第4話 魔法使いは、キリンが好き?

 オレは、鍵を開けて家の中に入った。まだ、だれも帰ってきていない。

まずは、部屋に行って着替えてから、リビングのテレビをつけた。

しばらくすると、母さんと妹が帰ってきた。

「ただいま、今、ご飯作るからね」

 そういって、買い物袋をキッチンのテーブルに置いた。

「ねぇ、お兄ちゃん知ってる。アソコの商店街で火事があったのよ」

 妹に言われても、オレは、返事はしなかった。何しろ、オレは目撃者だから。

「ホントに危ないわよね。ガス漏れだってよ。あのお店は、古かったからね」

 母さんが額にしわを寄せながらいった。

「でも、怪我人がなくてよかったわよね。おばあさんも助かったらしいわよ」

 それを聞いて、ホッとした。お店は、立て直せば何とかなるだろう。

「それでさ、聞いてよ、お兄ちゃん」

 妹は、オレの隣に座ると、足を組んで考える人のようなポーズを取りながら

いった。

「不思議なことに、火が急に消えたんだって」

 オレは、妹の話を聞いて、引きつりながら笑って見せる。

「それにさ、目撃者の話だと、なんかお兄ちゃんの学校の人がおばあさんを

助けたらしいのよ」

 ますます、オレの顔が引きつる。やはり、あいつは見られていたのか。

「でも、消防車が来たときには、火も消えて、その人も居なくなってたん

だって」

「そうなんだ。でも、おばあさんも助かってよかったんじゃない」

 オレは、話をはぐらかすしかなかった。

「その人って、女の子らしいのよ。お兄ちゃん、知らない?」

「知らないなぁ……」

「人助けなんてすごいわよね。表彰されるかもしれないわね」

 むしろ、表彰なんてされたら、後が大変だ。

「商店街の人たちは、なんか見てたのか?」

「火を消して、おばあさんを助けるので精一杯で、その人のことは覚えて

ないって」

 それを聞いて少しホッとした。あいつは目立つので、一人くらいは顔を

覚えている人がいてもおかしくはない。

「お母さんも聞いたけど、隣には火が飛び移らなかったから、よかったって

言ってたわよ」

「それにしても、火が急に消えるなんて、不思議なこともあるものね」

 妹は、まるで見てきたようなことを言いながら、部屋に入っていった。

一番の目撃者は、オレだけに、何もいえないのは、ちょっと苦しかった。

 その後、夕食を食べていると、父さんも帰宅して、途中から夕飯に参加する。

でも、父さんは、ご飯ではなく、ビールだ。大人は、お酒が大好きらしい。

「父さんもさっき帰るときに通ったけど、アソコの駄菓子屋が火事に

なったんだってな」

「そうなのよ。ガス漏れらしいわよ」

「ウチも気をつけなきゃな」

 普段通りの家族の会話を聞きながら、オレは、あいつのことが気になって

いた。その晩は、いつもベランダに出て、お休みの言葉を交わすのに、

あいつは出てこなかった。


 翌朝、いつものように、朝食を食べて、学校の準備をする。

「お兄ちゃん、今日は、マコおねえちゃん、遅いわね」

 妹が時計を見ながら言った。確かに、いつもなら、この時間にあいつが迎えに来るはずだ。

「たまには、迎えに行ったらどう」

 母さんが言うので、オレは妹と隣のあいつの家に向かった。

チャイムを鳴らすと、執事が顔を出した。

「おはようございます。マコを迎えに来ました」

 しかし、執事は、オレたちを玄関の外に追い出すとこういった。

「本日は、お嬢様は、風邪をひいているので、学校は、おやすみです」

「えっ?」

「学校には、連絡してあるので、これで失礼します」

 そういって、執事は、さっさと家の中に入ってしまった。

オレは、わけがわからないままでいると、妹がオレに話しかける。

「珍しいわね、マコお姉ちゃんが風邪なんて」

 そういって、学校に向けて歩き始めた。オレも後を追うようにして歩く。

だけど、頭の中は、昨日のことで一杯だった。あの後、何かあったんだろうか?

