第17話 この時のモンゴル 終話(カンとムカリ、そして耶律阿海)

  小話6

(人物紹介

ムカリ:チンギス第2の家臣。ジャライル氏族。四駿(馬)の一人。


耶律阿海:チンギスの家臣。キタイ族。)



 そして最後にチンギスが左腕と頼むムカリ(右腕はボオルチュである)。


 チンギスはこの者を華北かほくに留め、対金国戦の全権を委ねておった。カンの証しであり、ゆえに本来はカンしか持ち得ぬ大トク。それを授け、我に従う如く、ムカリに従うべしとした。


 この時その配下として授けたは、

――正妻ボルテの一族たるオンギラトを筆頭にオングトやイキレスといった姻族いんぞく(チンギス一族と婚姻関係を持つ氏族)、

――そしてチンギスと祖を同じくするウルウト、マングト

――という名族ぞろいであり、血統ではいずれもムカリのジャライル氏族より上である。


 チンギスがあえて大トクを授けたのは、この点を考慮したゆえであった。



 またムカリによれば、

 『国王』と『太師たいし』の称号を是非カンより授かって下さいと、配下のキタイ人諸将がしきりに請うとのこと。彼ら、それでキタイ軍・漢軍の士気は上がり、また軍兵はより集まるとのことであった。


 その称号についてチンギスは良く知るところではなかったので、近侍きんじする耶律阿海やりつあはいに問うてみた。この者はキタイ人であり、またその弟はまさにムカリの配下におったのである。


 ムカリが面前におれば直接問うのだが、そうも行かぬ。といって称号について問うために、最前線におるを呼び出す気はチンギスにはない。金国戦の総指揮官と言って良いムカリならである。


「恐れながら、そして有り難きことに、わたくし自身も太師の称号を帯びることを既にカンに許されております。ムカリ・ノヤンならば、帯びて当然の称号です。

 ただそれのみでは、わたくしと同じに留まってしまいます。ここは国王の称号も是非お授けになるのがよろしいかと考えます」


「王とは何のことだ」


「王とはカンの次にくらいする者です。本来ならカンの弟君や御子が帯びます。

 ただカンは以前ムカリ・ノヤンに左手の千人隊長たちを統べよとお命じになりました。恐れながらムカリ・ノヤンに称号とわたくしも考えます」


「国とは何だ」


「国とはもともと漢人の言葉です。キタイ人にものもので、我らは「グル」と読みます。

 モンゴルの言葉でいえばカンをしたうイルゲン(臣民)のことであり、またカンの治めるウルス(国、帝国)のことです。

 我がキタイの皇帝はグル・カンと称しました。いかがでしょう。いっそカンはグル・カンと称され、ムカリ・ノヤンはグル・ワン(キタイ読みで「国王」)と称されては」


 チンギスは阿海の顔を見返した。何となく、この者の言が冗談なのか本気なのか、あるいは本気ならば何を意図しておるのか、理解しがたく想ったゆえであった。もっと率直に言えば、己の権威に対する挑戦をわずかであるが感じ取ったのであった。


 そこにはモンゴル人に良く似る顔があるのみであった。


 ただ誰しも亡国への想いはあって然るべきもの。先の言は、その想いあふれてのゆえと受け取ることにした。


 何より、この者はあのバルジュナにての苦難の時も、我を見捨てなかったではないか。かようなことで己へ忠義を示して来たこの者を罰するというのか。己はまた人を疑い過ぎる悪い癖にとらわれておるのではないか。


 そう己に問い返した。その言を追求することは止めにし、代わりに次の如くに告げた。


「そなたの言う通りなら、まことにムカリにふさわしき称号。せっかくだ。そなたが赴き、ムカリにその称号を授けると伝えてはくれぬか。弟の顔も見たかろう」


 今度、阿海の想いを読み取るはたやすかった。喜びを満面に浮かべて


「もしお許しいただけるなら、是非にでもうけたまわりたく想います」


「帰路、故地に寄り、家族に顔を見せて来い」




 阿海はまさに礼もチンギスの下を去ると、その日のうちに発った。


 それを聞いたチンギスは、ムカリやその下におるモンゴルの将兵もまた同じ気持ちであろうとは想う。それを許したく想うものの、やはりと改めて想うチンギスであった。




 ジョチからは再び西方へ進軍しますとの報告を、ジェベからは追討が難渋なんじゅうしておりますとの報告を受けておった。




 しかしホラズムに赴いた和平の使者からは、未だ何の報告もなかった。


 チンギス自身が、「ホラズムの監視は必ずあるゆえ、下手に人を介して我と連絡を取ろうとするな」と、先に命じておった。

「ホラズムの君主の疑惑を招いては、何にもならぬ。交渉の結果は、ヤラワチ自身が、隊商に報告し、次に我に報告せよ」とも。


 こちらの申し出を断る理由を、チンギス自身はできなかった。交易をなして何の害があろうか、利しかない。しかし状況はまったく把握できぬも、締結は難しいかも知れぬと想い始めておった。


