第6話 魔法使い、空を走る。

 見ているオレのが緊張してくる。ドキドキして、心臓が口から飛び出そう

だった。

スタート地点を見ると、全部で六人走るようだ。

六校のうち、ウチの学校は、第一コースだ。

インコースだから、スタート位置は、一番後ろだけに、スタートとコーナーが

大事だ。 そして、合図のピストルとともに第一走者がスタートした。

「よし、いいスタートだ」

 オレは、身を乗り出していた。

すぐにコーナーを曲がるので、このときにインコースは有利だ。

うまい具合に曲がることが出来て、すぐに三位の位置になった。

 直線に入り、すぐに第二走者にバトンを渡す。

「よし、行け!」

 バトンパスもうまくいった。このままで行けば、あいつの力を出さなくても、一位になれる。しかし、二位との差は縮まらなかった。

それどころか、どんどん離されて行く。

「まずいな」

 オレは、手に力を込めて見守るしかなかった。

第三走者とのバトンもうまくいった。しかし、二位との差が縮まらない。

見ると、四位の選手がすぐ後ろに迫っている。このままじゃ、三位も危ない。

「ダメだ」

 そう呟くと、あいつの姿を目で追った。あいつは、練習のとおり、左手を

後ろに突き出し第三走者を待ち受けている。一位の選手が追加する。

続いて二位の選手も先に走り出した。

ウチの学校は、三位だったが、微妙な差で四位の選手と並んで、最後の

アンカーで勝負が決まる。

「頼むぞ」

 オレは、神様に祈るような気持ちだった。しかし、それは、自分の学校を

応援するのとは違い魔法を使わず、本気も出さず、バトンパスも

うまく行くことだった。そして、いよいよ最大難問のバトンパスのときが来た。

 あいつは、左手を伸ばして、ゆっくり走りながらバトンを受け取った。

「よっしゃぁー!」

 思わずそういって、ガッツポーズを作った。

「そのまま、そのまま」

 このまま三位でゴールすればそれでよかった。

しかし、そう簡単にオレの理想通りにことが運ぶはずがない。

追いつかれそうになった四位の選手をあっという間に引き離すと、二位の選手に迫ってきた。

そして、見る見るうちに追いつくと、あっさり抜いた。すぐ目の前には、

一位の選手がいる。だが、ゴールはもうすぐだ。五十メートルなので、

走る距離が短いので離されると追いつく時間が足りない。

このまま行けば、二位でゴールできる。

 でも、あいつは、諦めなかった。すごい速さで一位に迫ってきた。

このままじゃ、優勝してしまう。なのに、オレは、こう叫んでいたのだ。

「行けぇ! 負けるな、マコ」

 なぜだかわからないが、オレは、あいつを応援していたのだ。

このまま二位ならそれでもよかったはずなのに、今のオレは、あいつが

負けるところを見たくなかった。

「走れぇ! 行けるぞぉ」

 なにがなんだか自分でもわからなかった。なにが理想でなにが現実なのか、

わからなかった。ただ自分の感情が、あいつが負けることを許さなかったのだ。

 そして、一位の選手に並ぶことなく、簡単に追い抜くと、さらにスピードを

上げてゴールを駆け抜けた。ゴール地点の審判も、回りで見ていた学校関係者も

他の選手たちも、時間が止まったかのように、呆然としていた。

 まさかの優勝だった。強豪校を抑えて、ウチの学校が優勝したのだ。

しかも、優勝タイムが、新記録どころか、すごい数字を残したらしい。

あいつ以外の選手たちは、普通のタイムだったが、あいつががんばりすぎた

おかげで、大学生や社会人でも出せない、レコードタイムだった。

「やったー! マコー、やったぞ」

 それなのに、オレは、あいつの一位でゴールしたことを、自分のことのようにうれしかった。見ると、あいつもゴール地点でピョンピョン飛び跳ねていた。

 ホッとしたオレは、ベンチに腰を下ろすと、一気に現実が襲ってきた。

「もしかして、まずいことになったかも……」

 しかし、当の本人は、勝ったことがうれしかったのか、現実をまったく

わかってない。

他の選手たちも集まって、肩を組んで優勝を喜んでいた。

「イヤ、大丈夫だ。あいつは、魔法を使ってない」

 今度は、違う意味で神様に祈った。そして、何とか無事にリレーは

終わったのだ。後は、長距離走だけなので、あいつの出番はない。

表彰式が終わったら、帰るだけだ。

 オレは、パンフを見ながら表彰式の時間を確認した。

あいつの出番も終わったので、戻ってくると思っていた。

それなのにあいつは、一向にオレの所に来なかった。グランドにも姿が

見えない。何かあったのか? 不安は募るばかりだ。

しかし、スタンドにいるオレには、どうすることも出来ない。

 その時、場内アナウンスが聞こえた。最後の競技である、

女子千五百メートル走を告げた。

選手がグランドに現れて、スタート地点に向かって歩いていく。

なんと、その中に、あいつがいた。

「ウソッ! 何で、あいつがいるんだ」

 思わず立ち上がって独り言のように言っていた。しかし、間違いなく

あいつだ。ウチの学校のユニフォームを着ている。何であいつが走るんだ?

頭の中がパニックになって、今の状況を把握できなかった。

 

