第2部 開戦
第1話 西夏の対応 カクヨム版
人物紹介
モンゴル側
チンギス・カン:モンゴル帝国の君主
ボオルチュ:チンギス筆頭の家臣。アルラト氏族。四駿(馬)の一人。
人物紹介終了
チンギスはその常なることとして、臣従する諸勢力に遠征への十全たる準備と全面的な協力――糧食の提供と遠征への参加――を求めた。
当然、その中の最大勢力たる西夏の
正使は弟ジョチ・カサルの子のイェスンゲであった。大
副使兼通訳として、西夏出身のチャガンを当てた。この者は次のシギ・クトクになりうるのではと、チンギスが見込み、少年の頃から引き取り、養育しておる者であった。
ところでホラズムとの戦は、ジョチがスルターンとなしたもののみであり、しかもこれはまさに己自身の命により、まともに戦うことなく退却しておった。それゆえ、ホラズムの軍がどの程度強いかは、はっきりしなかった。その急激な勃興振りを見る限り、あなどることのできぬ強敵であろうと想われた。モンゴル並みの強大さということも、十分にありえた。
更にはもう一つ事情があった。金国の存在である。攻めは緩めるとしても、どうしてもある程度は軍勢を残さざるを得ない。
つまり自国と同じ、あるいはそれを上回る軍事力を有するかもしれぬホラズムに侵攻するにもかかわらず、こちらは国を挙げて攻め入ることができぬのである。
そこで当然西夏の存在は重要なものとなる。もちろん、西夏もまた金国と戦線を構えておる以上、全軍を挙げてとは行かぬであろう。それでも全遠征軍の四分の一から五分の一を出すことは、西夏の国力から考えても、十分可能であると想われた。
それゆえ西夏が参戦するなら、ホラズムに対して優勢に戦い得ようし、参戦を拒まれれば、戦は厳しきものとなるであろう。そう考えるゆえにこそ、チンギスはあえて王族のイェスンゲを発したのであった。臣従する西夏に対し、可能な限り最上の敬意を示して、その参戦を請うたのである。
使節団一行は、かつて西夏皇帝よりカンに贈られたラクダに乗って出発した。馬より乾燥に強く、また戦に行く訳でもなかったので。
地表にわずかに積もる雪を頼りに水を得つつ、ゴビ砂漠を南へと縦断した。そのルートは唐代には参天可汗道と呼ばれ、68カ所の宿駅が配されておったのだが、今は半ば崩れ半ば砂に埋もれたレンガ壁がその名残を伝えるのみであった。
凍結した黄河に出ると、後はこれをさかのぼった。黄河というのは西方のチベットの方から流れて来ると、一端大きくまさに大陸的なスケールで北流する。この西岸側にその目指す地はあったのである。多少、中国の地理に明るい人のために付記すれば、霊州(霊武とも)の対岸側の地である。
イェスンゲとチャガンは西夏の首都興慶府に至った。イェスンゲにとっては、父カサルに従って従軍した金国遠征以来、チャガンにとってはチンギスに拾われるまで、子供の頃過ごして以来見る甍を並べた街並みであった。
恐らくイェスンゲは物珍しいとの感想と共に、チャガンは幼き時への郷愁と共に眺めたであろう。ただ、この二人がその内に抱くが、西夏の遠征への参加を何としてでも取り付けねばということであったは、疑いあるまい。
二人は宮城に招き入れられた。そこまでは良かったが、皇帝の李遵項は会うことに応じず、大臣のみが接見した。しかも軍の提供を拒んで来た。
イェスンゲは、「カンは西夏軍に右翼を託すとまで言われております。これほどに信頼を示され、重用を約束されておるのですよ」と訴えた。更には「そもそも貴国の皇帝が軍を出すとかつて約束されたのです」と抗議した。
しかし、ついぞまともに相手にされることなく、帰途につかざるを得なかった。去る前に、宴を開きましょうと言う。イェスンゲとしては、こちらの頼みを断っておいて何を言うかというのが正直なところであった。しかし果たしてカンが西夏の返答を聞いてどういう対応を取るか分からぬ。己の一存でぶちこわしにする訳にも行かず、宴に出た。
鎧装束の西夏の女の舞いを見せられ――西夏にては女も兵となるとのことであり、今、演じられておるは出陣前の舞いという――何とも皮肉なと想い、宴の主催者たるあの大臣の方を見ると、小馬鹿にした如くの笑みを浮かべておった。そういうことかと、頭に血が昇りかけたが、ひたすらに酒を喉に流し込むに努めて――にもかかわらず、ついに酔えず仕舞であったが――何とかこらえた。
去り際、ラクダを9頭、その毛織物を9反、贈られた。一応モンゴルの吉数たる9を守るあたり、形ばかりは敬意を示してはおったが。こちらの願いをけんもほろろに断られた時の大臣の表情と声が想い出され、憤りがぶり返す。己に対するものであれば、それこそ道すがら、いや、まさに今、恥知らずにも送りに出て来ておる大臣の面前にて打ち棄てて帰りたいところ。しかし、カンへの贈り物である以上、それを為せば