(ヤラワチでも駄目か。)


 その場合、隊商を率いるオマルには、「決してホラズムには入るな、戻って来い」と厳命してあった。


 配下の者を、無駄に危険にさらす気はなかった。幼くして父を失い、戦となれば常に少数の側。まさに一人の命をも無駄にしなかったからこそ、今の己がある。これはチンギスにとって、信条というより、自らの経験に裏打ちされた事実であった。


 弟カサルの存命時、兄弟間の対立が激化しても、結局その命を奪うことはなかった。それは、何より反対する母上のあまりの剣幕振りにたじろいで、というのが正直なところであり、それが第一の理由に他ならぬ。


 ただ怒りが静まるのを待って、というより、己が怒りを静めようとして、その念頭に想い浮かべるべく努めたのは、その事実に他ならなかった。


 そしてその時殺さなかったからこそ、カサルの子であるイェグやイェスンゲが、今、己を叔父として慕い、仕えてくれておるのだ。もし殺しておったら、どうであったか。確かに我に仕えるしか道がなかったろう。しかし果たして二心抱かぬと言えるか。


 あのカサルの気性を引き継ぐ子ぞ。そして父たるカサルの剛力と叔父たる我の才覚を受け継ぐを得れば、まさに内乱の源となっておったろう。


 そしてそれを防ぐためには、我はあの甥たちを殺さねばならなかったろう。何ゆえ、そのような状況に至らずに済んだのか。それを忘れてはなるまい。




  

 ムカリからは、ほぼ半月に一度、くわしい戦況の報告をたずさえ、伝令が至っておった。


 チンギスは、全体としては将兵を休め、金国軍が自壊するのを、反乱や内乱により滅ぶのを待っておった。窮鼠きゅうそ猫を噛むとの言葉があるが、無論金国軍はそんなものに留まらぬ。手負いの虎に他ならぬ。へたに仕留めようとしてしくじれば、こちらが大ケガしかねなかった。


 それゆえムカリに少しずつ領土を削らせ、あわせて臣従する西夏に西北方面より攻めさせておった。


 この時、東北方面に当たる遼東にて蒲先萬奴ほせんばんど(注1)が、金国に対し反乱を起こし独立しておった。その後、萬奴は一端チンギスに臣従したが、すぐに背いた。ただこれを征討しては、却って金国を助けることになる。しばらく放って置けと、ムカリには命じてあった。


 またムカリによれば、南宋が機に乗ぜんとして、歳幣さいへいの送付を止め、更にはしきりに南辺を侵しておるとのことであった。


 金国はまさに四面に敵を構える状況に陥っており、並みの国家ならとうに自壊しておかしくない。しかし我らモンゴルに劣らぬ尚武しょうぶの気風ゆえであろうか、持ちこたえておった。


 どうしても倒れぬなら、再び自ら大兵を率いざるを得ぬと想う。まだその時ではなかった。チンギスに急く気はなかった。




注1 蒲先萬奴:稀代の梟雄きょうゆうと言って良いこの者も、伝える史料には恵まれていない。


 本来、叛臣としてであれ、伝の一つも立てるべき「金史」は、本紀の方にわずかに記すのみ。例えば、その独立を伝える条は「遼東の賊の蒲先萬奴は僭号し、天泰と改元す」と至って簡素なものである。


 「秘史」がこの者のモンゴルへの臣従を伝えておる点では、まだマシとも想える。しかし過去の遠征と混同し、チンギスの次弟カサルが臣従させたことになっているのは、まさに「秘史」の間違いである。


 そもそも遼や西夏でさえ、まともな国史を残せていない。やはりつわものどもの夢を伝えるのは夏草のみということなのだろう。




参考文献

本話を書くに際しては、特に下記の書を参考にさせていただきました。記して謝意に代えたいと想います。

愛新覚羅 烏拉煕春 著 「契丹文墓誌より見た遼史」 (松香堂 2006年)

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