除夜詣の三日月

西門 檀

【除夜詣《じょやもうで》の三日月】


                    original lovestory 西門 檀  


 新選組が駆け抜けた、京の都はもうここにはない。

 明治二年に政府の機能が京都から東京に移された東京奠都とうきょうてんと

 京都に住む多くの人々が都を後にして東京へ、残った人々は元気をなくしていた。

  

 明治五年、当時京都府参事の槇村正直は市民を元気づけるべくして、元は誓願寺の寺域だった境内を整理して新しい通りを作った。


 新京極通と名のついたこの通りには、今や芝居小屋や寄席などの興行場や飲食店などの多くの店が建ち並び賑わっている。

 この通りの開通は、東京の浅草、大阪の千日前、京都の新京極通「三大盛り場」とも言われることとなる。


 僕は今夜、明治六年から暦が太陽暦というものに変わることを聞いて、除夜詣を思いついた。

 通りはしんみりと静かではあったが除夜詣の人々がちらほら歩いている。

 この日、僕は誓願寺さんの黒門の前で人を待っていた。


 誓願寺へと入っていく人々の姿を眺めながら、冷えた空気を伝って聞こえてくる除夜の鐘を数え、闇空を見上げる。

 ゴォーンと余韻の残る重い音は、待ち人が来ないのではないかと僕を時折不安にさせた。そのたびに弱気な気持ちを振り払うよう首を振る。


 そして、またゴォーーンと雪が舞う闇空に鳴り響く、除夜の鐘。


「五十四……、もう半分になる」


 もしかすると、よう家を出られへんかったのかもしれへんなぁ、と思いかけたその時、たらたらたら……と小気味のいい下駄の音がした。


「寒いのにお待たせしました、かんにん……」


 息を切らして、鼻を赤くした彼女が僕の顔を覗き込んで頬に触れる。

 

