第25話 「カンの隊商の終話」にして「謀略の終話」 カクヨム版

  人物紹介

 モンゴル側

オマル・ホージャ:(ホラズムに向かう)チンギス・カンの隊商を率いる隊長


アリー:隊商のラクダ係


ハーリド:隊商でのアリーの少し先輩


 ホラズム側

イナルチュク・カン:オトラルの城主。カンクリ勢。


  人物紹介終了




 その間にあったことといえば、出身地を問われたこと。その地の名物料理を出したく想いますので、ということであった。


 もう一つは少し遅くなりましたが、恐らく全員ムスリムだと想いますが、異なる方はおられますかというものであった。もし異なるなら、その宗教上の禁忌を教えていただければ、対応しますという。


 いずれも客人をもてなしたいゆえの問いであろう、ということになった。




 そしてその日は突然やって来た。ここオトラルに到着して、一月にならんとする頃であった。


 暑さはいや増し、また風砂にさらされることもないとあって、隊商の者は最早チョパンをまとうことはなく、オマル隊長の如くモンゴル製のデールか、アリーやハーリドの如く西域産の綿の上下のみを身につけておった。

 そしてやはり同じ理由で、ほとんどの者がタジク帽のみをかぶっておった。


 何の前触れもなかった。ただ館の中に隔離されておったに等しいのであるから、それに気付かぬのも当然のこと。


 たくさんの衛兵が突然入って来た。最初の日に案内した衛兵たちと同様の槍をたずさえておった。しかしこたびはよろいかぶとを身にまとう完全武装の姿であった。そして隊商の者を抑えつけ、しばり始めた。


「何をするのだ。お前」

「おい。やめろ」

「くそったれ」

「さわるな。殺すぞ」


 怒号うずまく中、それでも一人また一人と捕らえられる。武器をあらかじめ取られておる上に、不意を襲われた形となったのだ。


「どういうことだ。説明してくれぬか」


 何とか自制心をまだ心に留める隊長の、それでも怒りの感情を隠しきれぬ声が問うた。


「イナルチュク・カンの命だ。そなたたちを間諜かんちょう(スパイ)として捕らえよとの命が出された」


と述べたのは、到着の日にここまで案内してくれた上官であった。


「間諜だと。何を言うか」


 今度の隊長の声は明らかに相手を一喝いっかつするものであった。しかし上官はそれを何でもないというように聞き流した。


 衛兵はやがて隊長やアリーも含め全ての者を捕らえ終わり、連れ出しにかかった。


 後ろ手にしばられておった。両足もまたしばられておるが、こちらは極端な小股ではあれ、何とか歩けるほどにはゆるくしてあった。


 激しく抵抗した者の中には、槍で突かれたり叩かれたりした者もおった。その者らは血を流したまま引きずられた。


 そしてその怒りの声が止むことはなかった。




 連行された先は野天の広場であった。隊商はひとまとめにされた。


 アリーは入口をなす門の方に立った。あまりのことに呆然とし、ゆえに衛兵の注意を引くこともなく、後回しにされ、結局皆の後から連行されることとなったためである。


 そのぐるりを既に別の部隊が取り囲んでおった。更にその外側には住民なのか、大勢の人たちがおった。


 陽光は目をほそめざるを得ないほどまぶしく、夏間近の無風の炎天が容赦なく全ての者を照りつけ、1人1人の姿をくっきりと際立たせておった。


「モンゴルのチンギス・カンに仕える者たちよ」


 やがて声がした。その方をアリーが見ると、数段高くしつらえられた壇に一人の男が立っておった。鎧と兜に身を包み既に剣を抜いておった。


「スルターンのおおせによれば、

『ぬしらは異教徒の主に仕える裏切り者である。そしてその本当の目的は交易ではない。秘密裏の宣伝工作――及び軍事に関するあらゆることどもの情報収集――であることは既に明らかになっておる。

 我が国に対して攻め込む前の事前行動に他ならぬ。ゆえにそのあやまちと罪により全員処刑せよ』と」

 ただし慈悲深きスルターンはこうも仰せである。

 『若い者から一人を選べと。そしてその者の命を救い、今回のことをぬしらの主に伝えさせよと。それにより異教徒への重大な警告となすとともに、改心の機会を与えることは、神の御心にかなうことになろう』と。

 誰が若い」

 

 そう問うて、壇上の男は隊商の者をうかがった。確かにその視線は一度はアリーに止まり、それから他の者へと移った。答える者はおらなかった。


「誰だ」


 再び問う。


 やはり答えなかった。先輩方はもとより隊長でさえ。


 皆、アリーが最も若いというのは知っておった。ただハーリドとの差は数ヶ月に過ぎない。他の先輩たちとは年が多少離れており、若いと言えばこの二人であった。


 アリーとここで声に出すことは、ハーリドに死ねというに等しい。逆もまた然りである。誰であれ望まぬことである。そしてそれはアリーとても同じだった。ハーリドも同じなのだろう。


(誰一人答えるものか。あの男が選べば良いんだ)