 そもそも、あいつは、リレーだけのはずだ。それを長距離走を走るなんて

聞いてない。しかし、スタンドにいるオレは、とめることも出来ず、

ただ見守るしかなかった。

 選手の数を数えてみると、全部で十五人だ。

オレが、心配するのも知らずにあいつは、楽しそうな顔をしている。

そして、そんな不安なオレを無視して、選手に混じってあいつもスタート地点に歩き出す。すぐに号令がかかって、選手たちは一斉に走り出した。

 不安しかないオレの目の前を選手たちに混じってあいつも走り出す。

トラックは、二百メートルあるので、七週半走る。

見ると、あいつは、後方集団に混じっていた。明らかに力を抜いているのが

わかる。そのままトラックを一周、二周と走りぬける。

しかし、あいつは、そのまま抜け出すこともしないで、後方集団に

混じっている。

 先頭集団から見る見るうちに離されて行く。先頭の選手たちは、

五人くらいだ。

足が速いのか、後方集団を離していく。それどころか、あいつは、他の選手にも抜かれていく。見ているうちに、だんだんイライラしてきた。

 四週目を回って、スタンド前に来たとき、オレは、我慢できずに

こう叫んでいた。

「なにやってんだ。走れ! 走るんだ。行け、マコー」

 オレは、スタンドの柵まで駆け寄ると、大声でいっていた。

すると、あいつは、チラッと横目でオレを見ると、片手をあげた。

 それが通じたのか、それともそれが合図だったのか、急にあいつは

走り始めた。

あっという間に、後方集団から抜け出し、中段の選手たちも軽く抜き去った。

 五週目を回ったころには、先頭集団に迫る勢いだった。

「そうだ、その調子だ。負けるな、マコ」

 気持ちとは逆に、独り言のように言っていた。

そして、六週目に入り、スタンドの前に来たときには先頭集団にいた。

だが、そのときだった。オレの目の前で、あいつが転んだ。

「あっ!」

 思わず、オレは、口走った。

転倒したあいつを、次々と選手たちが追い抜いていく。

選手たちは、ラストスパートに向けて、走るのが速くなっていった。

 あいつは、立ち上がると、足をパンパンと叩く。その前を選手たちが

どんどん追い抜いていく。

「がんばれ、マコー」

 オレは、力の限り叫んでいた。

すると、あいつは、オレにもわかるように、笑顔で振り向くと、

再び走り出した。

「がんばれ、マコ。負けるな。本気出せ」

 オレは、そう呟いていた。

その気持ちが通じたのか、追い抜かれた選手たちを、次々と追い抜いていった。

「足は、大丈夫なのか……」

 転んだ足でそんなに走って痛くないのか? 無理するな。怪我はするな。

オレは、祈るような気持ちであいつを見ていた。

 しかし、あいつは、飛ぶような速さで、先頭集団に追いついてしまった。

七週目を回ったときには、あいつは、四位の位置にいた。

前を走るのは、あと三人だ。だが、あと半周しかない。

トップの三人は、有力選手だけに、早いのは素人のオレでもわかる。

 なのに、あいつは、まったく諦めていない。

三位の選手を軽く抜き去ると、二位の選手に並んだ。ゴールは、すぐ前だ。  

「マコーっ! 走れぇー!」