やはり、あの時、どこか怪我でもしたのかもしれない。

別れるときのあいつの笑顔が目に浮かんだ。昨日の記憶を懸命に探った。

怪我をしていそうなところはなかった気がする。髪が少し焦げてはいたけど、

目立った怪我はしていない。それでも、体調でも崩したのかもしれない。

オレは、もやもやしながら登校した。

 教室に入ると、クラスの誰もが昨日の火事のことを話題にしていた。

真面目な委員長も、そんな話の輪に加わっている。

 でも、オレは、そんなおしゃべりに加わる気はなかった。

いったい、あいつは、どうしたんだ…… なぜ、学校を休んだのか、その理由がわからなかった。

 そのウチ、チャイムが鳴って、担任の響子先生が入ってきた。

朝の挨拶を全員ですると、出席を取る。

「今日は、神崎が風邪で休みだ。みんな、風邪には気をつけるように」

 そして、一時間目の授業の前のホームルームが始まった。

「みんなもすでに知っていると思うが、昨日の夕方、商店街で火事があった。

お店の人は高齢者だったが命に別状もなくて、よかったと思う」

 響子先生は、昨日の事を話し始めた。また、全員を見ながら話を続ける。

「それと、その高齢者を助けたという目撃証言があって、それは、どうやら

ウチの学校の女子生徒らしい。知ってる人がいたら先生に言って欲しい。

それと、火事のことだが、火が突然消えたという話もある」

 先生たちにもその話が伝わっているのか。ちょっと驚いたが、オレは、口を

出さないことに決めている。

「なんだか、話では、女子高生が不思議な光を出して、火を消したとか、

不思議な噂もある」

 オレは、響子先生の話をぼんやり聞いていたが、そのとき、頭に何かが

光った。不思議な光を見た人がいたのか…… いても不思議ではない。

あの時は、回りに人がたくさんいた。

あいつの魔法を見られたのか?? 見られたのかもしれない。

見られるとどうなるんだ?

