第21話 モンゴル軍の動き7

  人物紹介

 モンゴル側

ボオルチュ:チンギス筆頭の家臣。万人隊長。アルラト氏族。四駿(馬)の一人。


トルン・チェルビ:チンギスの側近。千人隊長。コンゴタン氏族。


カダアン:千人隊長。スニト氏族。


 トルンもカダアンも、ウルゲンチ攻めでは、ボオルチュに配下として授けられておる。王子に授けられた将(たとえば、クナン)をのぞいて、万人・千人隊長は平時はチンギスに直属している。


  人物紹介終了




 翌夜のこと。

 突然けたたましき立て続けの馬群のいななきが夜天にこだました。それに驚き、起き出すはめになったのは北城内に留まっておったモンゴル部隊であり、それを率いるトルン・チェルビも例外ではなかった。


 先の軍議でのことに悶々とし、寝付けぬ夜が多かった。やはり、この夜も同様であり、ようやく寝つけたかどうかという頃であった。


 すわ敵襲かと急ぎ軍装に身を包むと階下に降りた。そこには既に人だかりがしており、何事だと問うと、水があふれて来ておりますとのことであった。


 人をかきわけ中庭に出てみると、靴先が水につかった。近くで大雨でも降っておるのかと夜空を見上げても、建物に限られ真上の空しか見えぬ。水に足を取られつつ、建物の外に出て再び見上げるが、空にあるは満天の星である。自軍のかがり火に照らされて、馬群も見えるが見渡すことはできぬ。


 トルンは建物内に戻り、今度は窓から射し込む月明かりを頼りに屋上に上がる。


 この地には油壺を用いるあかりがあり、便利なものとは想うが、油に限りがある以上、これを用いるは必要最小限に留めておった。獣の脂も使えるとのことであったが、それは兵の食べ物として取っておかねばならぬ。


 屋上にては監視の隊のだんのためもあり、盛大にかがり火を焚いており、その明るさのために、トルンは一瞬目がくらんだ。油と異なり、木材は付近の住宅を壊せば、いくらでも手に入った。


「敵は攻めて来ておらぬのだな」


 夜警を委ねた百人隊長に問いつつ、東の方をうかがう。


 炎の残像が消えて行くにつれ、敵のたくかがり火が点々と見えて来るが、本丸の輪郭はいつもの如く暗闇の中に沈んでおった。こちらに向かっておる松明の群れも見えぬ。しかし月は出ておるのだ。それを頼りに近付いて来ておるのかもしれぬ。


 返事がないので、隊長の方を見ると、かがり火の揺らめきの中で困った顔がこちらを見ておった。恐らく同じことを考えておるのだろうと想い至り、


「敵はこちらに悟られぬよう努めよう。しかし往々にしてボロは出るもの。怪しきところが見えたら、何であれ速やかに報告しろ」


「はい」


 ようやく返事を聞けたところで、この隊長は下の状況を知らぬのだと気付き、


「下では水があふれておる。敵の仕業であるやもしれぬ。ならば、これに乗じて夜襲を仕掛けて来る可能性が高い」


 トルンの隊は北城西門より侵攻し、北城内に突出する形で拠点を確保しており、いつ敵の夜襲を受けてもおかしくない状況であった。


 再び本丸の方を見やる。やはり敵の動きの兆しは見えなかった。本丸のあるだろうところの右隣にも別の灯りが見えた。チャアダイの将の拠点である。本丸より遠くにあるのに灯りが大きいのは、こちらと同じく敵の夜襲を警戒して、盛大に松明を燃やしておるからに他ならぬ。少なくともその灯りの様はいつも通りだが、ただそれで敵夜襲を受けておらぬとまでは遠すぎて判断が付きかねた。


 北に目をやる。暗闇に沈んでおった。そこにはジョチの将がやはり拠点を築いておったが、既にそれは撤収されておった。




 それを知った当時、トゥルンは

「ならばいずれかの将に拠点を築かせるべきでしょう」

 と進言したのだった。


 ただ、上官のボオルチュは。

「あすこに拠点を築けるのは、北城北門にて大部隊が控えておればこそ。ジョチ大ノヤンの助けが得られぬ以上、敵に攻め込まれたら孤立しかねぬ。そして他の軍を北門に回すのも避けたきことなのだ。

 ジョチ大ノヤンの反対を押し切る形で我らがウルゲンチ攻めを続行しておることは、モンゴル兵の全ての知るところ。下手に他の軍が赴けば、ささいなことで同士討ちが起こらぬとも限らぬ。

 無論ジョチ大ノヤンであれチャアダイ大ノヤンであれ他のいずれの将であれ、決してそれを命じはせぬし許しもせぬであろう。そんなことになれば、王子であってもジャサクにて裁かれることとなろうゆえ。しかし兵とはそのあるじの気持ちを進んで汲むもの。時には必要以上に」

 とし、首を縦に振らなかった。


 そう言われても納得できぬトゥルンは

「そんなことで、この戦に勝てるのですか」

 と想わず声を荒げた。


 ただボオルチュからは何の叱責の言葉も出ず、「すみません。つい」との言葉のみで許された。


 またホラズム側がそこを拠点とした訳ではないゆえ、あらためて手を打つ必要はないこと。更には、北へと逃げ出す敵は増えようが、本丸の軍勢が減るのは却って我らに好都合であるというのが、ボオルチュの考えであり、カダアンらも同じ考えを示したので、トルンも従った。


 その苦々しき想いが心中によみがえらんとするのを抑えつつ、近くに目を戻した。

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