第53話 最終章 死地のその先19
アムダリヤ南岸のタールカーン。その近郊にあるチンギスの宿営地に近付くにつれ、チャアダイは不審に想い出した。何故モエトゥケンは迎えに出て来ないのかと。
モンゴルにては到着を待つのではなく、出向いて迎えるのが望ましい敬意の示し方であり、それをあの者が知らぬ訳でもあるまい。子であれば、そうするのが義務とさえ言って良かった。
憤然とするチャアダイに、諸将はきっと重要な軍務をカンに託され不在なのでしょうとなだめつつも、八つ当たりされてはかなわぬと、遠巻きにするばかりであった。
チャアダイが不機嫌なのにはもう一つ理由があった。ウルゲンチの件であった。あのジョチのせいで父上に叱られ、更に指揮をオゴデイに委ねよとまで命じられた件である。
オゴデイとは兄弟では最も仲の良い間柄であるが、それとこれとは話しは別であった。幼き頃から己を頼りひっついて来た弟との想いが強いチャアダイとしては、恥辱をさえ感じさせる命令であった。
それを想う度に、未だはらわたが煮えくりかえる如き怒りが己の内に抑えがたく生ずるが、それを決して父チンギスに向ける訳には行かぬ。
チンギスの下に至るまでに、この二つの憤然とした想いを収めたく想うが、それはチャアダイの最も不得手とするところであった。
出迎えに来たノヤンに早速息子の件を問うと、やはり諸将の言う通りであった。その軍務の地は聞いたことがなかったので、遠いのかと尋ねると、相手は少し戸惑い、
「わたくしはこの地に詳しくありませぬゆえ、しかとは分かりませぬ。数日の地かと想います」との答えであった。
ならば我の帰還に合わせ一時的に戻すこともできように。父上も気が利かぬと想ったが、軍務を重んじる父上が許すはずはないかと想い直した。
「オゴデイは既に戻っておるのか」と問い、
「はい。十日ほど前に」との予期した通りの返答を得ると、やはり憤然とした想いとなる。
見事、指揮官としてウルゲンチを落としたオゴデイである。それを父上に自ら報告し、お褒め頂こうとでも想いなし、喜び勇んで足早に戻ったであろうことは容易に想像が付くことであった。
そもそも大量の軍馬を抱えるゆえ、馬草のことを考えて、先に進む隊とは少しばかり間を空けての帰還とならざるを得ない。
更に夏ゆえ日中の進軍を避け、途中にて度々馬を休ませつつ進んだのだが、その休みがついつい一日、二日と長くなったのは、まさにチャアダイの帰還への気乗りなさを反映してのことであった。兵馬を大事にしたといえば聞こえは良いが。
とはいえ、やはり弟に遅れを取ったことは決して気持ちの良いものではなかった。あの者のせいだ。ジョチへの怒りがぶり返し、それにオゴデイへの嫉妬がないまぜとなり、チャアダイは不快の念をつのらせざるを得なかった。
(注 このタールカーンが、現在のいずれの地に当たるのか不明である。ただおおよその位置ならば地理書が伝えておる。
(アムダリヤ南岸の)ホラーサーン地方を東から西に横切る街道沿いにあり、そこへ至る旅程としてバルフから三日でシャプルカーン、更に三日でファールヤーブ、更に三日でタールカーンに至り、そこから三日進むとメルヴ・アッ・ルードである。
現在の地図でいえばファールヤーブはダウラターバード近くとされ、メルヴ・アッ・ルードはバーラー・ムルガーブに当たるとされているので、その中間あたりに求めることになる)
人物紹介
モンゴル側
チンギス・カン:モンゴル帝国の君主。
ジョチ:チンギスと正妻ボルテの間の長子。
チャアダイ:同上の第2子
オゴデイ:同上の第3子
モエトゥケン:チャアダイの子。第1部 第15話 『この時のモンゴル1(チャアダイ、オゴデイそしてトゥルイ)』中の小話2にて前出。
人物紹介終了
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