 オレの頭の中で、ものすごく悪いものが浮かんできた。

もやもやする黒い霧のようなものだ。すごく悪い予感がする。

オレの出した嫌な結論が外れていることを確かめたくなった。

確かめなきゃいけない。

「先生、お腹が痛いので、早退します」

 オレは、自分でもわからないうちに、そういうと、カバンを抱えて教室から

出て行った。先生やクラスメートが呆気にとられているのも見ないで、

廊下を走っていた。

 行かなきゃいけない。あいつがオレの考えたとおりだと、大ピンチだ。

オレが助けなきゃいけない。今のあいつを助けられるのは、オレしかいない。

 そう思うと、いてもたってもいられなかった。オレは、全力で走った。

もちろん、オレは、足が遅い。全力疾走しても、全然前に進んでいない。

息は切れて、足が重くてもつれそうだ。でも、足を止める気はなかった。

オレは、走り続けて、やっとの思いで、あいつの家に着いた。

 そして、チャイムを鳴らす。だけど、だれも出てこない。

オレは、チャイムを何度も鳴らした。

その間も息が切れて、心臓が破裂しそうだった。苦しくてたまらない。

額から汗が滴り落ちてくる。しかし、いくらチャイムを鳴らしてもだれも

出てこなかった。

オレは、ドアを叩いた。誰でもいい、出てきてくれ。

「マコ、マコ!」

 オレは、あいつの名前を呼びながら、ドアを叩いた。

すると、ようやくドアが開いた。オレは、自分からドアを開けて中に

押し入った。

「マコは…… マコ!」

 オレは、二階に向かって叫んだ。すると、目の前にいた執事が、オレの両肩をつかんだ。

「お嬢様は、ここにおりません」

「それじゃ、どこに?」

 オレの問いに対して、執事は、落ち着いた声でこういった。

「明様、私どもは、あなた様にお願いをしました。お嬢様のことです」

 背の高い執事の鋭い目で見下ろされると、オレは、吸い込まれそうだった。

「私は、明様には、大変失望いたしました。とても残念です」

 オレには、どういう意味か、わからなかった。

「昨日のことをお忘れですか?」

 そういわれて、火事のことを思い出した。しかし、オレは、何も言葉が

出ない。

「人前で魔法を使うということは、魔界の決まりを破ったことになります。

お嬢様は、魔界に呼ばれて、王様からきついお叱りを受けることになります」

「な、なんだって」

「それ相応の罰が下されることでしょう」 

 執事は、そういうと、オレの肩から両手を離すと、今度はすごく悲しそうな

目をした。

「ば、罰って、なんだよ」

「わかりません。おそらく、もう、二度と、この人間界には戻れないでしょう」

「な、何を言ってんだよ」

「例え、次期女王のお嬢様であっても、掟は掟。破った者には、

それ相応の……」

 オレは、いてもたってもいられなかった。考えている場合じゃない。

「何を言ってんだよ。あいつは、人間を助けたんじゃないか。魔法を使ったの

だってオレが使えっていったからなんだよ。あいつが悪いんじゃない、

オレが悪いんだ」

 オレは、叫ぶようにいった。執事の胸元を掴んで、必死に叫んだ。

「あいつは、何も悪くない。全部、オレが悪いんだ。罰なら、オレが受ける」

 そういうと、オレは、膝を床について、両手もつき、頭を下げる。

「頼むよ。あいつを許してくれよ。マコは、悪くないんだ。頼むから、マコを

許してくれ」

 気がつくと、オレは、頭を床について泣いていた。目が熱いものが

後から後から流れた。それが、床についたオレの手の落ちていった。

「オレを魔界に連れて行ってくれ。オレが王様に話をするから。なぁ、頼むよ、連れて行ってくれ」

「それは出来ません。人間は、魔界には行けません」

「それじゃ、どうすればいいんだよ。マコは、どうなるんだよ?」

 オレは、マコの名前を大声で叫んだ。もう、二度と会えないのか……

せっかく、仲良くなったのに、学校で友だちも出来たのに、もう会えないのか。

あいつの笑顔が頭に浮かんでは、消えていった。

「マコ! 帰って来いよ。マコーっ」

 そのときだった、誰かが階段からゆっくり下りてきた。

「さっきから、マコマコってうるさいわね」

 目の前に、あいつがいた。いつものあいつだった。赤くて長い髪にウェーブがかかっているあいつだった。 

オレは、跪いた姿勢で幻でも見ているように、信じられないものを見ていた。  

「お、お嬢様……」

 執事も信じられない様子で驚いている。すると、マコの背後から、召し使いが現れた。

「王様は、確かにご立腹でした。でも、女王様が、人間を助けたことに心を打たれて、説得してくれたのです。

人前で魔法を使うことは、確かに褒められた事ではありませんが、今回は許してくださいました」

 オレは、召し使いの言葉を聞いて、やっと我に帰った。

階段から降りてくるマコを見ると、オレは、たまらず立ち上がると、

マコに抱きついた。

「マコ! よかった。よかったな」

「ちょっと、離してよ。なにしてんの!」

 オレが抱きついてきたので、あいつが顔をしかめる。

「ご、ごめん……」

 オレは、そういって、あいつから離れた。

「ほら、なんて顔してんのよ。未来のダンナ様が、だらしない顔しないで」

 そういって、スカートのポケットからハンカチを出してオレに渡した。

オレは、それを受け取ると、涙と鼻水でぐしょぐしょの顔を拭いた。

そして、真っ赤な目で笑った。心からホッとした自分でも最高の笑顔だと

思った。

「お嬢様、よかったですね」

 執事もうれしそうな顔でつぶやいた。

「パパに怒られたわよ。人前で魔法を使うとは、何事だって」

「ごめん。オレが悪かった」

「なに言ってのよ。明が悪いんじゃないわよ。魔法を使ったあたしが悪いの」

「でも、あの時は……」

「だけどね、あたしは、ちっとも後悔してないわよ」

 そういって、爽やかな笑みを作って見せた。

「それじゃ、これからもここに…… 人間界にいられるのか?」

「決まってるじゃない。修行しないと、女王になれないもの」

 オレは、その言葉を聞いて、心の底からうれしかった。

「ところで、明は、ここでなにしてんの?」

「えっ……」

「学校はどうしたのよ? まさか、ずる休み」

「あっ、イヤ、それは……」

