第44話 ブハーラー戦18:本丸戦10:亡霊9

  人物紹介 

 モンゴル側

チンギス・カン:モンゴル帝国の君主


耶律やりつ 阿海あはい:チンギスの家臣。キタイ族。

  人物紹介終了




 チンギスは阿海からの報告を心待ちにしておった。


(あいつなのか?)


 何度打ち消しても浮かび上がるその想いと共に。




 そして己の天幕を阿海自ら訪れての、攻め落としましたとの報告には喜んだが。


「申し訳ありません。グル・カンを生け捕りにすることはできませんでした」


 との言には正直、がっかりした。とはいえ、チンギス自身、その内なる想いを信じかねておるのだ。冷静に考えるならば、己は妄念を抱いておるとしか想えぬ。


 それに阿海とその旗下は、棚からぼた餅でこれを得た訳ではない。まさに命を危険にさらして奪い取ったのである。自らも戦場に立ってきたチンギスである。誰よりそれは分かる。


「いや。気にすることはない。先にも言った通り、あくまでなしうればのこと。それより、よくぞ攻め落とした。何より、そこが肝要ぞ」


 最後の言は、むしろ自らに言い聞かせるために、口にしたも同然であった。そして敏感な阿海ならば、己の心の揺れを既に見透かしておるのではないかとも想う。


 ただ、阿海に知られたくないとの想いとは裏腹に、まさに妄念を抱くゆえにチンギスは問わざるを得なかった。


「その者の死体を見られるか?」


「正直、どれが、とは分かりかねます。また逃げ穴があり、そこより逃げた可能性もあります」


「逃がしたのか」


 チンギスは想わず怒声を放っておった。


「確かなことは分かりかねます。それほどに気にされておるのですか」


 チンギスは阿海に言うかどうか、迷った。通常なら己の妄念に過ぎぬものを家臣に言うことなどありえぬ。しかしこれほど己の動揺を見られては、阿海はどう想うか? それが阿海との間隙の原因となってはしょうがない。


「グル・カンと聞いて、そなたが想い浮かべるは、キタイの君主のみか」


 この者の頭にその名が想い浮かべば、己が心の内を多少は共有するを得よう。それゆえ、伝える。そうでないなら、そんなことは望みようもないゆえ、伝えぬ。


 阿海はしばらく時を要したが、その名にたどり着き、口にした。


「ありえると想うか?」


 阿海はすぐに答えぬ。ただその目を見開いて、こちらを見つめかえしておる様がその内心を物語っておった。


「カンが処刑されたと聞き及びますが」


「うむ。ただ我自ら殺した訳ではない。それにあやつとは幼き時からの親友であり、また、同盟者アンダでもある。どうにも、処刑後の顔は見るに忍びぬ。ゆえに確認もしておらぬ。

 今にして想えば、なすべきであった。我が家中には、あの者と深い付き合いがあった者がおらぬ訳ではない。その者たちが手引きしたとすれば。

 どう想うか? 率直なところを教えよ」


「ありえぬとまでは申せませぬ。ただ、わたくしは親しいとは言えませぬが、顔を知らぬ訳ではありませぬ。敵将のうちに、それらしき者はおりませんでした。カン自ら確認されますか?」


「うむ。そうしよう。念のためだ」


 そう。あくまで念のためだ。

 ありえぬとの想いは、依然、強い。


「このことは決して他言無用ぞ。そなたしか言うておらぬ。ボオルチュにさえ話しておらぬ。そなたを信頼すればこそ。もし、他の者からこれを聞くことがあれば、そなたから漏れたものとみなし、そなたを罰さねばならぬ。よいか。我の信頼を決して裏切るな」


「無論です。決して口外しませぬ」


「うむ。そしてあらかじめ言うておく。こたびの功の褒賞だ。そなたは誰も願い出ぬ中、一人、本丸攻めを請い、見事成し遂げた。

 ゆえにサマルカンドを落城せしめた暁には、その城代はそなたに託そう。このブハーラーより、あすこは大きな都と聞くゆえ、まさにふさわしいと想うが。どうだ?」


「恐れ多きこと」


「これは家中に伝えてよいぞ。そなたとしても、早くに喜ばしたかろう。我の方からもボオルチュやトゥルイに伝えておく。

 誰にも文句は言わせぬ。あれらは、自ら願い出ることさえしなかったのだからな」


 最後は半ばグチであった。


「恐れ多きことです」


 阿海は、やはりそう答えるのみであった。


 サマルカンドの城代の件は、そもそもチンギスの心の内にあったものだった。カラ・キタイの威名はこの地にまでとどろいておったと聞く。ならば、その君主と同族たる阿海を置けば、この地の者は従順に従うのではないか。


 そのためには功が必要であるは、無論のこと。ただ、今回そこは問題ない。


 もちろん、そうであるとしても、論功行賞は拙速になすべきではなく、ボオルチュなどと合議の上、行うべきものであるのは十分に分かっておる。それを今行うのは、まさに口止め料も兼ねるゆえであった。我が妄念を抱いておるなどと皆が知れば、それこそ士気にも忠誠にも関わる。


 褒賞を家中に漏らして良いとしたのも理由があった。約束だけして、後に違えるのではないかとの阿海の疑心を、あらかじめ避けるためであった。




 そして、自らの妄念を確かめるために、この後すぐに阿海と共に本丸へと赴いた。

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