(本編完結) 最終章 最終話

   人物紹介

  モンゴル側

 ブジル 百人隊長。タタル氏族


  ホラズム側

 ティムール・マリク:元ホジェンド城主。

   人物紹介終わり




 やがて赤い外套マントを羽織り、兜に羽根飾りを付けた者が離れるのをブジルは見た。


 単騎である。


 月下でもあり離れてもおれば、顔を確認できた訳ではない。ただ入手した諸々の情報が正しければ、あの者がティムール・マリクのはずであった。


(先の時と同じか)

 その動きを見ての、ブジルの想いであった。

(ただ目的は異なろう)

 あの時はティムール自身が逃げるため。しかしこたびは王子を逃がすため。己がおとりに、ということであろう。


 ブジルはすかさず追う。


 ただ、しばらく走ると敵は止まる。


 ブジルも相手の意図が分からず、一端、止まりかけた。


 そこで後ろから一騎、駆けて来るらしき蹄音が聞こえた。


 ティムール・マリクの動きが明らかに自らおとりとならんとするものであれ、1騎ぐらい助太刀に回ろうとする者がおっても不思議ではない。

 あるいは我が追跡したのに気付いて、慌てて追って来ておる自兵か? あの乱戦である。1騎であれ、そうしてくれたなら、ありがたい。


 確かめたいと想い、振り返るも、月の光の下ではその姿も判然とせぬし、いずれとも定めがたい。味方ならば、こちらの勝ちはほぼ確定し、敵なら、その真逆となろう。


 ただブジルはそれに委ねる気はなかった。再度、馬にムチを当てるや、距離を詰める。


『命を賭すならば、やれるはずです』

 スルターンへの問責の使者からの帰途――ホジェンドにてスイケトゥに告げた自らの言葉であり、ましてや心底から出たそれならば、忘れるはずもなかった。自らの剣により成し遂げるべく、気合いもろとも打ちかかる。


 ただ敵は応じず、再び逃走に転じた。馬扱いはあの者が上。それゆえ、先にては煮え湯を呑まされた。


(また逃げられるのか)

 との想いが、胃のからせり上がった如くに、口の中が苦み走る


 しかし、再び敵は止まる。


 なるほど、ここまで離れては、我が戻り、王子に追いつくことはできぬ。たとえ敗れても、憂いは無いということか。そして我を斬り殺すを得れば、追い行き、再合流を図ると。囮として動く前に、あらかじめ落ち合う場所を定めておっても、何の不思議もないこと。


 ブジルは敵が止まったのを幸いに、背負う丸盾を外して、左手に持つ。見ると、やはり敵も同じ構え。ブジルは声を発し、対する敵は無言にて応じ、互いに向けて馬を馳せさせる。


 間合いに入るや、二、三振るい合う。そして月下とはいえ、白刃が当たる距離なら互いの顔も見えぬということはない。そこにあるは憶えのあるあの者の顔に他ならぬ。しかも苦しげな表情にて、我に応戦する。ブジルは少なくとも剣の腕ではこちらに分があると悟る。


 そして数合後、己の突きにティムールが大きくバランスを崩し、ブジルはしめたとばかりに、追っての一撃を当てんとする。


 ただ敵が馬上から転がり落ちたため、刃は空振りしてしまう。地にうずくまる敵に対し、自らも下馬し、とどめをささんとしたとき、ふと見えぬはずのものが見えて、剣を止める。あの船上にて己の矢の前に自らの体をさらした少女。


 そのわずかな惑いの後に、猛然と騎馬がティムールとの間に入って来る。刃のきらめきが月下に見えたので、ブジルはとっさに首をすくめつつ、しゃがまんとするも、避け得ず、一撃を頭に横殴りに受けてしまう。


 ブジルはそのまま倒れ伏した。


 性急に何ごとかを話している2人の声が聞こえる。ブジルのトルコ語の知識でも、早く逃げるぞ、その者は捨て置けなどとの語がかわされておるは分かった。


 2声はすぐに聞こえなくなった。


 その後にあるは、聞き憶えの無い獣が呼び交わす如くの遠吠えのみであった。


 しばらくして、ブジルはむっくり上半身を起こし、足を引き寄せて、地にあぐらを組む。


 兜に守られたようだ。1命を確実に取るために、頸動脈を斬らんと首を狙ったと想われるが――己ならそうする――しゃがんだおかげか。あるいは、単に馬上からの攻撃ゆえか。この地の馬は我らのと異なり背丈が高いこともあり、自ずと届く低さには限界がある。


 心にあるは、何ゆえ、ティムールにとどめを刺すのを躊躇ちゅうちょしたのかとの想いであった。


 もっとも、答えは分かっておった。己にもまた娘ができたゆえであった。


 自らの行い――しかもその内にたぎっておる仇を討つ行いさえ、己にはとなってしまったのか。


 と半ば愕然としつつ、この異郷の地での生ぬるい寒風に吹かれて想うは、厳寒の故郷であり、そして妻と赤ん坊の顔であった。


 そして我知らず、涙が出て来た。


 そしてその耳には、未だに残っておった。


 ティムール・マリクが――その声を忘れられるはずもない――何度も相手に呼びかける言葉が。そして、そこには明らかに感謝の念が込められておった。


 「スルターン」との







   第3部『仇』 終了

   

   本編 完結


 ここまでお読みくださり、ありがとうございました。長い――というより長すぎる小説にここまで付き合ってくださったことは、感に堪えないというほかありません。とても嬉しいです。

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