「まぁ、いいわ。お互い、ずる休みだもんね」

 そういって、あいつはおかしそうに笑った。まさか、あいつのことが心配で、早退したとか

ホントのことは言えない。だけど、あいつは、魔法使いだから、もしかしたら

お見通しだったかもしれない。

「今から学校に行っても、しょうがないでしょ」

「それは、まぁ、そうだけど……」

「それじゃ、まだ、お昼前だし、今日は一日、あたしに付き合ってくれない?」

「付き合うって……」

「なに、イヤなの? あたしを誰だと思ってるの? 魔法の国のお姫様よ。

わかってるわよね」

 いきなり、高飛車の態度でも、なんだか懐かしくて、嫌な気はしない。

「行きます、行きます。どこでも付き合います」

「よろしい。昨日の借りもあるから、よろしくね」

 そういうと、腕を組んで何か考え始めた。

「ねぇ、動物園に連れて行ってくれない?」

「えっ、動物園?」

「そうよ。一度、見てみたかったの。本物のキリンが見たいの」

「キリンて、あのキリン?」

「他にキリンているの?」

 慌てて首を振って否定する。そして、自分が制服のままということに気が

ついてこういった。

「わかったよ。それじゃ、ちょっと着替えてくる」

「その必要はないわよ。テクニクテクニカ、シャランラァ~」

 オレに人差し指を向けると、一瞬にして体が虹色に光った。

あの時、火を消したあの光だった。

「どう、そんな感じで」

 見ると、オレは、おしゃれなスラックスにストライプのシャツに、薄手の

グリーンのコートを着ていた。

「な、なんだこれ……」

「制服じゃ、目立つでしょ。だから、あたしがコーディネートしてあげたの」

 あいつは、両手を腰に当てて、ドヤ顔で言った。

「お嬢様、魔法は、慎みください。また、王様に叱られますよ」

「ハイハイ、わかってるわよ」

 召し使いに言われても、まるで懲りていない様子だ。

「明様、先ほどは、大変失礼なことを申しまして、失礼しました」

 執事は、体をくの字に曲げて頭を下げる。

「イヤイヤ、全然気にしてないから。それより、オレの方こそ……」

「これからも、お嬢様のこと、よろしくお願いいたします」

 そういわれて、オレは、気持ちを引き締めることにした。

もう、二度と人前で魔法は使わせない。マコに迷惑をかけるわけにはいかない。

きちんと、人間界で修行させて、無事に魔界に帰すのが、オレの役目だ。

「なにしてんのよ。早く行きましょうよ。動物園はどこなの?」

 あいつは、オレと執事の会話をイライラしながら聞いていた。

「ごめん、ごめん。それじゃ、行こうか」

 そういって、オレとあいつは、家を出た。

「それで、動物園て遠いの?」

「電車で一時間くらいかな?」

「それじゃ、空飛ぶ絨毯で……」

「待った。せっかく、人間界で修行してるなら、そーゆーものは使わない」

「何でよ?」

「だからいっただろ、修行なんだから、人間の乗り物で行くんだよ」

「まぁ、いいわ」

 やっぱり、あいつは、全然懲りてない。移動は、空飛ぶ絨毯かほうきだ。

これじゃ、あいつから目が離せない。

動物園までは、鉄道ファンであるオレには、簡単に行ける。

 とりあえず、駅まで二人で歩いた。平日の昼間に、道を歩いているとなんだかいつもと違う景色に見えた。

いつもなら、この時間は、まだ学校にいて授業中だ。学校を二人でサボっている感じがした。

 しかし、駅に着いたときに、初めて気がついた。財布を忘れた。

あいつは、行き先案内板を見上げていた。オレは、そんなあいつに申し訳

なさそうな声で言った。

「ごめん。やっぱり、動物園にいけない……」

「ハァ? 何でよ」

「お金がなくて…… 財布を忘れたみたいだから」

 すると、あいつは、肩からかけているピンクのポーチを開けると、何かを

取り出した。

「お金ならあるから、心配いらないわよ」

「えっ、でも……」

 あいつが手にしていたのは、昔ながらのがま口の大きな財布だった。

「それで、いくらなの?」

「イヤ、その…… お金を、その……」

 オレが口篭っていると、あいつは、明るく笑って言った。

「気にしないで、昨日のお菓子のお礼だから。それに、このお財布は、

パパのだし」

「えっ、そうなの?」

「それにね、このお財布って、底なしなの」

 そういうと、がま口に手を突っ込んだ。それも肘まで。そんなにその

財布って、大きくないだろ。

そして、手をがま口から出すと、その手には、札束を握り締めていた。

「マジか!」

 オレは、見たこともない札束を見て、目をパチクリさせた。

あいつは、そんなオレを見て、おかしそうに笑った。

「こんなことも出来るのよ」

 そういうと、今度は、がま口を逆さにして、何度か上下に振って見せた。

すると、ぱっくり開いたガマ口の中から、札束がばさばさ地面に落ちた。

「わかったでしょ。いくらでも出てくる、魔法のお財布なの」

 オレは、目が点になって、その場に凍りついたまま立ち尽くしていた。

周りにいた大人たちもビックリして、こちらを見ている。

「バ、バカ、早く拾え」

 オレは、そういって、地面に転がる札束を抱えた。

あいつは、おかしそうに笑いながら、その札束をがま口にしまった。

「みんな見てるだろ。その財布を取られたらどうすんだ」

「心配ないって。これは、あたししか使えないから」

 あいつは、小さな声で言った。誰にも聞かれないでよかったけど、それは

それで緊張する。

「それで、動物園までは、どうするのよ?」

 ホントなら、スイカを使いたいところだけど、今は持っていないので、

切符を買うしかない。そして、あいつに一万円札を出してもらって、

二人分の切符を買った。

「ごめん、後で返すから」

「いいって。気にしない、気にしない。明に学校をサボらせたから、

そのお返しよ」

 そういわれると、オレは、返す言葉がないけど、なんだか後ろめたい

気持ちになる。

「ちなみに、それって、にせ札じゃないよな?」

「当たり前でしょ。ちゃんと、日本銀行って書いてあるでしょ」

 あいつは、オレの目の前に、一万円札を見せた。

「ごめん、ごめん。わかったから」

「まったく、人間て疑り深んだから」

 あいつは、フンといって横を向いた。それにしても、あの財布が底なしで、

