第60話 オトラル戦26:突破作戦4日目の朝1
外城門を突破して後、騎馬隊はあらかじめ決めておった策に従い、幾隊にも分かれて逃げた。当然敵の追撃をかわすためである。
ただソクメズのみは、ある程度まとまった部隊を率いておった。といっても、250程度。ただ他の隊が5~10人程度でバラバラに逃げておるのであるから、当然、目立つ。
もちろん、目的もそれであった。敵に自部隊を追わせるためであった。危険な行いであるが、自ら望んでである。そう、その率いるは志願した者たちによる決死隊に他ならぬ。
いかに、夜、突破を図るとはいえ、そうそうあっさり逃がしてくれるとは想えず、当然追討の軍は発されよう。それに備えてのことであった。
しかも、あの者――あの黒トクがおる。オトラル城中では、その側らに常に黒のトクを掲げる騎馬を伴うので、いつしか、その将は黒トクと呼ばれるようになっておった。黒トクには度々煮え湯を飲まされた。こちらが出撃すれば、必ず黒トクが迎撃に出た。そしてたちまち戦場を支配する。
明確な理由は良く分からぬ。確かに勇猛であり、突撃を巧みに用い、いくさ勘も良いのであろう。しかしそもそも黒トクも人間である。当然、間違えることはあろう。
加えて、戦というのはそれ自体が生き物の如くであり、本来、御しやすきものではない。これに時の運も絡むならば、常にうまくは行かぬはずである。
そう想うが、それでもそれをなし得るのは、恐らくあの大敗――ソクメズも下手をすると命を失いかけた――あれを少なからずの兵が目撃しており、黒トクを過度に恐れておるゆえではないか。そのおかげで、黒トクの突撃は、まさに我が軍を容易に恐怖に陥れるとすれば・・・・・・。
ならば、ここはと、ソクメズ自ら願い出た。
別に、これまで存分に生きたとも、ましてやここで死んでも良いなどとは想っておらぬ。ただ誰かがなさねばならぬ。でなければ、より犠牲が大きくなる。
ただそれゆえである。そうやって集った者がこれだけおった。そうならば、決して少ないとは言えまい。
うっすらと白み出して後、徐々にソクメズは馬速を上げておった。とはいえ、それほどではない。なぜなら、追わせるなら、己の部隊はどん尻におらねばならぬ。
そうして黒トクが追って来ておると、隊の最後尾より伝令が至り告げる。ソクメズ自身は隊の先頭におった。
(ようし。食いついた)
ソクメズは「右へ。皆の者。右へ」と大音声にてがなる。続く者が後続へと伝えた。言うまでもなく、敵を引きつけ、自軍の逃走路からそらすためである。
やがて「追って来ます」との最後尾の報告を受ける。
(無論のこと。軍は軍へと馳せ向かう。それが戦の常道である。しかも、黒トクは戦に絶対の自信を持っておるはず。追って来ぬはずはなかった)
ソクメズ隊は北へと転じたのであった。シルダリヤ川北岸は優良な牧地であり、まさにうねる大草原が広がる。そこを、薄く積もった雪もろとも、ソクメズ隊が土煙を上げつつ疾駆すれば、その後を数倍する軍勢が追うという状況であった。そしてその馬蹄に踏みにじられるのを避けるために、その先におる鳥たちが無数に舞い上がる。
追われ出しても、なお馬速を上げることは控えつつ、ソクメズは見計らっておった。速すぎては、隊列が長く伸び、更にはどうしても遅れる者が出てしまう。それでは敵にとって、むしろ好都合となってしまう。こちらが集団で固まり、また馬速を上げぬなら、罠である可能性も含めて敵も警戒し、そうそう接近しては来ぬ。人の心理とはそんなものである。
作戦はあらかじめ決められており、全兵士に伝えてある。よって速度を上げぬことに対する不満を漏らす者はおらぬ。恐怖に駆られ、前方に飛び出る者もおらぬ。
それでは何を見計らうのか? 逃げを図って、相手を誘うなら、その先に味方を置いての待ち伏せが常道。しかし攻囲されたオトラルから脱出を図るこの者たちであれば、そのようなことができようはずもない。
また逃走を無闇に長引かせることも望ましくなかった。逃げる距離が長いほど、自軍の馬は疲弊してしまう。最後に戦いうる力を残しておかなくては、何のための逃げか分からぬ。
逃げるを優先して、革鎧のみで済ませた者が少なからずおった他の隊とは異なり、ソクメズ隊は鉄の鎧装束なり鎖帷子なりをいずれも身にまとう完全武装であった。その分、重く、おのずと馬体には負担となる。
ある程度の距離を走れば、最早、この黒トクの軍勢はウルゲンチを目指して逃げておる他の隊に追いすがることは不可能となる。我らもまた騎馬の民。馬扱いにて遅れを取る理由は無い。
人物紹介
ホラズム側
ソクメズ:騎馬隊副隊長
モンゴル側
イェスンゲ:黒トク。次弟カサルの子供 (チンギスにとってはオイ)。
人物紹介終了
話中のイェスンゲの出来事については、第3部第16~18話『オトラル戦13~15:カンクリ騎馬軍の出撃、再び1~3』を参照してください。
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