 オレは、声が枯れるくらいの大声であいつに声援を送った。

すると、あいつは、二位の選手を抜いて、トップの選手に並ぶと、

あっさり抜いた。

「よしっ!」

 オレは、知らずに拳を握って、ガッツポーズを作っていた。

あいつは、トップの選手を抜き去ると、ゴールに向かってものすごい速さで

走った。そして、ゴールテープを一位で切った。

抜かれた二位の選手を引き離してのゴールだった。

「やった!」

 オレは、自分のことのように飛び上がっていた。

あいつもゴール地点で、飛び跳ねている。次々とゴールしてくる選手たちが

息を切らして体を曲げて、両手を膝についたり、息が切れて倒れこむ選手も

いた。それなのに、あいつは、まったく息を切らしている様子はなかった。

 電光掲示板のタイムを見ると、またしても、とんでもない記録だった。

もちろん、レコードタイムだ。その数字を見て、オレは、現実に引き戻された。

「喜んでいられないぞ。もしかして、まずいかも……」

 オレは、スタンドのベンチに座ると、逃げ出す準備をした。

事の重大さをわかっていないあいつを守らないといけない。

でも、グランドに下りていくわけにはいかない。どうしたらいいのか、

考えながらベンチから立ち上がって、スタンドから降りていった。

「明、勝ったよ」

 目の前にたった今、一位でゴールしたあいつが立っていた。

「マコ…… お前……」

「応援ありがとう。明の声、ちゃんと届いてたよ」

「バ、バカ……」

 なぜかわからないが、オレは、泣いていた。

あいつが優勝したのがうれしかったのに、オレは、あいつが負けることを

望んでいた自分に腹が立った。

「なに、泣いてんの? そんなにあたしが勝ったのが、うれしかったの」

「なに、言ってんだよ。そんなんじゃないよ」

 そういって、シャツの袖で涙を拭くと、あいつの目を見てちゃんと

言うことがあった。

「優勝、おめでとう」

「うん、ありがとう」

 次の瞬間、オレは、あいつを抱きしめていた。

「ちょ、ちょっと、明、なにしてんのよ?」

「マコ、ごめん。ごめんな。でも、お前、偉いな。がんばったな」

 オレは、あいつを抱きしめると、耳元でそういっていた。

「ちょっと、明、離してよ」

「ご、ごめん」

 オレは、やっとあいつを離した。

「なんだかよくわからないけど、明にそういってもらえて、うれしいよ」

「それじゃ、表彰式にいってこい」

「うん。いってくる。いっしょに帰るんだから、待っててよ」

「わかってるって」

 あいつは、そういって、オレに大袈裟に手を振りながらグラウンドに

戻っていった。

表彰式では、あいつは、一番高いところに立って、金メダルをもらっていた。

そんなときでも、あいつは、スタンドにいるオレに大きく手を振っている。

もちろん、オレは、手が折れるくらい拍手をしていた。

 正直、心の底からうれしかった。だけど、あいつには、聞かなきゃいけない

ことがたくさんありすぎる。

だけど、今は、そんなことは、どうでもよかった。そんな気分じゃない。

それが、オレの正直な気持ちだった。後のことは、後で考えようと思った。

 

