第28話 問責の使者1 カクヨム版

  人物紹介

 モンゴル側

チンギス・カン:モンゴル帝国の君主


イブン・カフラジ・ブグラー:本話の主人公。本話が初出。


その妻:本話が初出。



 ホラズム側

スルターン・テキッシュ:ホラズム帝国の先代の君主。


テルケン・カトン:テキッシュの正妻。カンクリの王女。


マリク・シャー:先代テキッシュとテルケン・カトンの間の長子。


スルターン・ムハンマド:ホラズム帝国の現君主。先代テキッシュとテルケン・カトンの間の子。


ティムール・マリク:ホジェンド城主


イナルチュク・カン:オトラルの城主。カンクリ勢。

  人物紹介終了



 前書きです

 スルターン・ムハンマドが兄マリク・シャーにいかなる想いを抱いておるかは、『第10話 和平協定3(スルターンとオグル、そしてニザーム)の後半部分の「スルターンとニザームの場面」に記しております。読んでおられぬ方は、是非、その部分を読んで、本話を読まれることをおすすめします。

 前書き終わりです




 今回の任務は大変危険であるとして、誰もが尻込みする中、イブン・カフラジ・ブグラーは自ら願い出た。


 ブグラーとはトルコ系が好んで用いるところの名の一つでたねオスラクダを意味する。カラ・ハン朝の支配者が、獅子を意味するアルスラーンと並んでこのブグラーを好んで称号としたことからも、この名のよび起こす猛々たけだけしさ、勇猛さは理解されよう。


 この者は代々ホラズム・シャー家に仕える名家出身であった。父は先代のスルターン・テキシュに仕え、この者自身もその長子たるマリク・シャーに仕えておった。


 その後、身の危険を感じ、付き合いのあったホラズム商人のつてでチンギスの下へ身を寄せたのであった。あるじマリク・シャーが生きておってくれたならばと、詮無せんないこととは良く分かっておりながら、今でも想うことが度々あった。


「この任務をなし遂げれば、カンの信頼はいや増そう。よしんば何かあったとしても、カンは殺された使者の遺族にはことの外、目をかけて下さると聞く。何の心配もいらぬ」


「わたしは絶対反対ですからね。たとえこの後、一家が栄えたとしても、あなたが殺されたら何にもならないじゃない」


 慣れぬことのできぬこの地の寒気に――更に己のせいで生まれ故郷から遠く離れざるを得なかった苦労が重なったゆえか――その顔には最近目立ってしわが増えておった。


「このような機会はそうそうない。我が家はホラズム・シャー家に仕えて来たから、このままではどうしてもカンのおぼえは悪いのだ。ただ我がこたびの任務をなし遂げれば、全ては変わる」


 己は言葉を尽くして説得を試みたが、妻は聞き入れてくれず、この時をさかいに口をきいてくれなくなった。そして出立の時も、妻が見送ってくれることはなかった。


「あなたは昔の栄華が忘れられないのよ。でもあなたが忘れていけないことは、あれのあなたに対する憎しみの方よ。ああ、恐ろしい。あれがあなたを見る目。

 あれがあなたを手にかけなかったのは、ただマリク・シャーが生きており守ってくれたから。そのマリク・シャーを、あれが毒殺したとの噂があるのよ。あなたも知っているでしょうに」


「しかし、カリフによるものとのもっぱらの噂がある」


「先代のテキシュ様をたばかるために、あれがでっち上げた嘘に違いないわ。テキシュ様は余りにもカリフを忌み嫌っておったから、まんまとそれを信じ込んだみたいだけど。

 でもマリク・シャーが託されておったホラーサーン(アムダリヤ川南岸の広大肥沃な地)統治を引き継いだのは、あれなのよ。

 その死の時まで、マリク・シャーが次のスルターンになることを疑う者はいなかったわ。テキッシュ様も母后もそれを公言しておったわ。あなたも知っているはずよ。テキッシュ様の死後、結局スルターンになったのはあれよ。

 全てあれの望み通りになったのよ。それが偶然だと言える。自分の兄を殺すのもいとわない者なのよ。どうしてあなたを殺すことをためらうと想うの。

 それをあなたが、のこのこと出向いてごらんなさい。しかもあれが敵とみなしておるカンの使者として赴くことを、自ら願い出るなど、どうかしているわ。殺して下さいと言っているようなものよ。知っているわよね。カンの隊商がどうなったか」


 最後の妻の言葉は叫び声に近きものであった。




 こちらをにらみつけておる上気した妻の顔もその怒気も、たった今その言葉を吐かれた如くに想い出すことができた。妻からこんなに離れた地を進んでおるというのに。


 あの会話が、妻と言葉をかわした最後となるのだろうか。しかし妻は知らぬのだ。


 マリク・シャーに仕え国の大事の相談に預かった我が身が、今では商人風情ふぜいの者から、いかにカンに目をかけられておるかの話を聞かされるのだ。時にはカンに重要な任務を委ねられたとの自慢話さえ。


 己のなしえることといえば、毎日、西の方を見ては、故国に思いを馳せることのみ。そのみじめさは妻には分かるまい。


 おぞましく響く狼の遠吠えのために、夜行するブグラーのもの想いは途切れた。



 

 しかし再び虫ののみが聞こえるようになると、今度はカンより授かった文に想いが及んだ。もう何度も見てすっかり憶えてしまっておった。


 そこにてカンは、

――己の配下を殺し己の財産を奪ったとして、スルターンの協定破りをなじり、

――もしスルターンがこの件をまったく預かり知らぬというなら、虐殺の実行者たるオトラルのイナルチュク・カンを引き渡して、テンゲリにその潔白を示せと求めておった。

――最後に、さもなくば、テンゲリの命に従いて、軍を差し向けるぞと脅しておった。


 確かにこれを伝えれば、己は殺されるかもしれぬ。それだけは妻が正しかったのかもしれぬ。


 このところずっと満足に眠れなかった。そしてその理由が、暑熱しょねつの下での旅を避けるために、昼夜が逆転した生活を送っておるからだけでないこと。

それに、ブグラー自身も気付いてはおった。

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