全部本物って不思議すぎる。あいつの親父は、ドンだけ金持ちなんだ…… 

いや、王様だから、金持ちで当たり前か。

オレとは、全然レベルが違うんだな、きっと…… 

「早く行こうよ」

 あいつの声に、我に返ると、一枚の切符を渡した。そして、自動改札機に

切符の入れ方などを教えてから、やって見せた。あいつは、感心しながら、

オレの真似をして切符を入れる。

「ホントに出てきた。出てこなかったらどうしようかと思った」

 あいつは、感心しながらも笑っていた。何事も初体験なのだろう。

そして、ホームに向かって歩くと、あいつは、何気なく自分の右手を

差し出した。最初は、何のつもりかわからなかった。でも、差し出した右手を

ヒラヒラさせてオレに見せ付ける。

そういうことかと、いくら鈍いオレでもわかったので、左手であいつの右手を

握った。あいつは、うんうんと頷いてオレを見た。しかし、オレはといえば、

恥ずかしくて緊張していた。

異性の手を握るなんて、妹と母さんしかしたことがない。

まして、同年代の女子の手を握るなんて、この先永遠にないと思っていた。

 そんなあいつの手は、とても柔らかくて、小さくて、白くて、それでいて

温かかった。握った手から、あいつのぬくもりが伝わる。

 そのときにホームに電車が入ってきた。横須賀線である。

これで品川で乗り換えれば上野東京ラインで上野まではすぐだ。

「乗るぞ。足元に気をつけてな」

 平日の昼間なので、乗客は、少ないので、二人で空いている席に座れた。

「これが、人間の乗り物なのね」

 あいつは、中吊り公告や行き先案内図などを見ている。

その目は、初めて電車に乗った子供のように、キラキラしていた。

そんな横顔を見ていると、オレをほんわかした気持ちにしてくれる。

 チャイムが鳴ってドアが閉まると、電車はゆっくり動き出す。

次第に電車がスピードを上げると、窓から見える車窓が急いで通り過ぎる。

「すごい、すごい」

 あいつは、子供のように声を上げて流れる景色を目で追っている。

「すごいね。電車って。早くて、楽しい」

 興奮しているのか、いつの間にか、握っていた手を離すと、立ち上がって

つり革に捕まって外を夢中で見ている。

「座ってろよ」

 オレは、小さな声で言うと、渋々隣に座った。それでも、流れる景色に

夢中だった。電車は、途中の駅に止まる。ドアが開いて、乗客が乗り降りして、再びドアが閉まると、電車は走り出す。

その繰り返しだ。途中で、下りの電車とすれ違う。

「うわぁ、すごい、迫力あるね」

 あっという間にすれ違うときの通り過ぎる電車を、いつまでも見ていた。

オレも小さな子供のときに、初めて電車に乗ったときは、きっとこれくらい

はしゃいでいたんだろうと思った。

「乗り換えだから、下りるぞ」

 品川に着いたので、そういって立つと、あいつは自然に右手を差し出した。

オレは、左手であいつの手を握って、立たせてやった。

お姫様を案内するような感じだった。でも、考えてみれば、あいつは、本物の

お姫様なのだ。足元に気をつけながら電車から降りる。

ホームは、乗り換えの人が溢れていた。

「すごい人ね」

 あいつは、目をキョロキョロさせながら感心仕切りだった。

「あっちの階段から行くぞ」

 そういって、ゆっくり手を繋いだまま二人で歩く。

しかし、周りの景色や大勢の人のほうが夢中で、手を繋いでなかったら確実に

はぐれていただろう。 エスカレーターで一度上に上がって、別のホームに

行く。

「なにこれ? 勝手に階段が動いてるわよ」

 エスカレーターに乗るのも初めてだった。自動的に次々に出てくる段差に、

乗るタイミングがわからずどうしたらいいのか、オレに助けを求めている。

「いいか、セーノで乗るんだよ」

 オレは、声をかけて、足を出てきた段差に乗ると、あいつもいっしょに

乗った。

「危なかった」

 あいつは、ゆっくり上がっていく上を見ながらも、繋いだ手を強く握った。

「今日の明は、なんかカッコいいね」

 隣にいるあいつは、満面の笑顔で言った。顔が近すぎるだろ。照れるから、

そんなこといわないでくれ。

オレは、真っ赤になった顔を見られたくなくて横を向いた。

「下りるぞ」

 オレは、そういって、エスカレーターから片足を上げて見せながら地面に

着いた。

「下りられた。なんか、楽しかったね」

 あいつは、たったそれだけのことなのに、楽しそうに笑っている。

こんな近くであいつの笑顔を見ると、オレも楽しくなってくるのは、

なぜなんだろう……

 そして、駅構内を見ながら、別のホームに向かった。

その間も、いろいろな売店を見て、そのたびに足が止まった。

「アレ、なに?」

「アレは、本屋さん」

「あっちはなに?」

「駅弁を売ってるんだよ」

「ここは、なに?」

「立ち食いのそば屋さん」

 まさに質問攻めだった。いちいち、目に入ったお店を聞かれていると前に

進まない。

「動物園に行くんだろ」

「いけない。そうだった」

 あいつは、そういって、再び歩き出す。階段を下りてホームに降り立つと

丁度電車が待っていた。品川は、起点の駅なので、始発だから、

余裕で座ることが出来る。

「それにしても、人間の乗り物って、すごいわね。空飛ぶ絨毯みたいね」

 そんなに感心されても、電車と空飛ぶ絨毯を比べたら、確実に人間の乗り物

のが負ける。

ドアが閉まり、またゆっくりと電車が動き出す。隣のホームには、新幹線が走るところが見えた。

「あの電車、カッコいいわね」

「アレは、新幹線ていって、超特急だから、すごく早いんだぞ」

「乗ってみたいなぁ……」

「オレも乗ってみたいよ」

「だったら、今度、いっしょに乗ろうよ」

「そのウチな」

 オレは、あいつといっしょに新幹線に乗れたらと、本気で思っていた。

あいつは、相変わらず、流れる車窓を眺めている。上野までは、もうすぐだ。 

「次が上野だから、下りるよ」

「えーっ、もう下りるの? もっと乗っていたいなぁ」

「動物園はどうすんだよ」

「あっ、そうか」

 そういうと、今度は、あいつから立ち上がった。

電車から降りるときは、お互い自然に手を繋ぐようになっていた。

 