「わぁ、こないに冷たなってもうて……」


「なんも走ってこーへんでも。

 こないな小さな坂でもこけたら怪我すんで?」


「そうどすけど……」


 うつむいた時に見る、彼女のまつ毛の長さ。

 その可愛らしさにほだされて、僕の頬はいつも緩んでしまう。

 でも、わざとうつむく彼女が見たくて言わなくても良いことを言ってしまう僕は性根が悪い。


「こけてもええんか? 寒いと痛みも倍になるけど」


「そないないけず言わんといて」


 昨日、僕は彼女を呼び出すため、彼女の住む屋敷の女中に文を頼んでいた。

 彼女はそれを読み、ここへやってきた。

 実は僕が文を使って人を呼び出すなんて、初めての事だった。

 老舗着物問屋の跡継ぎである僕は、生涯の伴侶を自分で選ぶことはできない身の上。

 彼女もそう、僕の父が仇のように思う別の呉服問屋の一人娘だ。

 年が明けたらこうやって会うこともままならないかもしれない。


「家を出て来れたんやな」


「はい。まつ……あ、女中の一人に身代わりになってもろうたんどす」


「そこまでしてくれたんか。……そら男冥利に尽きる」


 僕は彼女の冷えた手を握り、三条大橋の方向へと歩き出した。


「あれ? 誓願寺はんへは行かへんのどすか?」


「少し歩くけど、清水はんまで行こう」


 この愛しい彼女と出会ったのは、二月ふたつきほど前――

 紅葉が散る清水寺の境内で彼女の下駄の切れた鼻緒を直したのがきっかけだった。


 僕が肩を貸して鼻緒を直している最中にも、彼女は頭上にある色鮮やかな赤い紅葉を眺めていたのだが、それがやけに自由な振舞いだと印象に残っていた。

 あとから聞いた話だが、彼女はどうしたらいいのかと、内心緊張をしていたらしい。


 それから、どこの娘なのかを調べて今に至るが、二人で会うのは今夜で六回目だ。


「何考えてはるの?」


「いや、なんも。おや、風は止んだようやな。

 ほら、しっかりと僕につかまっといで。橋は凍り付いとって滑ると危ない」


「あ……ッ」


 言ったそばから、彼女は何かにつまづいて身体が傾いた。

 咄嗟にかばって、事なきを得たが君はうつむいたまま。


「いけるか?」


「かんにん……どうしまひょ。鼻緒が……」


「肩を貸すさかい、足を出してみぃ」


「はい……」


 冬用の足袋を履いた小さい足は、しゃがみ込んだ僕の膝にトンと置かれ、僕は下駄を手に取った。

彼女の手が僕の肩に触れて愛しい重みがかかる。


 あの時と同じだ。そう思った。

 まるで出会ったあの日と同じ格好で僕は彼女の足に触れる。


 鼻緒は寸でのところで紐が切れそうになっていたが、きつく結び直せばすぐに履けるようになった。

 

ふと、見覚えがある鼻緒を止めてある紐に目が行く……


「こら、あん時……僕が直した下駄やないか?」


「……そうどす」


「新調した下駄はあったんどすけど、

 どないしてもこれ履いてあんたに会いとうて」


「そうか。……フフッ」


「もう、笑わんといて」


 何ともかわいらしいことを言うものだと僕は思った。

 僕が先ほどあの日を思い出したことと、君もあの日を思い出していたことに通じるものがあると感じて胸が熱くなった。


 直した下駄をその足に履かせるときに君を仰ぎ見ると、君は真っ暗な空から降ってくる白い綿雪を見上げていた。

 僕の肩には置いていない、もう片方の白い君の手は優しく綿雪を受け止める。


「雪、うちのてのひらで溶けていきますえ」


「君が温かいさかいや」


 僕との時を大切にしてくれている君がとてつもなく愛おしい。

 もし、君とこの先を共に過ごせるならば……僕はこんな幸せな瞬間を幾度となく垣間見ることができるのだろう。


「歩けそうか?」


「おおきに。どこまでだって歩けそうどす」


「僕もだ。ほな、行こう」


 そして僕たちは出会った場所まで歩き、共に除夜詣を楽しんだ。

 わずかな時間を過ごして帰路に就く頃……

 ゴーォン――

 僕たちの背後から百と八回目の鐘が鳴り響く。


「新しい一年の始まりが三日月の夜からやなんておかしおすなぁ。喜与隆はん、おめでとうさんでございます」


「ああ。みや、おめでとうさん」


 除夜の鐘の余韻が消えてしまった後も、共に新年を喜び合った。


 この帰り道、二人並んで歩きながら僕は思った。

 そういえば、僕は生まれてこの方、神様に自分のことの願掛けをしたことがない。

 呉服問屋を営む父は、何でもかんでもご利益を欲しがる。

 まあ、信心深いといえば聞こえはいいだろうが、幼い頃からはたで見ている僕としては商いの事も自分の欲のことも全て神頼みというのは、いささか都合が良すぎやしないかと感じていたのである。

 だから、自分のことで神頼みをするなんて、少々驚きでもあった。


「そう云えば、僕は神さんに願い事を初めてしたわ」


「初めての願い事どすか? そら、叶うとええなぁ」


「必ず、叶えんで」


 おまえをお嫁さんに迎えるために、父を説得することに決めたことをまだ話せやしない。

 余計な心配も、ぬか喜びもさせたくはなかったからだ。


 安易なことではないのはわかっていたし、同時に彼女の笑顔や温かさを傍で感じて生きて行くためにはこれしかない、とも思い立つ。


 二人で見上げた空からは、もう雪は降ってこなかった。

 ただただ、美しい三日月が夜空で笑っていた。


 暦も月から太陽へと変わったのだ、これからの未来だって、きっともっと変わっていくにちがいない。



 

 あの除夜詣の決意から一年後の春――

 桜舞う季節に初めての願い事を叶えた僕の傍らには、うつむいた白無垢姿のみやがいる。


 そう、今まさに祝言の時を迎えていた。



 




 


END


#小話

#シナリオライター

#Lovestory

#originalstory










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