので、おいしいというより、それが普通だ。

そんな普通の家庭料理が、魔法の国の次期女王のお嬢様が、食べられるのか、

それが心配なのだ。

「それにさ、人間がいつも食べているものにも興味があるのよね」

 そういって、あいつは、ニコニコ笑った。

「そんなに楽しみにされても、母さんの作るものって普通だぜ」

「明にとっては、普通でも、あたしにとっては特別なのよ」

 他人の家庭料理を食べることは、確かに特別感がある。

オレも友だちの家で、食事をご馳走になったことがある。

同じご飯、同じ味噌汁でも、味が違っている。それだけでも、特別な感じが

した。

「それじゃ、日にちが決まったら、教えるから」

「わかった。待ってるわ。そのときは、あのキリンさんでね」

 そういう時に、あのキリンの縫いぐるみは使うのかと気が付いた。

「なんか、楽しみだなぁ…… 明が毎日食べているものって、どんなもの

なんだろう」

「お前んちで食ったようなもんじゃないことだけは、確かだから」

「それくらい、わかってるわよ。でも、楽しみ。人間の食べ物って、どれも

おいしそうなんだもん」

「お前って、食うのが好きなんだな」

「もちろん。そりゃ、魔法の国にもおいしいものはたくさんあるわよ。だけど、人間の世界の食べ物って

すっごく、おいしそうじゃない。魔法の国に帰るまで、たくさん食べたいのよ」

 魔法の国に帰るまでという言葉を聞くと、オレの気持ちが少し沈んでいく気がした。

オレは、あいつと別れたくないという気持ちが、いつの間にか膨らんでいた

のだ。

いつまでも、大人になっても、隣同士で仲良くしていたいと思っていたし

そんな時間がこれからもずっと続くものだと思っていた。

でも、あいつは、そうじゃない。いつか帰る日がくることを、ちゃんと考えて

いる。

 もちろん、それを引き止めることはオレには出来ない。

あいつは、魔法の国に帰って、女王になるのだ。自分の国に戻ることを、他人のオレには止める権利はない。

「どうしたの? なんか、元気ないけど」

 あいつと別れる日のことを思って、下を向いていると、あいつに声を

かけられた。

「イヤ、なんでもないんだ」

 オレは、慌てて否定して笑って見せた。


 学校が終わって、オレたちは、いつものように二人で下校する。

「ねぇ、ちょっと、寄り道しない?」

 いきなりあいつが言い出した。

「別にいいけど。どこに行くんだ?」

「どこって言われても、特にないんだけどさ、明とお散歩しながら歩きたいの」

 オレは、思わず足が止まった。オレと歩きたいって…… 

これってデートってことか?

「あたしと歩くのイヤ?」

「全然、イヤじゃないって。そんなことないから……」

「よかった」

 あいつは、笑ってそういうと、オレの右手に自分の腕を絡めてきた。

「お、おい…… 誰かに見られたらまずいんじゃないのか」

「いいじゃない。だって、あたしは、明のこと好きなんだもん。人間て好きな

人と腕を組んだり手を繋ぐんでしょ」

 そこまではっきり言われると、オレも照れる。

「手を繋いだ方がいい?」

「イヤイヤ、どっちでもいいし」

「それじゃ、手を繋ごう」

 そういって、腕を離すと、オレの右手を掴んだ。オレもあいつの手を握り

返す。あいつと手を繋いだのは、これが初めてではないが、やはり、女子と手を繋ぐのは緊張する。白くて細くてやわらかいあいつの手は、ほんのり

温かかった。

「なんか、楽しいね」

 あいつは、そういって笑った。もちろん、オレも楽しい。

だけど、それを口に出していうのは、勇気がいった。男なのに、意気地なしだ。

 そのまま手を繋いで、目的もなくただ他愛のないおしゃべりをしながら

歩いた。

学校のこと、友だちのこと、同好会のこと、家でのこと、魔法の国のこと、

執事や召し使いのこと、あいつの両親のことなど、会話は止まる事を知らない。

 オレは、ただ聞いているだけだった。何しろ、オレの知らないことばかりで

初めて聞く事のが多かったので、感心したり、頷いたり、驚くばかりだった。

 オレたちは、どこに行く訳でもなく、町をぶらぶらしているだけなのに、

なんだかとても楽しかった。

「ねぇ、明。聞いてもいい?」

「なんだよ?」

 突然あいつがいってきた。

「あたしが、魔法の国に帰っても、あたしのこと、忘れないでね」

 オレは、思わず足が止まった。なにを言い出すんだ。オレは、どう返事を

すればいいんだ?

一瞬考えた。でも、答えは、決まっている。一つしかない。

「当たり前じゃないか。忘れるわけないだろ」

「ホント?」

「ホントだって。絶対、忘れないから、安心しろ」

「よかった。あたしも、明のこと、絶対、絶対、忘れないから」

 そういわれると、オレもうれしい。だけど、別れはいつか必ずやって

くるんだ。

そのときのことを思うと、オレは心が締め付けられそうだった。

「だから、魔法の国に帰るまで、ずっと仲良くしてね」

「わかってるよ」

 オレは、あいつを安心して、魔法の国に帰したかった。

人間の世界で、悔いを残して欲しくなかった。だけど、別れるのは、淋しい。

「あのさ、お前、いつ、帰るんだ?」

「それは、わからないわ。パパが、帰って来いって言うまでよ」

「まさか、明日とかじゃないだろうな?」

「そんなわけないでしょ。もうしばらくは、いるから」

「もし、帰るときがきたら、絶対、オレにいえよ」

「うん。約束する」

 その言葉を聞いて、少しは安心した。突然、別れるなんて、絶対に認めたく

ないからだ。

「それじゃ、暗くなってきたから、そろそろ帰ろうか」

「うん。だけど、ここは、どこ? 迷子になったかもよ」

「バカだな。オレがちゃんとウチまで送っていくから」

「頼りにしてるよ。明」

 そういって、あいつは、オレの手を握り返してきた。

もちろん、迷子ではない。子供の頃から地元に住んでいるオレには、庭みたい

なもんだ。町内をぐるぐる回っているだけなので、ウチにもすぐに帰れる。

「それじゃ、またな」

「うん、明日、学校でね」

 そういって、お互いの家の前で別れた。

その時、オレの家の玄関が開いて、母さんが出てきた。

「あら、お兄ちゃん、お帰り」

「ただいま」

「マコちゃん、丁度いいわ。あなたに話があるの」

「ハイ?」

 母さんは、家に入りかけたあいつを呼び止めた。

「この前、ウチの子がご馳走になったじゃない。だから、今度は、お返しに、

あなたをウチに招待したいの。いつ頃がいいかしら?」

 そういうことか。オレは、昨日の話を思い出した。

「あたしなら、いつでもいいですけど」

「そう。だったら、明日の夜ってどうかしら? 学校が終わってからでいいのよ」

「大丈夫ですけど、いいんですか?」

「もちろんよ。お隣同士だし、お兄ちゃんとはいつも仲良くしてもらってるん

だもの」

「それじゃ、喜んでお邪魔します」

 そういって、あいつは、うれしそうにしていた。

「じゃ、明日、楽しみにしてるわね」

 母さんは、そういって、家に入っていく。

なんとなく、明日が不安になったけど、あいつがオレの家に来るということ

だけで、なんか気分が高揚してきた。明日は、精一杯、もてなしてやろうと

思った。

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