 スタンドを下りると、制服に着替えたあいつが戻ってきた。

「帰ろう」

 あいつは、そういって、オレの腕を取った。

「いっしょに帰らなくていいのかよ?」

「だって、あたしの役目は、終わったもん。だから、これで終わり」

 なんだかよくわからないが、あいつがいいというなら、いいんだろう。

オレは、あいつとバス停に向かって歩き出した。

「ねぇ、約束、覚えてる?」

「えっ、なんだっけ?」

「えーっ、忘れたの? 酷くない。勝ったら、思いっきり走らせてくれるって

いったじゃない」

 そういって、ほっぺたを膨らませて横を向いてしまう。

「そうだったな。ごめん、ごめん。約束は、守るよ」

「ホントに?」

「ホントだって」

「よかった」

 あいつは、そういって、また、笑った。あいつの笑顔をすぐ傍で見ると、

オレも笑ってしまう。

バス停に付くと、丁度バスが来たので、それに乗った。一番後ろの席に二人で

並んで座った。

「今日は、カッコよかったぞ。優勝、おめでとうな」

「ありがとね。明がちゃんと応援してくれたからだよ」

 そんなことをいわれると、なんか照れる。

「それより、足は、大丈夫なのか? 痛くないのか」

 オレは、転んだことを心配して、足を見た。

「なんともないわよ」

 そういって、スカートの下の足をオレに投げ出して見せた。

みると、確かに傷はなかった。真っ白に伸びたきれいな足だ。

「でも、転んだだろ」

「足がもつれちゃっただけ。あんまりゆっくり走ってるから、他の人たちに

合わせてたら、転んじゃった」

「怪我は?」

「したけど、治した」

「治した?」

 またしても、魔法使いならではの不思議な表現だ。

「まさか、魔法で……」

「そうよ。アレくらい、ちょちょいのちょいよ」

 そういって、自分の足を撫でて見せた。

さすが、魔法使いだ。転んだ怪我くらい、簡単に治せるんだ。

「そうだ。なんで、千五百なんか走ったんだよ?」

「一人たらないから走ってくれって、頼まれたのよ」

「だからって、走ることないだろ」

「どうしてもっていわれたんだもん。頼まれると断れないのよね」

 そういって、あいつは、困ったような顔をしながら笑った。

「でも、あんな記録出したら、明日大変だぞ」

「大丈夫よ。なんだか知らないけど、そういうのって、参考記録って

言うんだって。だから、なかったことになるの」

 そんな話もあるのか? オレにもよくわからないけど、適当すぎるだろ。

だからといって、あいつの出した記録を正式に認めたら、それのが大変なことになる。呆れるやら、ホッとするやら、オレは、少しずつ落ち着きを

取り戻していた。

 そんなときだった。また、あいつはオレの肩にもたれかかってきた。

「お、おい……」

 慌ててみると、あいつは、オレの肩に頭を乗せて、居眠りを始めた。

やっと落ち着いてきたオレの心臓が、またドキドキしてきた。

あいつの寝顔をすぐ傍で見ると、胸が高鳴るのを感じたのだ。

「疲れたのかな」

 オレは、あいつを起こさないように小さな声で呟いた。

バスの振動が、気持ちよくなってきたのかもしれない。

ずっと、このままでもいいかなと、思い始めていたころ、最寄のバス停が

近づいてきた。

「おい、起きろよ。降りるぞ」

 そういって、軽く肩をゆすった。

「あっ、ごめん。また、寝ちゃった」

 あいつは、そういって、顔にかかった髪をなびかせた。

二人揃って、バスから降りる。空は、オレンジ色に染まっていた。

 なんだか、並んで歩いていると、何を言っていいのか、言葉が見つからず、

沈黙してしまう。

すると、突然あいつは、少し早足でオレを追い越すと、くるりと振り向いて

こういった。

「ねぇ、ずっと考えてたんだけど、走るのって、空でもいい?」

