第58話 オトラル戦24:突破作戦3日目の夜2

  人物紹介

 ホラズム側

イナルチュク・カン:オトラルの城主。カンクリ勢。


クリ:歩兵隊長

  人物紹介終了



 脱出した騎馬隊を追ってであろう、外城の北門・南門のモンゴル軍の一部がどこかに赴いた。随分な慌て振りであった。その動きはこれらの近くに派遣されておった斥候により歩兵隊長の下にももたらされた。内城北門にて今か今かと待っておったのである。


「東門よりの三夜連続の出撃、更に西門より騎馬隊が逃走を図る以上、ある程度の軍勢がそれに割かれるは確かである。この北門と南門からも加勢が赴いたであろう。それが我らの期待したほどかというのは分からぬが」


 この隊を率いるクリの声が告げ続ける。


「既に伝えておった通り、南門からは副官が歩兵隊の半分を率いて脱出を図る手はずとなっておる。こちらが取りやめれば、モンゴル軍は南門に兵を集めよう。ひるがえって両方の門から出撃するならば、それが敵に対する陽動となり、互いを助けることになる。それもあって中止はできぬ。脱出を決行する。まずは敵に悟られぬよう静かに外城門まで至り、そこで一端待て。そこからは太鼓の合図を以て出撃とする。各自、自らの小隊に戻り、備えよ」


 この静かな夜陰においてさえ響くことのない声音であった。かつてモンゴルの隊商を案内し、後には虐殺の実行を指揮したところの、あの時の上官もそれを聞いておった。


(ようやくか)


 生き残るを得た己の配下を率いて、その歩兵隊に加わっておったのである。




 内城北門ができるだけ音を立てぬよう静かに開け放たれる。まず歩兵隊長のクリが先発小隊を率いて外城門へ向かった。到着すると伝令が戻り、次の小隊への出発の許可を与えた。そうやって一小隊ずつ隊伍を組んで外城門へ向かう。隊内であらかじめ相談し進む順番など全て決められておった。


 各小隊は多く百人隊であったが、今ではその半分は愚か、二、三割の兵員さえ有しておらぬ隊がほとんどであった。やがてあの時の上官の小隊の番となった。できるだけ物音を立てぬよう注意しつつ進む。敵兵の姿は見えぬ。外城門まで何事もなく至ることができた。何とか外をうかがおうとして、門近くに位置を占める。後ろに配下が集まる。


 明るいというのが第一印象であった。それほどに薄闇に沈む城内と異なり、これを囲むモンゴル軍は煌々とかがり火を焚いておった。まるでこちらの策を事前に知り、一兵も取り逃しはせぬという如くであった。無論そんなはずはなかった。目が慣れてくるにつれ、かがり火が照らし出すのはモンゴルの陣営のみであり、その向こうでは再び世界が闇に沈んでおるのを見出す。


 その先の地にこそ、まさに己の生きるべき世界があるはずであった。とはいえ、そのためにはまずはその光の帯を突破せねばならぬ。ただ実際にこの場に臨んでみると、それはまさに不可能ごとに想えた。

 

 本当に手薄になったのか。疑念を持たざるを得ぬ様であった。むしろこちらの出撃を警戒して門から距離を取って待ち構えておるのではないか。


 この策を練り上げた隊長たちに文句の一つも言いたくなる。モンゴル軍がこちらの動きに気付いておるか否かもはっきりしない。


 いずれにしろ騎馬であればいざ知らず、その勢いのままに敵陣を駆け抜けるなど不可能ごとであろう。しかも相手は我らカンクリと同じ遊牧の民の騎馬軍だぞ。逃げ切れるものか。


 しかし、どうして己に馬が与えられぬのか。小隊全員には無理だとしても己だけでも。やはり己はわざわいに取り憑かれておるのだ。城主様と共に、スルターンの呪われた運に巻き込まれたのではないか。そう想えて仕方がなかった。


 その命のままに、あのオトラル隊商をだまし捕らえるという悪事に手を貸した。それはスルターン直々の命であったと聞いた。しかし決して後味の良いものではなかった。


 確かにその後、城主様からはその働きに対していくばくかの分け前を授かった。その隊商が携えて来たという鳥や花の描かれた東方の器は素晴らしく美しくまた見たことのない類いのものであったが、家に置いておくのも薄気味悪く、すぐに売り払った。随分と高値で売れはした。


 これでますます城主様の覚えは良くなろうと同輩たちは羨みさえした。更に城主様は我の働きを褒めスルターンに名を憶えて頂くよう一言しておこうとまでおっしゃって下さったが。


 しかし結局のところ馬さえ与えられぬのだ。生き残るためにそれが必要であるは明らかであるにもかかわらず。死ねということか。城主様は我が死んでも何の痛みも憶えぬのだ。


 後続の小隊も続々と到着しておった。おかげで城門付近は鎧が触れ合う如くの密集状態となりつつあった。


 そして一年と数ヶ月の時が過ぎた頃、あの後味の悪い出来事をようやく忘れかけておった頃のことであった。モンゴルが信じられぬほどの大軍で攻めて来るとの報がもたらされたのであった。


 それからは夜もろくに眠られなかった。それを率いるチンギス・カンが我のなしたこと全てを知っておる如くに想えたのだった。何せスルターンの命により、城主様が隊商の一人を生かして逃がしたゆえに。わざわざチンギス・カンに報告させるために。


 殺すべきであった。あの若者。うっかり殺してしまいましたとして。それで弁明が立ったのではないか。どうして己はそうしなかったのか。どうしてこのことを予見できなかったのか。

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