第51話 長春真人、駄駄をこねる
そのお人は古稀(数え70才)をとうに過ぎたご老人、道教の師たる長春真人であった。
チンギス・カンに自らの下を訪れるよう、呼ばれておった。
ダーニシュマンドがテルケンと謁見する、その少し前のこと。1220年の1月18日(陰暦。以降も同じ)に山東半島の
ただ本気で行く気はなかった。あくまで行った振り、行った振りという奴であった。
それから、かつての金国の首都たる中都(現在の北京)に至る。キタイ勢の驍将たる石抹明安の息子に歓待され、玉虚観に滞在する。この時チンギスが西征に赴いたことを知る。
ただ、このご老人、ここでがっかりするどころか、むしろこれは何たる幸運としか想わぬ。そう、それを理由に行かずに済まそう。カンが帰って来るのを待とう。早速、それをこいねがう文をしたため、カンに送る。
4月に出発し、居庸関を経ても大して進まぬ。
5月その少し先の徳興府に入り、龍陽観にてぐずぐずする。
そして8月、そのお隣の宣徳州にようやく進む。耶律阿海の弟の
行く気はないよ! という訳である。
ただモンゴル高原の留守を預かる(カンの)末弟オッチギンより、己のところにも寄って欲しいとの依頼を携えた使者が来たので――要は遠回しにであるが、改めて早う来いとの催促があったので――仕方なく出発することとなった。
その際、招きに応じたお礼として、禿花は朝元観に新たに堂殿を建て、そこに道教神の尊像を安置した。
とはいえ、このご老人、まだあきらめた訳では無かった。そう、前述の如く、中都におる時に、『行きたくないのじゃ。カンの帰りを待つのじゃ』との想いをそのまま書くわけには行かずとも、それを婉曲に訴えた手紙をカンに送っておった。
それが認められ、結局、行かずに済むのではないか、そう想いつつ進む。ゆえに当然、その歩みは遅い。
そう。やはり行く気はないよ!! という訳であった。
ただ、カンよりその返信が来たて――これは耶律楚材が書いたものであったが、
――そこにて、老子が西方
・・・・・・はずであるが、やはり、である。これから冬である。ゆえにこの年は、ゴビ砂漠に入ることもなく戻り、翌春を待って再出発するとした。
(簡単にあきらめるものか。もしかしたら、カンは足早に帰って来るかもしれぬ)
そう期待しつつ待つも、それはかなわず。結局、翌春(1221年)、出発するのだが。
その内心は
(行きたくねえな)
(わしに死ねというのか)
(わしがいくつと想っておるのか)
との想いに占められておった。そして、ついには、その鮮烈なる魂の叫びがゴビの荒天にこだました。
「わしは行きたく無いんじゃー」
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