 駅を降りて外にでると、大通りには車がたくさん行きかって、人も大勢いた。

交差点は、信号待ちをしている人で溢れていた。

「すごい、すごい」

 あいつは、回りを見ながらはしゃいでいた。

まるで、子供を連れて歩く親の気分だった。信号が青になったので、

交差点を渡る。

そのときもあいつは、楽しそうに回りを見るのに忙しそうだ。

「なんか、楽しいね」

 あいつは、うれしそうに言った。そういってくれると、オレも楽しくなる。

信号を渡ると、大きな階段を登った。目の前には、西郷さんの巨大な銅像が

見える。

「アレなに? すっごい大きい」

 オレは、西郷隆盛のことには、あまり詳しくないので、歴史の授業で習った

ことを思い出しながら説明した。あいつは、うんうんと聞いていたけど、

魔法の国で生まれただけにどれだけ理解してくれたのかは、わからない。

 少し歩くと、今度は、大きな桜並木が現れる。

もちろん、今は桜は咲いていない。

「すごいね。大きな木がたくさんある」

「これは、桜って言うんだ。春になると、きれいな花がたくさん咲くんだよ」

「へぇ~ 見てみたいなぁ」

「春になったら、また、見に来ような」

「うん、絶対だよ。約束だからね」

「わかってるよ」

 あいつに満開の桜を見せたくなった。さらに進むと、ようやく上野動物園が

見えてきた。

「ここだよ」

 入り口の前で一度止まって、あいつに言うと、今にも目が飛び出そうな

くらい、じっと見つめていた。

さて、ここからが問題だ。入場券を買わないといけないが、オレは金を

持ってない。

「早く行こうよ」

 あいつは、入り口に向かって歩こうとした。

「あのさ、入るには、お金が必要なんだよ。入場券を買わないと入れないんだ」

「そうなんだ。いくら?」

 そういって、またしても、ピンクのポシェットから不思議ながま口を出した。

「金を出させてごめん」

「それより、早く行こうよ」

 あいつは、がま口を開けて札束を取り出す。

「そんなにいらないから」

 オレは、遠慮しながら、そっと一万円札だけを摘んだ。

そして、二人分の入場券を買ってきた。一枚をあいつに渡すと、

一目散に入っていく。

「早く、早く」

 あいつは、ピョンピョン飛び上がってオレに手を振っている。

オレは、入り口で案内図とパンフを持って、早足であいつに追いつく。

「待て待て、慌てないで。せっかく来たんだから、他の動物も見ようよ」

「そうね。人間界には、どんな動物がいるのか見たい」

 それなら、まずは、パンダだろうと思って、入ってすぐのパンダを

見に行った。平日の昼間なので、それほど混雑してないので、

並べばすぐに見ることが出来た。

「これが、パンダだよ」

「パンダ?」

「見ればわかるよ」

 あいつは、不思議そうな顔をしながら、ゆっくり進んだ。

そして、ガラス越しに白黒の可愛いパンダがこちらを見ていた。

「うわぁ~ 可愛いぃ~。なにこれ、すっごく可愛い」

 いきなりのパンダに目をキラキラさせて、ガラスに突進する。

「見てみて」

 あいつのテンションが一気に頂点に立ったようだ。

しかし、パンダの見学は、それほどゆっくり見ていられないらしく、歩きながら見るしかない。

「もっと、見たかったなぁ~」

 あいつは、残念そうに言った顔を見るのが、ちょっと悲しくなった。

「よし、次、行こう」

 オレは、気を取り直して、テンションを上げていった。

「次は、何がいるの?」

 オレは、パンフを見ながら順路に沿って歩いた。

「アレ見て、アレ。象さんだって。鼻が長いよ。それに、大きいねぇ」

 象を見ては興奮して驚いている様子がなんかすごくほのぼのする。

「ライオンだよ、ライオン。すごいね。強そうだね」

 ライオンを見れば、顔を檻のぎりぎりまで近づけて夢中だ。

そして、いよいよ待望のキリンである。

「ほら、キリンがいるだろ」

 いよいよ待ちに待った本物のキリンである。どれだけテンションが上がる

のか、あいつに注目した。しかし、あいつは、キリンをじっと見つめた

ままだった。

「どうした? アレがキリンだぞ」

「やっぱり、本物のキリンて最高だね。首が長くて、足が長くて、目が

可愛くて、もう、最高」

 あいつは、手すりに捕まって、キリンの方に身を乗り出す。

「キリンさ~ん」

 あいつは、のっそり歩いているキリンに手を振って、呼んでいる。

そんなにキリンが好きなのか。キリンに何か意味があるのかもしれない。

今度、聞いてみようと思った。

 その時、キリンと同じくらい大きな時計が目に入った。時間は、とっくに

お昼を過ぎていた。

「お昼にしようか。お腹空いただろ。なんか、食べにいくか?」

「うん。あたしもお腹が空いちゃった」

 そういって、オレは、案内図を見ながら、レストランを探した。

「キリンさん、バイバ~イ」

 あいつは、キリンに大きく手を振りながら、オレの後についてきた。

高校生で、お姫様で、次期女王で、魔法使いで、それなのに子供っぽいところがあるのも女の子らしいと思う。

 案内図を見ると、すぐ近くにオープンテラスのカフェがあった。

ここからなら、キリンも見える。オレたちは、そこに行くことにした。

 丸いテーブルに向かい合って座った。メニューを広げて見せた。

「なににする?」

 あいつは、しばらく考えていると、あるメニューを指差した。

「これがいい。これを食べてみたい」

 見ると、それは、アイスにプリンにフルーツが盛られたジャンボパフェ

だった。やっぱり女子は、甘いものが好きなんだなと思って、

オレはホットケーキとコーラに決めて店員さんにメニューを伝えた。

「こーゆーところって、来たことあるの?」

「う~ん、ない」

 あいつは、頭を左右に振りながら、メニューを何度も捲って見ている。

人間界の食べ物は、ほとんど食べたことがないらしい。

それじゃ、魔法の国では、どんなものを食べているんだろうか?

