第20話 3の矢2
決行の夜は、月が明るくなるのを待ってとなった。
無論、月光にても敵に見つかる可能性はあった。ただ、それについては、クトルグ・カン派遣の援軍が、対抗策をなしてくれる予定であった。あらかじめ連絡があったところでは、志願した将兵とのことであった。
夕刻、地下道を通って、その者たちは至った。身軽な革鎧をまとい、おのおの一頭の馬を引いておった。ただ200にも満たぬ。そしてトガンと名乗った指揮官は驚くほどに若かった。
そもそも兵の数については、それほど余力は無かろうと想っておったが。ここは百戦錬磨の老練な将が来てくれるのではと期待しておったのだ。
「なぜ、この危険な任務にわざわざ願い出たのだ。あたら若い命を無駄にすることはあるまい」
野天の城門前広場へ案内する。ただ気づいた時には、オグルは、想わずこう言っておった。
並んで歩く相手が足を止めた。そして揺らめくかがり火に照らされる中、その端正な顔に明らかに不満を浮かべて、
「わたくしは敵について良く知っております。必ずお役に立てると、そう信じております」
「何か敵の動きをつかんでおるのか?」
やはり足を止めたオグルは、その者の顔――その若さに見合うはつらつさは影も形もなかった――を正面から見据えて問い返す。
「いえ、そうではありませぬ。ただ黒トクがこの先で待ち構えておる。そう、想われてならぬのです」
「黒トク? モンゴルのかかげるあれか?」
「はい。オトラル戦にて、その下におる将を、我らは黒トクと呼んでおりました」
「その敵将が待ち構えておると。何を言っておるのだ。確かな情報は無いのだろう」
オグルの問詰する口調は変わらぬ。
「我々は随分と苦しめられました。出撃するたび、その先に必ず現れ、痛撃を受けました。今回も、また・・・・・・と、そう想いまして」
「そなたの言うことも分からぬではないが」
こうした者を面と向かって否定しては、しばしば、らちが明かなくなることを知るオグルは、多少は譲りはすれ、
「しかし、ここはウルゲンチだぞ。しかも我々が赴くことを敵軍は知らぬはず。同じことにはなるまいよ」
「いえ。黒トクならば、察しかねませぬ」
「そのような神にしかなせぬことを、恩寵からほど遠い異教徒づれがなしえるはずもあるまい」
「しかし、あの黒トクならば。事実、オトラルにては」
その言葉をオグルは最後まで言わせることはなかった。
「だから、それはオトラルのことであろう。そもそも、黒トクとやらは、この攻囲に参戦しておるのか?」
「それは確かです。そのことは確かめております」
オグルとしては、その最後の詰めで押し切るつもりであった。それゆえ、想わず口ごもることとなった。
そこで、側らにてそれまで話を聞いておったシャイフが口を挟む。
「そなたは何ゆえ志願したのであったか?」
それは、我が先ほど聞いたぞとの顔をオグルはしてみせたが、問われた方は、言い足りぬところがあったらしく、再び語り出した。
「わたくしは、何とか、一矢報いたいと、そればかりを考えておりました。しかし、残念ながら未だその力がありませぬ。
黒トクは、その指揮する軍を手足の如くに動かし、先の先を読んで動きます。まさに戦場を支配するのです。これは、わたくしのみではありませぬ。より経験のある諸将も、そう認めておりました」
「そなたはまだ若い。たとえ今は及ばずとも」
「しかし、今、勝たねば、今、一矢報いねば、何にもなりませぬ。それゆえにこそ、策をお聞きし、これならばと想い定めました。また、わたくしにもできることがあると考え、それをクトルグ・カンに提案しました」
そう言われ、シャイフもまた言葉に
夜のとばりが降りると、トガンはその兵を率いて出発した。
しばらく時を置き、ようやくオグルも工作隊と護衛隊を率いて出発するという夜半どき。
「オグルよ。そなたの気持ちも分からぬではないが、しかし、あの者の予想が全く当たらぬということもあるまい。いずれにせよ、援軍はありがたい。
確かに将
とのシャイフの言葉がよみがえる。
「追い返すことはあるまい」
あえて、そう付け加えたのだろう、そのときの表情とともに。まるで我を物わかりの悪い人間だと見なしておる如くの。
無論、この期に及んで、そんなことを主張する気はオグルにも無かった。そして、あの若者がことさらに不吉な何かを持ち込んで来た訳ではないことも、頭では分かっておった。
本丸の北、これから抜けんとする北城の内を見やれば、月の下の闇に沈んでおった。身内に怖じ気が無いといえば、嘘になった。
近くのみをおぼろに照らす月光を頼りに、騎馬を進める。
工作隊を守るべき盾とならねばならぬゆえ、まとう鉄鎧の
人物紹介
ホラズム側
オグル・ハージブ
シャイフ・カン 北城本丸守備の指揮官。
クトルグ・カン 実質上の総指揮官。
トガン オトラルから逃げて来た武将。
人物紹介終わり
注 トガンとは、トルコ語でハヤブサの意味である。トルコ・モンゴル系では、こうした猛禽の名をつける例が散見される。たとえば、チンギスの5代前の祖先にバイ・シンコル・ドクシンという者がおり、このシンコルもハヤブサの一種、
(
ところで、チンギスを連れた父イェスゲイに対して、(後のチンギスの正妻)ボルテの父は、夢の中でシンコル(ハヤブサ)を見たとして、これをチンギス一族の
人の名となり、また神に見立てられるという、遊牧勢における猛禽の特別な扱い。それに想いを馳せていただければと想います。
付け加えるなら、ウイグルがその漢訳語として『
(これは余談だが、後に
(参考文献 村上正二訳『モンゴル秘史 チンギス・カン物語』1 平凡社 1970年)
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