第15話 この時のモンゴル1(チャアダイ、オゴデイそしてトゥルイ)カクヨム版

  小話1

(人物紹介

  スルターン・ムハンマド:ホラズム帝国の現君主


  チンギス・カン:モンゴル帝国の君主)

  

 この時、世界の針は大きく平和に振れておったと言って良い。


 結局その協定が二人の美徳を礎にして共存共栄の理想の下に――スルターンの公平であり寛容であろうとする想いと――チンギスの軍兵の身命を重んじ、またその臣民を交易により豊かにせんとする想いの下に――実現されたものと言おうが、


 あるいはスルターンの気まぐれとチンギスの打算との野合により、たまたま成立したものと言おうが、


 協定は協定――交易に預かるを得る者は、その利という直接の恩恵を受け――そうではない者も平和という得がたいもの、あたら身を死にさらさずに済むというありがたい恩沢おんたくを授かる。

 

 春の息吹は、モンゴルにも平和のおだやかさをもたらしておった。そしてそれが引き続くならば、それはこの者たちにとってもまた幸いであったろう。



  小話2

(人物紹介 ボルテ・ウジン:正妻であり、ゆえに第1オルドのあるじ。オンギラトの王女。ウジンは漢語の夫人が転じてとされる)


 チンギスの次子チャアダイ。


「お前は我の孫なのに何でこんなに黒く生まれたんだ。ほうら。比べてもこんなに違うぞ」


 そうして、自らの無骨ぶこつな腕を、そのふところに抱く赤ん坊のぷよぷよした腕に沿わせ、互いの腕の腹の色を比べる。


 もっとも赤ん坊なれば、チャアダイがい、を理解する訳でもなく、ただそので見上げるのみ。


 孫を、息子のモエトゥケンが連れて来たので、この者には珍しく相好を崩しっぱなしであった。


「でもおかげで父上より良き名を賜った。知っておるか。我が一族で名を色にちなむは、お前と我、そしてお前ののみ。きっとがお前を天より守ってくれよう。ほうれ。カラ・フレグよ。何と良き名だ」


 今度はチャアダイが両手で抱え上げてをすれば、赤ん坊もまた祖父に劣らず上機嫌となった。


 そもそもはトゥルイの子にフレグとの名を、チンギスが賜ったことに始まる。そしてそれをチャアダイが随分良い名をもらったものだとうらやんでおり、更には生まれたばかりの赤ん坊についても聞き知るに及んで、チンギスが


「チャアダイよ。そなたは母のボルテに似て、色白ゆえその名を授けた。ところが生まれたばかりの孫は色黒と聞く。ゆえにこれを吉兆とすべく、カラ・フレグとの名を賜ろう」


との気配りをしたのであった。(注1)



  小話3

(人物紹介 ドレゲネ:オゴデイの事実上の正妻。メルキトの王女)


 三子オゴデイ。

 いつもの如く朝から酒を飲んでは、このなごやかな日々がずっと続けば良いと心底しんそこ想っておった。


 としかさの五人の男子を生んだこととのゆえに、オゴデイ家の后妃をとりしきるドレゲネ。その尻に敷かれがちなこの者は、そこより逃げて、己を叱ることのない優しき愛妃の下に入りびたっては、ごろごろしておった。オゴデイは彼女との間に一子を設けておったが、ドレゲネの嫉妬を恐れ、チャアダイに養育を託しておった。


 そして父上がもう戦などしなければいいのにと、いい加減、戦というものに飽きないのかと想う日々であった。



  小話4

(人物紹介

ソルカクタニ:トゥルイの正妻。ケレイトの王女。

モンケ:トゥルイと正妻ソルカクタニの間の長子。

クビライ:同上の第2子

フレグ:同上の第3子

アリク・ブケ:同上の第4子)


 四子トゥルイ。

 妻のソルカクタニが腹の子が暴れるというので、耳を当てると、確かに赤ん坊が時々妻の腹を蹴っておるのが分かる。


 ようやく歩き出したフレグが、兄のクビライを追おうとしては転びかけるので、身重みおもの妻に代わり面倒を見るというのが、トゥルイの日常であった。


 腹の中の子は生まれて後に、アリク・ブケとの名を授かる。


 三人の子をにつくったのは、次の金国との決戦にて、もしや無事に戻れぬかもしれぬとの恐れが夫婦の間にあったゆえである。


 弟たちとは少し年の離れたモンケは、日が明けてから暮れるまで外で馬に乗っておった。



 注1ボルテ モンゴル語史料『秘史』の冒頭部の有名な「ボルテ(蒼き)・チノ(狼)」と同じ語である。「蒼き」は傍訳に「蒼色」とあるのに基づく。傍訳とはモンゴル語・漢語に通じた同時代人が付した単語ごとの漢訳である。ただブルーの毛色の狼というのはおらぬから、ここは青みがかった、つまり寒色系の灰色と想われる。「蒼白」との熟語もあり、人肌とすれば色白となろう。




 チャアダイ 秘史にては一貫してこの名で記され、チンギスたちに、こう呼ばれておったのはほぼ間違いない。チャガタイとの名はムスリム史料に基づき、正確な意味を反映しているのはこちらの名とみなされる。チャガンで「白」ゆえ、チャガタイで「白い人」となる(異説はある)。




 カラ・フレグ カラが黒色を意味しない場合、蔑称、特に血統上の蔑称となるので、この者が色黒であったのは間違いない。


 例えばカラ・キタト(=キタイ)で「傍流のキタイ人(の国)」となる。事実その建国者の耶律大石は、遼の開祖阿保機あぼきの子孫とはいえ、傍流であった。


 モンゴル側の史料『秘史』は「グチュルクが西遼のグル・カンの下へ逃れた出来事」を伝えるのに、西遼をやはり「カラ・キタド」との蔑称で呼ぶ。


 他方『親征録(モンゴル史料に基づき、これに主に華北での出来事を加筆した漢籍)』では同じ出来事を伝えるのに、この蔑称をしりぞけ、正しくただ「契丹」とする。


 (以下、少し話が逸れます。)上記に加え、『親征録』の加筆記事中にはキタイ人武将の活躍が多いこと、また往時モンゴル語と漢語に通じたとなれば、まずキタイ人が想い浮かぶこと。以上から、私見ではあるが、『親征録』を編纂したのはキタイ人ではないかと想える。

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