「ハァ?」

 オレは、なにをいってるのか意味がわからず、マヌケな声を出した。

「空よ、空」

 そういって、あいつは、夕焼け色の空を指差した。

「空って、この空のこと?」

「そうよ」

「いや、空なんて、走れないだろ」

「なに言ってんのよ。あたしは、魔法使いよ、忘れたの?」

「忘れちゃいないけど、そんなことできるのかよ」

「出来るわよ。それに、空ならどこまでも走れるじゃない」

 確かにそれはそうだが、余りにも突拍子もない話に、とてもついていけない

自分がいた。

「ねっ、いいでしょ」

「そりゃ、いいけど……」

「それじゃ、着替えてくるから、ちょっと待ってて」

「お、おい、待てよ。今から走るのかよ?」

「そうよ。だって、きれいなオレンジ色の空じゃない」

 そういうと、あいつは、家の玄関を勢いよく開けて中に入っていった。

「なんなんだ、いったい」

 いつもあいつに振り回されてばかりのオレは、このくらいのことでは、

驚かない。

しかし、空を走るっていうのは、いくらなんでも想像もつかない。

「お待たせ」

 そういって、元気よく出てきたあいつは、テレビでマラソン中継でよく見る、女子選手のような

短パンにノースリーブで、ヘソ出しルックだった。しかも、ユニフォームが

キリン模様だ。こんなとこにまで、キリンを意識するのか…… 

てゆーか、肌を露出しすぎだろ。

オレは、目のやり場に困って、固まってしまった。

「どう、似合う?」

 オレは、どう返事をしたらいいのか困ってしまった。

「ねぇ、似合わない?」

 あいつは、額にしわを寄せてオレに聞いてきた。

「イヤ、とっても、似合うよ」

 それしか言葉が見つからなかった。

「そう、よかった。この日のために作ったんだよ」

 どっからどうみても、足が細くて長いキリンだ。

「それじゃ、行こう」

「えっ、どこへ?」

「決まってるじゃん。空よ」

 そういうと、赤くて長いウェーブのかかった髪を一まとめにゴムで止めて、

ポニーテールにすると自分の二階の部屋に向かって、指を向けた。

「テクニクテクニカ、シャランラァ~」

 またしても、呪文を唱えると、二階の窓が勝手に開いて、そこから

空飛ぶ絨毯が出てきた。そして、オレたちの足元に音もなく広がる。

「さぁ、乗って」

 そういって、オレの手を取って、絨毯に乗せる。

「どうするんだよ」

「だから、空よ空。明もいっしょに走るのよ」

「えっ、オレも?」

「だって、いっしょに走りたいじゃない」

「イヤ、オレは、足も遅いし、お前には追いつけないから」

「大丈夫だって。明も早く走れるから。それじゃ、行くわよ。えいっ!」

 そういって、空を指さすと、空飛ぶ絨毯は、ゆっくり浮かんで、空に

舞い上がっていった。

「お、おい……」

 オレは、思わず絨毯に座り直すと、あいつにしがみついた。

「大丈夫よ。落ちたりしないから」

「イヤ、だけどよ……」

 絨毯に乗って、空を飛ぶなんて、何度やっても馴れるものではない。

しかし、空飛ぶ絨毯は、あっという間に上空に舞い上がると、

下には、オレの家やビルより高く飛んでいった。

「ど、どこまで行くんだよ?」

「あの夕日までよ」

「イヤ、それは、無理だし……」

 目の前には、沈み行く太陽がオレンジ色に輝いていた。

「さぁ、そろそろいいかな。でも、もう少し、このきれいな夕日を眺めて

いたいな」

 あいつは、絨毯の上に立ち上がって、オレンジ色に輝く夕日を見ている。

情けないことに、オレは、あいつの足にしがみついて、それどころではない。

「明も見てみなよ。とってもきれいよ」

 そういわれても、一歩間違えば、真っ逆さまに落ちる絨毯の上から、夕日を

見る余裕はない。次第に夕日は沈み、真っ暗な夜がやってくる。