 しばらくすると、店員が注文したものを運んできた。

「うわぁ、すごい。きれい! おいしそう」

 山のようにそびえ立つジャンボパフェを見て、感激している。

甘いものは、オレも好きだけど、それは食べきれない。

「食べていい?」

「いいよ」

「それじゃ、いただきます」

 あいつは、そういって両手を合わせると、細長いスプーンを手にして、

一番上のクリームを掬って口に入れた。

「甘~い! おいしい」

 心からおいしそうな声を上げると、後は夢中で食べ始めた。

「なにこれ、冷たい」

「それは、アイスだよ」

「これもおいしいわ」

「それは、ミカンだな」

 スプーンを止めることなく、食べ続けて、あっという間に完食してしまった。

「あぁ~ おいしかった」

 満足そうなあいつの顔を見て、オレもつい頬が緩んでしまう。

「よかったら、これも食べてみなよ」

 オレは、自分のホットケーキを切り分けた。

「いいの?」

「これも甘くておいしいから、食べてみな」

「ありがとう」

 そういうと、オレのフォークで、一口食べる。

「うわぁ~ これもおいしい。ふわっとして、甘くて、なんていうの?」

「これは、ホットケーキっていうんだよ」

「この味、大好きになりそう」

「それでいいなら、今度作ってやるよ」

「ホント! 絶対だよ」

 あいつは、うれしそうに笑って、オレの方に身を乗り出した。

圧倒されたオレは、約束するしかない。

「妹にも作ったことあるから、それくらいならオレにも出来るから」

「うん、楽しみにしてるね」

 あいつの喜ぶ顔を見られるなら、ホットケーキの一枚や二枚、いつでも作ってやろうと思った。

その後も、園内をいろいろ見て歩き、夕方前になるので、帰ることにする。

出口の近くに来ると、お土産屋さんを見つけた。

 特にお土産など買う気はなかったけど、せっかくなので、あいつに見せて

やろうと思って軽い気持ちで立ち寄った。

「可愛い!」

 あいつは、一歩入るとそういって、立ち止まって店内を見回している。

「あーっ! キリンだ、キリンがあった」

 あいつは、キリンの縫いぐるみを見つけて、一目散に駆け寄ると手に取った。

「もう、可愛すぎる。ねぇ、明、これ、買っていい?」

 オレは、値段を確認してから、こういった。

「それくらいなら、いいんじゃないかな」

「やったー!」

 あいつは、うれしそうな顔をして、キリンの縫いぐるみを手にすると、

レジに向かって歩いていく。

そもそも、それは、自分のお金だから、オレに聞くことはないと思う。

でも、王様のお金だから、一応気にはしているらしい。

「えへへ、買っちゃった」

 あいつは、キリンの縫いぐるみを大事そうに胸に抱えて、戻ってきた。

「よかったな」

「うん」

 そういって、抱えたキリンを顔の前に持ってくると、キリンの頬にキスを

したのだ。その仕草を見て、オレは、ちょっとドキッとした。

 あいつは、キリンを大事そうに両手で抱えたまま、動物園を後にした。

もう少し時間もあるので、上野界隈を散策してみた。

 駅前を曲がると、アメ横がある。そこには、いろいろなお店がたくさん

あるので散策することにした。

「なに、ここ!」

 あいつは、子供のように目をキョロキョロして、目に入るものにいちいち

感心している。

「人が多いから、迷子になるなよ」

 アメ横は、昼間から人がたくさんいるので、はぐれたらきっと二度と

会えない。すると、あいつは、右手でキリンを抱くと、左手でオレの手を

握ってきた。それが、すごく自然だったので、オレも当たり前のように手を

繋いでいた。

 しかし、あいつは、そんなことなどまったく気にしないで、回りのお店を

見るのが忙しそうだった。

思えば、パフェしか食べてないので、お腹も空いているだろうと思って、

食べ歩きもしてみようと思って聞いてみた。

「なんか、食べたい物があったら、食べてみようか」

「それじゃ、アレを食べてみたい」

 あいつが言ったのは、肉まんだった。オレたちは、二人で肉まんを

食べることにした。

「ふかふかで、おいしいね」

 あいつは、ホントにおいしそうに食べるなと、オレは感心した。

その後も、オレンジジュースを飲んだり、焼き鳥なんかも食べながらアメ横を

歩いた。

 そして、夕方になったので、オレたちは上野駅から、電車に乗って帰る。

サラリーマンたちの帰宅時間になると混雑するので、その前に帰ることに

したのだ。

 あいつは、空が夕日に染まってくるのをボーっと見ていた。

すると、いつの間にか、電車に揺られて眠くなったのか、オレの肩に頭を乗せて居眠りを始めた。