 アリーはその覚悟ができておる積もりだった。なぜか膝は激しく震えておったが。


「そうか。かばい合うておるのか。見上げたものだ。商人にしておくのは惜しい者たちよ。このような時でなければ、我の配下に誘うことをもあったろうが。ただ悪く想うな。スルターンからの命は既に下されておる」


 そこで男は一息つき、聞き逃すなと言うばかりに、ゆっくりと更に大きな声で告げた。


「そなたらが申し出ぬなら、我が選ぶことになるぞ」


 アリーの膝は一層激しく震え出しておったが、何とかこらえた。


 ハーリドも申し出ぬ。


 誰も口を開かなかった。


 男は手に持つ剣を一端高くかかげて、


「良いのだな」


 と念を押す。そこで男は隊商の方を見回しつつ、しばし待つ如くであった。そして遂に


「ならばお前だ」


 と言いながら、剣で指し示した。


 アリーではなかった。その剣の先を見ようとして、顔を向ける。皆も同様であった。不意にその方から妙にかん高い声が聞こえた。


「あいつです。そこの入口のあいつ」


 ハーリドだった。いつもと全然声が違った。


「なんで、お前、そんなこと」


 アリーは想わずぞんざいな言葉遣いとなった。これまで一年半ほどとはいえ先輩であるハーリドを、お前呼ばわりしたことはなかった。アリーはお返しとばかりに、


「俺ではない。あいつです。あいつ」


「アリーには嫁がおろう。ならば赤ん坊ができておるかもしれぬ」


 ハーリドの声はかん高いままであった。しかもその顔は今にも泣き出さんばかりに引き歪んでおった。


「何を言う。お前だって母親と妹が・・・・・・」


 そう続けようとしたアリーの声におおいかぶせる如くの大声。


「その門の方におる者です」


 見ると隊長であった。


(なんで隊長まで。いつもハーリドばかり)


「この者には子がおります。慈悲を与えるなら、この者にこそ」


 とその大声が続けた。


「なんで。子がおるかどうかなんて、ハーリドが勝手に」


「こいつです」


「そこの者です」


 アリーの声に隊商の者の声が次々におおいかぶさった。遂にはドンとばかり軽い体当たりを受けた。そもそも膝を震わせておったアリーである。想わず転んだ。


「そいつなのだな。衛兵よ。そいつを引っ張って来い。お前のみは助けよう。良いか。その代わり、チンギスとやらに、これから見ることを全て伝えよ。

 そしてこの処刑を指揮した我の名を伝えることも忘れるな。我こそはオトラルのイナルチュク・カンぞ」


 アリーは言われたことのどこまでを理解できたのか。ただ一人、衛兵たちにより隊商から引き離されかけた。身をよじり、激しく抵抗した。先ほど館から連れ出される時とは比べものにならぬほどに。わずかに自由になる足で蹴り上げようとする。


 したたかに殴られ、おとなしくなったところを連れ出された。処刑を命じた男が立つ壇の下までひきずられ、それから座らされ、顔を上げさせられた。それでもアリーはその手をひきはがそうとして、暴れて再びひどく殴られた。


「アリー。我の言いつけを忘れたのか」


 再び大声がし、そちらを見るとやはり隊長の顔が見えた。ただその目は大きく見開かれておるも、もうアリーを見返すことはなかった。


 アリーに声をかけたために、兵の注意を引いてしまったのだ。槍によりその腹を貫かれておった。そして兵は槍を引き抜くために隊長の体を蹴り倒した。


 そして見ていたといえば見ていた。親しき者、なじみの者がしばられたまま一人一人殺されて行く様を。つい先ほどまで怒り、声を上げ、動いていた者が動かなくなっていく、むくろと化していくその様を。


 そしてにかかった如くに繰り返しハーリドの姿を捜し求めるが、一度としてどこにも見出すことができなかった。




 アリーは馬と食べ物、それと通行証を与えられて釈放された。隊長に譲ると約束されたラクダも含め、一切の商品、一切の家畜は奪われた。アリーは祖父が買ってくれたタジク帽もなくしておった。




 ハーリドのことを想い出しておった。


「俺は父が交易に出ておった時に生まれた子なんだ」


 そして


「父が亡くなったのは、俺が十歳の頃。それまでも交易でおらなかったから、何も変わらないはずなのに。なぜか随分と寂しい想いをし、母に気付かれぬよう泣くことも度々であった」


 それを教えてくれた時の、どこか遠くを見るような眼差しと共に。そして


「泣いたことなんかを人に言ったのはアリーが初めてだよ。俺はずっと弟が欲しかったんだ。時々神様は俺の願いを聞き届けてくれたのではないかと想うよ」


 と言ってくれた時の照れくさそうな表情と共に。


 そして年がほとんど変わらぬにもかかわらず、弟呼ばわりされて、想わず不機嫌になり冷たくしてしまった己のどうしようもなさと共に。


(なんで)




 その後スルターンは自らが気に入ったものをまず取り、イナルチュクに略奪品の一部を取り分として与えた。


 残りの品については、ブハーラーの商人に売り払った。


 商人たちはその代金ですとして、スルターンの言い値を支払った。自らが損をするのもかまわずに。何せ今後この損失を補って余りある利益を独占できるはずであったから。

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