夜がやってくるのは、早いのだ。

 オレは、あいつの足にしがみつきながら、ゆっくり目を開けると、

まさに夕方と夜の境目だった。

「あぁ~ぁ、夜になっちゃった。でも、いいわ。夜は、星が見えるから」

 あいつは、どこまでも余裕だ。それに引き換え、オレの格好悪いこと

この上ない。

「今度は、星が見えるわよ」

 あいつは、そういって、夜空をゆっくり絨毯で飛んでいく。

相変わらず、あいつにしがみついてばかりのオレだが、目を開けると今度は、

真っ暗な空が広がっていた。

そして、星がいくつも輝いていた。こんなに星を見たことは、子供のころに

田舎に行ったとき以来だ。

「星が、光ってる……」

「でしょ。星って、キラキラしてるのよ」

 あいつは、自慢するようにいった。

確かに、都会では、こんなにたくさんの星は見たことがなかった。

いったい、どれくらい高いところを飛んでいるんだ。しかし、下を見る勇気は

ない。

「この辺でいいかな。それじゃ、行くわよ。明もしっかり見ててね」

 そういうと、あいつは、絨毯の端まで歩いていく。

「お、おい、危ないぞ」

「大丈夫だって。それより、いつまであたしの足を掴んでるのよ。

離してくれないと走れないじゃない」

「ご、ごめん」

 オレは、言われて初めて気がついた。オレは、あいつの脚を握っていたのだ。

しかも、余すところなく剥き出しの白い足だ。慌てて手を離した。

「それじゃ、よーい、スタート」

 あいつは、自分で掛け声を出すと、そのまま絨毯の外に足を踏み出した。

「あっ!」

 落ちると思った。慌ててあいつを抱きしめて止めようと手を出したが、見事に空振りした。

オレより先に、あいつが絨毯の外に足を踏み出し、走り出したのだ。

「マジかよ」

 オレは、自分の目を疑った。オレの目の前で、あいつは、空を走り

出していた。

もちろん、下は何もない。普通なら、落ちていくはずだ。なのに、あいつは、

当たり前のように走っていた。信じられない。でも、これが現実なのだ。

魔法使いのあいつは、夜空を気持ちよく走っているのだ。

赤い髪をなびかせて、足を交互に出して、両手を振って、楽しそうに

走っている。

「気持ちいいわぁ。あたし、走るのって、大好き」

 そういって、絨毯の回りを走りながらオレに手を振っている。

「明、見ててね。これが、あたしの本気よ」

 そういうと、さらに走る速度を上げていく。

とても、肉眼では足の運びが見えない。それどころか、よく見ると、あいつの

走った後は虹のようなきれいな星が光っている。

「明もおいでよ。いっしょに走ろう」

 手招きしながらも走るスピードはまったく落ちていない。

「無理無理」

 オレは、首を横に振る。できるわけがない。

「もう、明ったら、勇気がないんだから」 

 あいつは、オレの傍まで戻ってくると、足がすくんで立ち上がれないオレの

手を取ると強引に絨毯の外まで引っ張っていく。

「待て待て、落ちるって……」

「大丈夫って言ってるじゃない。あたしを信じてよ」

「そういう問題じゃ……」

 足に力が入らず、オレは、引っ張られるままに絨毯の外まで引きずり出した。

「待てって、落ちるよ」

「なに言ってるのよ。下を見てみなよ。ちゃんと立ってるでしょ」

 オレは、言われて下を見ると、なんと、オレは空に立っていた。

「うわぁーっ、落ちるぅ……」

 オレは、大きな声を出して叫んでいた。

「うわぁーっ…… 助けてくれぇ~」

「明って、おかしい」

「笑ってる場合か、早く助けろ」

 オレは、あいつを睨みつけた。しかし、オレは、落ちていなかった。

それどころか、オレとあいつは、立ったまま向かい合っている。

ということは、オレは、落ちてない。どういうことだ?