オレは、ものすごく緊張して、あいつを起こさないように気をつけた。

女の子から、こんなことをされたことないので、肩に力が入っているのが

自分でもわかった。

もう少しで、最寄り駅についてしまう。気持ちよさそうに寝ているあいつを

起こしたくないしこのままあいつに寄りかかったままでいてほしかった。

 オレは、心を鬼にして、肩を軽くゆすってあいつを起こした。

「下りるぞ」

 オレは、さりげなくいったつもりだったが、声が震えているのが自分にも

わかった。

「あっ、ごめん。寝ちゃったね」

 あいつは、そういって顔を上げて笑った。

オレとしては、ずっとそのままでいたかった。あいつの髪から爽やかな匂いに

脳をくすぐられた感じだ。

 ほとんど同時に席を立つと、お互いにそっと手を繋いで電車を下りた。

駅から家までは、歩いて数分だけど、このまま帰るのが惜しい気持ちだった。

だからといって、わざと遠回りするほど、気持ちに余裕はない。

「今日は、楽しかったね。キリンも見れたし、これも買えたし、おいしいものを一杯食べたし、ホントに楽しかった」

「オレも楽しかったよ」

「明、ありがとね」

 まじまじと顔を見ながらいわれるて、恥ずかしくなったオレは、

顔を反らしてしまった。

「こっちこそ、お前に金を出させて悪かった」

「そんなこと気にしないでいいのよ。だって、あたし、うれしかったんだもん」

「キリンに会えたことか?」

「それもそうだけど、朝、明がウチに来て、いってたことよ」

「えっ?」

「あたしのこと、そんなに思ってくれてたのがわかって、すごくうれしかった

んだよ」

「それじゃ、あの時、聞いてたの?」

「うん」

 あいつは、そういって、繋いでいた手を離すと、オレにきちんと

向き合っていった。

夕日のオレンジ色が、あいつの後ろで輝いていた。あいつの姿がシルエットに

なって、なんか感動した。

その前に、オレが執事にいったことを全部聞かれていたとを思うと、

顔から火が出る。

「マコー、マコ帰ってこいとかいってたじゃない」

「いや、それは……」

「それでさ、あたしを見て、抱きついてきたじゃない」

「それは、忘れてくれ」

「あの時、すごくうれしかったんだよ。実は、あたしも泣きそうだったのよ」

 オレは、あいつの姿を見て、思わず抱きしめて泣いてしまったことを

思い出した。

「でもさ、明が先に泣いちゃってさ、それを見たら、泣けなくなっちゃったの」

「なんか、ごめん……」

 今のオレは、あいつの顔を見る勇気がない。

「あー、なんか、今日が終わるのがもったいないなぁ」

 あいつは、そういって、両手を夕焼けの空に思い切り伸びていた。

「あっ、そうだ。これ、記念にあげる」

 そういって、オレに差し出したのは、キリンのキーホルダーだった。

「さっき、買ったんだ。あたしとお揃いよ」

 オレは、それを手にしたままじっと見つめたまま動けなかった。

「あ、ありがとう。大事にするよ」

 オレは、かろうじてそれしか言葉が出なかった。

「それじゃ、また明日学校でね」

 オレは、その一言を聴いて、現実を思い出した。

「オレ、今日、早退したんだよな。母さんになんていおう…… 

明日、先生に怒られるかな」

 すると、あいつは、キリンの縫いぐるみを抱えたまま、オレの前に仁王立ちになると左手の人差し指をオレの前に突き出し、チッチッチッと左右に振りながらいった。

「そこは、大丈夫よ。ポロンがうまくやってくれたから、心配ないわ」

「えーっ! 母さんたちになんかしたのか?」

「いっとくけど、魔法とか使ってないからね」

「それじゃ、なにをしたんだ?」

「うまく説明しておいてって、いっただけ。だって、このままじゃ、

明が困るでしょ」

「それは、そうだけど……」

「だから、大丈夫なの」

 あいつのドヤ顔を見ながら、ホッとする自分がいた。

「それと、これは、あたしからのお礼よ」

 そういうと、キリンをオレに無理やり持たせると、空いた両手でオレの肩を

つかんで抱き寄せると、そっと頬に唇を軽く押し当てた。

「それじゃね」

 あいつは、そういって、オレからキリンを奪い取ると、手を振って家に

入っていった。オレは、しばらく固まったまま動かなかった。

今のは、もしかして、キスというものか? もしかしなくてもそうなんだろう。

いくら鈍感なオレでも、その程度の知識はある。

あいつの唇の感触を感じた右の頬を触るとが、あいつのぬくもりを感じた。

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