ケルレンの大オルドにある小さな
むしろ戦場にてこそ輝くこの2人をそぐわぬ目的に赴かせたのかと、忸怩たる想いさえ抱いたのかもしれぬ。次の如くに告げた。
「そなたらのせいではない。西夏はそもそも隠しておった本心をあからさまにしたに過ぎぬ。
実のところ、断るのではないかとは、我らは想っておった。ボオルチュと話しておったのだ。西夏が軍を出すは五分五分であろうと。それゆえ、交渉結果は極秘にせよとあらかじめそなたたちに命じておったのだ。我が死ぬ、あるいはモンゴルが負ける方に、西夏は賭けたということであろう。
いずれ、このことは知れ渡ろう。その時にはあらためて『西夏が断ったこと。それを理由として、将来必ず西夏を滅ぼす』と公布することになる。それで大崩れは抑えられよう。そなたたちは、この後もこのことは他言するな」
とチンギスが言えば、
「これはまさに己が参戦が勝敗の
とボオルチュが請け負った。
注1:ブルカンとは西夏皇帝に対するモンゴル側の尊称である。他方で(モンゴル語で)ブルカンとは仏陀(釈迦
西夏の仏教への尊崇は良く知られることである。しかし皇帝が自ら仏陀と名乗っては(あるいは名乗らせても)、却ってその信仰心に反するは明らかである。何がどう間違ったのかは分からぬが、この迷惑な尊称が定着しておったのである。
西夏を建国したタングート人は、モンゴル語ともチベット語とも異なる独自の言葉を話した。チベット語に近いとも言われている。しかしチベット文字を流用するを得ず、独自に西夏文字を創り出す必要があった。このことに鑑みれば、あくまでもまったく別種の他言語(モンゴル語や日本語)と比べれば、相対的に近いということなのだろう。
注2:タングート勢の概略の歴史
タングート勢というのはひとまとまりであった訳ではないので、実際はずっと複雑であるが、ここは極めて簡略に述べる。
遊牧勢たるタングートの勃興は、チベットの青海方面に勢威を張った吐谷渾(とよくこん。鮮卑の一分枝とされ、やはり遊牧勢)との連合が大きく力を貸した。史料的な根拠がある訳ではないが、恐らく姻族の間柄であったろう。
吐谷渾を663年
そして宋代に至り、
補足 宋側の史料でも、「西夏」とはされず、単に「夏国」や「夏人」などとされる場合がほとんどである。北宋時代に国境を接し度々戦をしている「夏」国と、はるか昔の半ば伝説上の「夏」国を、混同する恐れなど無いからである。史料の伝える往時の政治感覚というものであろう。
補足追記
この後の話を書くために史料を漁っていたら、楚材さんがしっかり『西夏』と記していたのを見つけた。カラ・キタイのことも『西遼』と記す(追注1)。楚材はモンゴルに仕えたが、その前は金国に仕えており、こうした呼称は金国に由来するものと想われる。
金国にとって遼(契丹)というのは、既に自らが滅ぼした国家である。それゆえ、その一傍流が西に逃れて国を再建したとしても、認められるはずもない。『遼』と呼んでは再建を認めることになるから、あえて区別して『西遼』と呼んだのであろう。
それで『夏』国もついでとばかりに『西夏』とされたのだろう。通常、自称する時や国書などで相手を尊称する時は『大』を付ける。大宋・大金・大遼・大元などなど。転じて、華夷思想に見られる如く、方角の名を国名の前に付すは侮蔑の意を示すと想われる。西戎の国という訳である。
実際、金国は初期から西夏と呼んだ訳ではない。例えば、金国が建国当初の靖康元年正月に、北宋の朝廷に宛てた文書中に、
『夏国王の李乾順と塔坦の黙爾赫が、並びて亡んだ遼を助けようとして、我が行陣を犯すも、未だ鼓せずして破る。
よく過ちを改めたために、各々(夏国と塔坦)を旧居に復し、契丹の辺土を分け裂きて、以てその地を済(わた)す。』とある(追注2)。
この記事は、内容も面白い。
・西夏の皇帝の李乾順は契丹王族の娘をめとっており、助太刀するは当然といえる。
・塔坦はタタン則ち、往時モンゴル高原に勢威を張ったタタルと想われ、これも助太刀したと知れる。
・通常、太鼓は「戦闘開始」や「突撃」の合図に用いられる。ゆえに『未だ鼓せずして破る』とは、その必要も無く勝ったと、自らの武威を誇示しておるのである。
・恐らく敗れた後、臣従を示したのだろう。旧領土を
追注1 松崎光久訳『耶律楚材文集』(中国古典新書続編)明徳出版社 平成13年 126貢、104貢
追注2 大金弔伐錄校補 中華書局 2017年 115貢
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