第41話 最終章 死地のその先7ーージャラールはといえば

(前注 ホラーサーンはアムダリヤ川南岸の肥沃な地を指し、広大である。その4大都城は、バルフ、ヘラート、ニーシャプール、メルブである)


 ここで少しジャラールの動きを見てみる。


 これより先、スルターンがカスピ海の孤島にて亡くなるのは、秋を過ぎ、冬を迎えた頃である。そのスルターンの死をみとり、ウルゲンチに至ったものの、ジャラールは拒絶される。この時まだモンゴル軍はウルゲンチへ至っておらぬものの、そこへ向けて進軍中であった。ここまでは本編の方で述べた。




 カンクリ勢を自らの旗下に引き入れること及びウルゲンチを拠点とすることの2つをあきらめたジャラールは次にホラーサーン地方に拠ることを考えたようである。


 一帯は既にモンゴルに降伏しておったとはいえ、それはあくまでスルターン・ムハンマドの追討を至上命令とするジェベらのモンゴル軍がその途上にある都城や城市をついでに服従させたに過ぎず、実質は素通りしたに過ぎなかったこと。すなわち、留まるモンゴル軍はわずかであった。


 ニーシャープールやメルヴがセルジューク朝の首都であったことからも明らかな通り、特に豊かな地であり、何より人が多い。ウルゲンチが駄目ならば、ホラーサーンを拠点にとジャラールが考えても不思議はない。


 ただし地形による防衛力は決して高くはなく、それにもかかわらずここに拠らんとしたということは、モンゴル勢に対抗しうる大勢力を己の下に集結できるとジャラールが考えておったことを示しておる。


 そしてこれはジャラールが父に示し続けた献策――『軍勢を集結して一大決戦に持ち込む』というものと合致しており、この者の考えは一貫しておるといえよう。その大義名分としてはイスラーム世界を守るためで十分なはずであり、そしてその盟主は新スルターンたる己であるはずであった。


 ジャラールはナサー経由でニーシャープールを目指すべくウルゲンチを発ったと伝えられる。それゆえその経路は南に広がるカラクム砂漠を抜けてファラーワの砦へと至る隊商路をとったことは疑い得ない。(これは、九世紀ホラーサーンを支配したターヒル朝の三代アブド・アッラーにより北辺を守るために建設されたと伝えられる砦である)つまり、アルプ・エル・カンがウルゲンチへ向かったルートを逆に逃げたのである。


 ウルゲンチを発し、何とかブジルの追撃をかわしたジャラールは決して恵まれた状況ではなかった。その率いる手勢は三百にも満たない。スルタンの位を継承したといっても、まさにそれは名ばかりのものであったのである。


 更には無理な強行軍が祟って、騎馬の疲弊が色濃く、足を痛める馬が続出した。ゆえに先述のナサー近郊(先の砦から隊商なら四日の旅程のところ)に至る頃には、新たな馬群を手に入れる必要に迫られた。


 そのためにジャラールは自らの気性に最も合った方法を選んだ。わずかな手勢を以て、この地に駐屯しておったモンゴル部隊に奇襲を仕掛け、ほぼ壊滅に追いやり、軍馬・武器・糧食を奪うを得た。この後、途上にて逆にモンゴル軍の襲撃を受けたが、からくも逃げ切った。武勇ゆえと考えて良かろう。この者の場合、明らかに猪突猛進型のそれであったとはいえ。


 何故ならば後に続く二人、前皇太子たるウーズラーグ・シャーと王子アク・シャーは、同じ部隊からの襲撃を受け、逃げのびることができなかったからである。史家ジュワイニーは捕虜となって二日後に殺されたとし、ナサウィーは戦死したと伝える。恐らくナサウィーが正しい。捕らえられ先代スルターンの息子達と判明したならば、ほぼ間違いなくチンギスの下に連行されたであろうから。


 ジャラールはニーシャープール近郊に留まり、都城内へはまず斥候を発し、情報を収集した。ここを拠点とすることを考えてのことであった。しかし斥候により、チンギスの息子トゥルイがアムダリヤ川を渡河、西へ進軍中との報がもたらされたならば、あきらめざるを得なかった。


 次にヘラートに拠るべきか否かの議論となり、


「頼りとすべきアミーン・アル・ムルクは既に逃走したと聞きます。また、迫っておるモンゴル軍はニーシャープールを陥落させたならば、ヘラートに至るでしょう。ここは避けましょう。」


 との臣下の進言を入れて、ジャラールは更に南に向かった。時に西暦1221年2月10日頃のことであった。


 それほど進む間もなく、ジャラール達はモンゴル軍が追って来ておることに気付いた。1人の武将にしんがりを委ね、更には迫るモンゴル軍を逃走経路とは異なる街道へ導くよう策を授けた。その上で、ズーザンにて待つと伝えて別れた。


 荒涼たる地を長駆逃げて、ジャラールは合流予定地のズーザンに辿り着くを得た。史家ジュワイニーは愛馬が足を痛めるのもかまわずに四十パラサング(二百キロ以上)もの距離を駆け通したと伝える。弟2人の末路を想えば疑う必要はあるまい。とりあえずではあれ、そのおかげでモンゴル軍をまくを得たのだった。

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