「ほら、しっかりして。空の上なら、明も速く走れるよ」

 そういって、オレの手を取って、ゆっくり走り出した。

オレは、手を引かれるままに右足を踏み出した。そして、今度は、左足を

踏み出す。

「その調子よ」

「ウソッ! オレ、空を走ってる。落ちないぞ」

「当たり前でしょ」

「これって、魔法なのか」

「そうよ。だって、あたしは、魔法使いだもん」

 あいつは、オレの手を取って、少しずつ走り出す。

オレは、それにつられるように、次第に交互に踏み出す足が速くなっていった。

「もう、大丈夫でしょ。手を離すわよ。あたしについて来て。追いついたら、

明の勝ちよ」

 そういうと、オレの手を離す。

「うわっ」

 オレは、またしても情けない声を出してしまった。しかし、下に落ちない。

「ま、待てよ」

 オレは、先を行くあいつに手を伸ばす。自然と踏み出す足が速くなる。

「ほらほら、あたしを捕まえて」

 あいつは、オレに向かって手をヒラヒラさせて笑っている。

「待てーっ」

 オレは、あいつに追いつこうと、踏み出す足を速めていく。

次第にオレも、つられてだんだん早く走り始めていた。

「もっと、もっと。早くおいで」

「待てって。お前、早いんだよ」

 オレは、あいつに追いつこうと知らないうちに必死に走り出していた。

少しずつだが、落ちないという不安から、空を走っているという楽しさのが

増してきた。しかも、地上を走っているときのような足の重たさを感じない。

体が軽い。足も軽い。自分でも始めて味わう、走る楽しさ。

こんなに早く走ったことなど、今までの人生で一度もない。

自分でも信じられないくらい、早く走っているのだ。

「いいわよ。もっと、早く」

「見てろよ」

 オレは、両手を必死に振って、足を踏み出していた。

次第にあいつの背中が近づいてくる。手を伸ばしてあいつを捕まえる。

しかし、もう少しのところで逃げられる。

「惜しかったわね。もう少しよ。がんばって、あたしを捕まえて」

「負けるか!」

 オレも一生懸命走った。こんなに必死に走ったことは一度もない。

日ごろの体育の授業でも走ったことなどなかった。

なんで、オレは、こんなに必死に走っているのだろう……

気がつけば、ちっとも息が切れていない。疲れてもいない。それどころか、

どんどん足が軽くなってきた。

 オレたちは、夜空の星の下で、追いかけっこをしていた。

「よぅし、捕まえた」

 オレは、あいつに追いついて、後ろから抱きとめた。

「捕まっちゃった」 

 あいつは、そういって、脚を止めると、振り向いて笑った。

「明の勝ちだから、キスしてあげる」

「えっ?」

 不思議がるオレの答えを待たずに、あいつは、オレの唇に自分の唇を重ねた。

「魔女とキスしたのなんて、きっと、明が初めてよ」

 ほんの一瞬のことだ。だけど、あいつの柔らかい唇の感触をオレはしっかり

感じていた。いくら鈍いオレでも、キスのことは知っている。

固まっているオレを見ながらあいつは言った。

「魔法の国の伝説って知ってる? 魔女は、初めてキスした人と結婚するのよ」

「な、なんだよ、それ……」

「だから、明は、あたしのお婿さんなのよ。よかったわね」

 イヤ、それって、いいのか? その前に、オレは、まだ高校生で未成年だし、

結婚なんて考えてもいない。

「もちろん、もっと先の話よ。あたしだって、まだ子供だし、女王になって

からの話よ」

 そういって、あいつは、うれしそうに笑った。

「だから、それって…… オレは、まだ……」

 オレは、何を言っていいのかわからず、わけのわからないことをいっている。

「さぁ、帰ろうか。シャランラァ~」

 そういって、呪文を唱えると、どこからともなく空飛ぶ絨毯がやってきた。

オレたちは、その絨毯の上に腰を下ろす。オレは、まだ、緊張していた。

心臓がドキドキと鳴り止まない。こんな気持ちは、初めてだった。

「どうしたの? 顔が真っ赤よ」

「えっ……」

 オレは、頬に両手を当てた。すると、確かに火照って暖かかった。

「な、なんでもないよ」

「実は、あたしも、ドキドキしてるのよ。だって、男の人とキスしたことなんてないんだもん」

 そういって、あいつも顔を真っ赤にしていた。

「あたしのこと、嫌いになった?」

「そ、そんなことないよ」

「それじゃ、あたしのこと好き?」

「イヤ、それは、その…… なんていうか、その……」

「あたしは、明のこと好きよ」

「オレだって、お前のこと、好きだぞ」

「ホント?」

「ホントだって。信じてないのかよ」

「信じてる。うれしいなぁ」

 そういって、あいつは、絨毯の上に両足を投げ出して、星空を眺めた。

「なぁ、マコ。お前って、すごいんだな。絶対、女王様になれよ」

「うん。なるわ。そして、明を迎えに行くの」

「迎えに?」

「そうよ。魔法の国から迎えに来るから、それまで待っててよね」

「待ってるよ。いつまでもずっと待ってるから」

 ほとんど勢いでいった。自然と頭にその言葉が思い浮かんで、しゃぺらずに

いられなかった。

あいつのうれしそうな顔を見ていると、悲しませてはいけない。

