第4話 始まり4(クナンとカン、そして妃クラン・カトンと王子キョルゲン)
人物紹介
モンゴル側
チンギス・カン:モンゴル帝国の君主
ボオルチュ:チンギス筆頭の家臣。アルラト氏族。四駿(馬)の一人。
シギ・クトク:チンギスの寵臣。戦場で拾われ正妻ボルテに育てられた。タタルの王族。
ジョチ:チンギスと正妻ボルテの間の長子。
クナン:ジョチ家筆頭の家臣。ゲニゲス氏族。
クラン・カトン チンギスの后妃。第2オルドの主人。メルキトの王女。
キョルゲン:チンギスとクラン・カトンの間の子供。
ホラズム側
スルターン・ムハンマド:ホラズム帝国の現君主
メルキト勢
トク・トガン:メルキトの王族
人物紹介終了
クナンは客人用の
呼ばれたのは謁見用の巨大な
ひざまずいて敬意を示し、
「久しぶりにカンのご尊顔を拝し、これほどの喜びはありません」とクナンはまず述べた。
カンはうなずくのみであったので、先を続ける。
「またこたびも軍を授かり感謝しておりますとの伝言を、ジョチ大ノヤンより
と申し出てから、革袋の中からまず大ぶりのルビーの指輪を取り出す。それからボオルチュの方へ目配りしつつ、カンの方へ差し出した。
ボオルチュはクナンの意を察して、それを取ろうと一歩踏み出さんとした。
「よい。我が取る」
とチンギスは立ち上がると、クナンに歩み寄り自ら手に取った。
「ほう。良き品だな」
クナンはまずその言葉に注意を引かれた。
(カンは戦利品の分配の権利を他の者に
そしてそれ以上にその声の
「白馬も八十一頭連れて来ております」
「ボオルチュから聞いておる。後ほど見せてもらおう」
クナンはひざまずいたまま報告を続けた。カンはその言葉に注意深く耳を傾けられ、納得し難きことがあったのか、事細かに問われた。とはいえ問い
「よくぞ報告に来た。改めてそのことに礼を言うぞ。そしてジョチへの伝言を託したい」
クナンは更に体を硬くした。
「よくぞトク・トガンを征討したと」
その最初の一言で、クナンはジョチの下から発して以来、初めて体の力が抜けるのを感じた。そして心も
「スルターンには改めて和平の使者を
到着から二日後の朝、
シギ・クトクの配下が昼過ぎに作りたての馬乳酒を持って挨拶に来てくれた。それで朝の件を尋ねると、カンは和平の使者と共に大隊商をホラズムのスルターンに送ることをお決めになったとのことであった。更にはカンは王族や主だった
(良き
クナンは得心した。
翌日クナンを歓待するための
ボオルチュを筆頭に現在
中央に演舞のための空間が設けられておった。それを囲んで席が配置されておった。
奥に当たる北側の一際高き壇上にカンが、そのかたわらには正妻ボルテ・ウジン亡き後、一際
更にカトンの側には、その統べる第二
東側にボオルチュと重臣たち、
クナンはこの行に付き従った百人隊長と共に、客人待遇として西側の席を与えられた。
百人隊長は待機しておった
もっともそれはやはり衣を賜り――しかも
クナンの
女たちの舞と歌でもてなされた後、クナンは改めてチンギスのかたわらに呼ばれた。
「カトンが是非そなたに会わせたい者がおると言うてな」
壇の下に至ると、そのように言われ、初めてカトンの方をしっかり見た。それまでは宴の席とはいえ、そうした視線は失礼に当たろうと想い、控えておったのだ。高貴な貴婦人のかぶる
最初の参内にて、引率したナヤア・ノヤンに処女を奪われたのではないかとカンに疑われ、ならばわたくしの肌で確かめよと言ったと評判の女性である。あるいはその気の強さがカンの気に入りの理由かもしれぬ。体は
もしその内心をカンに知られたならば、必罰の妄念を抱くのも、酒が進んだゆえであろうかとは想う。カンが手自らついだ酒杯を近習から渡され、その場で飲み干す。これくらいではまだ酔わぬわとの自負も、他面まだその内にあった。
カトンは、赤地に金糸銀糸にて
一際大きく輝くのは、蝶をかたどった黄金の台座の上のルビーであった。今回クナンが携えたジョチからの贈り物に違いない。配下の金細工師に命じて、今日の宴のために急ぎ
そのカトンに呼ばれて、クナンの下に来たのは、まだ少年であった。
「ささ。
ただ、そう言って相好を崩したのはカトンではなく、カンの方であった。
それでクナンは
(おお。このお子がキョルゲンか)
「あら。カン。キョルゲンはクナン
とカトンが言う。
それを聞いたクナンはどういう顔をして良いか分からぬ。
「クナンと言います。キョルゲン
と丁寧に挨拶した。
カトンはその様に満足したようで、
「ジョチ大ノヤンの下に赴いて初陣をなすかもしれないわ。その際はクナン翁に良く教えて頂くのよ」
「お任せ下さい。その時はこのクナン、厳しくしますぞ」
と口では言うものの、あくまで
それでもキョルゲンは「よろしくお願いします」とかしこまって言う。
「クナンからならば、色々と学ぶことがあろう。惜しむらくは、その戦場が遠きことよ。そうするには我の下をしばらく離れることになる」
「あら。それでも構わなくてよ。カンもそれくらい辛抱して下さい」
あっけらかんとカトンが言う。
「お父様に挨拶して来ます」
と言ってキョルゲンが壇上に上るのを、クナンはしゃがんだまま見送った。そこでお役御免とばかりに自席に戻ろうとするのに、
「ジョチ大ノヤンにキョルゲンのことをよろしくお伝え下さいね」
とのカトンの声が聞こえた。
「お伝えします」
向き直ってひざまずき、そう答える。
それから、酒でおぼつかない足取りで戻った。
酔いの中で先の言葉の意味を考えた。
カトンの言われた如くの初陣ではなくとも、その指揮下に入ることはありうるから、その時のことを考えてということか。しかしそう決まった訳でもないのだ。可能性はないとはいえぬが決して高くはなかろう。何せその戦う地は遠い西方である。第一、先の言葉からカンがそれを望んでおられぬは明らか。
それにカンのこの
ただ一人幼きゆえか。そう考えれば納得が行った。そして自ずと次の想いに至った。
カンの死後のことを心配しておられるのか。
誰を後継者にするかについてのカンの意向は聞こえて来ぬ。とはいえこれはまずもってカン一族の問題であり、ジョチ家第一の臣とはいえクナンが口を
ジョチ様だってどうなるか分からぬぞ。いやこの勃興著しいカンの軍勢だってどうなるか。
クナンはモンゴルが滅ぼした者たちの栄えを知るゆえにこそ、そう想わずにはいられなかった。
(否、そもそも己がカンより長生きなどするものか)
ようやくそこに至ると、クナンは酒の草原にて
注 四狗 「四匹の犬」の意味。他の三将はジェルメ、ジェベ、スベエテイである。 「秘史」が詩魂を傾けて描き上げるは、凶暴にして執拗な追跡者、ようやく飼い慣らすを得た狼(にほど近き猟犬)といったところである。追う方も追われる方も遊牧勢となれば、その追跡は地の果てまでもとしても、あながち誇張とは言い切れぬ。それをなすに極めて秀でた将に授けられる称号である。(他方ボオルチュやムカリは四駿(馬)の方に数えられる)
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