第63話 オトラル戦29:モンゴル軍議
人物紹介
モンゴル側
チンギス・カン:モンゴル帝国の君主
ジョチ:チンギスと正妻ボルテの間の長子。
チャアダイ:同上の第2子。オトラル攻めの共同指揮官。
オゴデイ:同上の間の第3子。オトラル攻めの共同指揮官。
カラチャル:チャアダイ家の家臣。
アルチダイ:オゴデイ家の家臣。
イェスンゲ:次弟カサルの子供 (チンギスにとってはオイ)。黒トク。
イディクート:駙馬。ウイグル勢の首領。
ホラズム側
イナルチュク・カン:オトラルの城主。カンクリ勢。
ソクメズ:逃走した騎馬隊の副隊長。既に戦死。
人物紹介終了
攻囲の突破が試みられた夜の翌々朝のこと。オトラル城外のやや大きな天幕の内にて、一人怒声を飛ばすはチャアダイのみであった。
チャアダイの怒りの原因は、イナルチュクを逃がしたかもしれぬこと。そのやり玉に上がるは二人。騎馬軍の突破を許した西門攻囲のアルチダイ。それと本来、こうした時のために遊軍に留まるを許されておるはずのイェスンゲであった。
前者はその内心はいざ知らず、かしこまった顔で話を聞いておる風であり、己の部下ということもあって、オゴデイが兄の怒気を何とか和らげようとしておった。
後者は軍を率いる時と打って変わって目立つということはなく、というか無言のまま、素知らぬ顔をしておった。そもそもこの者は口下手であり、また弁解を良しとする性格でもなく、また、こたびこうなってしまったのも、また致し方なきこととのその内心の想いが丸分かりの、隠す気もないとばかりの、ふて腐れ顔であった。
実際あんな暗い夜に出撃するとは想いもよらぬこと。敵騎馬隊が攻囲突破を図った時には、イェスンゲの騎馬隊は、とうに寝付いておった。しかも城に近くてはうるさいし、安心して眠れぬというので、少しばかり距離を取ってであった。
それも至極当たり前のこと。何せ、敵軍の攻囲突破が予想されるのは――特に騎馬軍のそれは、日のあるうちに限られ――このところの夜は月明かりが乏しかったということもあり――それに備えて睡眠を取っておくというのは、全く理にかなったことであった。
それもあって追撃に入るを得たのは、イェスンゲ万人隊のうちの十分の一ほどであり、しかも兵装を整えるのに準備を要したので、かなり遅れてとなった。
更にはソクメズの策にはまってしまったこともあり、他の騎馬のほとんどを逃がしてしまっておった。とはいえ少なくともソクメズ隊についてはあらかたを殺すか捕らえるかした。ただイナルチュクの顔を知る投降者にあらためさせたが、その生者・死者いずれの中にも、それを見出すことはできなかった。そして南門と北門より突破を図った敵歩兵隊についても、ほぼ状況は同じであった。
それでチャアダイの怒声となった訳である。更には、イナルチュクを追ってウルゲンチへと部隊を派遣し、自らそれを率いると言い出すにおいては、皆それまで通りに神妙に聞いておるのは最早無理との呆れ顔となり果てた。
またジョチ大ノヤンとの争いをぶり返すのかと想ったのである。少し高くしたフェルトの座に並んですわる2人の王子に相対して立つ諸将は、二人がもめたチンギスの軍議にも参加しておれば、またかと鼻白まざるを得なかったのである。
ここで少しばかりこの場の皆の並びについて付言するならば、イェスンゲが二人の王子の右にやはり同様の座を与えられており、いとこたるチャアダイの言葉など聞く気もせぬという感じで、時々、鼻をほじってみせては、鼻クソをポイとばかりに飛ばしておった。
王子の左側に座るは駙馬たるウイグルのイディクートであった。この者のみは、チャアダイが何を言おうと、神妙な表情を崩すことはなかった。
諸将はといえば、両家の万人隊長たるカラチャルとアルチダイが並んで前に立ち、その後ろに他の者たちが並んでおった。
とにかく、そのしばらく後にチャアダイが黙ったのは、ただ怒り疲れたゆえであった。
それを見計らって、捕虜の多くが、イナルチュクは未だ中におると証言しておることを、改めて――つまりチャアダイは知っておったのである――カラチャルが上言した。そこでオゴデイがまさに我が意を得たりとばかりに、オトラル攻めの続行を主張し、チャアダイは最早好きにせいという感じでそれを認めた。
チャアダイ自身もイナルチュクを追ってウルゲンチに赴くには、父上に改めて許しを求める必要があることを知っておったゆえに。そしてそれをなしては、まさに己が非難したところのジョチと同じことを繰り返すことになるとは、さすがにこの者も気付いておったゆえに。
そこでようやくお開きになり、皆、やれやれという感じで軍議の天幕を出る。そこより最も足早に立ち去ったのは、ウイグルのイディクートであった。ようやくこれでチェスがうてると想いなして。
てっきり城が陥落したと勝手に想い込み――何せ、敵が大規模な攻囲突破作戦を試みたとの報のみこの者に入っておれば、ならばそれは追い込まれたゆえの最後の一手に他ならぬと、そう考えたのであった。
それで喜び勇んで来てみれば、これであった。それゆえ、仕方なく、敵の首領に逃げられたのかなどと、まさに他人事の如く想いながら、軍議が早う終わらぬかと待ちわびておったのであった。
もう一つ、楽しみがあった。鳥の丸焼きである。今日の朝、周辺は静まりかえっており、ここに来る間にもあちこちで鳥を見るを得ておった。戦の騒擾が無く、様子見がてら戻って来ておるのだろう。再び戦が始まるまでに一羽でも多く捕らえねば。その帰り道、空といわず地上といわず、その姿を見ては、ヨダレを垂らすイディクートであった。
(注 ジョチとチャアダイがもめた軍議は、第3部7~8話『オトラル戦4~5:チンギス軍議1~2』にあります。)
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