第9話 モンゴル軍の動き3

  人物紹介

 モンゴル側

ジョチ:チンギスと正妻ボルテの間の長子。


クナン:ジョチ家筆頭の家臣。ゲニゲス氏族。


ボオルチュ:チンギス筆頭の家臣。アルラト氏族。四駿(馬)の一人。

  人物紹介終わり




 最後に回って来た革袋から酒を飲み、ジョチはおもむろに口を開いた。


「2日前、フマル・テギンという者が我の下に降って来た。これまでウルゲンチの軍を指揮しておったとのことだ。更には新スルターンに選ばれたとまで言っておる」


「それほどの者が」


 ボオルチュは正直驚いた。そしてなるほど、これは大事だと納得した。


「己がウルゲンチとの仲介に立つゆえ、和平を結びませぬかとの申し出をして来ておる」


「向こうの条件は何です」


 ボオルチュが問うた。


「将兵と住民の安全と財産を保証してくれと言って来ておる。あの者に任せれば、ウルゲンチとの和平も成り立とう。ならば、これ以上の犠牲を出さずに済む。どう想われる」とジョチ。


 ボオルチュは困った。しかし結局のところ正直にその想うところを答えた。


「確かに和平は成立するやもしれませぬ。しかし既に多くの犠牲が出ております。和平を結んでは、将兵が納得しますまい」


「あの者はこうも言うておる。『これほど美しき都、これほど豊かな都はそうありませぬ。ゆえに是非にも守りたい』と。我もまたそう想う。

 我は父上より、西へ西へ――その馬蹄が及ぶ限りの地を征討せよ、との命を受けておる。我は父上のご期待に応え、それを必ず成し遂げたいと想うておる。

 また、父上は、ことのほか交易を重視されておる。股肱ここうの臣たるそなたなら、良く知るところであろう。

 そして、ここは交易をなすにおいて最良の都であろう、というのはそなたも恐らく想い及んでおるのではあるまいか?

 この地は川沿いには水はあれ、それを除けば広く砂漠に囲まれておると言って良い。なのに、何ゆえ、これほど、繁栄しておるか? それは、交易のゆえであろう。人が集い、富が集うは、まさにその証。

 しかしその都も一度破壊してしまっては、元に戻せるかも定かならぬし、例え戻せたとしても、時がかかろう。

 ボオルチュ・ノヤンよ。我らは、ただ人を殺すために戦争をしておるのではるまい。

 まずは我ら自身の生存のため。次にウルスイルゲンに豊かさをもたらすため。そして、そのためには交易が必要であり、ならば、この都も滅ぼすべきではないと、そうなるのではないか。

 また、あの者は、このようなものを贈り物としてたずさえて来た」


 そうして渡されたは、青、赤、そして黄色に鮮やかに染められた絹織物であった。ボオルチュの手許にあるはその3品のみであったが、ジョチはどこか上機嫌にさえ聞こえる声で次の如く続けた。


「あの者はちゃんと9品をたずさえて来たぞ。我らが何を喜ぶか、ちゃんと調べて来たのだ。どうだ、美しかろう。金国の品にも劣るまい。あえてこれらを造る人々を、そしてその都を滅ぼす必要がどこにあろう」


 ボオルチュは目を見張らざるを得なかった。ジョチのその成長振りにである。長子ということもあり、早くからカンより軍征を託された、そのゆえもあってであろう。ウルスイルゲンのことを良く考えておられる。


 本当なら、その喜びを破顔でもってジョチに示し、いや、それに留まらず、言葉にて、『恐れながら』と前置きしつつも、たたえ、美酒を呑み交わしたきところであるが。ボオルチュは、いかめしき顔を崩すことはできなかった。


「ジョチ大ノヤンもモンゴルの将兵の気質は良くご存知でしょう。最早収まりませぬ。ウルゲンチが和平を求めるというのなら、これほどわたくしたちを苦しめる前に申し出るべきであったのです。何ゆえ最初に拒んだのですか。矢を射かけ合う前になすべきであったのです」


 不意にジョチは怒鳴った。


「それをぶち壊したのは、あのチャアダイではないか。あやつの手下が勝手に戦を始めたからではないか」


 ボオルチュは言葉に詰まった。確かにジョチの言う通りであった。あの先発隊アルギンチの行動は明らかに間違いであった。あれがなければ、ジョチの望む和平が得られ、ウルゲンチも破壊されずに済み、何よりモンゴルの将兵の犠牲は避けられたであろう。


「ならば今からでも和平を求めて何が悪い。かほどに高位の者が、そのために自ら降って来たのだ。その意に応えることは、果たして誤りか? 何より、それは我らにとっても望ましきことではないのか? 」


 ボオルチュは黙り込まざるを得なかった。


「考えを変えぬか」


 声は大分平静さを取り戻しておったが、その内には、まだ震えが残っておった。


「変えませぬ」

 ボオルチュは絞り出すように言う。


「以後の攻めはわれきで行なうことになるぞ」

と遂にジョチは吐き捨てた。


 ボオルチュはなおすがりつく如くに、

「ジョチ大ノヤン。その攻めがいくら気に入らぬとはいえ、引き続き全軍の指揮をお取りになり、そして攻め手に部隊もお加え下さい。それがカンに大将を託された者の責務です」

 

 ジョチは首を縦に振ろうとはしなかった。

 

 困り果てたボオルチュが、

「どうしても指揮を執らぬ、部隊も参戦させぬとなれば、ここはチャアダイ大ノヤンが指揮を執り、城攻めを行うことになりますが、それでもよろしいのですか」と問うと、


 ジョチは鼻で笑い、

「あの者がそれをなしえるというならば、是非見せてもらうとしよう」


 これを聞いたボオルチュは、ああ、この2人はもうどうしようもない間柄あいだがらとなってしまったとたんじた。ボオルチュにはジョチに語りかけるべき言葉は最早見つからなかった。


 かなり長い沈黙が支配した。


 遂に見かねたのであろう、クナンが口を開いた。


「ボオルチュ・ノヤン。ここは一端お引き取り下さい。そしてここで和平を結べば、ジョチ大ノヤンも言われた通り、この後、犠牲は出ぬということ。そのことを良くお考え下さい」

 クナンはここで一息つき、ジョチの方を見る。特にジョチが言葉をはさむことはなかった。

「そして和平を結ぶ気になったならば、いつでも我らを訪ねて下さい」


 クナンは先に案内してくれたジョチの配下に「これは手土産てみやげゆえ、馬のところまで持って行くように」と命じて、口を付けていない残りの革袋をいくつも持たせてくれた。


 その配下は、あのまま天幕ゲルの外にて待っておったようだ。誰も近付かぬよう見張っておったのだろう。その者に己の供回りを呼んで来てもらい、帰路についた。ボオルチュは腹立たしき想いに包まれておった。


(これ以上の犠牲は出ぬ。それはその通りであろう。しかし、どうしてお分かりにならぬのだ。己が父を、子を、兄弟を、あるじを、配下を殺されて、どうして復讐せずにおれようか。殺した者どもがのうのうと生き永らえるのを、どうして許しておれようか)




 注 モンゴルでは9は吉数です。また、どこぞで述べましたが、彼らにとって、吉とは天がたまわるものです。その意味では聖数と呼んでも良いかもしれません。


 それもあって、贈り物は9が喜ばれます。往時の史料にても、9個というのがしばしば出て来ます。たくさんのものを贈るのであれば、9種類×9個となります。

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