第18話 謀略3 カクヨム版

 この者たちは、かつて隊商の経験のある者、そして現にそれをとする者がほとんどであった。とはいえ、そもそも馬を駆るなどの経験はそれほど多くない。しかもそれが長行程に及ぶなら、なおさらであった。


 隊商は通常ラクダの足、馬の足に合わせて進むことになる。下手に急がせれば、ラクダや馬はすぐに足を痛め、果ては死んでしまう。


 これら駄獣だじゅうはまさに隊商にとってであり、それを失うはを失うに等しい。ゆえにこの者たちにとっては本来、長距離、馬を駆るなど論外であった。しかしこうなっては、そうせざるを得ない。





 そもそもヌールに達する前に、慣れぬ乗馬のために尻の皮がむけて、「痛くて痛くてたまりません」として早々に脱落した者が既に一人おった。




 そしてヌールから更にペースを上げたのであった。とはいえ、早駆けに早駆けを重ねてというのとはほど遠い。それだけの技量も体力も、そもそもこの者たちにはないのである。当人の気ばかりいても、なかなか馬は駆けてくれぬ。


 替え馬という形で、馬については配慮した。人についていえば、日一日と手綱たづなを握る手は力を失い、あぶみの上で体を支えるべきひざは震えだす。


 それでも馬を駆けさせ続けると、やがては注意力が散漫となる。自ずと落馬や馬が転ぶ危険は、増さざるを得なかった。


 その技量以上に早く走らせようとして、馬もろとも転んだ者もおった。その手荒な扱いに怒った馬に、振り落とされた者もおった。


 後者は、見た目には大丈夫そうであった。しかし、すっかりおびえてしまい、「とても、もう馬を駆ることはできませぬ」と繰り返すばかり。そこから先の同行を拒み、一人戻って行った。


 ただそれは方であった。前者は、馬は足を折ってしまい、騎乗の者も転倒の際、馬の下敷きとなり、すぐに亡くなった。


 そこで我らは馬をこのまま残しても、生きたまま肉食獣に食われるだけと想い、殺した。


 〈唇薄き者〉が、亡くなった若者のその広いデコや頭に血と砂をそそぎ洗う。本来は全身を洗うべきであったが、水はであった。


 死者と死馬の臭いをぎつけてか、昼にもかかわらず腐肉喰らいのジャッカルが周りに集まって来た。我々はそれを追い払いつつ、交替で懐剣かいけんにて土を掘り返した。


 それから誰もほうむるに際しての正しい祈りの順序もアラビア語の句も知らなかったので、ただ神をたたえる言葉を四度唱えることによっての言葉とした。


 とても十分な深さとはいえぬ穴に、仲間の右半身を下にして顔をメッカの方角に向けて埋めた。


 仲間が花を好んだのを、〈唇薄き者〉を含め二、三人が知っておった。 ゆえに皆でジャッカルを追い払いつつ、周囲からチューリップなどの花を取って来て、の上に置いた。


 埋葬に半日近くを要したが、さすがに誰も急ぐべきとは言わなかった。それどころか、一言も発さなかった。




 そしてジャッカルの遠吠えの中、とりあえず次の宿駅までは夜行した。


この者たちの顔はいずれも引きつっておった。ジャッカルどもが仲間の墓をあばき、その死体を喰らう。その図がいくら消そうとしても脳裏に浮かぶが如くの表情であった。




 更に翌日には、二人落馬した。幸いにも両名とも死はまぬがれた。


 ただ一名は手で落下の衝撃を和らげようとしたために、手首の骨を折っておった。

 もう一人は肩から落ち、激痛が走るとのことで、体をまっすぐにできぬ状態であった。


 我らは再びペースを落として、両名を次の宿駅まで送り届け、別れた。


 そしてこの時になると、


「果たして我らは神に呪われておるのか」


と〈唇薄き者〉が言い出しており、副長老に度々たびたび叱られておった。



 その日は朝から雨が降り続け、昼となっても止む気配はなかった。騎乗したままでは泥土でいどに深くはまり込んでしまい、馬が足を痛めかねなかった。それゆえに、既に一行は下馬して進むことを強いられておった。


「果たして神は、我らがオトラルに至るのを望んでおられるのか」


との言を〈唇薄き者〉が発し、


れ言を申すな。神をたたえよ」


と副長老が再びしかる。


 それで〈唇薄き者〉は黙り込んだ。




 しかし、しばし進んで後のこと。中段を進んでおった皆を追い抜き、先頭に出て、立ち止まり、訴え始めたのであった。


「もう引き返しませんか。あの者たちがホラズムに入ったって良いではないですか。確かに商売ではあれ、それで我らの商いが行き詰まる訳でもありません。既に仲間が一人死にました。これに命を賭ける価値などありますか」


 口の中に雨粒が入り込むのにも構わず、男は言葉を続ける。


 仕方なく他の者も足を止めて、聞き続けておった。


「我らブハーラーの商人は、代々カラ・ハンやカラ・キタイなどの遊牧勢ともうまくやって来ました。それを想えば、モンゴルだって同じこと。やめませんか。このままでは我らは神に呪われてしまいます」


 そこで声は止まった。のどに短剣が当てられたせいであった。副長老であった。そして口を開いた。


「戻りたければ、お前だけ戻れば良い。はっきり言ってやろう。神は呪ったりはせぬ。お前は間違っておる。予言者気取りめ。 そなたに神の声が聞こえておる訳ではあるまい。預言者をかたるは重罪ぞ。そなたの身を偽預言者として裁判官カーディーに差し出しても良いのだぞ。

 ただこれまでの付き合いもある。またそなたは親友を失ったばかり。平静さを失うは致し方なきことであろう。ただちに我らより去れ。従うならば、罪は問うまい」


 〈唇薄き者〉は最早何も言わず、一人来た道を去った。

 

 他の者は、その間一言も発することなく、ただその様を見ておった。そして副長老が何も告げることなくオトラルへ向け出発すると、その後を追い始めた。

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