(第一部 完)第31話 問責の使者 終話 カクヨム版

  人物紹介

 モンゴル側

チンギス・カン:モンゴル帝国の君主


クラン・カトン:チンギスの后妃。第2オルドの主人。メルキトの王女。


シギ・クトク:チンギスの寵臣。戦場で拾われ正妻ボルテに育てられた。タタルの王族。


スイケトゥ・チェルビ:コンゴタンのモンリク・エチゲの子(詳細は前話を参照してください)


イブン・カフラジ・ブグラー:問責の使者として赴き殺害される。


その妻と二人の子


  人物紹介終了




 シギ・クトクは体格が格別良いという訳ではなかったが、ブジルに肩を貸して歩く際に、ふらつくということは無かった。それほどに、この若き使者は体重が落ちておったのである。


「よくぞ大任を成し遂げた。しかも戻り報告するを得たのは、そなた1人。カンはこの後、より一層そなたを信頼し、重用しよう。そしてそれは我らタタルにとっても喜ばしきこと」


 シギ・クトクは、領袖として、分家筋の若者たるこの者に告げた。自らに直属しておる訳ではなかったが、タタルの血筋中では最もチンギスに近く、また高位であるシギ・クトクは、自ずと同族を庇護するべく努め、また随所に心配りを見せた。チンギスの父イェスゲイを毒殺したタタルは、モンゴルにとってまさに仇と言い得る存在である。それもあっての、シギ・クトクのこの動きであり、やはり同族たるチンギスの3番目の后妃イェスイ・カトンと共にこれに努めたのであった。


「そこでお頼みがあります。ブグラーのことですが」


「おお。スルターンに命を奪われた者だな」


「その仇を討ちたく想います」


「無論だ。カンは間違いなく、そう決断されよう。ホラズムに攻め込み、スルターンを討つと」


「そのことは私も疑っておりませぬ」


「ならば・・・・・・」

 

 そこで、ブジルはホジェンドでのティムール・マリクとの会見について伝えた。


「その者を自ら討ちたいということか」


「はい。スイケトゥ・チェルビも同じ気持ちであり、そして私をその旗下に加えてくださる考えとのことです。それをカンに願い出るとうかがいました」


「分かった。そういうことならば、我の方からも、カンに認めていただくよう、口添えしよう」


「助かります」


「何を言うか。カンの軍をかようににされて、黙っておれるか。そなたたちが動かぬならば、我自らが討つを願い出るところ」


「何とお礼を申し上げれば良いのか」


「よいよい。礼など要らぬ。ゆっくりしておれ。カンにも言われたろう」


 ブジルはようやく落ち着くを得たのか、その口を閉じた。更には、体の力が抜けた如くとなり、さすがに、ある程度は自らの足で立ってもらわねば、シギ・クトク一人では満足に支えきれぬ。

ゆえに、急ぎ少し離れたところにおる近衛隊ケシクテンの者を大声で呼ぶと手伝わせて、ブジルを自らの天幕ゲルへと何とか運び込んだのだった。





 夫の言う通りであった。初めてそう想った。


 それまではずっとほれみなさい。わたしの言う通りだったじゃない。むざむざ、あれの前に出向き、殺されてしまったじゃない。そう想い続けておった。


 それが今回、息子二人と共にカンに呼ばれたのだった。夫の死の報がもたらされて半月後のことであった。無論こんなことは、夫の生きておる間でさえなかった。初めてであった。


 逃げるように故郷を出て来たので、かさばる衣服の類いは満足に携えて来ておらず、このような時に着て行くものがなくて困った。


 己はムスリマの身だしなみとして、髪を黒のヴェールで隠し、二着しかないうちの上品な方の一着をまとい、その上から黒の外套を羽織れば問題ない。それでも母が生きていれば、もっとふさわしいものを着なさいと叱られただろうが。


 問題は息子二人であった。この地で成長した息子たちは、君主の御前で着るような服を作っておらなかった。


 夫の服を仕立て直して、着て行くものを急ごしらえする必要があった。弟の方は少し背が低いくらいで、幸いほとんど手を入れる必要はなかった。しかし、兄の方は頭一つ背が高く、そのままではどうしても寸足らずであった。腰回りの方は、夫も息子二人もせており、手直しの必要はなかった。


 そういえばあの人はホラズムにいた頃は太っていたわ。こちらに来て何度も腰回りを仕立て直す必要があったことを想い出し、ついつい、つくろい直す手が止まり、服に涙がしたたっては、染みになってはと急ぎ別布に吸わせることを繰り返した。

 



 枯れ草を踏みつつ向かう。息子たちも馬に乗れぬわたしに合わせて、歩いてであった。


 またわたしの嫌いな冬が来るのか。この地の冬は信じがたいほどに寒かった。その冬をわたしは夫無しに過ごさねばならぬのか。


 あのわたしの嫌いな大ネズミどもは早くも冬ごもりして、姿を全く見せぬのはありがたかったが。それを夫はモンゴル人に分けてもらっては、うまいうまいと食べておった。そんな姿さえ想い出しては、涙が溢れそうになるので、急ぎ頭から追い払った。


 そしてカンの待つクラン・カトンの天幕ゲルへと案内され、入ることを許された。息子共共、お二人の前に進み出てひざまずいた。


「ブグラーのこと。その無念。我は決して忘れぬぞ。そなたらにこそ誓おうぞ。我はホラズムを滅ぼし、あのスルターンの首を取らぬ限り、この地には戻らぬことを。そして我が四狗ドルベン・ヌカスに地の果てまでもあの者を追わせることを」


 そうおっしゃると、カンは玉座から立ち上がり、壇上から降りて来られて、息子に手自ら宝物を授けて下さった。柄に宝石をはめ込んだ黄金の懐剣を一振りずつであった。


 その後クラン・カトンも降りて来て、我からですとおっしゃり、わたしに髪飾りを授けて下さった。それは、故国におる時でさえ見たこともないほどの大きなルビーを、黄金の蝶の台座の上にあしらったものであった。わたしがあまりの賜りに驚いておると、


「二人はブグラーの忘れ形見。望むならば、我に仕えることを許すぞ」


 とのカンの声がすぐ近くで聞こえた。


「お願い致します」


「ありがとうございます」


 後ろに控える息子たちは、わたしの許可を求めることもなく、それを受けた。


「まずはシギ・クトクの下に入り、様々なことを学ぶが良い。いかなる仕えをなすかは、そなたらの働き次第だ」


 更には牛車一台分の絹布、加えて大盆にあふれるほどに盛った黄金を授かった。そこを立ち去る際、クラン・カトンには


「故郷から遠い地で夫を亡くしては、さぞ心細いでしょう。何かあれば頼って来なさい」


 とのありがたい言葉を授かり、抱擁ほうようまでして頂いた。


 確かに夫の言う通りであった。しかし、わたしの心には一片の喜びもなかった。


(第一部終了)




 どうも。ここまでお読みいただきありがとうございました。次話からは第2部『開戦』となります。引き続き、お楽しみいただければと想います。

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