いつまでもあいつの笑顔を見ていたい。マコは、笑顔が似合う可愛い

女の子なのだ。あいつの期待を裏切ってはいけない。

そんな思いで胸が一杯になった。

 気がつけば、オレたちは、あいつの家に着いていた。

「ただいま」

 オレたちは、あいつの部屋に戻ると、絨毯から降りる。

なんとなく久しぶりに地に足がついた感じがして、やっとホッとした。

何度か足踏みして、ちゃんと床に足が着いているのかを確認したくらいだ。

 すると、ドアがノックされて、召し使いが入ってきた。

「お嬢様、今までどこに行ってたんですか?」

「ちょっと、空の散歩に行ってただけよ」

「また、こんな危ないものを…… これは、預かっておきますね」

 そういって、床に広げたままの空飛ぶ絨毯を丸め始めた。

「明様もごいっしょだったんですか?」

「そうよ、それが何か?」

「王様に知られたら、怒られますよ。明様も、このことは、ないしょで

お願いしますね」

 そういって、空飛ぶ絨毯を抱えて部屋を出て行った。

「怒られちゃった」

 そういって、あいつは、舌を出して笑った。全然懲りているようには

見えない。

「いいのかよ。黙ってあんなの使って」

「いいの、いいの。まだ、空飛ぶほうきもあるしね」

 そういって、部屋の片隅に立てかけてある、何の変哲もないほうきを見た。

そういや、オレは、以前にもこのほうきに乗って、空を飛んだっけ……

「悪い、もう遅いから、帰る」

「うん。今日は、ありがとね。楽しかったわ」

「オレも楽しかった。それと、優勝、おめでとう」

「ありがとう。明に褒められるのが、一番うれしい」

 そういって、オレに抱きついてくると、頬に優しくキスをしたのだ。

「今日、二度目だね」

 あいつは、そういって、照れたようにいった。

「オレ、今日のこと、絶対忘れないから」

「あたしも」

 なんとなく二人とも、恥ずかしくなって、顔を合わせられなくなった。

「それじゃな、また、明日」

 オレは、そういって、部屋を出ると、階段を早足で下りた。

「すみません。お邪魔しました」

 オレは、奥にいるだろう、執事と召し使いに聞こえるような声で言って、

あいつの家を後にした。

オレは、自分の家の前に立つと、大きく息を何度か吐いて、今日あったことを

思い出した。気持ちを落ち着けるためだ。

気持ちを切り替えるつもりで、ドアを開けた。

「ただいま」

「おかえり。遅かったのね。どこに行ってたの? ご飯まだでしょ」

 母さんの声がする。これがいつものうちだ。普段の時間が戻ってきた

気がした。

リビングを通り、ダイニングのいつもの席に着くと、すでに食事を終えた

父さんと妹がテレビを見ていた。

「お兄ちゃん、今日、競技場に行ってきたんでしょ?」

「行ってきたぞ」

「マコお姉ちゃん、すっごい記録を出したんだって?」

「えっ、なんで知ってんだよ」

「もう、みんな知ってるわよ」

 妹までそんな情報が伝わっていることに、正直ビックリした。

確かに、ウチの妹も足が速くて、中学で陸上部に所属していて競技大会の

中学生にしてはかなり有力選手なのだ。知っていても当然かもしれない。

「あたし、マコお姉ちゃんに走り方を教えてもらおうかな」

 また、トンでもないことをいって来るので、慌てて否定する。

「イヤイヤ、あいつは、高校生だから、それは無理」

「え~、残念だなぁ」

 ウチに帰っても、冷や汗ものだ。ゆっくり落ち着けるのは、自分の部屋しか

ないらしい。オレは、夕飯を食べて、すぐに部屋に戻った。

すると、あのキリンから声が聞こえた。

『もしもし、明。外に出て』

オレは、やれやれと思いながら、ベランダに出た。

「今日は、ありがとね」

 あいつは、オレを見るなりそういった。

「オレの方こそ、楽しかったし……」

 相変わらず、キリンのプリント柄のパジャマを着ている。そんなにキリンが

好きなのか?

「それより、今日のこと、ウチのゆきは、もう知ってたぞ。明日、学校に

行ったら大変だぞ」

「別に、そんなの関係ないもん」

「そうだけど、あの時の記録は、すごかったし」

「もし、大変になったときは、明に守ってもらうから大丈夫」

 そういって、あいつは、笑った。

「アレ、助けてくれないの?」

「イヤイヤ、ちゃんと助けてやるから、安心しろ」

 オレが慌てて言うと、あいつは、いたずらっ子みたいな顔をして笑った。

「とにかく、安心して、明日は学校に行くぞ」

「うん、わかった。それじゃ、おやすみ」

「おやすみ。今日は、ゆっくり寝ろよ」

 オレが最後まで言い終わらないうちに、あいつは、手を振って部屋の中に

入っていった。あいつのいなくなったベランダを見ながら、

明日のことを考えた。きっと、大騒ぎになるはずだ。

陸上部の先輩たちから、勧誘が始まるかもしれない。

回りの友だちからも、いろいろ聞かれるだろう。

そんなときは、オレがしっかり守ってやらないと改めて決意した。

あの星空にオレは、そう誓ったのだ。

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